P.S.18 とある歴史の裏舞台:歴史を呑む獣
彼女はそれを「世界とか正直どうでもよかった」と語る。
遺された記録、伝説、神話。そうしたものを総括した上で、ではない。この世でただ一人、なおも生存している当事者であるがゆえに。
その真実を知れば、「なぜ助けてくれなかった」と言う者もいるだろう。あるいは、「あり得ない」「信じがたい」、場合によっては「おかしい」などと口さがなく言う者もいるかもしれない。
けれども彼女は、当事者ではない連中のそんな感想など一蹴するだろう。
お前たちには関係ないです、と。
人が持つ気持ちは、正負に関係なくその当人のみが持ちうるものである。他人がどうこう言おうが、その人が苦しければそれ以上のものはないし、逆もまた然りだ。
だからこそ、それは彼女にとって徹頭徹尾自分のためになしたことだと断言する。
歴史的には、それこそが破滅への道を回避した最初のきっかけであり、結果的に世界を救う神の見えざる手であったかもしれないが。
それは後世の人間が、そういう伝説があってほしいと願っているにすぎないのだ。
要するに。
繰り返すが、内容の是非はともかく、それはまったくもって世界は正直どうでもよかったけれど必要だったからなしたのだ、と彼女は断言する。
言ってしまえば、女はいずれ彼が生まれてくる世界だけを維持したかった。そしてそうなるよう動いた。ただし見方を変えれば救世の伝説足りえた。
それだけの話なのだから。
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神聖ロウ帝国が生まれ、幾年月。既に国は定まり、世界はこれより更なる荒廃と崩壊に包まれることになる。
これは一つの「流れ」だ。誰もが抗えぬ、猛烈な激流。世界は、歴史がその中に呑み込まれる道を選んだ。あたかも、並行世界の地上をすべて洗い流した神の洪水伝説のように。
その流れを生み出したもの。最先端であらゆるものを呑み込んだ男は今、自身が象徴として建設したインペリアルパレスの地下にいた。ロウの教えと思想、そして伝説がいくつも刻まれた地下大聖堂に。
彼の他は誰もいない。普段ならば出入りが許される枢機卿たちですら今はなく、彼……「第二の宿命の子ノア」だけがそこにいた。
ノアは老いた身体を厭うことなく、跪いてロウの神像に祈りを捧げる。彼の正面、壁と半ば同化する形で刻まれた、黒い女神像に。
と。
静寂のみで満たされた聖堂に、不意に物音が響いた。魔術の音だ。
それを耳にしたノアは、老体ながらも機敏に、油断なく振り向く。
「……何者だね」
そこには、一人の幼子がいた。歳の頃は十に届くかどうかと言ったところか。太陽のような黄金の髪を三つ編みにした、かわいらしい少女だ。
ただし青い輝きをいくつもまとい、中空に浮かんだ状態である。
重力のくびきを離れ、身一つで空を飛ぶ技術はこの時代、まだ実用段階には至っていない。にも関わらず、少女はこともなげにそれを成していた。
宿命の子として、この時代の誰よりも魔術に優れるノアだからこそ、その異常性が理解できる。これは並みの手合いではない、と。
「ノア・アルトリウスですね?」
少女がぶっきらぼうに問う。
その言葉に、ノアはもったいぶった仕草とともに微笑んで見せた。
「さて……だとしたら、どうするね?」
「聞いておかないといけないことがあるです」
だが、少女の返事は即であった。
「ほう……お嬢さんは私に何を聞きたいのかな?」
「お前たちは、この世界をどうしたいですか?」
「どう、とは?」
「途切れ途切れですけど、大体の『流れ』は理解してるです。だから単刀直入に聞くですよ。ロウの最終目的が知りたいです。人理焼却を目指すロウ。お前たちはそれをしてどうするですか? 全史黒書には明確な終わりがあるのに」
視線をそらすことなく、少女が言う。
それを受けて、ノアはなるほどと言いたげに頷き腕を組んだ。
ロウ最大の聖典、全史黒書。全24巻からなる黒い体裁の粘土板群。
そこに記されているのは、神話の時代から未来に至るまでのありとあらゆる歴史であり、年代記とも呼べる高い整合性を誇っている。
ロウはこの内容が、神よりギーロに与えられた予言であり、この世界に与えられた運命だと信じている。世界はこのような歴史を辿るのだ、と。
しかしその記述は、ここよりおよそ4万年後の段階で途切れる。黄金時代と呼べた共和国を思わせる、繁栄の時代に突然にだ。
