4章99話 劣等感です
三人称視点です。四章のディーニとの戦いまではこの視点のままで書くつもりでいます。
「……はぁ」
夜更け頃、まだ日も昇っていない早朝に一人の青年がため息をついた。青年は知っていた、ゆっくり休んで今日という日を迎えなければいけないことを。だからこそ、眠りについた場所も青年が心を落ち着かせることの出来る地下室だったというのに、それでも待ち望んでいた日のせいか眠りが深くなることは無かった。
モゾモゾと体を動かす。
そこまで部屋が狭いわけではないのだが、彼の趣味であるポーション作りや鍛治の道具のせいで動いただけで何かにぶつかってしまった。寝ようにも寝れない状況、ゆらりと体を起こしてコップに水を注いだ。今、起きるのは良くない、それは頭で理解している。だが、さながら帰宅後に惰眠を貪ってしまったせいで夜に寝れない学生のようなもので眠れやしないのだ。加えて飲んだ水のせいで冴えた頭と、それにより考えてしまったことのせいで胸の高鳴りが酷くなってしまっている。今から寝るというのも無理な話だろう。
それを理解しているからか、体を無理やり起こして青年は庭へと出た。何も無い月明かりのみが照らす空間、神秘的な雰囲気だけがそこに漂う。ポンッと何も無い空間から椅子を取り出して座る。ボーッと目の前に広がる空間を楽しむように、味わうように眺めていた。
「ギドも起きてしまったのかい」
静寂が囁くような小さな声によって破られる。
「眠れなくてね」
ギドと呼ばれた青年は笑いかけて新しい椅子を出した。声をかけた少女は微かにはにかんでから出された椅子に腰を下ろす。
「……私もなんだ。初めての感覚だな、こんなにも戦えることを楽しみにしているなんて」
「そっか」
「ああ、冒険者なら戦闘が好きだみたいなことを時々、言われてしまうが今まではそんなことを思ったことは無かった。君に会ってから変わってばかりだよ」
少女は口元に手を当て微笑した。
ギドは少しばかりドキリとしたが表情は少しも変えない。少女はそんな顔を見ながらも何も言わずに、そっとギドの見ていた空間を見つめた。
「美しいね」
「うん、浄化される気がするよ」
「はは、君が消えてしまったら私はもう変われないじゃないか。こんなに楽しい思いをさせてもらえているんだ。逃がすつもりは無いよ」
今度は隠すことが出来なかった。
露骨に口元がふにゃりと曲がり頬が少しだけ赤らむ。少女はそれを見てニヤリと笑みを浮かべた。手をギュッと握り庭の美しさに負けない端麗な顔を見せつける。……だが、少女は見せた後で後悔した。やる相手が何も思わない人であれば慣れた手つきで自分のモノへとすることが出来ただろう。でも、相手は少女が恋焦がれてしまうほど、それこそ夢で出逢えただけで喜び悶えてしまうほどの存在だ。一気に頬が赤く、そして体が熱くなる感覚に襲われる。
急いで離そうとするが遅い。
してやったりといった表情を浮かべるギドが手を取って逃げられないようにしてしまったのだ。
「リリ、逃げないでよ」
「に、逃げようとは……」
「もしかしてさ、こうやって触れ合ったりするのって嫌だった?」
意地悪な質問だ、ギドだってイエスとリリが言わないことをよく理解している。少しばかり疎いところはあれども、人並み以上には人の言動に機敏を反応していた存在だ。そんな人がリリの恋心に気が付かないわけがない。
「い……」
「い?」
「嫌じゃないです……」
涙目、そして真っ赤な顔。
真っ白なネグリジェから露出する、服に負けず劣らずな白い肌。庭の雰囲気と合いすぎる。真っ赤な月光に照らされた恥ずかしさに悶える美しい少女、一つの高価な絵画のような場面にギドは一言だけ漏らしてしまった。
「綺麗だ」
「え……?」
「いや、なんでもないよ」
その話を続けてしまえば自分が不利になる。
