遠い国
バールーフは、オランダに住むユダヤ人だった。
彼がまだ若い頃に、戦争が始まり、オランダはナチス率いるドイツ軍に、またたくまに占領されてしまった。
バールーフは、他のユダヤ人達と一緒に連行されて、ブヘンワルト強制収容所に入れられた。収容所では、他の部屋が埋まっていたので、バールーフは、二人しか入れないような狭い部屋に入れられた。
その部屋に入ってみると、既に先客がいて、部屋の隅で、フランス語でつぶやいていた。
「ああ、何てことだ…。まさかこんな時に、こんな所に入れられる羽目になるとは…。こんなことなら、もっと早く仕事を片付けておくべきだった…」
バールーフは、たまたまフランス語が話せたので、彼に話しかけた。
「よう、兄弟、あんたはどこの出身なんだい。フランスかい?それともベルギーかい?」
「兄弟…?ああ、いや違うんだ。私はユダヤ人じゃない。私はただのフランス人だ」
「へえ!そいつは災難だったな。ユダヤ人でもないのに、こんな所に入れられるとはな。そうか、ユダヤ人以外の者も集められてるのか…」
「ああ、全くひどい災難だ。この戦争さえなければ、今頃は…、いや、今さら言っても遅いことか…」
「まあ、そう悲観的になるなよ…。あんたはユダヤ人じゃないんだろ?なら、そのうち出られるかも知れないじゃないか」
「さて、そいつはどうかな…何せ、家族がレジスタンスだったというだけで、私をここまで連れてきたような連中だからな」
「そうか…。ところで、俺はバールーフと言うんだが、あんた、名前は?」
「マスペロ…。アンリ・マスペロだ」
収容所での生活は過酷なもので、毎日の苦しい労働に、食料も医療も衣服も、あらゆるものが不足していた。
病気になる者も多かったが、ろくな治療も受けられないので、だんだん人は死んで減っていったが、そうするとまた、その穴を埋めるように、新たな囚人が運ばれてくる。
これから自分たちはどうなってしまうのか、世の中はどうなってしまうのか、暗憺たる気持ちのバールーフは、ある夜、マスペロに言った。
「マスペロ、何か気が紛れるような話をしてくれよ。あんた、大学教授だったんだろ?何が専門だったんだ?」
「話か、できないこともないが、君に興味があるかどうか…」
「いいから話してくれよ。ここの話でなければ、この際何でもいい」
「そうか…。それなら話すが、君は中国って国を知っているかな?」
「中国?ああ、もちろん。まあ、あまり詳しくは知らないが。確か開封という町には、ユダヤ人のコミュニティーがあるらしいな」
「そうなのか。私はその中国について色々研究していてね…。ところで、中国には、『道教』という宗教があるのだが、私はその道教のことを、研究していたんだ」
「へえ。どんな宗教なんだ?」
「道教というのは、中国の様々な思想信条をまとめたもので、言ってみれば、いわゆる『民族宗教』のようなものだ。インドのヒンドゥー教や、日本の神道に近い。
特に、ヒンドゥー教とは似ているところが多いが、それは両者が共に仏教の影響を受けてきたことによるものだろう。あるいは、両者にはある程度似たような文化的背景があるからだとも考えられるが…。
で、その道教の思想だが、その基本にあるのは『道』という考えで、道教という名前もそこから来ているわけだが…」
と、そこからマスペロは、二時間近く道教について語り続けた。
「…で、道教徒の考えによれば、『小宇宙』である人体は、『大宇宙』の縮図であって、細かい所まで正確に対応している。
例えば、頭は天で、足は地。左右の目は太陽と月だ。頭蓋骨は、天を支えると言われる崑崙山、静脈は河、膀胱は海、髪や毛は星々、歯ぎしりの音は雷鳴…といった具合に。
そして、大宇宙に住む神々は、同時に、小宇宙である人体の中にも住んでいる、とされていた。つまり、人体は、小宇宙であると共に、神々の住まう万神殿でもあるわけだ」
「なるほど。そう考えると少し、カバラ(ユダヤ教神秘主義)に似ているような気もするな。
カバラでも、セフィロト(カバラの構成要素)の集まりは、『原初の人間』の人体として表されることがあるし、その場合には、それぞれのセフィロトが、頭や腕や脚に対応していることになっている。
それに、セフィロトの右の系列は男性原理、左の系列は女性原理ということになっているが、これも、何かと物事を陰と陽に分ける、中国の考え方に似ている気がするな」
「なるほど、カバラか。私はカバラは専門ではないが、確かに似ている気はするな。
とはいえ、大宇宙と小宇宙との対応、という考え方は、広く世界の諸民族の間に見られるものだから、似た思想があること自体は、それほど意外でもない。
だが、私の知る限り、道教徒は、この大宇宙と小宇宙の対応、という考え方において、他の誰よりも極端に走っている。
彼らは、人体には三万六千の神々が宿っていると考えていたが、この三万六千という数は、一年を三百六十日にわける考えと対応している。別の考え方では、人体は二十四の節に分けられるが、これも、一年を二十四の時節に分ける考えと対応している。この場合、夏至は頭のてっぺん、春分と秋分は臍のあたり、冬至は足の先、ということになる。
そして、先ほど述べたように、大宇宙の神々は全て、同時に人体にも宿っていると見なされた。恐らく、最高神である元始天尊は別にしてだが…。
