3.5話:side M
佐奈と一緒に聞いた自称王子の話は、使い古された手垢塗れのおとぎ話だったが、現実として降りかかってしまえば何とも腹の立つ話だった。何故無関係の人間を巻き込むのか。
それに、俺の記憶以外から佐奈の存在は綺麗に抹消された。記憶のような目に見えないものから、写真や学校の名簿のような物理的なものまで、まるでそんな人間は最初から存在していなかったとでも言いたげに消しておいて、世界を救ってくれとは笑える話だ。
もしも佐奈が、自力で魔王を討伐しようとした場合、もう二度と俺は佐奈に会えなくなっていたかもしれない道があった可能性に、ゾッとした。佐奈がアホなヘタレで良かったと、心底思う。
とりあえず最終目標を元の世界への帰還とし、当面は魔王討伐の力を得る事にしたのだが、これはいとも簡単に終わった。
なんせ呪文だとかそんなものもなく、頭の中で考えれば形になる。あまりの力に、佐奈を吹っ飛ばしてしまったのは悪かったとは思うが、暫くその話を思い出してはブーブー言ってくる佐奈がウザったかった。それを王子が微笑ましそうな顔で見てくるのは心底嫌だったが、殴る気もおきなかった。
*
ある程度力の検証が済んだ所で、俺の方から頼んで実戦に連れ出してもらった。王子は渋い表情をしていたが、一刻も早く佐奈を元の世界に戻してやりたい。
治癒魔法の限界を見極める為だと、佐奈は街の診療所に度々出かけているが、帰ってくる度にいつもあのアホとは思えないような暗い顔で帰ってくる。気になって一緒に付いて行けば、診療所は俺が思っていた数倍酷い状況だった。
魔物に襲われ足を噛みちぎられた者、酷い出血で意識の無い者、そして明らかに事切れている者に縋って泣きつく子供。噎せかえるような濃い血の香りは、争いの無い日本では経験しないものだった。
佐奈はそんな中で、黙々と治癒魔法を発動さる。それは傍から見ていると、奇跡としか思えなかった。
無くなった足が光に包まれた後に元通りになり、肉を晒していた大きな傷がみるみる塞がる。
それでも、命を手放した者を救う事は出来ない。泣く子供を、佐奈は唇を噛みしめて見つめている。
お前が気に病む必要は無い、という慰めはできなかった。そんな言葉でアホが元気になるとは思えなかった。
だから、俺にできるのはさっさと魔王を倒して、佐奈をこの世界から引き離す事だ。これ以上、佐奈を俺以外に泣かされるのは、我慢がならない。
『今代の勇者は、実に優秀ですねぇ』
そんな折、夢の中に"ソイツ"が現れた。
真っ白な空間は床も天井も感じられないが、俺はその場に一人で立っていた。そして目の前に、真っ白な"ソイツ"がふわりと浮かぶ。
男か女かもわからない中世的な顔立ちに、長い髪も肌も服も白い"ソイツ"は、自分を神だと名乗った。
『褒美に一つ、プレゼントをあげましょう。何がいいかな?』
「俺達を元の世界に返してくれ」
『それは魔王討伐をしてからの話でしょう』
「倒せば、俺達は帰れるのか?」
『どうしても帰りたい?』
「帰りたくないと思うのか?」
『今までの聖女や勇者は、帰りたいとは言わなかったので』
「生憎、俺達は今までとは違うようだ」
『そう……。でも、その話は魔王を倒してからじゃないかな。さぁ、褒美は何がいいかな? 無いなら、無いでも構わないけれど』
「なら、魔物や魔王を殺す事に、躊躇わないようにしてくれ」
初めて、魔物を殺した時。
剣で切り裂いた魔物は、黒い靄となって消えた。それはゲームみたいな演出で見ている分には良かったが、肉を切り裂く感触だけはどうにもならない。一拍の躊躇いは、命を削りかねない。
俺に何かあったら、佐奈はどうなってしまうのか。また別の勇者を召喚するのか? 勇者の条件は佐奈を愛しているものだという。佐奈は笑って「きっと神様は条件を変更したんだね」と言っていたが、俺が呼び出された時点で条件は確定している。俺以外の人間が呼ばれるはずがない。佐奈に変な虫がつかないよう、徹底的に排除し続けたのだから。
『なるほど。確かに貴方達の世界では、殺生は不慣れかな』
俺の身体を白い光が包む。その光はすぐさま収まった。別に何か変わった気はしないが、モノがモノだけに今すぐ感じられるものではないだろう。
『では勇者よ、魔王の討伐、お願いしますよ』
現れたのが唐突なら、消えるのも唐突だ。
ぱちりと目が覚めて、ベッドから起き上がり辺りを見回しても、当然自称神の姿は無い。
実戦で、なるほど自称神がきちんと仕事をしたのを察した。魔物を切り裂く事に、抵抗感は無いが、そんな自分が少し気持ち悪い。それでも、佐奈をこの世界から戻す為ならば、俺は修羅にだってなってやる。