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追憶・高二病院―水族館イルカショー―

 白い色、消毒の匂い、響く靴音、ほどよい冷房の風……病院の廊下を歩いていると、いつも思う。ここは、独特な空間を持っていると。きっと一生好きにはなれないその一角に、春樹は入院している。手土産も何もなく向かうその先にいる彼を思うと、知らずため息が漏れていた。

 教室で意識を失った彼は、その後到着した救急車に乗せられ近くの大学病院へと運ばれた。それから夕方見舞いに訪れるまで、ずっと眠り続けていたという。身体に異常はないそうだ。つまり、本人の意識の問題ということか。物語のような出来事の連続に、まるで長い夢を見ているような感覚になる。けれどもし、これが本当に夢の中ならば……。

「あら、八尋くん」

「どうも」

 知り合いの看護師に声を掛けられ、思考が途切れる。彼女に対して思うことがあるわけではないけれど、病院に対しては少なからず思う節があるため返事は素っ気ない。それを察しているのか、彼女は変わらずにこにこと笑っていた。子供じみたまねをしている。そう自覚すると恥ずかしさと気まずさで、目を合わせられなくなった。靴の先を見るようにして、足早に彼女の横を通りすぎる。病室はすぐそこだ。

 戸嶋春樹と名前の書かれた個室の扉を開ける。とたん目に入ったのは、開けた窓から今まさに飛び降りようとしてる彼の姿だった。脊髄反射で体が動く。とにかく、必死だった。本気で死のうとしている彼をどうにかして室内へ連れ戻そうと、躍起になって引っ張った。何か叫んだかもしれない。いや、互いに怒鳴りあっていただろうが、そんなことさえ記憶にないほどあの時は夢中だったのだ。

 とにもかくにも、春樹を病室に戻した僕は、彼の襟首を掴んで怒鳴り散らしていた。

「君は! バカか! なんであんなことしたんだよ!」

 目の前の怒声に春樹は顔をしかめ、目を伏せると小さく何事かを呟いた。

「あ?」

 喧嘩腰で聞き返せば、怒りに任せた声が返ってくる。人のことは言えないが、耳が痛くなる声量だ。

「なんで助けた! 俺は、死にたかったのに!」

 ぐっと喉の奥から熱いものが込み上げる。普段は簡単に静めることのできるそれを、押さえることもせずに外へ吐き出した。

「死にたかった? ふざけんなよ、バカ‼ 君が死んでどうするってんだ!」

「ふざけんなはこっちのセリフだ! 俺が死ねばよかったんだ。俺が、死ななきゃならなかった、俺は、しななきゃ、いけないのに、おまえがっ!」

 狂った瞳に吐き気がする。どうして彼がこんな風にならなきゃいけなかったんだ。どうして彼がこんなにも苦しまなきゃならないんだ。どうして……。壊れた彼の前で悲しみと怒りが溢れ、また怒鳴り散らす。

「生きられる奴が進んで死のうとするな! お前ら、揃いも揃ってバカなのか⁉ なんでお前らの命は、そんなにも軽い‼」

「お前に、何が分かる!」

「分かりたくもない!」

 涙が溢れて視界を歪ませた。

「そんなにいらないなら、僕にくれよ。二十歳と一秒を、その先も生きられる心臓を、僕にくれよ。……僕は、生き、たい、のに。どうして」

 お前らは死にたがる。

 最後まで言葉にできず、嗚咽に紛れて喉からこぼれていった。春樹は目を見開いてこちらを凝視していた。その瞳に、狂気はもう宿っていない。

「欠損型外子宮児……」

 震えた唇から漏れた聞きなれた単語に、へらりと笑って応える。

「そう、この一か月世間を騒がせている、その一人だ」

 欠損型外子宮児。外子宮児にまれに現れる個体の名称だ。名前が示す通り、身体の一部が欠けて生れた新生児のことである。人工多能性幹細胞の研究が進んだ今日では、欠損部分を補うことは容易にできた。しかしそうして生まれてきた者は皆、二十歳の誕生日に心臓が止まっている。そして欠損児の子どもにも、やはりまれにそれは遺伝した。研究者がそれに気づいた時には、既に外子宮の稼働が安定し世間に受けいられようとしている時だった。“外子宮はやはり、使うべきではない”もとより抗議の声が上がっていたが故に、そう世間に下されるのを恐れた研究者たちはこの事実を隠すことにしたのだ。

 まず、外子宮を使用する者に欠損児の存在は決して話さず、欠損が見つかった場合のみ説明を行った。その際、けっして公にはしないことを約束させることで、欠損部分を補う手術を無償で行う事を提示する。また、今後このような事が起こらないようにと新生児が死ぬまで研究対象とすることを伝えるのだ。欠損型外子宮児に子どもをつくらせない理由も、この事実が世間に広まるのを恐れた対策のひとつである。つまり、欠損型外子宮児は研究者にとってはモルモットでしかなく、マウスと価値観に大差はない。

