閑話 価値
ダンジョンはかなり楽に進んだ。それもそうだ、三人は少し疲れているとは言っても、小部屋の魔物を倒しただけのステータスがある。二階層ごときの魔物で手こずるはずもなかった。
早めに終わって帰ってからは紀伊と桃李は手に入った武器を健に渡した。健しか武器の能力を解析出来ないのも一つだが、もしかすれば強化出来るかもしれない。そんな淡い期待もあってのことだった。
そんな中で三人はシャワーを浴び解散する。紀伊が特に意味もなくやりたいことがあるわけでもない。ただ桃李は昔から習っていた空手の型を、健は道具の解析で紀伊が暇になっただけだった。
ぶらりと外へ出て兵士達が行き交う姿を近場のベンチに座り眺めていた。何もすることがないからこそ、ただ眺めていた。空を眺めると夜とは呼べない赤い月が、夜空が輝いている。
「ふぅ……」
ため息を一つ吐いた。
「何を黄昏ているのかな?」
「……さぁな」
紀伊には聞きなれた声に少し表情を歪めながらも、無愛想に返答をする。一人は楽だと紀伊は思っていた。邪魔されている、そんな気分が無くはない。
「横……いいかな……?」
「……聞かなくてもいい」
本当は嫌だった。紀伊の数少ないトラウマの一つが蘇ってしまうから。昔を思い出すことが紀伊にはどこか屈辱的な気持ちにもさせてくる。でも、断ればそんなことも許せない器の小さな奴だと思われるだけだ。
三人以上座れるベンチにしては近すぎる距離。余計に紀伊は昔を思い出してしまう。いっつも一緒に帰って遊んでいた忌々しい日々を。
「……なんで来たんだ? 桃子?」
桃子は静かに「なんでかな」と笑いかける。
あまり長くない黒髪が風に揺れて桃子もそっと撫でる。紀伊は面倒そうに輪っかを取り出して回し出した。紀伊は少しだけその輪っかを見つめる。
「またそれ?」
「……手遊びだ。元の世界から持ってくることの出来た唯一の物だからな」
この輪っかに意味は無い。腕に付ける為だけのアクセサリーである輪っかは、別にステータスを強化したり使い道があって持っている訳でもない。ただの本当に暇つぶしでしか無かった。
「そっか……」
「……悪いな、話、面白くないだろ」
「ううん……全然変わらなくて嬉しい限りだよ!」
「……そ……」
どこかぎこちない話をする二人。
話を盛り上げるわけでもなく、続けようとするわけでもない。本当に鉄砲玉のように撃ったらそのままの言葉達だけだ。桃子は悲しいような嬉しいような笑顔を浮かべて空を眺める。
「……月が綺麗だね」
「いきなりどうした……。お前は夏目漱石を気取るつもりか?」
「そうじゃないよ。あの時みたいに月は月なんだなって……」
「……確かにな……」
桃子の真意など紀伊に分かるわけもない。だから探りを入れるために聞いたのだが思いの外、桃子からの返答は曖昧だった。いや、紀伊からすれば少し胸を抉られた気分になるものだ。
「あっ! ごめん……」
「……いや、もうどうでもいいんだ」
「そっか……でも、私は」
「聞きたくない!」
紀伊は無意識のうちに立って大声を上げていた。これには周囲を歩いていた兵士達や野次馬のように見ていた人達も驚いた表情を浮かべる。兵士達は主に紀伊の素行を知っていたから、野次馬達は冷やかすために見ていたのに正反対の出来事に興が冷めてしまったくらいだ。
「ごっ……ごめんね……」
「……わっ、悪い……」
珍しく感情的になる紀伊に桃子も驚いてしまっていた。それだけ自分達が与えてしまった傷は大きかったんだ、と今更ながらに桃子も悲しんでしまう。あの時は二人共、まだ幼い小学生だった。それを高校の今まで引きずっているのだ。
「……今日のダンジョンはどうだった?」
話を変えるために桃子は聞いた。
「皆、強いよ。ナートさんも戦闘を見せてくれたし指導もしてくれたからな」
「……ナートさんが戦闘、か。それって竜也君も見せてもらえなかったってさ。だから、三人共すごいと思うよ」
「……竜也、か」
紀伊は胸に残るモヤモヤに嫌悪感を抱いた。なぜに今なのか。昔、克服していたはずなのに。これを恋心に近しいものだと紀伊は気付いている。
