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4章69話 トラウマの片鱗

「お前は本当に人の心が分からないのだな。いや、常識がないと言うべきか……」

「そう……なのかな……」


 全てを聞き終えた時もお爺様は叩いたりしませんでした。

 代わりに少し馬鹿にしたような視線を俺に向けるだけで、笑顔は絶やさずに頭を撫でてくれるのです。手を上げた時には少しばかり怖かったのですが優しく撫でられたことに驚きを隠せませんでした。


「もっと前から……こうして話してやればよかったのかもしれないな……」

「……お爺様は悪くないよ」


 初めて抱けた優しさはかけがえのないものでした。

 お爺様は本当に後悔していたようで俺の顔を見て「ああ、そうだよな」と笑うだけでした。何度も何度も頭をポンポンと後ろから撫でて悲しさや苦しさを忘れようとするかのように、涙ながらに俺が話すミナとの関係を聞くだけ。そして……少しだけ強く頭を叩きました。


「痛いか」

「……うん、痛いよ……」


 いつもなら反抗してしまいそうな暴挙でしたが、その時の俺は初めて痛みを自分の罪と捉えていました。意識的にでは無く無意識に。それは痛く、劈くように鋭い何かが頭にでは無く心にあったからです。


 そして分かりました。

 笑いながら俺と接していたミナは、俺が気付かないうちに痛みを抱えていたのだ、と。それはお爺様が何かを言ったからではありません。長い間、隔たれていたお爺様との関係、その隔たる壁が消えて抱きしめ続けた優しさが気付かせてくれたのだと俺は思います。


 俺一人が悩んだところで何も分からない。

 弱くて使えない、罪深い俺を少しでも強くさせようとお爺様はしてくれていたのでしょう。次の日に出会ったミナは話しかけても話をしてくれませんでした。嫌われてしまったことは十分承知でした。それでも話しかけ続けました。お爺様はお爺様なりに人前ではありませんが二人っきりの状態を作って話をしてくれるようになります。そこで今まで学んだことの悪いところを修正してくれました。


 模擬戦では変わりなくお爺様から攻撃を受けましたが、終わってすぐに気が付きました。いつものようにスーツの懐にポーションが一つだけ入っていることに。普段から入っていたそれはミナが入れてくれたわけではないでしょう。お爺様なりに見えない優しさを俺に普段から施してくれていたことに気が付いて、次は見えないようにミナの手助けをするようになりました。


 もしも今の俺が普通の人だとするのならば恋に気が付かずに一途にミナを思っていたから、そして嫌いだと思いつつも優しく抱きしめてくれた、愛してくれたお爺様のおかげです。


 そして運命の歯車が回りだします。

 忘れられない、ミナと話をしなくなった二週間ほど後です。我が家にフィーラという男が現れました。黒いスーツを着込みディーニの側近として行動を始めました。……思えばおかしなことばかりが起こり始めていました。


 領主になるための敵陣営の収益が減り始め、客による店への攻撃が始まりました。そのせいで潰れた支店も少なくないです。今なら分かります、フィーラという男がディーニを領主にするために画策したのでしょう。


 裏でやってはいけない事をしている人間は命を狙われることに恐怖します。ディーニもその一人だったのでしょう。その後に作られたフィーラを筆頭とする少数精鋭という人達がディーニの護衛を務めました。給料の良さからではありません。弱みを握られた有能な冒険者の数人です。やりたくないこともさせられていたのでしょう。


 ディーニはフィーラ以外を奴隷と称していました。もちろん、今となっては分かりますが家にいる者のほとんどが奴隷でした。自分の首が大切だったからでしょう。本当に吐き気がします。その事をもっと早く知っていればミナを……救えたかもしれないのですから。


 フィーラが来てからすぐにメイドの一掃が始まりました。その中にはもちろんながらミナもいます。俺には何も分かりませんでした。ミナがいなくなるとフィーラから伝えられた時も涙を流すだけで……。でも、フィーラがいなくなってからすぐに思い出しました。「痛いか」と聞くお爺様の顔が嫌な程に視界の端でチラついて……。


 気が付くと走り出してミナのいる馬車に走りました。

 助ける術なんて思いつきません。俺一人が何を言ったところでディーニは動きません。それだけ自分の命が大切だったのです。そして馬車の運転手も愚かでした。馬車の中を伺う俺を見て脱走したメイドや執事の一人と勘違いして馬車に入れられたのです。その時はスーツではなく闇に溶け込めるように黒い服を着ていました。それでも他の人達に比べれば小綺麗なものです。


