4章56話 聞きたくない話です
「それではごゆっくり。もし用事や注文があればお呼びください」
「分かりました」
通された個室は周囲に壁があって確かに防音……とまではいかなくても音漏れは少なそうだ。ただ出入口がカーテン状の幕である時点で個室もへったくれも無さそうだけど……セイラの顔を見られる心配が少なくていい。何なら僕自身が防音の魔法を作って使っても良さそうだしね。
席はコタツのように足を入れられるスペースがあって個室だから割と広い。少なくとも二人で飲むためにこんな部屋を借りるのであれば少しだけ背伸びをし過ぎているようにも感じてしまう。その机の上にメニューが六つ並んでいて居酒屋のように感じられてしまう。
入って右側の奥に座ると続くようにセイラが隣に座ってくる。前が空いているとは言えないしセイラの甘えたい日なんだと思って考えないようにしておこう。
「どれがいい?」
「任せるかしら」
任せるって……そう言われると難しいな。
セイラの好みというか、お酒に関しては度数もそうだけどジュース以上に似た種類でも味が変わってくるから。普通の食事で私の好きな食べ物を選んでと言われるのとは難易度が違い過ぎる。セイラだって貴族なのだから酒が弱いってことはさすがに無いと思うけど……。
それに異世界のお酒は悪いけど分からない。日本でもある程度の地方のお酒は分かっていても、そんな博識な程に知っていたわけじゃないし。飛んできてちょっとしか経っていないから尚更ね。まぁ、そこはイフに頼めばいいか。
【ある程度の情報さえ頂ければメニューの中で一番に合っているものを提示出来ますよ。そこはお任せ下さい】
助かる。やっぱり、イフを連れてきたのは正解だったね。これは本当に二人でのデートだったらにっちもさっちもいかなくなっていたのが目に見えているし。僕はそこまで恋愛マスターとかみたいに恋愛経験豊富なわけではない。何なら高校生にもなって童貞を捨てられないような勇気の無い存在でもあるし……あれ? 悲しくなってきた……。
【いつでも奪ってあげるので安心してください】
うん、そういう意味じゃないね!
脱線しそうだから話を戻そう。それでセイラの好きそうな味か……。少なくとも苦いのは得意じゃないだろう。僕達みたいな日本で苦いものが食品としてある世界ではないし、紅茶とかもかなり甘くするセイラだ。苦いものよりは甘いものを飲むんだと思う。
それじゃあ、甘さの強さは。そこを考えると甘みが強いのも良くはないかな。まずもってこの世界での調味料は高いからなぁ。例えば砂糖とか胡椒とかだね。そう考えると甘ったるいものを食べることに舌が慣れていないと思うし。そこから少しだけ甘いものがいいと思うかな。少し付け加えるのであればレモンみたいな酸味のある食べ物を好んでいるから酸味が少しだけあっても良さそうかも。
【つまり少し甘く、少し酸っぱい酒が良さそうと言うことですね】
そうだね、後は最初は様子見でしかないからアルコール度数とかも……うーん、十五度から二十度の間くらいがベストかな。あまり強すぎても酔わせてしまうだけだし、逆もただのジュースでしかなくて悪酔いさせてしまう可能性もある。だからアルコールが口に含んだ後に分かりやすい、そこら辺が一番いいと思う。
【なるほど……となると、ヴァダーと言うお酒がオススメですね。あまり値段も張りませんし、メニューの中でも珍しくアルコールの高さから果汁水で薄められているお酒ですよ。ただ飲みやすいようにとはいえ、二十五度程度まではありますが……】
もしかして僕の提示したアルコール度数のお酒って少ないのかな。そう聞くとイフが何も言わずに視界の隅でミニキャラの首を首肯させてきた。ここでワインを選ばない当たり良いお酒の中でワインは無いのかな。
とりあえずだけど悩む僕を見てソワソワし始めたセイラのために早く注文しよう。高いと思ったり言われた時のために普通の果汁水も頼んでおけばいいからね。この言い方だと原酒で出してくださいって言えばヴァダーを薄めずに出してもらえそうだし。
