4章58話 主と弟の背
書けたので投稿します。
少し長めです。
薄らと目を開き始める。どれだけ時間が経っていたのだろうか。少しだけ動きづらい体を無理やり動かして瞳を閉じる。何も寝ようとしているのではない。こんな絶望的な状況だからこそ、エルドは心を落ち着かせようとしているのだ。それが主であるギドから学んだ大切なことの一つだった。
普段から使っている槍は……さすがにない。いくつもの嫌な感情が蠢いていく。幸いにも胸ポケットの裏にしまっていたナイフはあったが……これがあったところでとマイナスな考えに落ちてしまう。
「チッ……汚ぇ手で俺の槍を触ったのか」
逆にそれ以外にありえない。エルドからしたら領主達のやり方は否が応でも知っている。少しでも他人に気遣えていたのなら例え恨みの深いエルドであっても、まだ領主への気持ちは……いや、それは変わるはずがない。エルドは再度、舌打ちをした。
「正々堂々なんてするわけがないもんな」
ただ、まだマシだったのはナイフを探せた、つまり腕が少しは自由に動かせたことだ。鉄の鎖で繋がれているとはいえ両手を結ばれたわけではない。壁から伸びた鎖で止められただけ。出られないように考えられてはいても大きな得物を奪って慢心していたようだ。
「……ナイフがあれば充分……」
ナイフで鎖を切ろうとした。
だが、力を入れたところで無理だと悟る。まだ痺れは消え去っていないのだ。絶望的なエルドですら分かっていることがある。主の仲間ほど強いとは言えないがエルドもランクに合った能力は確かにある。それこそ桁違いな能力を持つロイスのサポートに回れるほどにエルドは強い。
簡単に言えばロイスの悪癖である暴走、それを見越しての行動で何度もリカバリーしていた。ライオンのサポートを産まれたての子供達が出来ないように、力の差が大きすぎればエルド単体でのパーティ評価になってしまう。ギドの評価に関わるからこそ、そんなことをエルドは許してはいない。もっと言えば暴走していないロイスと練度を高めているのはエルドだ。弱いわけがない。
そんなエルドであっても一瞬で意識を奪われ、ましてや痺れを起こしてしまう。かなりの高価な薬で自身を眠らせて運ばれた。それには気がついていた。ギドレベルの存在は冒険者ギルドマスターのみだとは聞いているが、それもギドを基準にしている。自分達からしたら格上の人がいないなんて一言も言っていない。
「……ふぅ、落ちつけ。何も敵が近くにいるわけじゃない。そして鎖は……痺れさえ取れれば壊せるな」
深呼吸、そして現状確認をした。
手を強く引っ張ると縛るというには脆すぎる鉄の鎖。本気でやれば手を引っ張るだけでも壊せたかもしれないが……あいにくと本気は出せない。出したくても出せる状況ではないのだ。となると、同価値であるナイフで壊しにいくしかない。ヒビが入るだけでもいい。そこまで行けば弱体化しているエルドでも抜け出すことが可能だ。
「……光が少しだけ入っている。だとすれば未だに夜にはなっていない……」
主がダンジョンに行っていたのは知っていた。
だからこそ、エルドはイフにだけ一つの文を送っていた。「誘拐されましたが一人で抜け出します。どうか主には言わないでください」と。エルドは絶望的な状況だと分かっていても気がついてすぐに文を送った。嫌だったのだ、命を救ってくれた主に迷惑がかかることが。それに命を奪われかけた人に主を会わせたくない。例えワガママだとは分かっていても自分のことより主を優先してしまう。
「せめて……これくらいは抜け出せないとロイスに見せられる顔がないな」
元はと言えば自身の慢心、例え他の人がそうは思っていなくてもエルドは自分を責めた。気を張り巡らせていればこのようなことにはならなかったのだ、と。他にも奪われていないか胸元を探る。ナイフと……巾着があった。さすがに巾着には武器が入らないと思ったのだろう。膨らんでもいなさそうな外見からして中に何かが入っているかも怪しく見える。ナイフもミッチェル仕立ての武器を隠す場にあった。主の想い人に小さく感謝をする。
「……ック……はぁはぁ……」
巾着に忍ばせていたのはギド特製のポーションだった。回復量はもちろんのこと、状態異常も治してくれる優れものだ。ただしエルドを襲っていた薬もかなりの品質。飲んだら簡単に治ると言うようなものではなかった。無理やり治す薬に近いからこそ、ダメージもそれなりにある。
