10 これは、さすがにあげられません※
エウルナリアは、友人のロゼルと過ごす時間を確保するため、昼食までの時間をずっと課題と復習に充てていた。
おかげで、昼食までもう少し、というところで晴れて自由の身となる。
「終わった…!」
書き物机でぱたん、と冊子を閉じた勢いで、そのまま突っ伏してしまうエウルナリア。
フィーネは、そんな主を労るようにそっと傍らで紅茶を淹れた。湯気とともに良い香りが立ち込めて、ほっとする。
「いい香り…。甘い匂い、美味しそう…」
つい、ほわんとした表情で呟いてしまった。
「お気づきになりました?南方から取り寄せた茶葉です。甘いドライフルーツを香り付けに混ぜてあるのですって」
「すごい。珍しいものじゃないの?それとも、流行ってる?」
「流行りつつありますが、貴重でもありますね。宜しければ、ロゼル様へのお土産はこの茶葉になさっては?」
「うん、ありがとう。そうさせてもらおうかな」
温かな茶器を両手で持つと、手のひらがじんわりして落ち着く。甘い匂いは、紅茶の香りにとてもよく合っていた。これなら、お菓子がなくても気分転換としては満足できそうだ。
充分冷ましてから、エウルナリアは一口飲んで驚いた。少し苦手だった紅茶特有の渋味がほとんどない。ほんのりとした甘さだ。
「…美味しい。これ、好きかも…」
そんな主に目を細め、フィーネは「良かったですわ」と、とても嬉しそうにはにかんでいた。
* * *
昼食後、エウルナリアはレインとともにバード邸を出る。
貴族街という場所柄、道行く人は皆、振る舞いも穏やかで整った身なりをしていた。
皇宮へと続く主街道は平らに均され、石畳で舗装された幅の広い馬車用の道だ。その両端は歩行者用の道として、一段高く作られている。
馬車用の道と歩行者用の道の境目では、等間隔に植えられた緑樹が、風が吹く度にさやさやと葉擦れの音を聞かせてくれた。心地よい木陰は道に沿ってずっと続いている。
普通、令嬢は外を徒歩で出歩かないものらしいが、今日の行き先はお隣だ。大目に見てほしいと伝えたものの、守衛の男性が一人護衛として付き添うことになった。
レインは少し悔しそうにしている。腰に帯剣していることや普段の身のこなしから剣術を嗜んでいることは窺えたが、彼もまだ十歳。仕方のないことと言えた。
主街道を北に進むと、呆気ないほど間もなくキーラ画伯邸の門扉が見えて来る。あちらの守衛達も見知った顔だ。対応は丁寧だが親しい笑顔でやり取りすると、すぐに庭へと案内してくれた。今日の茶会は庭で行うらしい。
案内されて辿り着いたのは、バード邸にもあるような四阿に設えられた、こじんまりとした席だった。
薄い黄色のテーブルクロスがかけられた丸テーブルの中央に、可愛らしい白い花が飾られている。椅子は二脚。やはり、招待客はエウルナリア一人のようだ。
案内をしてくれた男性は片方の椅子を引き、客人である少女に座るよう促す。
「しばしお待ちを。只今ロゼル様をお呼びして参ります」
一礼して、席を離れて行った。
待つこと少々。
レインは、椅子に座った主の右側後方で、両手を腰の後ろで組んだ姿勢のまま立っている。ぴくりとも動かない。気配を静かに消して、控えることに徹しているようだ。
(すごいな。私と同じ歳のはずなのに)
ロゼルが来るまではもう少しかかるだろう。
エウルナリアは、レインにそっと話しかけた。
「…レインは、剣も習っているの?」
話しかけられたことが意外だったのか、少し驚いた顔をしていた。
「はい。…とは言っても、大人には敵いません。今回の守衛の方の配慮は、ありがたいものでした。エウルナリア様をお守りできなくては、意味がありませんから」
爽やかにそう告げると、にこりと微笑む。
悔しそうな表情をしていたのは、見なかったことにしないといけないらしい。男の子は、難しい。
「そう…あ。じゃあ、手を見せてくれる?」
見てみたいと思ったから、そう言っただけなのだが、今度は「えぇっ!」と叫ばれてしまった。失礼な。しかも、顔だけこちらに向けて、なかなか姿勢を崩そうとしない。
(実力行使、かな)
エウルナリアは、徐に「見せて?」と言わんばかりに小さな両手を、手のひらを上に向ける形で差し出した。座ったままなので、下から無言で見上げる。
レインは束の間、頬をうっすら染めて固まっていたが、やがて諦めたように歩み寄り、両の手のひらを見せてくれた。
触るとわかる、かたい皮膚。剣も、たくさん練習したのだろう。ピアノを弾くだけではこうはならない。幼くとも、自分とは違う。しっかりとした男の子の手だった。
――その時、ちょうど近付いて来た足音の主が、無造作に声を投げかけてきた。少女特有の、少し細いものの低めな声。
「…ごきげんよう、エルゥ。その子、何?お土産?」
一見、不躾な問いにも動じず、エウルナリアはにっこりと笑って答える。
「ごきげんよう、ロゼル。残念ながら、この人はお土産じゃありません」
茶会の招待主、ロゼル・キーラは、ちょっと不機嫌そうに目を細めていた。




