12 遠目には煌めき、近くでは暗いもの
休息日の夜が更ける。
自室で寝間着に着替え、あとは寝るだけとなったエウルナリアは、ベランダに面した窓のカーテンを少し引きながら、夜の帳と白い月を見上げていた。満月にはまだあと二日はかかるだろう。優しくも充分に明るい光が藍色の闇を照らす。
遠く、皇宮の灯りが夜目にも華やかに、少女の青い目にうつった。今夜は晩餐会らしい。なんでも、双子でいらっしゃる第一皇女・第三皇子殿下方のお誕生日なのだとか…
昼間の茶会で得られた情報は色々だったが、特に目新しいのが皇族の方々のお話だった。
第一皇女・第三皇子殿下方は、エウルナリア達と同級生になること。
第二皇子殿下は、その二つ上。
…濃い。濃すぎる。もう少し、ばらけても良かった。その上、三人ともに音楽院を目指されていると聞いた。これは父のアルム経由だが。
(学院に来る子も、皆がみんな、技能の修得を一番に考えてるわけじゃないのよね…)
家に実をもたらす縁故を拓くため。
成人前のひとときを楽しむため。
慣習のひとつとして。
これに更に、皇族との繋ぎを得るための一派が盛り上がるのかと思うと、ため息が出てしまう。
ロゼルが、レインにあんなにもきつく当たったのは、それらの勢力を警戒してのことだったはずだ。隙を見せてはいけないし、自分達に近付こうとする相手は、見抜かなければならない。
――バード楽士伯家とキーラ画伯家は、多分、良い踏み台になるだろうから。
「めんどう…でも、がんばらなきゃね。お父様との約束もあるし。私は私だもの」
婚約者云々について忘れたわけではないが、とりあえず自分が皇国楽士団に入団できるほどの成績を修めれば、相手に関しては選択肢が広がるはすだった。
…正直なところ、父のいう“好き”がよくわからないから、という理由もあったが。
ひとまずは、まだ自分は十歳。来るべきときに備えて……寝よう!と、エウルナリアはぼふん、と寝台に飛び込み、寝具を被ると瞬く間に眠りに落ちた。
* * *
アルムは、剣呑な雰囲気を漂わせつつ、賑わうホールを眺めていた。娘の前では感情豊かな温かい瞳も、今は冷え切っている。
(本来の目的を忘れた貴族なんぞ、根こそぎ絶えてしまえばいいのに)
常になく苛烈な心の声が漏れなかったのは、彼にとっても周囲にとっても幸いだった。
夜闇を払う贅沢な蜜蝋の灯り。きらめくシャンデリア。ご婦人達が纏う色彩の坩堝に、紳士方の燕尾服が黒を添える。
皇宮晩餐会は、楽士である自分にとっては非日常でも何でもない。ただの、仕事のための空間だ。
最上の演奏を場に提供するのは当然のことで、真にすべきは皇王を支えること。資質や家格で形を変えたとしても、それはレガート皇国の貴族としての根幹だった。
なのに。
「弁えない奴が、多すぎる…」
深い響きの声に、苦渋が滲む。滅多に吐かれることのない毒を込めた一言は、品よく響くダンスのワルツと雑踏のさざめく気配に呑まれて消えた。
同じ頃。舞台裏を支える楽士達は、今宵の怒れるアルムについて話をしていた。
「…荒れてたなぁ、バード卿」
休憩中の若い楽士が、奏者用の控えの間で首もとのタイを緩めながら同僚と話している。机の上に置かれた楽器から察するに、ホルン奏者だろう。
「仕方ないって。さっきから、ホールに顔出す度に言われてるんだろ?…一人娘のエウルナリア様の、相手の打診」
クラリネット奏者は、口でくわえる部分――リードの交換をしながら、軽い調子で答える。こちらも若い。二十代の半ばほどだ。
ホルン奏者は、げんなりした顔になる。お察しします、バード卿…という心境だった。
「そりゃ…度胸のある奴がいたもんだな」
「それがさ、結構居るんだよ。双子の殿下と同級生になる楽士伯令嬢の婚約者とか。狙う奴は大抵、バード卿に対しては逆効果なんだけどな」
「あー、わかる」
話は終わらないが、定められた休憩はそろそろ終わる。二人は手早く復帰の支度を整えると、会話を続けながら扉へと近付いた。
「バード卿の姫君ならさ、多分国内向けじゃない。外国派遣向きになると思うけどな…」
そこまで話したとき、開けようとした扉が勝手に開いた。
クラリネット奏者が、一瞬でこの世の終わりのような顔になる。――アルム・バード楽士伯その人が扉に手をかけ、悠然と立っていたからだ。
「ばっ…バード卿!おおお疲れさまです!」
「うん、お疲れ」
にこりと笑う顔に怒りの影は見当たらない。
奏者達は、つい見惚れた。
男性から見ても甘く整った顔と、聴き入ってしまう声。姿も良く、流麗な立ち居振舞い。
令嬢の相手について騒がれるのは、父親である彼の華やかさのせいもあるのでは?
奏者たちが、そう思い始めたときだった。
「…あぁ、そうだ。貴重な意見をありがとう。
でも、ここでの世間話はもっと内容を選ぶべきだね。…戻ったら?」
くい、と顎で来た方向を示して再び微笑むアルムだったが、明らかにさっきよりも周囲の温度を低く感じる。
奏者達は「は!も、申し訳ありません、直ちに!」…と叫んで、まろぶように走っていった。
彼らを見送ったアルムは、ぱたん、と後ろ手に控えの間の扉を閉めた。
(その辺のぼんくら貴族より、うちの平民出身楽士達のほうが、よっぽど物事わかってるじゃないか…)
ふぅ、と一息ついて心中で愚痴を溢す。
どうあっても話題の中心になってしまう現状から少しだけ逃避したくなり、アルムは目を閉じて愛娘のことを想った。