「……エルド様……」

「ミナ……」


 人が詰められた馬車の中は汚いものでした。

 久しぶりに抱きしめたミナの体はとても細く、そして顔も痩せこけていました。抱きしめてすぐに泣き始めたミナを見て本当に自分は愛されていたのだと思いました。


「なんで……ここに……」

「謝りたかったんだ。ミナや他の人の立場も考えずに自分のことばかりを考えていたことを。それで馬車に近付いたら……捕まっちゃった」

「笑いごとじゃないですよ……」


 涙ながらに、それでも少し笑いながら話すミナを見ると久しぶりに嬉しい気持ちになりました。ミナと話せなくて辛く悲しい気持ちが一気に消え、連れ出してやりたいと言う気持ちだけが湧きました。……それでも十四の男としての考えがチラつく俺だったので先にしたことはもっと感情的な行動です。


「……いきなりは酷いですよ」

「これは命令だ」

「ふふ、拒否しません。というよりも拒否出来ませんよ。私達はディーニ様やエルド様の奴隷でもあるのですから」


 ただキスをするための適当な言葉でした。ですが、それが俺のミナを、不遇な皆を助けるための考えにつながりました。詳しく話を聞くと全員の奴隷の所有者の一人として俺がいたようなのです。


 奴隷紋ならば一回、解呪してから新しい所有者を作ればいいので馬車に詰め込むまではディーニの命令だけで済んでいたのでしょう。そして俺を所有者の一人にしていたのもディーニが死んだら次の主が持つという親子関係から来るもの。その時ばかりは馬鹿なディーニに感謝しました。


 だから、ミナに一つだけ命令をしてみました。


「俺に口付けをしてくれ」

「……はい!」


 ミナは笑いながらでしたが体の動きはぎこちないものです。確かにその行動は命令で動かされているものの動き。俺の心はいつも以上に躍動しました。そしてポーチの中にあるナイフ一つでやれることもあるだろう。色々な考えが浮かんできましたが一番に簡単なやり方を俺は選びました。


「皆、聞け。馬車が森に入って少し経ったら馬車から下りる。皆には俺の護衛を頼みたい。あの最悪な街へと戻る気などはない。向かうは魔法国だ。そこまで行けば皆を解放する術も見つかるだろう」


 それは命令でした。俺の初めての多数への命令は全員の目を一気に光を灯させるだけの力があったのでしょう。今となっては最後の生きる希望がそれしか無かったからとしか言えません。そして宣言通りに入ってすぐに馬車から少しずつ、もっと言えば力自慢の執事達がメイド達を掴みながら自分達をクッションのように降りていくものでした。


 俺もミナを掴みながら落ちました。

 そして……俺はかけがえのないものを失いました。まずはオークが現れ数人のメイドと一人の執事が死にました。最後の言葉は「生きてください」だったのを覚えています。次にゴブリンにメイドが二人殺されました。続けて……。


 そんなことを繰り返すうちに、時間にして四時間は森の中をさまよっていたのでしょう。武器も俺の持つナイフが一つあるだけ。素手で戦ってくれた執事は五人だけ、メイドも二人が生き残っているだけでした。そしてそのうちの一人はミナです。


「オークナイトです!」


 そう言った執事はすぐに死にました。

 投げられた剣が刺さって息も絶え絶えになりながらもがきました。それでも胸に刺さった剣をどうにか出来るだけの力はなく、出血と共に瞳を閉じて俺に笑いかけてから……。執事の二人が近付き残る二人は死んだ執事から剣を抜いていました。


 俺も走り出してナイフを構えましたが、すぐに勇気は恐怖へと変わります。大の大人二人が頭を掴まれて地面に思い切り打ち付けられたのです。もちろん、二人は即死でした。剣がなければ戦えないと高を括っていた俺の覚悟を折るには十分な攻撃でした。


「アアァァァ!」

「グルゥァ!」


 執事の一人が剣でオークナイトの腹を切ろうとしました。ですが、アイツは笑ったのです。笑って頭を握りつぶしました。そして再度、投げられた剣は最後の執事を貫きました。敵がいないことを確認したオークナイトはメイドに目をやると乱暴に服を破き始めました。


 絶望感、生きた心地がしないままでメイドの顔を見ると口が動きました。確かに「逃げて」と動かしてすぐに口から血が流れ始めます。それが舌を噛み切ったのだと気が付くのはオークナイトが散々にメイドの死体を遊び尽くした後です。その頃にはメイドは白目を向いて生気などありません。


 そしてギロっと見たのはミナです。

 ミナへと迫るオークナイトの手を見て……いくつもの考えが頭をよぎりました。ミナが死ぬ、犯される、壊される、死ぬ、殺される、俺が弱いから誰も……そして意識が無くなってしまいました。


 目を覚ますと一番に見えたのはミナの顔でした。

 ですが、一切動くことなく「ミナ」と語りかけても表情を変えません。顔を横に向けると俺の腕は消えてなくなっていました。動かそうとして足がないことにも気が付きます。あるはずのものがない感覚は、死ににいくだけの感覚は生きた心地がしません。


