4章132話 希望の力、その名は───
「ミッチェル……私はね、未来が見えるの。だから、この後に何が起こるかも私には分かる」
「何、を……?」
「この戦いの中でギドは人である事をやめる。吸血鬼として生き、そして剣聖との戦いで死ぬまで残る傷を負うの。彼は変わる、栄光への道を捨ててまで自身の望みのままに動く獣になるのよ。それこそ、本物の魔族のようにね」
剣聖、有名な王国の剣聖リュード。
その者と敵対するという事はつまりギドが進む道は王国と敵対するものだった。それを伝えるためにミミが来たとすればミッチェルにも納得できる部分は多くある。だが、それでミミの全てをゆるせるわけもない。
そして彼女の言った微かな情報。
死ぬまで残る傷……つまり、どこかでギドという存在は死んでしまうのだ。永久を生きるとも言われる吸血鬼、その中でも最上位に位置する真祖が寿命で死ぬとは思えない。そこから導き出されるのは最悪な考えのみ。
「貴方はまだ引き返せるわ。きっと、ここから先に進もうと思えば苦しみ、悲しみ、そして裏切られ続ける日々を送る事になる。だから、早くギドから離れる事ね。あの人は神ではないわ」
「何が言いたいのよ……!」
「あの人は悪魔、悪魔を制御できるのは神である私だけ。まぁ、他に制御できそうな人は何人か思い当たるけど……今の貴方には絶対に無理ね」
悪魔、そう、ギドは紛れも無く悪魔なのだ。
吸血鬼の真祖であり、面白いからという理由で神すら超える存在になると豪語する大馬鹿者。自分勝手で前に突き進んで、後から低い頭を何度も何度も地面に擦り付ける。
そこまで至ってミッチェルは笑った。
悪魔、本当にそうであれば初めて会った時に血も吸われずに生かされた理由が分からない。ギドという男はどこまで行っても自分勝手なままだ。それでもミッチェルや仲間達を蔑ろにした事など一度たりとも無かった。だから、満面の笑みを見せ付ける。
「……私はギドさんの笑顔が好きです」
「何? 狂ったの?」
「私は……ギドさんの普段は大人びた表情を見せるのに……二人っきりの時には甘えてきて、戦いの時とは正反対な穏やかな笑顔が好きです」
ドリトルに穢された体であってもギドは構わないと笑ってくれた、元主の首を跳ねた手を何度も握って隣に立ってくれた……それだけでミッチェルは生きたいと思える理由になってしまったのだ。
そう考えると確かにギドは悪魔かもしれない。
自身の心を狂わせた最低最悪な何にも変え難い大好きな悪魔、ミッチェルは表情を変えずに頭に過ぎる言葉を続ける。それは吐き出しているだけの言葉に過ぎない。でも、いつかは本人に伝えたいと思っていた本当の気持ちでもある。
「私はギドさんの優しさが好きです」
「それは別に貴方だけに注がれるものでは無いわ。今だって興味があるという理由だけで新しい仲間を引き入れようとしているもの」
「そうでなければギドさんじゃありません。誰よりもお人好しで仲間を大切にするからこそ、今の私はこうやって幸せに生きています。時々、キスをして膝枕をして……そして一緒に寝るんです。それだけは他の人には渡す事の無い私だけの特権です」
どこまで行っても自分を頼りにする不器用なギドを誰よりも愛する大馬鹿者。そうだ、だから、どれだけ身勝手な事をされても最後には許して助けたいと思ってしまうのだ。だって……。
「何が言いたいの?」
「私は……あの人を信じています」
初めて会った時、ミッチェルは死ぬ気でいた。
死んで新しく与えられた人生を幸せに生きたいという微かな可能性を信じていたのだ。だが、それは良い意味で覆された。同じ事をする男なら誰でもよかったか、いや、ミッチェルはそれを確実に否定するだろう。
「あの人が進みたい道を共に歩むのが私の望みです。でも、あの人が本気で進みたいと思っていない道を進ませないのも妻としての矜持。例え修羅の道を通るとしても本気で進みたいと思っているのであれば道を切り開くのみです」
