P.S.21 とある歴史の裏舞台:今ではないあのとき、ここではないあの場で
彼女は、それを「本物の神話」と評する。
遺された記録、伝説、神話。そうしたものを総括した上で、ではない。この世でただ一人、なおも生存している目撃者であるがゆえに。
その真実を知れば、「そんなバカな」と言う者もいるだろう。あるいは、「あり得ない」「信じがたい」、場合によっては「おかしい」などと口さがなく言う者もいるかもしれない。
けれども彼女は、当事者ではない連中のそんな感想にも大いに頷くだろう。
ソラもそう思うです、と。
当事者の語る弁に外野が口をはさむべきではない、というのが彼女の考えではあるが、この件に関しては彼女もまた一人の外野に過ぎない。それでも他の人間より語れるのは、ひとえにそれを実際に目撃したからこそ。
そのうえで彼女はやはり、思うのだ。あれはおかしい、あり得ない、と。
それが世間的にはまったく「普通」に当てはまらないはずの彼女でも、他と同じように抱いた感覚だった。それだけの規格外が、確かにあのときこの地球上に存在したのである。
要するに。
繰り返すが、内容の是非はともかく、それが本物の神話であることは間違いない、と彼女は思っている。
言ってしまえば、並行世界の魔法使いが異世界からの邪神を迎え撃った。そして見事討ち果たした。それに伴い、世界そのものにもその後の歴史にも影響が出た。
それほどの話なのだから。
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その日、神聖ロウ帝国の第11代教皇ウラノスは、神の姿を見た。
ロウにとって最も神聖な色、黒で統一された美しい長髪。それはさながら夜の闇のよう。
同じく黒で統一された衣服は地上のどれよりも黒く、人ではないことを見せつけるかのように左前。
そこから伸びる四肢は幼いがゆえに瑞々しく、一切の穢れを拒むかのようで。
そんな身体を絡めとる羽衣は玉虫色に輝き、どこまでも艶かしく蠱惑的だった。
そしてちらとウラノスを見据えた双眸は、青と赤。エルフのそれと変わらぬ色。宇宙から見た地球のごとく輝く青と、人類の行く先を示す導がごとき燃える赤だった。
神だ。この少女を神と呼ばずして、一体何を神と言うのか。
彼女を見た誰もが、そう確信した。
そしてその場で跪く。祈りの場、会議の場で、中心に現れた神を囲むように。
ただ一人の例外を除いて。
その例外の名は、ニアーラ・ニズゼルファ。帝国に強大な力をもたらし、すべてを手中に収めんとばかりに専横を振るう女だ。
ニアーラは、少女を見て笑った。にたりと。どこまでも深く、深く、底のない暗黒の笑みを。
その笑みを見て、少女が言う。
「見つけたぞ」
と。
ニアーラは対して答える。
「予想以上に早いお着きでやがりますねぇ」
と。
何を抜かすのか。
誰もがそう思った直後、ニアーラの周囲に複数の魔獣が現れる。
が、それらは瞬時に弾け飛ぶ。
直後、少女の身体が翻ってニアーラの首に杖が叩き込まれた。
「逃さぬ。その首、もらうぞ」
「おお、こわいこわい」
衝撃を物ともせず、微動だにすることなく、ニアーラが笑う。嗤う。嘲笑う。
そして――誰もが不審と不信の目を向けるその中で、ニアーラの姿が溶けた。黒く、漆く、暗く、昏い、闇そのものに。
それは一瞬。まさに瞬きのうちの刹那。即座に再構築された人型の何かに顔はなく、しかして確かに嗤っていた。
ウラノスは喫驚するとともに、目を剥いた。彼だけではない。そこにいた、少女以外の全員が同じ反応をした。
無貌の神。あるいは、這い寄る混沌。
この世界にそれを知るものはいないが、しかして異なる世界で、知るものはそれをそう呼ぶ。
彼女もまた。
「うぬの所業もこれまでよ。その端末、刈り取らせてもらう」
「……ふふ、ふふふふふふ、よろしゅうございましょう! ならばあなたがどれほど成長なされやがったのか、この目で確かめさせていただこうじゃあねぇですか!」
問答はそれだけであった。
直後にニアーラだったものはたわみながら膨張し、インペリアルパレスの大聖堂を破壊していく。やがて達した大きさは山と錯覚するほどで、降り注ぐ瓦礫と響き渡る悲鳴の中にあって、ウラノスは夢か現かと己の意識を疑った。
それでも彼が、彼らが次に見たものは。
「来たれ我が半身」
少女が唱え、それに応じて彼女の手元に現れた漆黒の本。宇宙の暗黒を写し取ったかのような黒い装丁の本。そこに描かれるは、母なる星とその補星。
――全史黒書の原典! 始祖たるギーロが神々の世界で学んだ、その大元!