そして、その中でも主な神々は、その姿や名前、呼び名、持ち物などが事細かに定められていて、道教徒はその姿を観想して、彼らが体の外に出ていかないようにしていた。彼らを体内にとどめておくことが、不老不死の実現に必要だとされていたからだ」
「なるほど。不老不死か…」
「そう、先ほどから何度も言っているように、この不老不死ということが、道教徒の主な目的であるわけだ。
…これは、外国人のみならず、当の中国人の間でもそうなのだが、人々は一般に、道教というものは、老子、荘子、列子などといった、いわゆる道家の哲学が堕落してできたもので、本来道家とは別のもので、不老不死の思想なども、後から付け加わったものだと考える傾向がある。
だが、私は、この不老不死ということが、当初から、道教の中心的な思想だったのだと考えている。確かに、老子や荘子などは、天才的で、後世への影響も大きかったが、彼らはやはり、そうした道教グループの内の、一つの派閥だったのだと、私は考えている。これは、資料を詳しく調べてみれば明らかなことだと思うのだが、未だこの考えは、広く受け入れられてはいない。
で、私は、近いうちに、私の考えをまとめて、論文として世に出そうと思っていたのだが、そこへ、このたびの戦争が起こってしまった。そのせいで私は、仕事が未完成のまま、ここに連れてこられたというわけさ」
「そうか…。そうだったな」
バールーフは、急に現実に引き戻されたように思った。この収容所の、劣悪な環境と、明日をも知れぬ我が身。
今まで、遠い国の、珍しい思想を語っていた時は、その事をわずかなりとも、忘れていられたのだが…。
マスペロは言った。
「実を言うと、私の研究が、戦争のために妨げられたのは、これが初めてではないんだ」
「そうなのか?」
「ああ。昔、私は、中国に実際に赴いて、天目山に住んでいる、張天師に会う予定だったんだ」
「張天師?天師っていうと、あの、『道教の教皇』って呼ばれていたという、あの張天師のことか?」
「ああ。その張天師だ。もっとも、天師というのは、実際には、『教皇』と呼べるほどの影響力があるわけではなくて、『巫師』と呼ばれる、一種の呪術師たちに対して、ある程度の権威を持っているだけらしいがね…。
とはいえ、実際に張天師に会えるかも知れない、という話は、私にとっては充分魅力的な話だった。しかし、その頃ちょうど第一次世界大戦が始まったせいで、結局会えずに終わってしまったのだ。もっとも、その頃は、まさかこうして、第二次のそれが起こるとは思わなかったものだが…」
「そうか…」
「まあ、こうして戦争のために研究を妨げられるということは、道教徒たちの身の上にも起こってきたことだ。中国は、たびたび政治的な混乱に見舞われてきたからな。
例えば、四世紀頃の葛洪という人は、山ごもりして不老不死の薬を作ろうとしていたのだが、その頃起こっていた戦争のために阻まれて、目的地に行くことができなかった。それで、もっと近くの、手近な山で我慢しなければならなかったのだ。もっとも、彼自身にとっては、その山ごもりは、有毒な金属による中毒死を招くだけのものだったかも知れないが、彼の残した著作は、今でも、道教の思想を知るための貴重な資料になっている。
彼もまさか、これほど後の世で、こんな遠い国の人間が、自分の著作を研究することになるとは思っていなかっただろうな。
それから、三世紀の詩人であった叔夜もそうだ。彼は、当時の政府の有力者と親戚関係にあったので、その頃起こっていた政治的内紛に巻き込まれないように気を付けていたのだが、結局はそれに巻き込まれて、処刑されることになった。それで彼は、彼の実践していた不老不死の修行を完成させる前に、志半ばで死ぬことになったわけだ。
もっとも、彼自身には、まだ尸解仙になれるという望みがあったかも知れないが」
「なるほど」
「私も、この戦争が起こることが前もって分かっていたら、もっと早く仕事を仕上げていたものを…。私が苦労して集めてきた、膨大な道教の経典やその他の資料、覚え書き、書きかけの論文…、それらはみんな、フランスのあの家に残したままだ。ナチスの連中は、あの資料をどうしてしまったのだろうか?もし、捨てられたり、燃やされたりしていたらと思うと…」
「ま、まあ、そう悲観的になるなよ…。あんたはユダヤ人じゃないんだろ?そのうち、ここから出られるかも知れないじゃないか…」
「そうだといいが…。しかし、たとえ出られたとしても、ナチス政権下では、自由な研究などできないだろう。あの連中は、自分たちのイデオロギーに合わない部分は、削除や修正を求めてくるだろうし、本を書いても発禁処分にされるかもしれない。研究自体も禁じられるかも知れない…。
あのフランス…。今は占領されてしまっているが、あのフランスだったからこそ、私は自由な研究ができていたのだ。
フランスは、今はどうなっているのだろうか?ここでは、情報が入ってこないからな…」
「そうだな…。聞いた話だと、占領後のフランス政府は、ナチスに追従して、ナチスと一緒にユダヤ人狩りをやってるって話だからな。もっとも、ナチスの言うことだから、どこまでが事実で、どこまでが宣伝なのか分からないが」
「そうだな。だが、もし事実だとしたら…。
ああ、あれほどの犠牲を払って手に入れた自由を、そうも簡単に手放してしまえるものか!?
