閑話 あの日、あの時
二人は振り向いた。
その目に映ったのは氷の壁で何とか敵の攻撃から身を守っている健だった。氷の壁の生成に集中しているのか、攻撃も出来ずにオークが集まり始めている。それに氷の壁を作ったはいいが緊急で作りだしたためにヒビ割れも激しい。
「ヤバい!」
「多重ーー」
「桃李! やめろ!」
桃李の声は紀伊の声に掻き消された。
桃李は未だに声を出して健を守ろうと考えたが、紀伊の援護がなくなったことで声を上げることも難しくなっている。そこで分かった。紀伊が動き出したのだ、と。
桃李はようやく守りだけを重視するために腕を動かした。紀伊が自分を止めたのは片方を止められるのが桃李だけだ、と間接的に証明しているのだと。
紀伊は素直じゃない。だが、その分だけ行動で気持ちを表している。例えば「何を食べたい」と聞かれても「何でもいい」と面倒そうに返してくる。それでも歩いている最中に視線は好みの食事処を追うし、好きな物の名前が上がれば声が少しだけ高くなってしまう。
だから、桃李は任せた。
「あっ……」
その瞬間に氷の壁が割れる。
不意をついていたオークジェネラルは勝ち誇った表情を浮かべ、桃李の前にいたオークジェネラルも隙がつけると大振りに斧を振ったのだが……。
桃李の表情は変わらない。そして攻撃を与えるオークジェネラル二体は振り続けた。片方は勝利を確信したから。もう片方は攻撃の手を緩めないために。
「悪いな、服が破けるから攻撃を受けたくなかっただけなんだよ」
勝ち誇っていたオークジェネラルの顔が歪む。一番に面倒な健を殺すために放った斧は紀伊の体を傷つけただけ、いや、服を傷つけただけで体へのダメージはない。まるで光を切ったような感覚がオークジェネラルを襲った。
おかしい、ただそれだけを知能のないオークジェネラルは考えていた。いつ間に入ったのか。オークジェネラルの目から見て紀伊が入ってきた瞬間はなかった。……それだけ距離が離れていたはずだった。
そしてそれを見てナートは目を丸くした。
いつ頃からか、ナートの心は乾いていた。
もしかしたらナートが救えなかった勇者の後ろ姿を未だに幻影として見ていたからかもしれない。勇者とは勇気がある者と書いて勇者と読む、そんな在り来りな言葉が世では出回っている。
ナートは一度だけアツシに聞いたことがあった。
『強くなるために、人を守るために必要な勇者としての素質はなんですか?』
そんな時にアツシは何も言わず首を縦に振る。ナートは長い沈黙から立場が違いすぎて話す気もないのだ、とその時は思っていた。あいにくとその話を聞いた時にはアツシから返事を貰えていない。
でも、あの時、アツシが魔王と戦う数日前。もっと言うのならばアツシが死ぬ数日前にアツシは死期を悟ってか、前線に向かうナートに対して数十分にも及ぶ話をしていた。
『あの時に言えなかったことだ』
ぶっきらぼうに、不器用なアツシならではの会話の出だしにナートは不意に笑ってしまっていた。だが、ナートはすぐに気がつけなかった。何を話し出すかなんて。
『長い間考えていたが勇者としての素質なんてないと思っている。いや、今ならそう感じている』
『適当ですね』
『適当って言うのは適切に当たるって書くんだ。これほど適した言葉はない。そして勇者は勇気がない者と書いて勇者だ。少なくとも俺はそう思うよ』
ナートにはその時に何を言っているのかよくわからなかった。不思議そうな顔を見てからアツシは笑いながらナートの頭を撫でた。
『お前にもそのうち分かるさ。キラリと輝く不思議な光を持つ存在、そして勇気がないという本当の意味を』
今ならアツシの言っていたことがナートには理解出来た。勇気とは総じて何かをするための決心などではない。周囲の環境を見つめながら自分なりの行動を起こせる人の事だ。そしてそのようなことが出来なかったからこそ、アツシは流れ流れで勇者という役職を嫌っていたのだ、と。
アツシは自分に自信などなかった。近くで見ていたナートだから分かることもある。逃げたいと騒ぐ姿をナートは見ていた。それでも王国によって逃げることが出来ず、指示された場所へ向かっては敵を倒すだけの毎日。
少しだけ違うとすれば魔法国から帰ってきたアツシの顔が晴れていた時くらいだ。他は大して嬉しそうな顔などしていなかった。強敵を倒すことも、富や名声もアツシの心には響いていなかった。
それをナートは知っている。
だから、アツシが勇者の話をした時は勇者のことを嫌う理由が勇気のない者だから、そんな言葉で片付けていた。でも、違った。わざわざ行動を起こすことが必要なのではないのだ。本当の勇者は冷静に考えながらも体が勝手に動き出す。そう目の前の紀伊のように、仲間を守るために息を合わせながら欲望に任せた行動を起こす。
勇気が直結して勇者となる素質ではなく、もっと何かに対する恐怖から戦うことを決意する。ナートの目に映った紀伊は明らかに健が死ぬことを怖がり、いや、失う勇気がないように見えた。そして少なからず紀伊の行動はナートに変化を与える。
「はっ……はは……ははは……」
いつの間にかナートの体が勝手に動き出していた。ナートの感じたことの無い感情が突き動かしていたんだ。やり直すことも後悔も出来ない世界だからナートは世界の狭間で取り残されていたのかもしれない。
その動きは白鬼の名にふさわしく鬼のような気迫を持って魔物を狩り続けていた。まるで自分の獲物だと言うように身勝手に動き回るが紀伊達はそれに合わせて攻撃を開始する。