「ごめんごめん、セイラの好きそうなお酒で悩んでいたよ」
「……悩ませるつもりはなかったかしら。いいのよ、自分で」
「いや、決めたから安心して」
少し悩んでいただけでもここまで心配されてしまうのか。セイラはセイラで僕が悩んでいることを嫌がっているように捉えている節があるなぁ。別に僕は僕で頼られているのは嬉しいことだから悩む時間も楽しく思えるんだけど。……まぁ、僕がセイラ側なら確かに考えちゃうかもね。楽しくないのかなとか。
「すいません」
「はいはい、ご注文ですか?」
呼んでみると急ぎ足でカーテンから顔を出してきたのはさっきの店員だった。広い個室で隣同士の引っ付き合う僕達を微笑ましげに見てくる。二つに分かれるよね。カップルを見て舌打ちが生まれるか、オカンのように温かく見守ってくれるか。もちろんだけど僕は前者だ。
「これをください」
「二つでいいですか?」
「あ、瓶で一つとコップが二つでお願いします。後、追加で果汁水もいただけると」
「了解です」
コップで出されたら高く付くらしいし薄めて飲めば飲みやすい。だから瓶一つで頼んだ方がコスパが良いと言われたけど……さすがに飲み切れるか分からないなぁ。アルコール度数が高いっていうのもどこまでかは分からないし。
「ご一緒に食事などはいかがですか?」
「ツマミなどは後で頼みます。評判に聞くだけで飲んだことの無い酒ですから何が合うか分かりませんし」
「塩辛いものが合うとは聞きますが……そこはお客様にお任せしますよ。とりあえず持ってきますね」
塩辛いもの……イカの塩辛とかは結構好きだったな。幼馴染の親がお酒を飲むのが好きだった人だけあってツマミ系はかなり揃えられていたんだよね。塩辛ってだけで臭くて美味しくないって人もかなりいたけど、オジさんに食べさせてもらったアレは食べやすかった。匂いもかなり薄くて少しだけ塩味が強い。単体ではあまり食べられないけど白米と一緒ならすごく美味しかったんだよね。
さすがに……同じものはないだろうけど。
自分で作るのもありかもね。イカの塩辛がメインだったけど特産品でサーモンの塩辛とかがあったくらいだから。まぁ、イカのゲソとかを使っている時点で牛の舌を食べている時と同じ反応をされるのは目に見えているけど……。
「お持ちしました」
「ありがとうございます」
ドンっと重い音を立てて置かれたのは本当に一升瓶だった。それでも外側に紙が貼られていて原酒ではないとしっかり明記されている。どれくらい薄めたのかも書かれているけど……ここまで薄めてもまだ薄めなくてはいけないってウォッカレベルだと思う。
とりあえず凍らされているコップにほんの一口程度だけ入れてみる。匂いは……鼻をツンと刺す鋭さはあってもすぐに柑橘系の爽やかな香りが鼻を通る。悪くはないけど飲むのは躊躇ってしまうかな。匂いだけでアルコール度数が高いのがよく分かってしまうし。
口に含む、果汁水で薄められていたとしてもやはりアルコール度数は高い。強い癖はない代わりにこれといった強い味も特にないかな。軽い果汁水とは違った甘みが広がった後に果汁水の酸味が後味を爽やかにしてくれる。美味しいか美味しくないかと聞かれると……うーん、日本にいた時の方がもっと良いお酒はあったような気がするけど、それはさすがに無いものねだりかな。薄めれば確かに美味しいと思うけど味が果汁水に引っ張られるだけだから、お酒の味として美味しいとは言えないね。
とりあえず半々で果汁水とヴァダーを混ぜてセイラに出す。これなら飲めるくらいのアルコール度数だと思うし。となると、これに合うおつまみだけど……まぁ、若干の甘味を味わうのなら塩味の強いものが一番かな。そう思って店員を呼んで揚げ物類を五種類、四つずつ頼んでおいた。揚げ物にしたのは塩を自分の匙加減で付けられるからね。まぁ、かなり薄めているから悪酔いはしないだろう。そう、思っていた時期が僕にもありました……。
