9 ちょっとだけ、成長したのかな
「おかえりなさいませ、お父様!おはようございます」
「ただいまエルゥ。おはよう、よく眠れた?」
休息日の朝六時。皇宮での勤めを終えたアルムが本邸のエントランスに戻ると、愛娘と邸中の使用人達が全員、ずらりと並んでこれを出迎えた。ほぼ毎朝の光景だ。
今日のエウルナリアは、いつも垂らしたままの髪を少し結っている。
顔の横の髪を三つ編みにし、後ろで一つにまとめ、白のレースがついた青いリボンで結んだだけのゆるいハーフアップだが、とても清楚だ。
装いは、直線的なラインの、首から踝まで届くシンプルな白いロングワンピース。たっぷりとした布地のドレープが、歩を進めるたびに綺麗に翻る。上からは、薄手で丈の長い青灰色のジレを重ねている。
胸下で切り替えのある部分で結ばれた青いリボンは、光沢のあるビロード。少し背伸びした優等生お姉さんスタイルと言ったところか。靴の踵まで少し高い。
エウルナリアは、いつもなら一直線に父に飛び付くところをしずしずと歩み寄り、三歩先で一旦止まると令嬢そのものの淑女の礼で、ふわり、と優雅に頭をさげた。
アルムは広げたままの両手を下ろさず、驚いた顔で彼女に問う。
「……どうしたの、エルゥ?いつも可愛いけど。今日は、いつにもまして美人さんだね?」
「ふふ、どうもしませんわ。“もう、立派なお姉さんになりました”と、お父様に教えて差し上げたくなったの」
くすくす、と喜びがそのまま音になったような明るい声で笑うエウルナリア。
「…でも、もういいかな…」と小首を傾げて呟くと、待ち構えたように距離を詰めた父に、一気に抱き上げられた。「きゃあっ!」と、少女の愛らしい声が響く。
アルムは娘を右腕に座らせ、左手で背を支えた。
ぎゅ、と抱きしめてからエウルナリアが元いた場所に目を遣ると、家令夫妻とその子ども達が並んでいる。目が合うと、かれらは順に礼を返した。
「皆も、おはよう。今日も宜しく頼むよ」
にこりと微笑むアルムは、まだ充分若く魅力的な当主だ。数名の若いメイドが赤面して一斉にさざめいた。
が、これもまたいつもの風景。
心得た古参の使用人達は、みんな腰を折って礼をとり、穏やかに誇らしい表情をしている。
「――それで、本当のところ、どうしたの?」
「いえ、今日はお隣のロゼルがお茶会に招いてくださったので、お洒落してみようかな、と………あの、似合いません?」
「似合ってる。素敵だよ」
眉尻を下げて問いかけると、直ぐに真顔で即答された。ちょっと照れる。
「レインとはどう?仲良くなれそう?」
「はい。同い年なのにしっかりしていて、とっても優しいです。私も見習わないと」
アルムは「ふぅん…」と答えただけだったが、意味ありげに口の端を上げると、従者の少年を一瞥した。すぐに視線を戻し、濃い緑の双眸を和ませる。
「いいんだよ、君は君だから」
そう言って腕からそっと降ろすと、ぽんぽん、と娘の髪を乱さぬように控えめに撫でた。
「そんなこと仰って、また抜き打ちで試すようなこと、なさるんでしょ?もう、学びました!」
ジト目のエウルナリアも可愛いな、と思ったアルムは、堪えきれずに声をあげて笑う。
それは、休息日の早朝のエントランスで明るく、柔らかく響くテノール。
バード家の父は、娘から余計に怒られる羽目になっていた。