その解釈を巡っては、ロウの中でも複数の意見があって常に論争の華となっている。既に記録者が遠い歴史の彼方であることを考えれば、その正解を知るのは実際にその時代で生きているものにしかできないことだからだ。
しかし、あえてノア個人の意見を述べるのであれば――。
「私はそこで、世界は滅びると思っているよ。まあ、公式の場で教皇である私が意見を言うわけにはいかないが……立場としては私はそこだ」
俗に終末派と言われる思想。全史黒書の記述が途切れるのは、そこで世界そのものが終わるから、という考え方だ。
これがただの宗教であれば、その思想に問題はない。だが、歴史を全史黒書通りに進めようとするロウが言うとなれば、話は別である。
「なら……その段階で兆候がなかったら、ロウの手で世界を滅ぼすですか?」
「そうなるね」
続いた少女の問いに、ノアは即答する。まるで夕食の話題か何かのように、気軽に。それこそ神がこの世界に刻んだ運命である、と。
「やっぱりですか……よく、わかったです」
それを聞いて、少女は首を振る。
話にならない。その顔には、そう書かれているようであった。
「……それで? 君はそれを聞いて、どうするのかね?」
「もしロウという概念がこれから先何万年も続いて……ずっとずっと、いずれは世界を滅ぼすって思想を持ち続けるなら」
そこで少女は、一度言葉を切った。次いで、ノアを見つめていた視線がぎらりと一層鋭くなる。
「ソラは、ロウを滅ぼさないといけないです」
「ははははは! ロウを、滅ぼす? 大きく出たねお嬢さん。君一人で一体何が出来るというのかね?」
今の世界情勢において、誇大妄想とも言うべき発言にノアは思わず笑う。
だが少女はそれを咎めることも、遮ることもなく、ただ静かに虚空に一つの粘土板を出現させた。
錬成ではない。今ここで創り上げられたものではなく、どこかから呼び出されたもの。それは少数派宗教で魔術の神とされる、神話時代の人物だけが使えたと言われる大魔術だった。
ノアも思わず目を疑う。もしや、とあり得ない想像が……そう、何万年もの時空を一人の人間が超えてくるという、あり得ない想像に冷や汗を覚える。
「これは……今、何を」
「全史黒書、序文」
だが問いとはややずれた回答に、ノアは驚愕とともにさらなる冷や汗をどっとかくことになる。
「……!?」
「教皇になったなら、ロウの中枢にいるなら、見たことはあるですよね? 歴史の果てに葬られた、全史黒書の序文は」
少女の言葉に、ノアは目を剥いた。
もちろん知っている。見たこともある。
長いロウの歴史の中で、全史黒書は一部が失われてしまった……とされながら、実際には失われていないことを。そしてそれが世間……いや、教団内ですらほとんど公にされず秘匿されていることを。
その一部こそ、序文。かつてヴシルオーダーから全史黒書の原典を盗み出したロウの過ち……長く聖典を保持していなかったがために曲解していた教えを、直接ただすもの。
しかしだからこそ、当時のロウ上層部にとってその存在は受け容れられず、歴史の彼方に葬られた。徹底的に歴史の表舞台から隠れていたロウが、さらに徹底して歴史上のどこにも表れないようにされたのだ。
それだけならば、破壊すればよかったではないかと思うものもいるだろう。
だがこの序文だけでなく、全史黒書全般は、不思議な力で保護されていて破壊は不可能なのだ。
いや、全史黒書だけではない。三大聖書と呼ばれる聖典はいずれも強力な魔術によって保護されており、当時のロウには破壊することはできなかった。それどころか、傷一つつけることができなかった。
だからこそ、秘匿され続けてきた。いつの日か破壊することを夢見て。そしてそれは、この地下大聖堂のさらに地下、奥深くに封印してあったはずだ。
なのに今、ここにある。ノアの目の前にある。
教皇に就いたからこそ、彼にはわかってしまった。少女が持ち出したこれが、本物であると。
そして。
だから、ノアは少女の言葉にもしやと思った。思ってしまった。
もし彼の想像が正しいなら、少女は神話から抜け出てきた存在なのではないかと。この少女こそ、彼女なのではないかと。
そう、思ってしまったのだ。だから無意識のうちに、目の前に浮かぶ少女に対して跪いていた。
そんな彼を見下ろしながらも、全史黒書の序文は黙して語らず、ただ魔術によって空中にとどまるだけであった。
……それを通して、始祖は語る。後世に生きる人間に。
「『最初に断っておくことがある。この全史黒書は、決して未来を予言するものではない、ということだ。