「ギドぉ……なんで貴方は面倒事を運んでくるのかしらぁ」
「うん、ごめんね」
「ギドはいつも謝ってばっかりぃ……」
一杯でセイラが出来上がってしまっていた。
本当に薄めていたし僕もこれなら全然いけると思っていたのに……弱いとかではないよね。まさか体質的に合わなくて酔ったとか……。絶対にお酒が弱いから酔ったわけではない。いや、そう思いたい。
「ほら、まずは水を飲みな」
「あー」
ずっとこんな調子なんですけど……水を飲ませるためにコップに水を入れたのに……何でアーンしてもらう感じで口を開けているの……。水をアーンとか絶対に出来ないんですけど……。
「口移しするかしら」
「うん、それは絶対にしない」
眠そうな目でボーッと言われてもさすがに。やったとしても寝込みを襲った感覚に襲われそうだから僕なら出来ないかな。まだ酔っていない時に言われていたのなら……いや、その時なら自分で飲めるでしょって言っていたわ。どちらにせよ、出来ない話だったね。
僕がしないと言うとセイラは観念したようにコップを手に取りゴクゴクと飲み込んでいく。その飲みっぷりはかなりのものでのみ終わってすぐにお代わりを催促されてしまうほどだ。ふふ、たんと飲むがいい。
「……美味しいのよ」
「少しだけ回復魔法を込めて水を作ったからね。それに僕が作った水なら美味しいっていうのは身を持って体験しているから」
イフから聞いた話だと魔神の加護のおかげで美味しいって話をされていたからね。普通に高魔力者の水も美味しいらしいから相乗効果でより美味しいのかもしれない。純粋に水を飲ませるだけでセイラを回復させきれたけど、お酒を飲んでいるのに酔いを治すのは野暮だと思ってやめた。
「強かったかな」
「少し頭がボーッと……するくらいかしら。お酒もいつもとは違って少し強かったのよ」
「じゃあ、もう少しだけ薄めるよ」
純粋に早く水を出さなかったのはセイラの色んな姿を見れるかなって思っていたけど……まぁ、ダル絡みされるだけだったから出さざるを得なかったんだよね。求めている色んな姿はピンク系のものではないし。
「ふぅ……少しだけ暑いかしら……」
「だからってボタンを外さないでください」
「あら? 見るのは初めてじゃないのにそんなことを気にするのかしら?」
いや、確かに裸は見た事ありますけど……それとこれとは別なんだよなぁ。そう言いきれなくて着ていたブラウスのような服のボタンを三つだけ外した。全部で六つあるから全部外したら中の下着もきっと……いや、紳士である僕がそんなことを考えてはいけない! 呑まれるな……耐えろ、僕!
「はぁ、そういうのは関係ないでしょ。見せてもらうのなら部屋で見たいし……って、やっぱり無しで!」
「ふふ、分かったのよ。後でゆっくり見せるわ」
と言いながらもセイラがはだけた服を直す素振りは見せてくれない。仕方ないので軽く抱きしめて近付けさせた。もしもカーテンを勝手に開けられたとしてもセイラの胸元が見られてしまうなんてことは絶対にありえない。
いつの間にか空になったコップにヴァダーを注いで口に含む。飲んでから薄めていないのに気が付いたけど面倒臭くてやめた。そのまま飲んでセイラへの下心を徐々に消していく。
「ねぇ……ギドは異世界の師匠がいたって言っていたのよね」
いきなり聞かれて少しだけ驚いたけど「そうだよ」と返した。本当に何の前動作とかもなく聞かれてビックリした。本心が表に出ていないことを祈るばかりだ。まぁ、セイラが相手だから別にバレてもいいんだけどね。
「私の名前ね、勇者であったマエダアツシ様に付けられた名前なのよ。とっても頭がいい人でね。セイラはこう書くんだって見せてくれたの」
「……聖羅か」
「そう、でもね、意味だけは教えてくれなかったの。このことを話すのは心から信用できる人にだけ話せって」
