27 赤髪の騎士見習い(前)
薄暗い船室のフロアから、木の階段をトン、トンと上がる。
キィ、と甲板への扉をグランが開くと、後ろのエウルナリアまで眩しい陽射しが届いた。
「どうぞ、エウルナリア様」
遮るもののない逆光と青空を背に、ごく自然にエスコートのために差し出される手。「ありがとうございます」と、重ねると、さらりとした感触の硬い手のひらだった。――剣を鍛練する人の、手。記憶にある従者の少年とどうしても比較してしまい、少女は静かに苦笑する。
甲板に出ると、午前中に比べて水夫の姿は少ない。楽士達の姿もまばらなことから、おそらくは皆、強い陽射しを避けて休んでいるのだと見てとれた。
エウルナリアは、肩から羽織っていた日除けのケープのフードを目深に被る。視界が影で守られ、熱が遮られたことに、ほう、と息を吐いた。
「水の上で、風もあるのに暑いんですね…今はどの辺りか、グラン様はご存じですか?」
「そうですね…昼過ぎにセフュラに入って、そこそこ経ちますから。レガートとは空気が違いますよね。
西側――そう。あっちの右手に、うっすら煙をあげている黒嶺岳が見えるでしょう?あれを越えてしばらくすれば、セフュラの王都キウォンに入るための支流が見えて来るはずです」
なるほど、グランの言う通り、大河の西岸には黒っぽい大きな山が見える。快晴の空に、雲と見紛うような白煙が立ち上っていた。
この辺りは、もともと火山地帯だ。過去の噴火による溶岩や土石流が、セフュラの国土の北方に広大な平野部を形成した。農産物の生産が著しく、食糧自給率が高い背景にはこういった事情もある。
…島しかないレガートでは、そうはいかない。
レガートは、必要な物資のほぼ全てを輸入に頼っている。もし周辺諸国から経済封鎖をかけられたら、瞬く間に立ち行かなくなるだろう。
――物騒な方向に思考が傾きかけたエウルナリアは、ぶんぶんと頭を振った。
「ええと…大丈夫ですか?エウルナリア様。反対側に休める場所がありますから、そっちに行きましょう」
「あ…はい。すみません、グラン様」
どうやら、甲板の上でも涼しそうな、日陰のテラス席に案内してくれるようだ。
船の揺れが思ったより強いこともあり、赤髪の騎士見習い殿は、ずっと黒髪の少女をエスコートしてくれている。
テーブルが五つほど設けられたテラス席には誰もいなかったが、給仕の男性が控えていた。グランは、エウルナリアを涼しそうな席に導いてから男性のところへ行き、何かを話してから戻って来る。
「お待たせしました。檸檬水を頼んで来ました。…で、どこまで話しましたっけ?」
「えぇと…キウォンにいつ頃着くか、教えていただいたところですわ」
「あぁ。そうでしたね…と、流石に早い。楽士伯の姫君がいると、対応がまるで違うな」
本当にあっという間に、先程の男性が大きめなグラスを二つ運んで来てくれた。切れ目の入った檸檬のスライスが、透明な硝子の縁に引っかけられている。お好みでどうぞ、ということらしい。かき混ぜやすいよう、硝子のマドラーも添えられていた。
エウルナリアは唐突に、午睡のあと何も飲んでいなかったことを思い出す。
「ありがとう。いただきます」
やや重たいグラスを両手で支えると、ごくん、と多めの一口を嚥下した。
…温いけれど、檸檬の香りと酸味がすっきりとして、いい。乾いた身体が水分を素直に喜んでいるのがわかる。
(あと、蜂蜜があれば完璧だけど…これはこれでおいしい…)
何やら、しみじみと檸檬水を飲む少女は見ているだけでも可愛らしく、面白い。正面に座るグランは、自身も片手でグラスを口にしながら紺色の目を和ませた。
河を渡る風がテラス席を通り、少女の柔らかい黒髪とシフォンの白いワンピースをそよがせる。
(眼福って、こういうのを言うのかな…)
赤髪の騎士見習いは、自重の思いも込めて、こっそり苦笑した。
――その時。
「やぁ。ここ、いいかな?」
赤髪の少年の後ろから、やたらといい声がした。
「お父様!」
黒髪の少女が、驚きつつも嬉しそうに顔を綻ばせる。
(嘘だろ――勘弁してくれよ…)
内心では諸手を挙げて降参の意を示していたグランだが、それでも騎士見習いとして席を立ち、後ろを向いて礼をとる。
「勿論です、バード卿。どうぞ」
…そうして席を離れようとしたのだが、当の楽士伯本人は、ガシッとグランの肩を掴み、再び椅子に座らせてしまった。――意外と力が強い。
「まぁまぁ、いいじゃないか。まだ檸檬水も残ってるだろう?私も頼もうかな、それ」
アルムは流れるように告げると、娘と騎士見習いの少年の間の椅子に、スッと腰を下ろした。




