大誤算
19××/06/12
婚姻届けを役所に提出し、今日をもって私の名前は柳田真帆になった。戸籍上、これから私は一人の独身女性としてではなく、柳田孝雄の妻として扱われるようになる。
この「柳田」という苗字を気に入っていると言えば嘘になる。それでも、21年間慣れ親しんだ旧姓から新しい姓へと変わることを、自分でも驚くほどにすんなりと受け入れることができたように思う。
しかし、それも当り前なのだろう。十年もしないうち、いや、もっと早ければ五年以内には、私は柳田孝雄の妻という身分から解放され、再び、自由と、さらには富を得ることになるだろうからだ。
柳田孝雄は来月で85歳になる。年のわりには性欲も食欲も旺盛で、傍から見るとそんな高齢には見えない。
しかし、人間はいつか老いで死ぬ。それは柳田孝雄にも当然あてはまる。その来る日まで、私は不平不満を一切漏らさず献身的な妻を演じ、気の向いた時に柳田の性のお相手をする。それだけしていればいい。そうしていればいずれ、私のもとに自由と柳田家の莫大な富が転がり込んでくる。
私の今までの人生で受けてきた屈辱に加えれば、この程度のことなど我慢できないはずがない。
好きでもない相手との性行為だろうと、前妻との間にできた子供とのいざこざであろうと、将来手にするであろうものを考えれば、私は耐え切る自信がある。
忍耐強さと強靱な精神力を持つ者だけが、富を得ることができる。この言葉を胸にしまい、いついかなる時も忘れないようにしよう。
19××/09/08
今日、夫の百寿を祝うパーティーが行われた。
私は柳田孝雄の妻として、裏方からパーティーを仕切る役割を担わされた。こんなもの下女にやらせておけばいいものの、どうして私が中心になって取り仕切らなければならないのか。むしゃくしゃする。
夫の長寿を心から祝う妻を演出するため、張り切っているように周りに見せる必要があったことが、余計ストレスになった気がする。先ほどから軽い頭痛がしている。明日は遅くまで寝ていよう。
それにしても、柳田が百歳まで生き続けるとは予想だにしていなかった。結婚当初は20代前半だった私は、もう三十代半ばになり、柳田との結婚生活も十五年目に突入している。
しかし、希望を捨てたわけではない。確かに、多少の誤算はあったものの、まだまだ十分にやり直せる年齢だ。柳田家のお金であらゆる美容医療を受け、また、日々の運動など健康とプロポーションの維持に少しの抜かりもない。肌の艶やスタイルは若いころと変わらない。いや、むしろ無尽蔵の資金と労力を費やしている分、若いときよりも優れているかもしれない。
年相応の色気というものも、きちんと身に着けている。どのような男性相手でも、自分に夢中にさせる自信がある。柳田の妻という地位を守るために、実験すらできないことが悔やまれるけれど。
とにかく、柳田はもう百歳だ。私が自由と富を得る時は刻一刻と近づいている。
20××/07/28
今日は朝からメディアの対応でてんてこ舞いだった。柳田が、ギネス世界記録認定証明書を授与される瞬間を生中継したいとのことらしく、テレビや新聞記者が家の周りや庭に蠅のように群がっている。
これまでの最長寿のギネス世界記録はフランスのジャン・カルマンという女性が残した、122歳164日というものだったらしい。今回、柳田は長年破られることのなかったその偉大な記録を抜き、記録上、最も長く生きた人間としてギネスに認定されることになった。
柳田は122歳になってもなお、思考や言動がしっかりしている。それに加えて、旺盛な食欲と性欲をも維持している。
私は柳田の妻となって以降、彼のたった一人の性的パートナーとしての役割を果たし続けてきた。そして、おぞましいことに、それは私が六十歳を超えた今なお続いている。
もちろん若いときも柳田と性的交渉を行うことは苦痛でしかなかった。それでも私は、性交渉中に目をつぶり、目蓋の裏に少女時代に思いを寄せていた初恋の相手を思い浮かべることで耐え忍んできた。
しかし、年とともに昔の記憶はおぼろげになり、彼の顔を鮮明に思い出すことができなくなった。性行為中、快楽などは一切なく、早く終われと念仏のように唱え続けることで、地獄の時間を何とか乗り越えている。あの性欲お化けの性器を誰かがちょん切って欲しいと何度神様に願ったことか。