 少ししてから気が付きました。確かに四肢はなくても出血はしていない、と。詳しくは分かりませんがミナが何とかしてくれたのかもしれません。生きて欲しくて願う気持ちがミナを成長させたのかもしれませんが……ミナのいない世界に生きる価値など見い出せませんでした。それならばいっそのことミナと共に死にたかった。


 その後は戻ってきた馬鹿な馬車の運転手によってオークナイトが見つかります。その際に俺も奴隷にさせられましたが乱暴に運ばれていくうちに傷口は腐り死を目前としていました。やっとミナの元へ行けると思った頃です。俺がギド様に買われたのは。


 最初は何と愚かで馬鹿な人なのかと思いました。死にたい俺を生き返らせても意味がない、俺は死にたいのだと。時々、今でも死んでしまった皆の顔を思い出すと悲しさだけが募ります。忘れかけていた傷もディーニを見て再度、開きました。俺に力があれば何も失わなかったのかもしれません。俺に才能があればもしかしたら……。


 いつからか俺は泣くのをやめました。

 あの子が泣いていて守りきれなかった。その贖罪だなんてカッコつけたことは言えません。涙を流すのはいつも弱者です。俺も弱かったんです。だから弱者であることを隠してきて……思い出して死んでしまいたいと思ってしまう自分もいるのに……この気持ちはなんなんでしょうか。


 初めてでした。誰よりも優しくされて頼られたのは。死ぬ寸前の俺を抱きとめて仲間だと言ってくれたのは。ここまで強くさせてくれた、才能を認めてくれたのは。未だに深い恨みがある俺に、ディーニとフィーラへの恨みで主のことを考えずに殺したいと思う俺の渇きが潤い始めたのは……間違いなくギド様なのでしょう。


「誰もお前を見捨てないよ。そうだろ、エルド」


 その言葉が突き刺さります。


「過去に嫌なことがあったのなら変わればいいんだよ。そうだね、例えば名前を変えるって言うのはどうかな?」

「そんなので俺は……変われません……」


 俺の言葉にため息をはかれました。

 嫌われてしまったかもしれません。自分の過去ばかりを話してギド様の頭を無駄に使わせてしまったのですから。それなら尚更、死んでしまった方がいいのかもしれませんね。ディーニとフィーラを見て前を見ることが出来なくなってしまった俺に価値などは……。


「僕が出来るのは機会を与えることだけ。その後にどうするかはエルドだよ。名前を変えるのも全てを捨てる行為ではない。エルドが未来を見るために必要な行動だ」


 一瞬だけお爺様の顔が過りました。

 その言葉は俺が考えていたギド様と共にいられない理由と同じだったから。死にたいと、過去を忘れられない俺を肯定する言葉だったから……何も言い返せませんでした。


「それで聞かせて欲しい。僕に名前を考えられるのは嫌かな?」

「……嫌いじゃ……ないです……」

「うーん……それならこんなのはどうだ? 前のエルドという名前を捨てて、僕が生き返らせた今のエルドが本当のエルドだって。本当は僕にも名前に続きがあるんだ」


 俺の口から潤った空気が入り込む。


「エルド・カミヤ。それなら駄目かな?」


 この感覚は俺でしか味わえないはずです。誰が今の目の前にいる主に対して、本当の忠誠心を消し去ることが出来るでしょうか。無理です、今の俺にはどうしても主のことを眩しくて暖かく思えてしまいます。ああ、死んでしまえば楽になるのかもしれないのに……そうしない主様は本当に酷い人ですね。


 夢を与えてくる主様は……最低です。

 俺は小さく首を縦に振りました。カミヤという名は初めて聞かされましたが……とてもいい名です。……仕方ありませんね、騙されてあげましょう。俺は奴隷になる時に死にました。そして今この時、俺は新しく生まれたのです。エルド・カミヤとして……!

少しだけ長くなりそうだったので話の途中の必要なさそうな場所を消していました。もし「ここら辺がよく分からない」と言った疑問などがあれば教えて貰えるとありがたいです。


それは置いておいて、ここでエルドの過去の話は終わりです。次回はエルドとギドとのちょっとした会話です。勝手に行動して傷だらけになったエルドにギドは何を言うのか、そして相手のことを考えるということを理解しようとするギドがエルドと何を話すのか。お楽しみに!


次回の投稿は土日に用事があるので少し遅くなります。一応ですが木曜までには投稿する予定です。用事が長引いてしまった場合、投稿が遅れてしまうのでご理解よろしくお願いします。


また私事ですがテンプレが総合評価1,600、総合PV700,000、ユニーク数90,000を突破をしました! これからも見てもらえるように頑張りますので応援よろしくお願いします!(建前)


もっと伸びてくれー!(本音)

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