技術が発展し、人々が増えれば、様々な問題が起こる。場合によっては、その問題が我々人類に甚大な被害を、あるいはこの地球という天体そのものに多大な影響を与えるかもしれない。
そうなったときに焦っていては手遅れになりかねない。だからこそ、俺はこの文章を書いた。後世の人々が、生き延びるための指針になれば幸いと思ってだ。
もしもを重ねた拙いものだが、今俺が想定できる、あらゆる可能性をここに記した。誰もが不幸にならないよう、未来の人々がこの書を活用してくれることを、俺は切に願う』……」
始祖の記した文章を読み上げ、少女は視線をノアに落とす。次いで一呼吸ついてから、さながら弾劾するかのように言い放った。
「……ロウが世界を滅ぼそうって言うなら、ソラはこれを公表するです」
「……ば、バカな。そんな、そんなこと誰も信じるはずがない……!」
「信じさせる方法なら、もう1万年以上前に用意してあるです。アルブスの歴史を否定するわりに、今でもロウは大事に持ってるんでしょう? 太陽剣アマテラス。あれ、実は色々仕込んであるです」
「な、何をバカ……な……」
思わず顔を上げたノアの表情は、ある種の確信を得たがゆえの、戦慄にも似た驚愕に変わっていた。
「まさか、いや、そんなことが。しかし、先ほどの魔術は、く、空間魔術……だ、だとしたら、やはり君は、い、いや、あなたはッ」
目玉が飛び出るのではないかというほど目を見開いたノアに、少女は答えずにたりとただのっぺりとした表情のまま見下ろすだけだ。
だがその態度は、ノアには否定には思えなかった。
しばらく、沈黙が聖堂内を満たす。だがほどなくして、ノアがうわ言のようにつぶやいた。
「た、確かに……。あなたがこれを公表すれば、ロウの求心力は一気に衰えるだろう……。私を始め一部の熱心な者たちは信じない……あるいは認めないだろうが、それでも……あくまでそれは一部だろう……ロウとて一枚岩ではない……」
「わかってもらえて何よりです」
「し、しかし、《《ソラル様》》! なぜ! なぜ今なのですか!? ロウの教えを否定するならば、もっと早く……そう、ロウが誕生するより前に、それを阻止できたはずでしょうに!
あるいは、なぜ、なぜ私には、ナナシのような宿命を与えて下さらなかったのですか! 彼女のように、あなたが私を導きさえすれば帝国の今はなかったはずなのに!」
ノアは叫んだ。それは、この世の一切を直接救済しない神に対する弾劾に似ていた。
それに対して少女は……神とされることもある、人たる彼女は。
一拍の間を置いて、さらりと答えた。
「ナナシのときは、三大聖書をあげないと人類が滅びるかもしれなかったですから。でも、ノアが生まれたときはそんな雰囲気はなかったですし。共和国は滅びそうだったですけど、それで世界や人類に大きな影響は出ないだろうって思って、ただ見てたですよ」
「な……!?」
「ロウの台頭も、別にどうだってよかったです。これがこの世界の歴史なんだなあって、思うくらいで。
でも、ロウの一部に世界を滅ぼすという思想があったのをこないだ知ったです。そう考える人間が率いてるって。それは、それだけは断じて許せないです」
絶句するノアに、少女の青い視線が突き刺さる。が、それはすぐに、恋する乙女のような陶酔の色に染まる。
「ソラはお父に会いにいくですよ。いつかの未来、この世界にもう一度生まれてくるお父に会いに。だからお父が生まれてこない可能性を作るものは、見過ごすわけにはいかないです」
その言葉に、ノアは生まれて初めて狂信という言葉を理解した。頭ではなく魂で。
同時に、この強固な意思は崩せないと……とてつもない事実を突きつけられたばかりの今の己には、崩せないとも理解した。
故に。
彼はその言葉を否定することなく、むしろ逆に利用する道がないかを思案する。その点に関して言えば、彼は間違いなくロウの首魁であり、200年以上も破滅の洗礼を世に浴びせ続ける聖職者にして、政治を牛耳る為政者であった。
そして、解は出る。
「ならば。ならば……逆に言えば、人類が滅亡さえしなければ、歴史はどうなっても構わないと。そう、解釈してもよろしいか?」
「んん……まあ、訂正するほど間違ってはいないですかね」
この瞬間、ノアは一つのお墨付きを得た。神託にも等しい言質を取ったのである。
「……よく、わかった。今後、宗論は一つに統一させよう。終末派は異端である、と」
「はいです。……ああでも、それは返してもらうですよ」