その場にいた誰もがそう信じた。事実は大きく異なるのだが、幸か不幸かそこにはロウ信徒しかおらず、また否定するものもいなかった。
彼らはさらに目撃する。
「久遠の先まで至りて――
果て無き理想を胸に――
我が身は御身と一つになる――
貴殿、母なる大地――
出でまし給え――偉大なる地母神!」
聖句か祝詞か。ともあれその言霊が紡がれた瞬間、世界中のすべてが至上の存在を幻視した。
鳥が、獣が、虫が、魚が、花が、草が、それを讃える。それを敬う。そして謳う。
生命あるもの、ないものに関わらず、地球上に存在するすべてが奏でる旋律に迎えられて、瓦礫の砂煙の中に一筋の光が差し込んできた。
その差し込んだ場所に巨大な何かが大地を割って現れ、少女の身体を包み込む。
「お……おお……おおおおお……!」
「う、うつく、しい……」
「クロニカ様……おお、クロニカ様だ……!」
「神だ……神が降臨なされたのだ……!」
そう。
それは神だ。巨神だった。
蒼く果てない大空を往く、純白の双翼。紺碧の大海原を奔る、艶やかな双肩。生命溢るる大地に根ざす、輝かしい肢体。それらを妖艶に包み込む、金でも銀でもない光沢を放つ機械。
大宇宙から見たこの星そのものである青い瞳に魅入られただけで、対峙する邪神以外の全員が信仰心を揺さぶられ、五体投地さながらに身体を投げ出した。
すべての魂を育む、生命の揺りかご。ときに優しく、ときに厳しいこの母なる地球そのものが今、この場に光臨したのだ。
「参るぞニャルラト。その端末が首、貰い受ける」
「できるものなら!」
かくして、神々の戦いは始まった。
二柱の神は周囲に頓着することなく、凄まじい攻撃の応酬を繰り返す。それはときに身体と身体のぶつかりあいであったり、魔法の撃ち合いであったりしたが、いずれにしても彼女たち以外の存在にとっては天災でしかなかった。
戦いは徐々に激しさを増していき、あちこちに破壊の痕跡が刻まれる。それでも決着がつくことはなく、神々は地球上のあらゆる場所を戦場として転戦し続けた。
それが三日三晩、途切れることなく続いたことをウラノスたちが関知できたのは、ひとえに神々が及ぼす影響が甚大であったからに他ならない。
当時の世界最高峰の技術力を擁する帝国であっても、地球の反対側の事実を即座に知ることは難しかった。にもかかわらず、神々の戦いは魔法的な余波によって確かに誰もが知ることができたのだから、人知を超えた力が断続的に振るわれていたことは明白だ。
だから、その結末も多くの人間が知ることができた。流星を、月光を、氷河を、太陽を操る邪神が斃れる様を。
少女が変じた女神が、美しい桜色の花びらを吹雪となして邪神を穿ち、その暗黒の身体が消滅する様が――夢のような刹那、人々の網膜に焼きついたのである。
帝国は喝采を上げた。ロウが信じる女神が、ロウが奉じる聖典の化身が、災厄を討ち果たしてくださったのだと、お祭り騒ぎとなった。
「ウラノスであったな。この世界を差配する者よ。お主には話せるだけのことを話しておく」
「はっ!」
そんな騒ぎの中、復興のため政務に着手したばかりのウラノスは、やはり突如現れた少女に驚きながらも跪く。
信仰を預ける神に、直接その名で呼ばれたことに喜びを。そしてことの次第を説明されることに優越を感じながら。
「ニアーラ・ニズゼルファ。彼の者はこの世界を弄ぶ邪神の化身、その端末である。人の身に扮して、混乱の種を蒔こうとしていた」
「…………」
「故に処断した。少なくとも向こう万年、世界がこのような害を被ることはないじゃろう」
「…………」
「今後も彼奴が首を突っ込むようであれば、わしもまた現れるが……そうならぬよう最善を尽くす。故にお主もこの世界を慈しみ、母なる大地を次代へ繋げ。方法は問わぬ、お主らの好きにするが良い」
「は……ははぁーっ!」
「ただし、一つ。此度のこと、人の口に戸は立てられぬであろうが、極力秘匿せよ。可能であれば歴史の闇に沈めよ。人の世には人の世の問題があるように、神の世には神の世の問題がある故に」