「……グループにいられなくなるからね。嫌でも下の名前呼びなんだよ。上の陽キャラの男の人達のことは」
「……なら俺のことは中荷って呼べばいいだろ。別に呼び方を変えても何も言わねぇよ」
「そんなこと……したくないかな」
桃子の悲しげな表情が紀伊の胸に突き刺さる。
「些細なことで本当に空気読めないよね、宮西さんってって言われるんだから。それにあの子達よりも紀伊君の方が……その……好きだよ?」
「……友人として、だろ」
「そういうことにしておくね」
「……オッケー」
少しだけ桃子の距離が近くなる。
そっと紀伊はその近くなる距離を遠ざけた。桃子の体を押しのけて自分自身は横へと移る。自虐的な行動に桃子も傷付きながら紀伊も少なからず心にダメージを負った。身勝手だとは分かっていても紀伊は受け入れるだけの心の余裕が今はなかった。
「……私の事、嫌い?」
空を眺めながら桃子は静かに聞いた。
ものすごく小さな声だったのに紀伊には鮮明に聞こえてしまった。嫌なくらいに、耳を背けたくなるくらいに声が耳を刺激していく。
「ああ、大っ嫌いだ」
心にもない一言が紀伊の口から漏れた。
静かな空気の中で歪んでいく視界。小さくくぐもって響く泣き声。それが二つ重なり合って相殺されてしまう。そんな返答が来ることを桃子は分かっていた。
嘘だとも自覚していた。でも、否定する理由もなく嘘だと分かりつつも心は傷ついてしまう。女性の心が繊細だからだとかそのような言葉ではなく、純粋に桃子は過去に行ってしまったことを悔やんでいるからこそ、紀伊の言葉は重く心にのしかかってしまっているだけだった。
紀伊も本当は大嫌いなわけではない。嫌いな人が隣に座ることを紀伊はとても嫌がる。自分のパーソナルスペースがとても小さく人よりも感情へと直結しやすいと自覚している。それでも嘘を嘘だとは言わない。
「……ごめんね、それなら近くにいない方が良かったよね……」
「……別に……」
紀伊の別には「別にいたいならいればいい」という意味だったが、桃子は誤解し早く会話を終わらせようとしているように見えた。そのせいか、桃子はすっと立ち上がり宿舎へと戻ろうとする。
「……おやすみ」
「えっ……うん……おやすみ……」
紀伊の小さな言葉に桃子の胸がキュッと締め付けられていく。それが恋心だと昔から気がついていた。そしてそれを捨てたのも誰でもなく自分自身だと。無駄な会話を捨てるようになったのも自分のせいだと。
それは間違ってはいなかった。
ただ昔から紀伊がよく話す人だったかと聞かれれば首肯することは出来ないが……。
その夜、桃子は一人、ベランダで静かに泣いた。もし紀伊がその姿を見ていれば馬鹿みたいな嘘を撤回していたかもしれない。桃子は夜空を眺め過去を懐かしむことしか出来なかった。
一方、残された紀伊は一人で夜空を眺めていた。特に意味なんてない。今から空兵を飛ばして街の偵察、暇つぶしをするには遅すぎる気がしていた。桃子との会話のせいでどこか無気力になり空を眺めることも億劫になり始める。
「おっ、戻ってきたのか」
「……まぁな、それで解析は終わったのか」
「それは健に聞くことだな」
部屋に入ってすぐにいた桃李にそんな質問をし正論を返された。少しだけ桃子に対する後ろめたさを隠すために聞いた質問が的外れすぎて紀伊本人も苦笑してしまう。
もう一度、シャワーを浴びに行くという桃李に紀伊は「おう」と返し部屋の奥へと進む。そこには腕を組んで神妙そうな面持ちをした健が、あぐらをかいてベッドの上に座っていた。
「あっ! 紀伊君!」
「終わったのか?」
健は紀伊を視界に入れるとベッドの上に立ち上がり返答するように胸を張った。それだけで通じたのか、紀伊はよくやったと健の頭を撫でる。
「それで?」
「えっとね、まず桃李君のメリケンサックなんだけど、これは魔力を使って攻撃力を上げるみたい。後、物理による攻撃の威力に補正をかけるみたいだね」
「物理ってことはスキルで攻撃しても効果があるのか?」
「うん」