「まだ……マシか……」
瞳を閉じてギドに感謝をする。
何度も何か起きた時のためにと薄めた毒を飲ませていたのはギドだ。最初は毒を飲ませるなんて主は何を考えているのかと考えていたがマイナスな考えにはならなかった。と言うよりも自分には思いつかない理由があるとエルドは考えていたからだ。
そして寝る前に飲んでいるうちに状態異常にはある程度の耐性がついていた。もしもこれが無ければ未だに眠りこけていて、主であるギドに余計な迷惑をかけていただろう。そう思うと毒を飲む少しの苦しみすら良い経験としか思えなかった。傍から見ればおかしな話だが……。
数十秒の後にナイフを鎖に落とす。
ピキっと嫌な音を立てた。ナイフはまだかけていない。品質が劣るとはいえ割と値段は張る。加えて言うのならエルドが魔力を使ってナイフに膜を張っていたのも理由だろう。次いでナイフで鎖のヒビを抉った。
「……これで片手は自由だ」
呟いてすぐにもう片手も自由にさせる。
自分の慢心もかなりのものだが相手の慢心も同様にある。エルドは少しだけ嫌な気がした。色々と理由はあるが一番に大きいのは慢心で出来た危険を慢心で切り抜けられたことだ。
それにしても、とエルドは思う。
名前を思い出せないから攫うか。本当に頭をおかしい奴だ。それともそれを理由にまたアイツらは俺に……ここまで来て首を横に振る。同じようなことはさせない。あの時の苦しみも悲しみも味わいたくはないから。とはいえ、抜け出すことは出来ない。厳密に言うと主から賜った槍を置いて逃げることは出来なかった。
「……どちらにせよ、迷惑をかけるのなら……」
小さく深呼吸した。
「俺は俺の正義を信じる」
開いた扉、無言で縮地を使い背後へと回った。
「恨むのなら主を恨め」
殺す勢いで頭を強くナイフの柄で殴りつけ倒れ込む相手の腹を強く蹴った。手首に指を当て脈があることを確認してから鉄の剣と予備であるナイフを奪って外へ出た。大きな音を立てすぎた、それは駆け付けてきた敵を見てエルドは悟る。
脅威は感じない。自分の主であるギドや仲間達のイフ……もっと言えば実の弟と思っているロイスの方が怖いからだ。そう思えるほどの自分を誇らしく思ってしまう。エルドは口元を大きく三日月形へと変えた。
「俺を止めてみろよ!」
強く床を蹴って距離を詰めた。
不思議と絶望的な大軍であってもエルドには楽しく感じられてしまった。この通路の狭さのせいで逃げる場所も無ければ進める場所も目の前の敵が迫る通路だけ。普段は暴走するロイスを戒めるエルドからしたら初めての感覚。戦うことへの喜び、強さへの執着。模擬戦で掴みかけていた何かがエルドを駆け巡る。
「足りないなァ!」
勢いそのままで最前線で向かってきた相手の顔面をぶん殴る。吹き飛び予想だにしていなかった相手の何人かを共に壁へと飛ばした。そのまま右手を横に大きく振る。
「アイシクルランス!」
主を思うままに覚えた魔法。
才能があったエルドでさえも覚えるのには骨を折った氷魔法だ。凡人からすれば仲間に迎えたいほどの、簡単に相手を畏怖させてしまう魔法。練度はまだ低いにしても寄せ集めに近い大軍を吹き飛ばすには充分だった。ただそれでも吹き飛ばせたのは本当に雑魚。
「喰らうかよ!」
「チッ……」
首元へと迫ったナイフを弾く。
一対多数の完全なアウェー。完全な勘で戦わなければ誘拐では済まない最悪な結末が待っているだけだ。本当の絶望で刃を向けてきた存在もエルドと同格はあるかもしれない。ある程度の力量差が測れるだけで詳しくなんてエルドであっても分かりはしない。
気を逸らせばすぐに死ぬ。ある意味、ロイスの姿を間近で見ていたエルドだからこそ本能に任せられているのかもしれない。それでもロイスと違うところは理性を保って本能や勘に身を任せていることくらいか。冷静に物事を判断しながらも動きはロイスに近い。
「お前を倒して……武器をいただく」
「……やってみろ」
目の前の黒服に身を通した男を倒す。
もしもだ、もしも敵に目の前の男と同格の存在が多数いるのならば今の得物では勝てる要素が薄すぎる。そう考えると倒すことこそがエルドの生き残る最大のチャンスだ。
「ふっ」
「な……」
エルドはナイフで軽く手に傷を付けた。
