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楽士伯の姫君は、歌わずにいられない  作者: 汐の音
十四歳篇 学院での日々

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99 夢は目標か、手段か

「ねぇ。貴女って、いつから歌ってるの?」


「はい?」


 唐突な問いに、エウルナリアは青い目をぱちぱち、と瞬いた。


 マイペースな皇女殿下は、前触れなく“日”を決める。かれこれ一ヶ月が経ったが、彼女のレッスンの誘いはいつも直前だ。しかも不定期で、読みようがない。


 まぁ、いいか…といつもの調子で誘われれば応えること、およそ十数回。さすがに以前ほどの警戒心は互いにない。

 エウルナリアは、ふむ…と、記憶をさらった。


「覚えている限りは、昔から。文字を習うより早かったのは確かです」


 淡々と告げると、銀髪の皇女はちょっと項垂(うなだ)れたあと、立ちながら「そう」とグランドピアノの上に突っ伏した。豊かな髪に埋もれて、表情はわからない。芯のある気のつよそうな声だけが、若干くぐもって聞こえた。


 (うーん……これは、殿下のことを詳しく訊いて差し上げるべきってこと?)


 黒髪の少女は、ピアノの鍵盤に手を添えたままの従者の少年と、ふと目を合わせる。そのまま視線での会話を試みた。

 従者の少年は、いつも通りの困ったような柔らかい笑顔を主に返す。少し、首を傾げた。


 ――首を振らないということは、訊いてほしいんだろう……という予測は主従ともに変わらないようだ。エウルナリアは、声楽の教本を胸に抱いたまま、突っ伏す皇女の背にそっと声をかける。


「あの―――…」


「ずぅーっと夢だったのよ。アルムと一緒に歌うのが。なのに、私は歌が下手で。

 ……誰も教えてくれなかったの。アルムを含めて誰も、歌うことを。

 “皇女様には必要ありません”って、何よそれ。レガートの皇女が音痴な方が、大問題よ。

 おかげで、私はずっと彼の歌を聴くことしか出来なかったの。本当は、ずっと一緒に歌いたかったのに」


 訊ねる前に、みずから話し始めた皇女に出鼻をくじかれたものの、「あぁ…」とエウルナリアは深く頷いた。

 ――なるほど。


「殿下、父のことお好きですものね。伺いましたよ?お小さい頃は、父の子守唄がないとお休みにならなかったって」


「!!」


 とたんに、素晴らしい脊髄反射で皇女が跳ね起きた。艶やかな銀の髪が、追ってさらりと制服の肩と胸元、背に流れる。

 朱を浮かべた白い頬。ひらいた唇が心なしか、わなわなと震える。


「…アルムに聞いたのね?あいつめ……!」


 憎まれ口を叩いているけれど、表情は恥じらう乙女そのものだ。

 可愛らしいなぁ、と、“あいつ”呼ばわりされた父を持つ娘は、気にすることなくゆるりと微笑んだ。


「いいではありませんか。共演の夢、素敵です。

 私は、父の子守唄を聴いた記憶もありませんし、残念ですが、あまり一緒に歌ったこともありません。いつか、自分も優れた歌い手になれば共演の招聘を受けることもあるかも――と、励みにはしましたが」


 透き通るような笑顔で、さらっと述べられた内容に、皇女はぎょっとする。

 アルムが夕方から朝まで皇宮に引き留められている主な要因は、皇王マルセルと皇女ゼノサーラの二人にある――片棒を担ぐ人物の一人として、彼女にはその自覚があった。


 ゼノサーラは紅の視線を逸らし、もごもごと謝罪し始める。両手を前で組み合わせ、どことなく殊勝な態度だ。


「それは……ごめんなさい。えぇと、貴女はアルムの娘で“姫君”なんて呼ばれてるくらいだから、私より余程、大事にされてるんだと思ってて……」


「?はい、大事にされてますよ?」


 きょとん、と肯定するエウルナリア。

 (たちま)ち、導火線のみじかい皇女殿下の心の琴線に火がついた。

 ――触れる、を易々と飛び越えるあたり、彼女の反応速度は凄まじい。


 ばん!とグランドピアノの縁を叩くと、勢いのままに(まく)し立てる。矛先はまず、先程から沈黙を守っていた傍らの少年へと向けられた。


「どっちよ!何でよ!?

 え、ちょっと、そこの従者。今、私とこの子、会話がずれたわよね?」


「いえ?ずれていらっしゃるのは、どちらかと言えば皇女殿下です。あと、叩かないでください。ピアノが傷みます」


「あぁあぁ、そうね!あんたって、最初からそーいう奴よね!

 ちょっとエウルナリア、従者の教育、さぼってんじゃないわよ!!」


 ――お鉢が(まわ)ってきた。

 確か、似たようなことを昔、親友から言われた記憶もあるが……似て否なるとはこのことかな、と思い至る。

 エウルナリアは内心をおくびにも出さず、さも申し訳ないといった表情になった。


「それは、大変失礼を……ですが、殿下」


 黒髪の少女は、そこで一旦区切って皇女に向き合うと、目を瞑り――開いた瞬間、しん、と真顔に切り替えた。

 青い瞳はやさしいままだが、その視線は十四歳にしては深く静謐だ。湖の底にたゆたう光のような色合いを湛えている。


 状況を忘れて、ゼノサーラはきゅ、と心臓を掴まれたような気持ちになった。どきどきとする胸を押さえ、目の前の少女に見入る。


 少女は、珊瑚色の唇をそっと開いた。流れるのは歌のようにうつくしく、けれど決意を込めた、甘いだけではない鈴ふる声。


「今レガートを守るものの一人として、父は貴女がたの側に控えています。必要とあれば諸国にて歌いましょう。周囲の敵を欺き、味方にするのも否やはありません。

 …私は、父の娘です。同じつとめを将来背負います。おそらく殿下の仰る“大事”は、私達のそれとは異なるのですわ」


 そこまで一気に語ると、エウルナリアは再び柔和な笑顔となった。


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