 今まで世間に知られていなかったことは奇跡的なことであり、不幸なことでもあった。莫大な手術費用の為に口を閉ざし続ける家族は少なくない。そんな中、ついに一人の青年が重い口を開いたのだ。その日十九歳の誕生日を迎えたという彼は、自分に関わる欠損型外子宮児の医師の診断書から録音された医師との会話音声までもをネット上に公開した。動画の閲覧数は爆発的に伸び、ようやく問題は公にされたのだ。

 多くのメディアが彼を取り上げ騒ぎ立てていたのは春樹も知っていただろうが、その一人がまさかすぐ近くにいるとはつゆとも思っていなかったのだろう。彼は唇を震わせ、何度も言葉をつむぐことに失敗していた。

「嘘だ」

 ようやくつむがれた震える声に、怒りが再び腹の底から沸き上がってくる。チリチリと思考が焼けてゆくようだ。

「嘘じゃない」

 押し殺した声に、彼は不器用に笑った。

「こんな時に、ひどい冗談だな」

「冗談でこんなこと、言えるはずない」

「うそ、だ」

 再三の否定。胸ぐらを掴んだままだった両手に力がこもる。声を押し殺し、溢れ出ようとする涙を堪えながらそれでも語をつないだ。

「一生、言うつもりなんかなかったよ。高校卒業して、君の前から消えて、一人で、死ぬつもりだった。誰の、泣き顔も見ずに……たった、独りで」

「……んなの、よけい苦しいじゃねぇか」

 思わず漏れた言葉だったのだろうか。お互い驚いた顔をしてしばらく向かい合っていた。何を拍子に外れたのだろう。箍をなくした涙が、胸の奥から流れでて止まらなくなった。

「そうだよ、苦しいよ、春樹。……死ぬって苦しくて、辛いんだよ」

「だったら!」

 曇った視界でも分かるほど彼も顔を歪めている。泣きそうなわりには、よく通る声が鼓膜を揺らした。

「だったら、俺が最期まで、お前の隣に居てやる」

 心臓が大きく揺さぶられたような錯覚。それほど春樹の言葉は衝撃的だったのだ。

「バカじゃないの。目の前で人が死んで、苦しんで死のうとしてた君が……バカ、じゃないの」

 声を詰まらせながら吐き出した思いに、彼は優しく笑って頷く。その声もまた優しく、いつもの彼のそれだった。

「うん、バカだった。苦しくて辛くて、それから逃げたくて……。自分勝手だった」

 バカ。もう一度呟いてその胸に額を埋めた。

「なら、逃げるなよ。最後の最期まで、僕の隣にいろ」

「あぁ、約束だ」

 もしも、これが本当に夢の中ならば……。数分前に途切れた思考が再びぐるぐると回りだす。もしもこれが生まれる前の僕が見ている、長い長い夢の中ならば、どれだけ良かっただろう。そうすれば春樹が苦しむこともなく、そしてなにより、こんな、甘く残酷な約束をせずにすんだのに。

 途方もなく、ありもしないもしもの話。しかし現実は、吐かれた約束が二人を重い枷で結んでいる。今は分からなくとも、いつかその重さが辛くなるかもしれない。けれどもこれも、形のない未来の話。だから今は祈っておこう。彼の未来が、幸せで溢れるように。彼にはもう、苦しんで欲しくはないのだから。


 ホイッスルの音に従って、イルカが水面から飛び出した。春先の陽光に当たって輝く黒い姿態は、冷たい水しぶきを上げながら再び水中へと飛び込んでゆく。その様は何度見ても感嘆を覚えた。

「すっげーな。頭いいよな、あいつら」

 小学生のような感想に、隣の八尋が耐えかねるように吹き出す。

「凄いと思うけど。なにその感想、小学生並」

「うっせーな、どうせボキャ足んねぇよ」

「てか、僕に付き添ってこれ見るの何回目だよ。春樹も結局水族館大好きじゃん」

「いや、だってすげーし」

「いや、開きなおんなし」

「そういやさ、八尋はなんであいつらが好きなの」

 突然方向が変わった会話に、彼は首を傾げて確かめるようにイルカへ視線を戻した。そして首を傾けたまま、曖昧に話し出す。

「さぁ。なんか、惹き付けられたんだよね。キレイだなぁって」

 そう言って笑う彼の姿が、年齢より遥かに老成して見えて、あぁ彼は居なくなるのかと改めて突き付けられた気がした。

「あのイルカたちってさ」

 陽光にきらめく水面に目を細めながら、八尋は淡々と話す。

「海を知ってるのかな」

「さぁ、どうなんだろうな」

 言われて初めて疑問に思い、返事が曖昧になる。疑問に疑問で返されたことを気にするでもなく、八尋はショーに魅入っていた。相変わらずだな、とその横顔を眺めた。ピッとホイッスルが鳴る。大技がきまったのだろうか、ワァアと歓声が上がった。