柳田は私と結婚して以来、死ぬ気配すら見せたことがない。もはや妖怪なのではないかと時々考えてしまう。
一方の私はというと、一日を追うごとに老いていっているのがわかる。
肌は張りと水分を失い、中身のつまった乳房はしぼんで、垂れ下がってしまっている。皺と乾燥に覆われた自分の顔を鏡で見るたび、言いようのない絶望感に襲われる。若い頃の写真はすべて捨てた。そのようなものを見るたびに、後悔と嫉妬で頭が狂いそうになるからだ。
しかし、絶望で死ぬわけにはいかない。私ほど、柳田孝雄の富を受け継ぐ資格がある人間などいない。それを手に入れるまで死んでたまるか。
もちろん、時間は限られるが、それでも私にはまだまだやり残したことがたくさんある。
とにかく柳田は人間の限界に到達している。つまり、明日死んでも全くおかしくない。
明日の朝目が覚めた時、柳田が死んでいていることを祈りながら眠ろう。
20××/06/11
明日、私と柳田孝雄の金婚式が行われる。つまり、私と柳田が結婚してから、50年という歳月が流れたということだ。
私は70歳を超え、柳田孝雄に至っては130歳を超えた。
それでも柳田は足腰もしっかしており、また多少減退してはいるものの、食欲性欲共に健在だ。
バイタリティや新しいことへの挑戦意欲も失われることはなく、柳田は昨日、前妻の子供の子供の子供、つまりひ孫に誘われて初めてのゴルフへ行った。ゴルフ場の池に落ちて死んでしまえと思っていたが、夜遅くに上機嫌で帰宅し、嬉しそうに私と下女にゴルフの様子を語った。おそらく、これからしばらくはゴルフに夢中になるのだろう。
時々、私は今悪い夢を見ているのではないかと考える。
目が覚めたら、昔住んでいた狭いアパートのベッドの上で、寝過ごしたんじゃないかと慌てて目覚まし時計を確認する。朝食を食べ、出勤するころには夢の中身を忘れ、刺すような日差しに目を細めながら、小走りで駅へとかけていく。駅に着いたころにはもう夢を見ていたことすら忘れている。
何度このような妄想に耽ったことだろう。
あの頃の自分は職場、待遇すべてに不平を持っていた。自分にはもっと、自分の容姿、能力に見合うだけの富と賞賛が与えられてしかるべきだと考えていた。
正直、後悔をしていないと言えばうそになる。それでも、もう一度あの頃に戻れたとして、同じ過ちを繰り返さないかと言えば、それもまた違うような気もする。
もうこういうことを考えるのはやめよう。出口のない思考に迷い込んで、ただただ憂鬱になるだけなのだから。
私も高齢になり、長くはない。幸いなことに重い病気にかかるということはないが、老いを感じる瞬間が増えている。
それでも、柳田孝雄より長く生きてやるという気持ちだけは失っていない。
富や自由が欲しいというわけではない。ただ、これは意地だ。自分自身へのけじめなのだ。
20××/11/23
今日は私の百寿を祝うパーティがあった。
若い頃など、百歳の自分というと、はるか遠い未来のように感じていた。むしろ、自分はそれほど長く生きることを望んでいなかったような気がする。
実際、百歳になってみても、ああ、こんなものかという感想しか抱かない。ただ毎日を生きていたら、いつの間にか百歳になったという感じだ。
パーティは柳田家総出で行われ、柳田孝雄とその玄孫たちが中心になって取り仕切ってくれた。特に柳田は163歳とは思えないほどの頑張りようで、見ているこっちが倒れやしないかと不安になるほどだった。
百歳を超える夫婦の誕生ということで、各種マスコミ、地元代議士も参加するなど、なかなか盛大なパーティーとなった。その時、私は一人の女性記者から、百年生きてみて、何か自分なりの人生哲学か何かないかと質問された。
とりあえずあたりさわりのない答えを返したが、振り返ってみると、なかなか深く考えるべき問いだったのかもしれない。
長く生きることは素晴らしいとよく言われる。確かに、他の人には味わえない様々な経験を積めたことは事実だ。
それでも私は時々言いようのない不安と孤独に襲われる。足の筋肉は衰え、耳も遠くなった。立ち上がるたびに膝がきしみ、歩くだけで息切れがする。仲の良かった友達はみんな死に、若い頃可愛がっていた年下の下女も老いで死んでいった。
私にとって年を取るということはそういうことだ。