初手でナートは桃李の前に立つオークジェネラルを一刀のもとに切り伏せた。これでより動揺した紀伊の前のオークジェネラルも攻撃の手が止まってしまう。それを紀伊や健が見逃すわけもない。
ましてや、三人は驚きながらも手助けに感謝していた。倒しきれるだろうが怪我もする。その怪我もなくして戦えるからだ。三人の中で無理をして戦うなんて気持ちは最初っから無い。
「燃えろ!」
「血反吐を吐け!」
健の炎で体が燃え紀伊にはダメージがないようで、間近で空兵の射撃を行い続けた。肩と頭が少しずつ穴だらけになり紀伊の言葉通りオークジェネラルの口元から血が垂れてきていた。
「これが才能か」
笑みが零れていた。
枯れた大地に雨が降る感覚。
アツシ以来の頼れる仲間。もしアツシがいた時にこの三人がいれば、そんな今の高揚感にはそぐわない考えも浮かんだ。だが、戦いを楽しむ。それがナートの一心からの想いだった。
右へ回れば左から来る軍勢達を桃李が大きな腕を持って止める。少しでもレイピアの切れ味が落ちれば血を払う時間、それを健が魔法で稼ぎ、ついでのようにステータス上昇を施していた。
ナートのレイピアの長さから向かってくる魔物の数を紀伊が調整している。それゆえに一切の疲れも感じないままで戦闘が進んでいった。そして紀伊の存在。
確信していた。
あの才能の光は全員から……一番強い光を放っていた紀伊に隠れていただけ。そう、この三人こそが真の勇者と呼ぶべき稀有な存在なのだ、と。
『ここに来たのは正解だったな』
楽しい感情と懐かしい感情。胸を締め付けながらも暖かくしてくれる三人にナートは心を踊らせた。そんな考えの下で四人による高純度な連携を行う戦闘は短時間で終了してしまう。ナートは少し物足りなさを感じながらも奥へと向かった。
「……誰か回収したのか?」
「俺がやっておきました」
「早いな、冒険者として才能があるぞ」
終わってすぐに周囲を見渡して素材がないのを確認したナートはそんなことを聞いた。紀伊からすれば回収するのに時間はかからなかったし逆に怒られるかと不安だったが、ナートの言葉は賞賛だった。冒険者が回収に時間をかけてしまえば時間のロスに繋がる。
単純な褒め言葉ほど紀伊は返答に困った。
素直なのか、皮肉なのか。考えてしまった。
時間をかけすぎたのか、ナートはふっふっふと笑って流す。紀伊も申し訳ない気持ちになってしまった。
「話を変えよう。ここに来たのはいくつかあってな。もちろん、三人を試した節もあるが……これも理由だ」
最奥に一つの宝箱が落ちる。
特に光り輝いている訳ではなく、壁に隠れているように埋め込まれていた。下手をすれば誰も気が付かずに帰っていた可能性もある。ナートはそれを指さした。
「ああ、まぁ、勝手に開けるなよ。これは開け方があるんだ」
三人は静かに頭を縦に振った。
ナートは壁から宝箱を取り出して軽く蹴りを入れる。瞬間、黒い何かが現れたがナートのレイピアで一振で消しさられてしまう。特に気にした様子もなく三人に対して笑いかける。
「今のは小悪魔って呼ばれる存在でな。ダンジョンの最下層に連れていく存在なんだ。もっと言えばダンジョンの同じ階層にいる者全員をだ」
「今から行くのなら面倒ですね。なるほど、理解出来ました」
「今みたいに一瞬で消す、もしくは解除が出来る人に任せるかの二択だな。小悪魔と言えども出てすぐに魔法は使えない」
そう言いながらナートは宝箱を開け、中に入っている道具を三人に渡した。ちょうど三つあって運良くか、三人にピッタリの道具だった。ナートはあの時もそうだった、とレイピアを撫でる。これもあの時に手に入れたものだったな、と。
あの時にいた人達は勇者を含めて五人だった。その中で武器を得られたのはナートともう一人の格闘家。運がいい、都合がいい物をその時も落としていた。他の三人は全員、しっかりとした装備があったのだ。漆黒のメリケンサック、緑色の杖、そして真っ白い大剣だった。
「いいんですか?」
「私にはこれがあるからな。約束もある。これを捨てることは考えられないんだよ」
そう言われても紀伊達は受け取ることが出来なかった。そもそも帰属心なんてものは王国に対してはない。出ていくことも視野に入れて強くなるために来ていただけ。ナートが国王の命令でやっている可能性も否定できなかった。
「……ああ、これは私の独断だ。ここは他の兵士達も知らない場所でな。内緒だぞ」
茶目っ気たっぷりに口元に人差し指を立てて笑顔を見せる。紀伊もそれを見て大剣を背中に差した。大きいせいで重みもあるが鞘も付いていて背負うタイプ、紀伊にはかなり合った武器だった。
まだ武器の名前も能力も分かってはいないが最初に持っていた武器とは格が違うことは三人共、理解している。プラスチックの宝石と本物は明らかに輝きが違うように、持ってみたからこそ分かることもかなりあった。
「ありがとうございます……」
「構わない。その代わり強くなってもらうぞ」
「それは勇者様の仕事ですよ」
「……そうだな……」
紀伊の返事にナートは悲しげな顔をした。
その理由が紀伊には分からなかったが、その後に四人で二階層へ向かい、三人の戦いをナートが指導し続けた。四人全員が楽しんでいる、そんな不思議なダンジョン攻略となっていた。
伏線を出して出して出して、回収しないとかになりそうな気がしてきました。あれ……? 出さない方が面白くなるんですかね……?(混乱中)
今週中にもう一回、出せそうなら投稿しようと思います。忙しくならないことを祈るばかりです。