「知らないからあんな綺麗なのかなぁ。だったら、僕も知らなければ良かったのかな」

「何を」

「二十才で死ぬこと」

 あっさりとした回答に、思考が麻痺して理解が遅れる。そう言えば、彼はいつから自分の寿命を知っていたのだろうか。あまりにも当たり前にその事実を受け入れている彼に、それが異様なことだとは思いもしていなかった。

「いつから知ってんの、その、自分の寿命」

 おずおずと尋ねた声に、八尋はやはり遠い誰かの噂話をするように語る。

「気づいた時には。意味が分からないままに、二十で死ぬことだけは知ってたよ。父さんと母さんが事あるごとに言ってくれてたから」

「それは……キツイな」

「どうかな。泣きそうな顔で言われるのはキツかったけど、自分が長くないのはなんとなく分かってたから。傷物のように触れられる方が……。ごめん、聞かなかった事にして」

「こっちこそ、悪い」

 言葉を濁らせた彼に、やはり聞くべきではなかったと顔をうつむかせた。八尋が無感情に話すのは、彼らに対する様々な感情を抑えた反動だったのかもしれない。羞恥に顔が火照り、後悔ばかりが残る。本当に今日はうまくいかない。

「だからさ。春樹が普通に接してくれるのが嬉しかったんだ。小さい頃、普通に遊んだりしてくれたの、春樹と二葉だけだったから」

 懐かしむように目を細める八尋に、自分も彼の助けになれていた事を知った。単純な自分の心はそれだけで救われて、沈んだ心はすっかり軽さを取り戻している。嬉しさににやける顔を隠すように、うつむいて口許を片手で覆った。

「あのさ、春樹……」

 その所為で、彼の声の調子が変わった事に気づくことができなかった。

「ん、なに?」

 明るい声音で相づちをうつ。目線は再びイルカへと移っていた。

「今からでも破ってくれていいよ、約束なんて」

「は?」

 かすれた声で突然言われた内容に、顔を上げる。彼は何を言っているのだろうか。さっぱり意味が分からなかった。八尋はこちらの混乱などお構いなしに、イルカショーへと視線を向けながらこわばった声で話続ける。

「春樹にとって、それが邪魔で重しになるなら、全部捨てて。春樹に捨てられるなら、何て言うか、それで、構わないと思ってるから」

 目を合わさずに、ぼそぼそと喋るのは彼が緊張している時である。その姿に、そうかとひとり納得した。彼もまた、この半日を悩み歯がゆさを感じながら過ごしていたのかと。あながち間違ってもいないだろう憶測に、なぜだか可笑しくなる。

「重しでも邪魔でもねーよ」

 自分でも驚くほど優しい声音だった。聞いた方は余計に驚いたのだろう、八尋はゆっくりとこちらを向き大きく二度瞬きをした。

「だから、気にすんな。俺は最期まで、お前の隣にいるから」

「うわぁ……さすがイケメン。僕が女の子だったら今ので落ちてるわ……」

 クスッと二人同時に吹き出し、場所も忘れて笑いだした。何を今さら、二人して気を張っていたのだろう。ずっとそうしてきたはずなのに。春樹は八尋を、八尋は春樹を。お互いを頼って助け合ってずっと過ごしてきたはずなのに。

「何を今さら遠慮してたんだかな」

 カラカラと景気よく笑いながら、八尋が呟く。それが独り言か投げかけか分からず口を閉ざした。彼は途切れた会話に何を言うでもなく、もう一度まっすぐに瞳を合わせた。

「君にとって、僕は、重しじゃないんだね」

「あぁ、だから今こうして隣にいる。この先も、おわりまでずっと。それが、約束だから」

「苦しんでるくせに」

「苦しいよ。苦しくて辛いけど、もう逃げねぇから」

「ほんと、バカだねぇ春樹は」

 泣きそうに笑う彼の姿が、まだ淡い春の日差しに溶けてしまいそうだった。あの日も、彼に何度もバカと言われたな。約束の大きさに隠れてしまっていたそんな些細な記憶を思いだし、胸が詰まる。幼い頃から順に思い出される記憶は、まるで走馬灯のよう。それに彼との残り時間を示す砂時計のようだ。もう一度記憶を積んで、そして……。

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