このことを踏まえると、年を取ることがそれだけで素晴らしいとはなかなか言えないような気がする。
そのようなことを考えていると、ふと、柳田孝雄も同じような気持ちに襲われていないのだろうかと疑問に思った。
直接聞くほどではない。それでも、私よりもずっと長く生き続けている彼は、いったいどのような気持ちで毎日を生きているのだろうか。
そして、彼は誰よりも長めに与えられた人生において、一体何を得ることができたのだろうか。
20××/02/15
今日の昼過ぎ、階段から足を滑らせ、腰を強く打った。自分が120歳だということを忘れ、駆けるようにして階段を降りたのがいけなかった。
圧迫されるような鈍い痛みが未だに続いている。動かそうにも腰が動かない。おそらく、二、三日もすれば再び動かすことができるとは思うが、ずっと横になっているというのも退屈だ。こうやって、何もしないでいる時間というのはいつぶりだろうか。
広い畳の部屋で、一人横になっていると、家の中の音に自然と耳を傾けてしまう。あちらでは、下女が夕飯の支度をしていて、奥の方では七年前に生まれた柳田孝雄の来孫がどたどたと廊下を駆け回っている。
腰が思うように動き、自分の思い通りに動ける時には、この広い屋敷にたった一人のような気持になることが多いにもかかわらず、いざ動けなくなると、屋敷のかすかな生活音が聞こえ、誰かの存在を感じることができ、孤独が少しだけ和らぐから不思議だ。
一時間おきに、下女や、玄孫、来孫が私の調子を伺いにやってくる。血もつながっていない自分に、気後れするほどの気遣いの言葉をかけ、また来るからと立ち去っていく。
また来るから。心と身体が弱っているからだろうか、そんな単純な言葉がとても暖かく感じてしまう。
また、こうしてずっと横になって初めて気が付いたことがある。私は柳田孝雄の生活音をなぜかはっきりと聞きわけられるのだ。
廊下を歩く時の足音、帰宅した時の玄関の開け方、タンの絡まった咳。無自覚に私はそれらすべてを覚えきっていた。私はその音から、今柳田が屋敷のどこにいて、どのような表情をしているかさえありありと頭に思い浮かべることができたのだ。
好きになれなかった相手であっても、呪い続けた相手であっても、百年もの間一緒にいると、そういう不思議なことが起きるのだろう。そのことに、今さらながら、私が柳田孝雄とともに過ごした歳月の重みを実感する。
その柳田孝雄は、夕刻前に一度私の部屋へとやってきた。柳田は部屋の中央まで足を引きづりながら歩き、布団の隣に静かに腰かけた。それから一言二言会話をした後、安心した様子でそそくさと部屋を出ていった。
その時、柳田も知らない間に随分年を取ったのだなと、改めて感じた。180歳を超え、不老不死だと勝手に思い込んでいた柳田も、顔は皺と茶色いシミに覆われ、足腰の筋肉も昔に比べてずっと弱っていた。食べるものも、以前と比べ脂身を避けるようになっていたし、あれほど好きだった性行為も、30年以上していない。
それでも、私は妖怪よりも長く生き続けている柳田より先に死んでしまうだろう。それだけは確信をもって言える。
不思議と死への恐怖はなく、ただただ穏やかな気持ちだ。もう生や富、自由への執着はどこか遠くへ行ってしまったのだろう。
ただし、私の人生は何だったのだろうという問いだけは、私の胸にずっと重くのしかかったままだ。
答えなどない。それでも、問い続けることだけはやめられない。
もう今日はこのくらいにしておこう。退屈な時は、いつも日記が長くなってしまう。
20××/08/12
今日、医者から余命半年を宣告された。
しかし、驚きはない。私の身体の異常はずっと前から自覚していて、むしろ、ああまだそんなに生きられるんだとのんきなことを考えるほどだった。
手足は若木の枝のように細くなり、節々の痛みを感じずに目覚めない朝などなくなった。深く息を吸うと、乾いた咳が出るようになり、食欲も失せ、食べ物の香りがするだけで吐き気に襲われる。
きっともうじきお迎えが来るのだろう。私は膝や腰をさすりながらいつもそう考えていた。だから、こうして余命を宣告されたところで、ショックも何もない。
しかし、それとは対照的に、宣告に立ち会った柳田と下女は、私の前にその事実を知らされていたようで、すでに目の周りが真っ赤にはれあがっていた。