死ぬためではなく永遠に続きそうな不安を消し去るために痛みを感じさせたのだ。死が間近なことを体が覚えれば不安を感じている暇ではなくなってしまう。ロイスの暴走はある意味、不安に突進するための防衛本能だったのかもしれない。そう思うと注意出来ないな、と小さく笑った。
「さぁ、本気でやろう」
「……馬鹿な人だ」
男はそう言って体を斜めにした。
来ると思った瞬間には目の前に迫る。ナイフで弾いてすぐに反対側のナイフで顔を切りつけにかかった。だが、さすがにエルドの首をとりかけただけのことはある。クイッと首を後ろに下げて何かを吐き出した。
エルドも瞬発的に気が付き右へと大きく飛ぶ。
とはいえ、部屋から出た通路でしかなく壁にぶつかって身を翻した。小技からして相手の戦い方は速度で相手を翻弄させることだとエルドは理解している。相手が吐き出したものも針だということも視認済みだ。
戦い方を変える。今までの戦い方はロイスやギドといった力と速度の両方を兼ね備えた敵の場合でのやり方だ。少しずつ相手の体力を削って隙を作っていく。自分の動きは最低限にする。逆に相手の戦い方もそれだ。分かっていた、子技で吐き出した針はただの隙作りではないことに。
相手はミッチェルよりも遅い取るに足らない相手だとエルドは自分を鼓舞した。少なくとも片方が欠けている相手ならそこまで恐れる必要性がないのだ。なぜなら、普段から目にする屋敷内でのミッチェルの移動に比べれば目の前の相手など。
「遅いな!」
「くっ……!」
一撃が重いからと距離を詰めることはやめて隙を作らないようにしていた。それが最低限の動き、それをエルドはやめた。つまり縮地を使ったとしても簡単に反応出来る敵ではないとエルドは判断したのだ。縮地は強い、故に反動も少なからずある。ギドはそれを理解していたし、ある程度の力がある相手には使えないスキルだと考えていた。
それを本能的にエルドは思い立った。
相手からすれば一瞬で追撃しようとしていた敵が消えて背中への強い一撃が来たのだ。意識内での一撃ならまだしも不意の一撃は敵には答えた。重い一撃で呼吸困難を起こし膝をつく。甘えていたのだ、そう理解した。覚悟を決めろ、男が口を強くかもうとしたその時だった。
「つまらないからやめろ」
「……は?」
ゆっくりと振り向いた男の目にはエルドがどう映っていたのか。それは分からない。エルドが一瞬で意識を失ったように、男も振り向いてすぐに意識が飛んでしまったのだから。それでも倒された男の顔はどこか穏やかで笑っていた。
エルドは少しだけ驚いていた。敵とはいえ情けをかけてしまったこと。だが、後悔はさほどもなかった。自分が死にかけていた時に感じていた生への執着。それの無い敵があまりにも可哀想だと思ってしまっていた自分が悪い。主がそうであるように人の責任にするのがエルドにはカッコ悪く感じていた。
死なせなかったのは自分のせいであり甘えでしかない。もしもそれで命が奪われようともエルドには仕方の無いことだと諦められた。自分が死んでも何も支障がないのだから、と。
その思いとは裏腹に打ち合っていたナイフがヒビ入り割れる。それだけの戦いだったとはいえ、自分の命を助けてくれたナイフには感謝しかなかった。割れたナイフを巾着にしまってから男の武器や道具を探っていく。
男が持っていたナイフは男の強さに負けないほどの武器だった。とはいえ、ギドから支給されるようなレベルではない。ただ自分の得物であった槍よりは価値のある武器だろう。それでも無くしたままで帰ることなどエルドには出来もしないが。
「次だ……」
早く帰ろう、主が心配しないうちに。
そんな淡い考えを持ちながら男のナイフを構えた。銀とエメラルドで作られた武器。男の持っていた不味いポーションを喉に流して喝を入れた。その目は普段の穏やかさなど感じられない獣のような目。血は繋がらずとも、ロイスの兄であることは目に見えて分かる姿だった。
エルドの強さを見せる会になりました。ちなみにですが戦った相手も割と強い敵です。エルドが強い(作者補正の)せいで弱そうに見えますがそこら辺も後で書く予定です。強くなければエメラルドと銀を混ぜて作られたナイフなんて手に入れられませんからね。
次回は土曜日頃に出せればと考えています。
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