聖羅……直訳すると聖なる羅。羅、自体は衣とか着るものの意味合いがあったはず。聖というもの自体が果たして日本で言われていた純粋なイメージなのか、異世界ならではのイメージなのかはよく分からないな。ただ日本で使われている意味合いなら少しだけ合わない気がする。日本で使われている意味ならもっと聖なる元があるはずだし。
そう考えると聖なる、異世界での遠回しな意味での守るって意味合いの方が近そうだ。何かを守るための着物、そんな感じの意味かな。名付けた本人ではないからよく分からないけど。頭がいい人がそういう意味を付けた。……何も関係がないとは思えないよね。だってさ、伝説にもなるほどの最強の勇者が付けた名前だから他の意味があってもおかしくはない。
「ずっと『俺は誰も幸せに出来なかったんだ』って話していたってお父様は話していたの。だから魔界に行く前に言った『セイラは幸せになって欲しい』って言葉が忘れられなくて」
「きっと伝説にされていない何かが勇者にはあったんだろうね。異世界での話をしていないだろうし伝説を紡ぎ書き出したのは王国の人間だ。自分達に不利なことはかけるわけが無いし」
僕の言葉にセイラが首肯する。
地球でも戦勝国が敗戦国の歴史を自由に弄り、敗戦国の知識を好きなように扱っていたように、この世界でもただの美しい話として上に立つ人は書きたいはずだ。言い方からしてとても嫌なことがあったんだろうな。
「でもさ、それをいきなり話し始めたのはどうして?」
純粋に疑問に思ってしまった。
話を聞いたとしても分からない。何でこの話を始めようと思ったのか。別に今じゃなくてもいいし何なら名前のことだけでもいいと思うんだ。何で大好きなはずの勇者の話を、それも明暗のどちらかと言えば暗の方を話したのか。皆目検討もつかない。
「さぁ、分からないかしら」
そう言うセイラの頬は赤い。
例え酔いから来たとしても構わない。だけど真意だけは知りたかった。今だけの頭に浮かぶ何かだったとしたら酔いが覚めたら忘れられてしまうかもしれない。聞きたい、でも、僕の意地がそれを邪魔してしまう。
「ねぇ」
不意に耳の近くで声がした。
「騎士様は勇者様にはなってくれないのかしら」
イタズラっぽく、それでいて普段のセイラからは感じられないような妖艶さ。ミスマッチしそうな二つの雰囲気が上手く合わさって心拍数を上げ始めた。再度、ヴァダーを飲んで気持ちを落ち着ける。チラッと見た目は潤んでいて僕をじーっと見つめていた。
少しずつ閉じられていく目。
分かっている、キスの合図だって。不甲斐ない僕のためにセイラから動いてくれているって。それでも出来なかった。婚約者がいるのかどうかも分からず未だに王国へ来た目的を伝えてくれないセイラに、恋人のようなことはすることが出来ないのは勇気がないからではない。
騎士は勇者になれない。
そう伝える勇気はない。
突っ込んだ足が震えている。
だから、キスをした。
「……ワガママを言って悪かったかしら」
そう言うセイラの顔は喜び半分、悲しみ半分といった感じだ。やっぱり、手の甲へのキスはあまり良くはないのかもしれない。分かっている、手の甲へのキスの意味だって簡単にしていいものでは無いことも。反応からして手の甲へのキスの意味はセイラも理解しているんだろうね。
「でも、これで最後だから」
悲しそうに呟いてセイラが抱き締めてきた。
強く抱きしめられた力に負けないくらいに強く抱きしめ返して頭を撫でる。そのまま酔いからなのか疲れて眠り始めた。最後の最後までセイラの話の意図は掴めなかったけど酒はまだまだある。セイラを膝枕しながらヴァダーを飲んでみた。
イフが話す酒のツマミ。
不思議とヴァダーの甘みが薄く感じた。
4章……いつまで続くんだろう……。そう思いながら書くのもまた悪くないですね。年末に休みがあるのでその時にたくさん書きたいなと思っています。早く二十六日になってください、お願いします!
次回は来週の月曜日の予定です。土曜日に用事があるので日曜日に次話を考える予定ですね。楽しんで読んでもらえると嬉しいです。