自由というものは、まず学問に対してあるべきものだ。そうは思わないか?というのは、学びたいことを自由に学べなければ、どうして精神の自由があり得るだろうか?そして、精神の自由がなければ、どうして行動の自由があり得るだろうか?そして、そのような自由が何もなければ、私達は、そのような共同体に、何を求めて属するというのか?
なあバールーフ、こんなことを言うと、不人情だと思われるかもしれないが、私は、フランスに残してきた妻子のことを心配しているが、それと同じくらい、あの家に残してきた資料の山、やりかけの仕事のことを心配しているのだ。私はここを生きて出られるかどうかも分からないし、その上、あの資料が燃やされでもしていたら…、全てが失われてしまうのだ!」
「不人情だなんて…。いや、分かるよ。男にとって、自分の仕事ってのは大事なものだからな」
「いや、これは男だとか女だとかの問題ではない。大げさかもしれないが、私は、これは人類全体の問題だと思っている。
いや、何も私の研究自体がそこまでのものだと言うのではない。私は、学問全般のことを言っているんだ。
まあ、考えてみてくれ。もし、私達が今持っている、知識や技術や伝統が、全て失われて、その記憶さえも失われてしまったとしたら、私達はどうなるだろうか?そうなれば、新たな暗黒時代の始まりだ。そして、失われたそれらは、永久に戻ってはこないのだ…。
ルネサンス時代の人々が、あれほど熱心に古典を求め、学んできたのは、決して単なる気紛れではない。教会に、今に至るまで聖伝(伝統)が伝えられてきたのは、偶然ではない。また、君はユダヤ人だから分かるだろうが、ユダヤ人の間で、聖書やタルムードが伝えられてきたのも、偶然ではない。
なぜなら、今の私達の人生は、そうした過去の遺産の上に成り立っているからだ。昔の人々が、少しずつ少しずつ、学び、蓄え、磨きあげてきた、知識や技術や伝統の上に成り立っているからだ。そうではないか?
見習うべき模範としてにせよ、同じ過ちを繰り返さないための反面教師としてにせよ、過去の記憶というものは、失われてはならないものだ。
何かしら古典を研究したことのある人なら、恐らく誰もが思うことだろうが、『あの資料が、今に残っていれば…』とか、『名前だけしか知られていない、この本が、今に伝わっていれば…』とか、『それが伝わっていれば、この謎が解けるのに…』とか、誰しも思ったことがあるだろう。それらは、一度失われてしまえば、二度と戻らないのだから…」
それからも、バールーフとマスペロは、収容所で働きながら、時には中国の思想のことを話したり、ユダヤ人の習俗について話したりして過ごしていたが、劣悪な環境のため、マスペロはそのうち病気になってしまった。
そして、働けなくなったマスペロは看守に連れて行かれた。それが、バールーフがマスペロの姿を見た、最後の時だった。
マスペロがあの収容所で亡くなっていたということを知ったのは、戦争が終わってからのことだった。
バールーフも病気にかかり、幾度か死線をさ迷いはしたものの、彼は生き延びて、終戦を迎え、オランダに帰ったのだった。
戦後になって、ナチスのユダヤ人に対する仕打ちが明らかになっていくにつれ、ユダヤ人に対する同情と、ユダヤ人自身による、自らの国を求める運動は高まりを見せていった。
そして、パレスチナの地に、イスラエルが建国されることになった。世界各地のユダヤ人は、イスラエルに移り住む者もいれば、元の地にとどまる者もいた。
バールーフは、一時はイスラエルに移ろうかと思った時もあった。しかし、オランダに愛着があったことと、せっかくイスラエルができたパレスチナの地で、今度は、イスラエルと、元から住んでいたパレスチナ人との間で、さらには周囲のアラブ諸国との間で、戦争が起こっているのを知って、行くのをやめた。
後になって、バールーフが働いている職場に、パレスチナから移住してきた難民が雇われたことがあった。
彼は、最初はバールーフに対しても普通に接していたが、彼がユダヤ人だと知ると、バールーフに詰めより、イスラエルの建国は正当だと思うか、イスラエルがパレスチナ人を迫害していることをどう思うか、ユダヤ人は、自らも迫害されてきたのに、どうしてパレスチナ人に対してあれほど残忍になれるのか、と問い詰めてきた。