そう思ったギドはリリから追求が来ないようにそう言い、軽く抱き締めた。より恥ずかしさで悶え始めたリリは顔を隠し俯く。
「……ごめんね、すごく強くするって言ったのに大したことが出来なくて」
ポツリと呟いた言葉は明らかな後悔。
リリの姿を見て、訓練の時の姿を思い出して呟いてしまったのだろう。ギドも今の場面には合わないと理解しているからか、言ってしまってから口元を手で隠した。
「なんでもない」
「いや、聞こえていたさ」
リリの優しい声、だが、少しだけ震えていた。
「すまない、私達がミッチェルのように才能があるわけじゃなくて……とても迷惑をかけたと思う」
「ううん、そういう意味じゃないよ」
「分かって……いるさ……」
目元に薄く涙をためたリリ。
ギドは何も言えない。良い返しが思いつかないのだ。普段の軽口からは考えられないほどに頭が良い言葉を生成してくれない。ギドだって最初に会った時から理解していた。ミッチェルは天才で、鉄の処女の三人は秀才……その差は凡人と秀才の比ではない。だからこそ、簡単に「同じくらい強くなれる」なんて甘い言葉を言えやしなかった。
「……強くなれているのは理解しているのに、なんでこんなに遠く感じるものかな」
紅き月をリリは見つめる。
チラリとギドを見て、また月へと視線を戻した。
「今のリリを見て僕より強くなれるとは言えない。さすがにそれは自分を甘く見過ぎていると理解しているからね」
「そうだろうね」
「うん、でも、僕は負けたくなくて頑張っているんだよ。エミさんとリリにしか教えることが出来なかったけどさ、その時だって二人が強くなっているのを肌で感じていた。だから、負けたくないって思えてしまうんだよ。僕だって男だからね、可愛い子にはカッコイイところを」
オタク特有の早口言葉と言うべきか、思うこと全てをまとめることもなくギドはリリに聞かせていた。だが、最後の最後まで言えない。さすがに自分で気がついてしまったのだ。
「……可愛いな」
「う、うるさいなぁ……!」
リリの暖かな目、顔を背けるギド。
もしも第三者が見ていたのならば「リア充、滅んでくれ」と懇願してしまいそうな情景に、赤く強い光が降り注ぐ。まだ高いところにいたはずの月が沈みかけ、朝日が届き始めた。
「リリ、今日は期待しているよ」
「ああ、出来る限りのことはさせてもらおう」
くしゃりと表情を歪ませるリリ。
その顔にはいくつもの感情が混ざっていた。未だに払いきれぬ無力感と扱い方の分からない稀有な力、例え人を簡単に殺せる拳銃であれども使い方さえ分からなければ意味が無い。リリは自分の持つ心器の潜在的な能力に期待しながらも恐れていた。もし仮に……能力が弱ければ……。
「大丈夫、僕も助けてあげるからさ。それに僕が選んだんだよ、リリが弱いわけが無い」
屈託のない笑み。
本気でそう考えているのだと見ただけで分かる表情にリリは少し動揺した。それを隠すように俯いて顔を背けてしまう。
「……それでも怖いじゃないか。イアだってエミだって立ち回りが決まっている。いなくてはいけない存在だ。だが、私はどうだ……自由に立ち回れるからこそ、必要性が感じられない。二人を助けられる力が心器にあるとは」
「うん、無いかもしれないね」
区切られた言葉、それはリリからすれば重すぎた。例え冗談だったとしても簡単に言えるものでは無いだろう。リリも少しだけ表情を歪ませてしまった。……だから、リリはすぐに言い返した。
「ならば、なおさら私はいらないではないか!」
感情的な言葉、普段のリリならば見ることが無いような姿がそこにはあった。それでもギドは表情を笑顔のままにしている。酷い悔恨の念、なぜ声を荒らげてしまったのかと、リリはギドの顔を見れなくなっていた。
「す、すまない……」
