25 少年従者の静かなる反乱
「お嬢様は、申し訳ありませんが船室でお休みください!!」
船尾での一件の後、エウルナリアは鬼のような気迫のキリエに有無を言わさず連れ戻された。
水夫達に迷惑をかけるつもりではなかった黒髪の少女は、目に見えてしゅんとしている。
小さくはあるが、個室を与えられているのはアルムとエウルナリアだけ。単なる随伴の身で、歌長の娘というだけでの厚待遇――これ以上のわがままは、流石に許されない。
エウルナリアは、船室に備えられた小さな窓からぼんやりと外を見た。
硝子越しに、大河の流れと遠くの岸に黒々とした森が見える。…今は、どの辺だろう?
硝子には、室内の様子も鏡のように映る。扉近くには、静かに控える少年の姿が見えた。
少女の胸は、罪悪感でちくん、と痛んだ。切り揃えられた前髪に隠れて、優しげな眉がひそめられる。――そこで、はたと気がついた。
(私、巻き添えを食らわせた彼に、まだ一言も謝っていない…!)
さぁぁ…とエウルナリアの顔が青ざめる。
主の顔色の急変に、レインは目敏く反応した。
スッと窓際まで近づくと、エウルナリアの小さな手をそっと取り、「失礼」と一言断ってからもう片方の手を滑らかな白い額にあてる。
――熱や、冷や汗の類いは見られない。
とりあえず安堵した少年は、気遣わしげに主の顔を覗き込んだ。
「ご気分が優れませんか…?」
優しく声をかけてくれるレインに、少女は余計に申し訳なさが募る。大きな青い目にうっすらと涙が浮かんだ。
「ごめんね…私のせいで、レインにまで窮屈な思いをさせて。あの…ちゃんと大人しくしてるから、好きな所に行ってきて?」
半分は嘘だ。
本当は、彼に側に居てもらえることに、とても安心している。
レインは涙目のエウルナリアを前にして、しばらく固まっていたが――やがて、柔らかく微笑んで彼女の額から手を放すと、冷たくなってしまった主の手を両手で包み込んだ。
涼やかな灰色の目が伏せられて、長い栗色の睫毛が影を落とす。
「いいえ、お止めしなかった僕の責任です。母や姉からもこっぴどく叱られましたし…同罪ですから、どうかお気になさらず。それに…」
「…それに?」
レインが言葉を途中で止めるのは珍しい。
エウルナリアは青い目に涙をためたまま、小首を傾げて続きを待った。
「…僕は、こんな風にエルゥ様と二人でいるのが、好きなんです。貴女のことを、愛称で呼べますから」
「…………?!」
そっと、呟かれた言葉の破壊力がすごい。瞬く間にエウルナリアの顔が熱くなる。頬に、さぁっと朱が走った。
主のいつもとは違う反応に、従者の少年は最初、信じられないものを見たような目をしていたが――ぱあぁ…っと、嬉しそうな顔になる。
握られた手に、やんわりと力が込められたことに気づいた黒髪の少女は焦った。わたわたと言葉を探す。
「あの…ロゼルも言ってたけど、そんなに軽々しく好きとか、言っちゃだめなんだよ?」
「軽くないから大丈夫です」
「あの…貴方は、従者だよね?」
「はい。アルム様にも申し上げました。身に余る幸せです、と。本心です」
動じないレイン。頭を抱えるエウルナリア。
…いつもの逆だ。どうしよう。夢かな。
「あの…どうして、そうなったの?」
的を得ない質問ではあったが、レインは真摯にしばらく考えて、言葉を選びつつ答えはじめた。
「初めてお会いしたときから、気持ちはありました。貴女に言う気はなかったんですけど…何となく、今朝のアルム様からは試されているような気がして。そこで、吹っ切れました」
「けっこう、豪快なんだね…」
にっこり笑うレインと、困り顔で笑うエウルナリア。
その時、コンコン、と扉が叩かれてカチャリと開く音がした。同時にぱっと手を放して距離をとる栗色の髪の少年は、本当に抜け目がない。
「失礼いたします、お嬢様。昼食をお持ちしました……あら?」
トレイに、サンドイッチなどを乗せて運んで来てくれたのはフィーネだった。
彼女は目敏くエウルナリアの体勢と顔色を確認し……ゆっくりと、大事な姫君の傍らに佇む弟に氷点下の視線を向ける。
「ちょっと、いらっしゃい。レイン。…お嬢様、ごゆっくりお召し上がりくださいね」
今度は、レインの顔色がさぁっと青くなった。
さっきまでのことは一先ず置いておいて、心配になったエウルナリアは、怒れる乳姉妹のメイドにこわごわと声をかける。
「うん…あの、フィーネ。あんまり怒らないで…あげられます?」
なぜ敬語。
「無理です」
(うわぁ…)
表面上は変わらない様子のレインを送り出した後。
船室に一人でぽつん、と残されたエウルナリアは、ちいさく呟いた。
「ごめんね、レイン。でもしょうがないと思う…」
まぁ、がんばって――――…何を?
考えてはいけない領分にさしかかった気がして、少女は柔らかな黒髪が揺れるのも構わず、ぶんぶんと頭を振った。