妻、そこに含まれるのは自分だけでは無い。
ミッチェルがいて、イフがいて、シロがいて、アキがいて……今いる仲間達が全員、幸せに笑いあって暮らしていてようやく正しい道なのだ。ギドが口にせずとも求めている事はミッチェルにはよく分かっていた。
「私は未来なんて見れません。神でもありませんから正解だって分かりません……ですが、貴方の言葉は確実に間違えています。だから、あの人の場所へは行かせません!」
「……馬鹿ね。まぁ、分かっていた事だけど」
「本気で行きます! だから! 我が神の場へと行きたいのであれば私を倒してからにしなさい! 神を名乗る者よ!」
手の中に出したのは二本のレイピア。
片方は変わらず純白な鋭きもので、もう片方は漆黒に染まった少し長く刃に近いもの。そうだ、新しく現れたのはミッチェルが愛している存在を模した大切な心器、いや、彼女の想いが反映された最高の魂なのだ。
「……行くわ。精々、死なないようにね」
「ご忠告感謝するわ!」
「ごめんね……!」
───謝罪の言葉と共にミッチェルの体は切り刻まれた。
血が溢れ出す、迫る死神の鎌の音。
咄嗟に距離を取りポーションを口にする。そこでようやく足音が遠のいていく。瀕死の自身を完治させるポーション、それに対して一瞬で自身よりも早い速度で連撃を浴びせる存在……今の一瞬で勝機が無い事など目に見えて分かった。
「さすがはあの人の作るポーションね。私でも作れない程の高品質なものなのよ。それを簡単に飲み込める貴方はどれだけ幸せ者か」
「幸せ者なのは……自覚していますよ。日々、ギドさんからは幸せを……頂いておりますから……!」
「……本当に狡いわ」
傷は無い、だが、大きな傷を植え付けられた。
恐怖、自身がどう足掻こうとも何も出来ないという最悪な傷だ。足が震え始める……目の前にいるのはギドやイフと同じくらい、いや、二人でさえも勝てるかどうか分からないような存在。
まさに神のような強さ、だからこそ、ミッチェルは吐き捨てた。未来が見えるだけの神様に、ただ腕っ節が強いだけの神様に良いようにされるのは御免なのだ。未来永劫、続くと思われた最悪な生活を救ってくれた人のために、自身が求める世界のために……ただ大きな声で叫ぶだけ。
「お前はここで殺すッ!」
「……最後の遠吠えかしら。でも、悪くは無いわ」
二つのレイピアによる連撃。
そのどれもが今までとは比べ物にならない程の速さであり、それだけの多量な魔力を消費している事が目に見える。いや、燃やしているのは魔力だけでは無いのかもしれない。そこにあるのは確かな命、魂とも呼べる赤くて青い炎を灯しているのだ。
───だが、現実はそこまで甘くは無い。
「グッ……ァァァ……!」
「良かったわ。見ていた未来では既に血の中で伏していたはずだもの。同じくらい手は抜いているけど簡単には倒れてくれないし」
その言葉通りミッチェルに勝ち目は無い。
だが、それが分かっていてもミッチェルは微かに残る力を振り絞ってポーションを飲み込む。紛れも無く全身全霊を払って与えた一撃でさえも通じなかった相手に、未だに残る闘志という一点だけで立ち上がり睨み付けている。
それをミミはただ眺めるだけ。
殺そうと思えば殺せる、気絶させようと思えば気絶させられる……それでも終わらせないのはミミなりの優しさなのだろう。ミッチェルという存在の意志を無碍にしたくないという、どこぞの誰かと似たような考え方。だからこそ、ミッチェルは小さな笑みを零せた。それを不満げな表情でミミは見つめる。
「でも、さすがね。私は貴方の心器を壊すために攻撃をしたのよ。なのに、傷の一つもつきはしなかった」
「心器は……壊れません……常識ですよ……」