「……!」
ノアの目の前で、今度は粘土板が消えた。まるで最初からなかったかのように、忽然と。
その精度の高すぎる魔術に、改めて冷や汗を覚えるノア。
「ソラが全力で保護してたですから、壊される心配はしてないですけど……また隠そうとする輩が出てきたら、困るですからね。
それに、ノアが終末派? を締め出したとしても、あとあと覆ることもありえるですし。そのときのために取っておくですよ。いつでも出せるようにして」
「……忠告として、受け取っておこう」
さすがにそこまで思う通りにはならないかと、内心でため息をつくノア。しかし最悪は避けられた。
知っているということは、大きな意味を持つ。探し出して奪還するという、指示が出せるのだから。
「それじゃあソラは失礼するですよ」
「……もう、行ってしまわれるか。もっとたくさん話ができたら嬉しいのだが」
「そうもいかないですよ。こう見えていろいろやることがあるです」
「左様か。では……さようならだ」
「はいです。……繰り返すですけど、世界を、人類を滅ぼさないようにするですよ、ノア」
「お任せを」
自信をにじませ笑って見せたノアに、少女はにこりと笑う。
そして直後――青い光の粒子を閃かせて、その姿がかき消えた。
それを確認すると、ノアは静かに踵を返して女神像を仰ぐ。
「そうか。私は、やはり宿命の子だったのだな。ふ、ふふ、まさかこの歳にして初めて宿命を得ることになるとは思わなかったよ」
そして笑う。高らかに。
「ははははははは!! 『予言を継ぐ者』は世界の存続をお望みだ! だが、その具体的なありようは言及されなかった! ええ、ええ、いいでしょうとも。世界は絶対に存続させて見せましょうとも!」
ただし、と叫ぶ。
「ロウこそ世界のすべてだ! 真実を知った私がロウを否定したとて、それはもはや覆らない! ロウは誰にも止められない! 黒書の改竄は許されない! そんな世界でよければ、未来に残して差し上げよう!」
――彼は真実を知ってもなお、ロウの手からは逃れられなかった。彼にとって、ロウの教えはまさに人生であったために。だからこそ教皇になったのだ。世界を己が手中に収め、意のままに操るために。
しかし、それを哀れとは決して言えないだろう。なぜなら、彼がそれを後悔することは、死ぬまでなかったのだから。
かくして神託を受けたと嘯く「第二の宿命の子ノア」は、翌日ロウ初の公会議を執り行う。後世、アナトリア公会議と題されたこの場において、ロウの宗論は統一されるに至った。
また、太陽剣アマテラスの破壊を指示すると共に、ノアはもう一つ、この公会議で後世まで続く命令を下した。
この世のどこかに、ロウのありようを根本から揺るがす重大な秘密が隠されている、と。
それを回収し、可能ならば破壊せよ、と。
彼によって「ラプラスの箱」と名づけられたその「何か」を、歴代の教皇は破壊を願って探し求め続けることになる――。
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「――って感じだったです」
「お前……」
一連の過去語りを聞き終えて、俺は思わず頭を抱えた。
正直な感想としては、またお前かって感じだ!
「……なんでそこでロウを打倒する方向に持って行かなかったんだ……おかげでこの世界がどんだけ足踏みしたか……」
「だって、ロウの存続どうこうはお父に会えるかどうかにそこまで影響しないと思って……」
「…………」
正気かよこの娘……。いつになるかも、記憶を引き継ぐかもわからない俺の転生に立ち会うだけが目的だったって言い切ったぞ……。
それって同時に、世界の平和やあらゆる名もなき人たちの人生を路傍の石扱いしたも同然だと思うんだが、それは……。
というかだな、この子いくらなんでもこじらせすぎじゃないか!? いやうん、メメの……じゃない、ミミの子供という意味ではすごくらしく、恐らく一番彼女の性格を受け継いでると思うけれども!
ン万年ぶりに女性を怖いと思ったわ! それが娘ってのがまた怖さを倍増している!
なんというか、こう……あれだ。
ヤンデレの娘に死ぬほど愛されて眠れない!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ツクー(ry
まさかこのタイミングでUCの新作が公表されるとは思ってもみませんでしたよ。
あちら側も、まさかこんなところで架空の歴史の一部にされてるとは思ってもいないでしょうが・・・w