そう言って健は手にメリケンサックをはめて素振りを始めた。だが、運動音痴なことも相まってか、猫がパンチをするようなホッコリとした気分になってしまう。どこか愛らしさを感じる行動にしか見えず紀伊も苦笑した。
「……多分だけど桃李君にはピッタリだと思うよ」
目から光が失われた健がそこにはいた。
きっと紀伊の苦笑の意図が理解出来たからだろう。紀伊も申し訳ない気持ちに襲われて健の頭を撫でる。その際に「ありがと」と言った姿は男には見えず紀伊はまた苦笑した。
「それでこっちは?」
「杖はね、魔力を増幅させるみたい。例えば自分が使える魔力を十とすると十五にできるって感じかな」
「十から十五、か」
MPの量が少なければあまり効果はない。だが健は人以上に多いMPを保持しているために効果は絶大だった。ましてや紀伊は気付いていた。わざと自分が使える魔力と称していることに。
「つまりは腕輪の分と組み合わせればより増幅させられるってことか?」
「そうなんだよ! だから僕にピッタリすぎるなって! こっちもそうだよ!」
嬉嬉として真っ白い大剣を手に取る。
「ちなみにそっちの能力は?」
「紀伊君ピッタリの能力だよ。自分の魔力を通した存在の幻影を見せられるって能力みたい」
「はっ?」
紀伊は驚いた。その能力が明らかに自分自身の能力と相性が良すぎたからだ。少なくとも紀伊が操縦出来る空兵は三機のみ。その予備はなぜか作ることが出来ないのだ。
つまり紀伊を戦闘不能にさせる、もしくは前線に出させるには空兵を三機潰せばいいだけだ。それでも前線で戦っていられるほどに紀伊は強いが、空兵を使っての戦いと使わないのとでの戦いは明らかに後者の方が弱い。
それを上手くカバー出来る能力が大剣には合った。空兵は紀伊がMPを消費することで燃料としている。遠回しな言い方だが空兵は魔力を通した存在と呼んでもいい。そしてその言い方だと自分自身の幻影を作ることも出来るということだった。
空兵での戦い方はいかに壊されずに敵を倒していくかが問題となってくる。例えば空兵の分身を前進させて混乱させてから撃ち込んでもいい。自分自身を分身させて桃李や健の攻撃を通しやすくしてもいい。
「もちろん、デメリットもあるよ。幻影を作るにはMPを結構使うし、幻影からの攻撃でダメージは与えられない。数も消費量が尋常じゃない分だけ多く作れないし」
「……いや、十分だろ」
健も豊富な魔力を保有しているが紀伊も同様に豊富な魔力を所持していた。桃李も少なくないとはいえ、人並み以上の魔力を持ち代わりに攻撃面でのステータスが高い。だから、後衛として戦うには都合が良すぎる能力であり、幻影も紀伊ならば作れる。幻影での攻撃は最初から考えていなかったためにデメリットがデメリットとは言えなかった。
大剣を受け取り紀伊は両手で軽く持ち上げた。かなりの重量が体を襲い振って戦うにはあまり向いていないと紀伊は素直に感じた。そのまま魔力を流す。
「うおっ! すごい!」
「……まだやったこと無かったのか」
目の前に現れたのは大剣を前に構えて空兵を飛ばしている紀伊自身だった。ただ映像のように動かす気がないのか、銅像のように立ち止まっているだけで何もしない。
「……言うほど多くはないな」
そのまま小さく動かしてみるとかなりの量のMPが消えた。まるで初代のスーパーファミコンで早い行動をさせるように本体に多大な悪影響を与えている。紀伊もあまり多用は出来ないと感じた。
「だっ、大丈夫!?」
「あっ……ああ、少しだけキツイな。なんとかなりそうな気はするけど……」
「そこは僕が改良していくから安心して」
「悪いな……いつも助かるよ……」
「おー珍しいー!」
健の言葉に口をサッと隠してしまう。
健はそれを可愛いなと思いながらベッドに横たわり手に魔力を集めてから改造を始めた。紀伊も疲れていたために自分のベッドに横たわってから瞳を閉じる。
「明日は依頼を受けに行くぞ」
「分かったよ、桃李君にも伝えておくね」
その会話を最後に紀伊は意識を放った。
ようやく閑話の半分が終わりました。このペースなら緩和終了まで時間はかからなさそうですね。頑張っていきます。
次回は水曜日に投稿します。