「それは俗説よ。誰も壊せた事が無かったから壊れないと勘違いしているだけ。心器もただの魂を模した武器でしかない。だから、耐えられないだけの一撃を加えられれば簡単に壊れるわ」
その言葉は神だから分かる事だろう。
そしてミッチェルに告げるという意味は単純な強さの肯定、それでも尚、少しも恐怖が拭えないのは二人の間に圧倒的な力の差がある事をよく理解しているからだ。褒めるという行為そのものも圧倒的強者の格上に許された特権でしかない。
「分かったでしょう。貴方では私を止められない。何度も立ち塞がったところで数秒後には膝をついてポーションを飲んでいる」
ミッチェルの体が大きく吹き飛ぶ。
ただ手を横に振っただけ、距離だって大きく離れていた、近付かれたわけでもない……それでも簡単に吹き飛ばせてしまう程の力がミミにはある。
確かに勝ち目は無い、戦う意味は無いかもしれない……それでもミッチェルの目から闘志は消えない。むしろ、その返答に対して珍しく厭らしい笑みを浮かべてレイピアを構えた。
「……分かりませんよ」
「何が……?」
「一回では意味が無いかもしれません。それでも十回、百回と繰り返してみれば何かが変わるかもしれません。ギドさんは言っていました……運命なんてクソ喰らえだって……!」
何度も裏切られ壊され奪われ続けたからこそ、少年は運命を憎んだ。そして奴隷として全てを奪われてきた少女も等しく自身の運命を恨んでいた。運命というものが最初から定められたものであれば二人が出会ったのもそれと同じだろう。
だが、それでも彼は、彼女は考えを変えない。
二人が目の前の景色を見て最善だと思った方向へと進んだから得られた結果、少なくとも出会った時から彼女は運命から逸れるために戦い始めたのだ。───定められた運命ではなく自身が定める結果のために。
「ハッピーエンドもバッドエンドもクソ喰らえ、僕が望んだ結末だけを手に入れるんだって……口にしていたんです! 私はそれを信じます!」
「そんなの……偶像よ!」
「偶像を叶えるのも嫁の役目です! いや! 命を助けられて共に生きたいと願った私ができる最大の役目です!」
魂が燃える、心器の形が崩れていく……ドロドロと溶け出したかのように彼女の足元へと落ちていく。魂が変色し始めたわけではない。消滅を開始したわけでもない。───ミッチェルは掴んだのだ。感覚的に魂という不完全で不明瞭な物質の核心に触れる事ができたのだ。一言で表すのならそれは……魂の再構築。
「不完全で不格好な姿……きっと、こんな姿を見たらギドさんは笑ってしまうでしょう。でも、それでもいいんです。貴方を止められる力を手に入れられるのなら……!」
「こんな! こんな未来は知らない! なんで貴方が使えているのよ!」
明確に焦りを覚え始めたミミ、その目に映るのは今までのような洋服の姿とは打って代わり、白く透明な衣のような物を体に羽織るミッチェルだった。不思議と中にある肌は見えない、見えるのは眩く輝く白き光のみ。そう、その天女の如き力の名は───
「心装を……ッ!」
デカい口を叩きましたがスランプになってこの作品を書けずにおりました。一月程、他の作品を書く事である程度は治りましたが未だに書き方が定まらず、書いていてもこの作品だけ登場キャラクター達が上手く動いてくれません。
今後も気が向いたら書きますが……あまり期待はしないでください。本音を言えば五章で無理やり作品を畳もうかとも考えていました(本当は五章が主人公の転換期となる予定でした。そこでタイトル回収をしてバラ撒いておいた伏線を回収していく……例えばシュウやココ、キイなどもそうですね)。時間はかかると思いますが少なくとも五章である王都擾乱編までは書くつもりですのでゆっくりお待ち頂けると助かります。
不完全覚悟で終わらせるか、終わる気配も無くダラダラと続けていくか……どちらの方が良いのでしょうね。作者には皆目、見当もつきません。