「いや、いいよ。僕も言葉が足りなさ過ぎた」
未だ変わらぬ笑み、それを見ることが出来ない。
「リリは要らないかもしれない、だけど、そうじゃないかもしれないよね。ぶっちゃけてしまえば僕はリリの力なんて分からないよ。心器の力だって分かっていれば教えていたさ」
「ああ、ギドは優しくて才能があるからな。ギドの言うことなら私は何でも」
「ありがと、でも、今はそれを聞きたくて言ったんじゃないんだ」
リリなりにおどけたつもりだったが返ってきたのは真面目なものだった。……加えて付いてきた頭を撫でる行為が少しだけリリの心を安らげる。リリの中でのギドは意地悪をする悪戯っ子だったというのに、今のギドにそれを重ねることが出来ずにいた。そんなリリを無視してギドは手を離して続ける。
「つまり未知数ってことはリリからすれば怖いかもしれない。だけど、僕からすれば期待でしかないんだ。数回、リリの心器で体が言うことを聞かない時があったからね。身を持って体験しているからこそ、リリ以上にリリの才能を理解しているつもりだ」
ギドはリリの劣等感を払いきれやしないだろう、消し去ることなんて出来やしないだろう。未だ顔を合わせぬリリと、ただ見つめているギド。イアの件もあってギドからすれば劣等感を消し去る良い手なんて簡単には思いつかない。それでも、だからこそ、一つの言葉を思い出してしまった。
「……もしも自分の力が信じられないのならさ」
「うん……?」
「僕が信じたリリの力、つまりは僕のことを信じてみてよ。自分を信じるって言うのは思っているほど簡単じゃないからね。それで失敗したのなら僕のせいにしてくれればいい。そう考えると気持ちは楽だろ?」
未だに邪念はその笑みに加わっていない。
チラリと視線を合わせてしまったリリの胸が少しだけ痛む。自分が無力なせいでギドが責任を感じてしまったら、そう考えるだけで今まで築いてきたギドの関係が壊れてしまうような気がしてしまった。最初こそはイアのためでしか無かったギドとの会話は掛け替えのないものとなっている。……いつからギドを本気で好きになったのかなんてリリには分からないだろう。簡単にうんやはいと肯定することが出来ない。
「カッコイイ……言葉だな」
ようやく口に出せたのは肯定でも否定でもない、無意味な言葉だった。リリは少しだけ焦ってしまった。だが、ギドはそれを聞いて笑顔を崩すことは無い。
「はは、そうだろ。まぁ、僕も幼馴染に言われたことの受け売りだけどね。……でも、そう思えるのと思えないのとじゃ違うかなって」
頬を軽く掻いて恥ずかしそうにするギド。
リリはその姿を真っ向から見れなかった。
「リリ!」
グイと肩を掴まれ顔を上げてしまった。もうギドの顔は笑みが引き締まり真剣そうなものへと変わっている。それを見てリリも小さく頷く。いや、頷くしか無かった。リリからすれば今のギドは悪戯っ子ではなく、どう見ても物語に出てくる王子様のように光り輝いている存在でしかない。
「僕を、信じろ」
「……そうだな」
話しかけた時とは違う意味で高鳴ってしまった鼓動を鎮めるためにリリはギドの横へと移動した。何をするわけでもなくリリはギドの肩に頭を乗せ瞳を閉じる。……陽が強くなるまで二人はそのままでいた。
プロットを組み直していたのですが五章は物語が始まる序章に近いので人によっては気分が悪くなる可能性があるかもしれないです。ちなみに六章からは物語性がガラッと変わっていくので、もしかしたらここが一番、面白いかもしれません。新キャラの案などが多くありますからね。あー! 早く書きたいです!
恐らくですが次回から模擬戦の開始だと思います。投稿は来週の前半が少し忙しいので週の後半になります。練り直したい部分もあるので待っていてもらえると助かります。それでは次回をお楽しみに! 待っていろ、五章!