1.5話:side M
胸にぽっかりと穴の開いたような、強烈な喪失感。
「真央、どうかしたか?」
「いや……何でもねぇ」
万年赤点の友人に勉強を教えいていたのだが、急に黙り込んだ俺を、不思議そうな顔で見てくるが構っている余裕がない。
何かが、この手の中から、零れ落ちた様な。でも、それが何か分からない。
意味の分からない感情に舌打ちしながら、何とはなしにスマホの連絡先一覧を眺める。別に変った所は無い。……無い、筈だ。
「ワリィ、先帰る」
「え? おぅ。彼女によろしくな」
友人の言葉に、荷物を片付けていた手が止まる。友人を見やれば、自分で言ったくせに不思議そうな顔をしていた。
「彼女なんていねーよ」
「あ、あぁ……そうだったな。モテるのに、お前全部断るから」
もったいない、という友人の言葉を聞きながら荷物を片して教室を出る。
胸の中をもやもやとしたものが渦巻く。その原因が分からなくて、イライラする。こういう時はいつも"アレ"に八つ当たりして……"アレ"ってなんだ?
もやもやしたものを抱えながら、自宅に帰る。住み慣れたアパートの筈なのに、何故か一つ隣の家に入ろうとして、慌ててチャイムに伸びていた手を引っ込める。
自分の解せない行動に腹を立てつつ、部屋に入る。机の上にカバンを置いて、何とはなしに窓辺に置かれた写真立てに視線を移し、そこでやっと、何が足りないのかが分かった。
佐奈が、いないのだ。
人一人分の、変なスペースが空いた写真に写る、不機嫌そうな自分の顔。その隣には、幼馴染の佐奈が、アホみたいな笑顔で映っていたはずなのに。
スマホを取り出して、連絡先一覧を見るが、そこに佐奈の名前はない。古いアルバムを引っ張り出してきて探しても、どこにも佐奈はいない。台所で夕食の準備をしていた母親に聞いても、全く誰の事だか分かっていない。
その日、唐突に佐奈が、世界から消えてしまった。
*
「ゲッ……魔王様……」
突然足元に穴が開いて、落ちたと思って気づけば目の前に。
世界から消えた佐奈が、立っていた。
足元は水に濡れて冷えるのに、胸の内から温かなものがこみ上げてくるそれを、奥歯を噛んでこらえる。
「テメェ……急に消えたと思ったら、こんな所で遊んでいたのか……」
「いやいやいや! 全然遊んでないから! 遊べるほどの時間も経ってないし!」
水を蹴り飛ばしながら、佐奈に近づく。その隣に立つ、金髪と紫髪の男共を睨み付ける。金髪は困惑を、紫髪はこちらを推し量る様な目で見返してくる。慌てる佐奈の頭を鷲づかみつつ、さりげなく二人から引き離す。
「言い訳を聞いてやる。手短に説明しろ」
「はい、畏まりました……」
久しぶりに見た佐奈は、取り戻した記憶と寸分の違いもない。
あの日、唐突に佐奈が消え、俺以外の誰も佐奈を覚えていなかった時から、もしかしたら思い出した記憶も、妄想の産物ではないかと不安を覚えた事もあった。でも、今目の前で痛みに半泣きになる佐奈の顔は、俺の良く知るバカみたいな顔で。
「勝手にいなくなってんじゃねーよ」
その髪を強くかき混ぜてやれば、ギャーギャーと喚く佐奈の声によって吐き出した安堵のため息は掻き消された。