18 父と娘の、ひととき
「エルゥ、今年の夏は一緒に外国に行こうか」
夏も近くなったある朝のこと。
いかにも今思いついたよ、と言わんばかりにアルムは提案した。
提案という名の決定事項にも聞こえるそれに、エウルナリアは一旦動きを止め、口に運ぼうとしていた魚のマリネを皿に戻す。――食事中である。
「よろしいんですか?私、初めての旅行になりますけど。お父様、お仕事なのでは?」
「構わない。むしろ、一緒に行きたい。レガートに居ても、この時期は人が多くなって騒がしいからね」
甘く整った顔を渋らせるアルム。我が親ながら正直な人だな…と思いつつ、エウルナリアは考えを巡らせた。
レガートは建国史でも学んだ通り、大陸のほぼ中央の高原地帯に位置する。周囲は豊富な湧き水を抱える透明度の高い湖。北には大陸一の標高を誇る白雪山脈。その長大な峰は、空の端を一幅の屏風のように、確かな存在感を放ちながら彩っている。名の通り、夏でも岩の山肌の多くを雪で飾る姿は峻厳で、うつくしく神々しい。
元々観光産業が主であるレガートには、季節を問わず観光客が訪れる。夏の長期休暇は大陸全体の一般的な習慣のため、避暑を兼ねて更に多くなる。
それを踏まえた、先のアルムの発言だった。
「わかりました。お父様がよろしいのでしたら、喜んで。皇国楽士団を含む招待公演なのですよね?どちらに行かれますの?」
エウルナリアは、手に持ったフォークに刺さったままの白身魚のマリネをようやく思い出し、そっと口に運んだ。小骨はないと思うが、きちんと咀嚼する。――パプリカの甘味とお魚の淡白さが、酸味と合ってる。おいしい。
ごくん、と飲み込み、間をあけたことは一切気にせず会話を続けた。
娘の食事のリズムをよく心得たアルムは、珈琲を飲みながらゆっくりと答える。
「今回は南だよ。翠の海の国、セフュラ。国王の招聘だね」
「セフュラ…地図と本でしか知りませんが、港もあって活気のある大国なのですよね?南国ならではの情緒も素敵で、果物がおいしいとか。
…お誘いくださってありがとう、お父様。楽しみです!」
果物好きなエウルナリアの、反応の着地点が予想通りだったのだろう。いつにも増してきらきらと輝く愛娘の青い目に、アルムは思わず相好を崩した。
「ふ、…あははっ!そうだね、楽しみにしてて。
私もエルゥが一緒なら、いつもの千倍楽しいよ。可愛い食いしん坊さん」
勿論、あえての一言を加えて赤くなった娘から怒られるまでが、アルムにとっては何ものにも替えがたい、心安らぐ一時である。