バールーフは、自分はイスラエルに行ったこともないし、戦闘に参加したこともないのだから、自分にそんなことを言われても困る、と言ったが、結局、そのパレスチナ人とは、バールーフが定年退職するまで疎遠なままだった。
マスペロがフランスに残していた資料は、幸いにも失われていなかったらしい。とはいえ、彼が残していた資料は、あまりにも膨大で、雑然とした、資料や草稿や覚え書きの山で、マスペロがそれらをどのようにまとめて、発表しようとしていたのか、また、資料にはなくとも、彼自身の考えをどこかに付け加えたり、修正したりしようとしていたのか…。それは、彼が世を去った今となっては、誰にも分からないことだった。
それでも、残された人々は、さんざん苦労したあげく、マスペロの残した遺稿を元にしてそれをまとめあげ、彼の論文集を、三巻に分けて発行した。
バールーフは、もちろんそれを買って読んでみたが、それを読んで、改めて、彼は本当に学者だったのだな、と思った。そしてまた、この人物が、自らの仕事を完成させる前に死んでしまったことが、改めて惜しまれるのだった。
すでに定年退職したバールーフは、ある年、中国に旅行に出掛けた。
中国もまた、先の大戦で傷付き、さらに、それに続く内乱と政治的混乱が続いていた。そのためバールーフは、いつか、マスペロの話していた中国に行ってみたいと思いながら、今まで果たせずにいたのだった。
バールーフが、泰山のふもとを訪れると、ガイドは、そこにある更地を指していった。
「昔、ここには道観(道教寺院)があったんですよ。しかし、文革(文化大革命)の時に壊されてしまったのです。歴史ある道観だったのに、惜しいことです」
「文革ですか…」
「ええ、文革とは言っても、事実上は内戦のようなものでしたからね。ここだけでなく、文革の時には、中国各地で、歴史ある建築物や文物が数知れず破壊されてしまったものです。…もちろん、毛主席は偉大な指導者でしたが、文革を起こしたのは、彼の経歴には傷でしたね。
もっとも、文革の前の、国共内戦や、日本軍との戦いなどで、傷付いたり、失われたりしたものもあるのですが…」
バールーフは、ふと思い出して、言った。
「張天師はどうなったんですか?彼はまだ、天目山に住んでいるのですか?」
「張天師ですか?張天師は、国共内戦の時に、台湾に亡命しましたよ。ついでに言うと、孔子の子孫も台湾に亡命しましたし、昔の皇帝の宮殿にあった文物の多くも、国民党と一緒に台湾に渡りました。
あまり大きな声では言えませんが、後に起こったことを考えれば、彼らは亡命してよかったと言えるでしょうね」
「そうですか…。そういえば、開封のユダヤ人はどうなったんですか?」
「ユダヤ人ですか?さあ、よくわかりませんね。元々、小さな共同体だったようですし。イスラエルに移住した人もいるんじゃないでしょうか?
いずれにせよ、文革があった後ですから、彼らも、あまり独自性を出さずに、ひっそりと暮らしていると思いますよ。道教の道士たちと同じようにね。道士たちは、今でもいることはいますが、今ではひっそりと、息をひそめて暮らしていますよ」
「そうですか…」
バールーフは思った。
(戦争が、全てを変えてしまったのだな…。ヨーロッパだけではなかった。この極東の地でも、やはりそうなのだ)
バールーフは、山を登り、まだ無事に残っている道観や仏閣などを眺め、また、山の上からの景色を眺めた。そして、嘆息して、言った。
「ああ、マスペロ。あんたにも、この光景を見せたかったなあ。そして、あんたに色々と解説してもらいたかったよ…。
今なら、俺にも、道教徒の願望がわかる気がするよ。あんたは本当に死んだんではなくて、蝉が脱け殻を抜けるように、羽化して、仙人になったんだと、思いたくもなるからな。この世の中の、病や患いや、戦争や混乱などからは抜け出して…」
アンリ・マスペロは、本作中では道教の専門家のように描かれていますが、実際にはベトナム史、ベトナム語、中国史、仏教史など、幅広く手掛けていたようです。とはいえ、特に道教の研究で名高いようなので、こうなりました。