「……御心のままに」
信じる神の功績を隠せという指示は、ウラノスにとって苦渋であった。しかしその本人が隠せと宣うのであれば、否やはない。こうべを垂れて、それを受け入れる。
「それと……此度はあちらこちらで暴れてすまなんだな。これは詫びじゃ。受け取れ」
「主よ」
そこまでなさらずとも、と言いかけたウラノスは、すぐさま絶句する。
その脳裏に、未知の知識がどこからともなく去来したのだ。その情報の多さに目眩がして、思わず頭を押さえる。
押さえながらも、絶えることなく増えていく知識にウラノスは興奮が抑えきれない。それを現す余裕はなかったが、それでも。この知識があれば、ロウの抱える矛盾を解決できると思えたのだ。
やがて、情報の奔流が止まる。
「……こんなところかのう。お主の脳にかかる負担も考慮してかなりの箇所をぼかしたが……なに、答えをすべて教えられてもそれは面白くなかろう」
「主よ、こ、これは……」
「先にも言うたであろう、多大な破壊を招いた詫びじゃ。どうせ歯抜けじゃし、遠慮せず受け取っておけ」
そう言うと、少女はにこりと笑った。
幼いかんばせから繰り出された屈託のない笑みに、ウラノスは思わず魂を抜かれたかのように茫然とする。
が、すぐさま気を取り直して深く頭を下げた。
「感謝いたします、主よ」
「詫びと言うたであろう、礼はいらぬ」
「はっ、失礼いたしました」
「許す」
その短いやり取りが楽しかったのか、少女は口元に手を当ててくすくすと笑う。
嫌味な雰囲気はなかった。見た目通りの少女を思わせる、無邪気なものであった。
だがそれも一瞬。少女はすぐさま元の威厳ある佇まいに戻り、意志のこもった力強い視線を再度ウラノスに向ける。
「では、わしはそろそろ戻る。ウラノスよ、再度言う。この世界を慈しみ、次代へ繋げ。良いな」
「ははぁー! 我ら、女神クロニカ様の聖名の下に!」
ウラノスの答えを聞き、少女は満足げに頷く。
そして次の瞬間――振動音にも似た奇妙な音と共に、漆黒の鏡面に吸い込まれる形で少女の姿が掻き消えた……。
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「ふー、やれやれ。神の振りというのも疲れるわい」
「お師匠、すごかったです」
「まあまあであったな。まだ精進が足りぬわ」
「でもすごいです」
「……何度も言うたが、わしを崇めるなよ。すべてクロニカなる架空の神格に押し付けてきた故、何かあったらそちらに祈れ」
「わかってるですよ。だからお師匠の名前も教えてもらえないですよね。わかってるです」
「それでよい。さて……邪神退治ついでに種もまいてきた。仕込みは上々、細工もあと少しと言ったところか。婆の後始末にお主を付き合わせるのは多少心苦しいが」
「そこはお互い様です。お師匠はソラを鍛える、ソラはお師匠を手伝う。それで等価交換です」
「うむ。では……次に会うのは数千年後かの。また会おう」
「はいです」
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「……なんてやり取りがあったのは、さすがにお父には言えないですねぇ」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
EX終で少し触れましたが、ちゃんと天照大神との約束を守ってた”神殺し”と、ちゃんともう一度侵攻をしかけてたニャル様のお話でした。というわけでサブタイもそれに合わせて。
魔獣の作出、すなわちマギア因子の生物種への定着は普通の人間では絶対にできない神々の技なので、この世界がこのあと一切新しい魔獣を作れなかったのはそういうことです。
次もたぶん歴史の裏舞台になりそう。
第三の宿命の子たちの裏話になる・・・予定。まだ何もできてないですが。