どうしてそんなに泣くことができるのだろうと、私は冷めた目で柳田孝雄を見ていた。
200歳という大台も見え始めた彼は、今まで何人もの人間と今生の別れをしてきたはずだ。今さら、年老いた何の価値もない女が死んだとして、一体彼の人生にどれだけの影響があるのだろうか。
私は延命治療を断り、自宅で最期を過ごすことを医者と柳田に告げた。
100年以上書き続けてきたこの日記もあと半年で終わる。自分ながら、よく続けてこれたものだと思う。
20××/04/07
一か月ぶりに日記を書いている。ここ最近は身体を動かすことすら辛く、ペンを持つことすらままならなくなった。今この瞬間も、手は震え、腕がつりそうになりながらも、意地と気合でなんとか書くことができるといった状態だ。
今日は珍しく、一日中、柳田が私を看病してくれた。マスコミの取材や柳田家経営会社の集まりもない、貴重な休みの日らしい。
タオルを濡らして私の身体を拭いたり、かゆを食べさせてくれる。おむつの取り換えも柳田自身がやった。わざわざあなたがやる必要がないと何度言っても、柳田は首を横に振り、黙々と作業を続ける。200歳が140歳を看病するなど、なんと皮肉めいた状況なのだろうと今さらながら思う。
柳田の介護中、私はじっと彼の顔を見ていた。莫大な富を持ち、世界中の人間が垂涎するほどの長寿を得た男が目の前にいる。
病との長い闘いで身体はぼろぼろになり、精神的にも疲弊しきっていた。だから、その時、自分でも思いがけない言葉がポロリと口から出てしまった。
「私はね、あなたの遺産が欲しくて結婚したの」
私はその瞬間、しまったと思った。しかし、すぐにその感情は消え、代わりにもうどうにでもなれと投げやりな気持ちになった。死にかけの状態でどうして相手に気を使う必要があるのだろう。
私はじっと柳田の反応を観察し続けた。
タオルを絞っていた柳田は私の言葉に反応し、ピタッと動きを止めた。しかし、まるで何事もなかったかのように、すぐにそれまで続けていた作業を再開した。聞かなかったことにしたのか、と私が考えた瞬間、少し間があいた後で柳田は消え入るような声で返事をした。
「知っていたよ」
その声は弱弱しかった。それは老いのせいなのか、それともショックのせいなのか今でもわからない。
「じゃあ、なんで結婚したの?」
自分の意思とは別に私はそう尋ねた。私は彼を傷つけたかったのかもしれない。そうじゃなければ、そのような残酷な質問など絶対に口にしないだろうから。
柳田は長い間返事をせず、黙々と作業を続けた。タオルを絞り、私の身体を拭く。そして、すべての作業が終わった時、柳田は私の問いにようやく答えた。
「君を愛していたから」
私は天井を見ながら、「そう」とだけ答えた。別に、深い言葉やハッとさせられる言葉を期待していたわけじゃない。柳田の言葉にがっかりしたわけでもない。
ただ、私はずっともやもやしていた何かがストンと胸に落ちた、そのような気がした。
柳田が200年という時を生き続けてこれたこと、そして、私がいまここにいること。なんとなくだが、そのすべてがその言葉で説明できるような、柳田孝雄の発した言葉はまさにそのようなものだった。
そして、どうしてこの男はそのようなことを言えるのだろうと不思議に思った。それと同時に、私は目の前の、歴史上でたった一人200歳まで生きている、柳田孝雄という男に興味を持った。もっと彼のことを知りたい、と今さらながら思った。こんなことを考えるのは、結婚生活を始めて以来、初めてだった。
しかし、もうあまり時間は残されていない。
もっと前から、私を好きになった彼に少しでも興味を持っていたらと今さらながら考えるし、どうしてそうしてこなかったのだろうと疑問に思う。
次、彼が再び口が動く限り、色々なことを聞こう、色々なことを話そう。そして、それをこの日記に記すことにしよう。
ペンを持つ手の震えがひどくなってきた。まだ描きたいことはあるが、今日はこれくらいで書くのを止めよう。先ほどから気温が低いわけでもないのに、寒気もする。
日記の続きは明日、それがだめなら、明後日にでも、一週間後にでも必ず書こう。
そして、私と柳田のことを残そう。
それが少なくとも、この瞬間における、私が生きる意味だと思うから。