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追憶・高二校内―水族館お土産売り場―

 生まれてから今日までの毎日を綴った日記があるとしよう。今それは、窓際のデスクに置かれている。少し風の強い日にも関わらず窓は開けっぱなしだ。当然のごとく風は窓から室内へと侵入し、分厚い日記のページを次々とめくってゆく。そして偶然止まったページを読み返してみるのだ。あぁ、こんな事もあったと懐かしみながら。

 再度、風は吹く。残り少なくなってきた日記が止まった場所に、目を細めた。あぁ……あの日か。


 家から一番近い高校。そんな単純な理由で選んだ学校に通い始めて二年目が始まった。そろそろ何かの呪いかと思うほどだが、未だに春樹と同じクラスが続いている。

「さもなくば、誰かの陰謀だな」

「嫌なのか、俺と同じクラスは」

「出来ればキヨと同じクラスが良かたかな」

「そりゃ悪かったよ」

 中学の後半から急に背が伸びだした幼馴染みは、元々の顔の良さも相まって今では立派なイケメンだ。見知らぬ女子から告白されることもしばしばである。しかし、当の本人は渋い顔でその全てを断っているらしい。つまり未だ実年齢と彼女いない歴がイコールで繋がっているということだ。

「好きそうな子とか、付き合ってみたい子とかいないの」

「付き合ったら喰われそうだから嫌だ。それに、ピンとこない」

「春樹って一目惚れ主義者なんだ」

「そ、ロマンチックな運命論者」

「嘘つけ。人嫌いめ」

 春樹は笑って肯定を示した。彼が自分の周りにあることを許す人間は少ない。どういった基準があるのかは分からないが、その枠内にいない者とはあまり多く関わらないようにしているようだ。もちろんあからさまな態度はとらないが、見る人が見ればその一線が分かる。女子生徒に呼び止められる度、軽く眉をしかめるのも、だ。

「俺の何を好きになるんだろうな、あの人たちは」

 ある日の帰りの道すがら、何気ない口調で春樹が訊いてきた。

「え、顔でしょ」

「なら、本気じゃないってことか」

 冗談や軽口かと思ったら、ずいぶんと真面目な声をしている。思ったより彼は悩んでいるようだ。

「それは分からないかな」

「お前から見てどうなの。あいつら本気で俺のこと好きそうに見える? それとも、見た目だけで釣られてるように見える?」

「見ただけじゃ、分かんないよ」

「でも八尋は、本気で柴のことが好きなんだよな。だったら分かりそうだと思ったんだけど」

「違うよ春樹。僕にとって彼女は、恋人じゃなくて唯一だから。好きじゃなくて、愛おしいの」

「……」

「それに、本気の恋はきっと怖いよ」

「なんで」

「きっと盲目になってしまうから。なんの躊躇いもなく、それこそ死を選ぶことすら出来てしまうんだと思うよ。例えば、心中とか殺人とか」

「昨日の刑事ドラマだな」

「あらま、春樹も観てたのか」

 例え話のはずだった。なのに、夏休みも近づいた蒸し暑いその日、同級生が飛び降り自殺をした。二年生の教室が並ぶ校舎四階の窓から空を見上げるようにして落ちたそうだ。……春樹を呼び止め、二言三言話した後の出来事だった。近くに居た他の生徒の証言で彼に非がない事はすぐに分かったけれど、誰が流したのか嫌な噂が学年内に広まっていた。曰く、痴情のもつれでカッとなった春樹が彼女を窓から突き落としたとのこと。

 春樹は、何も言わなかった。弁解も釈明もせずただ黙って、怯えたようにずっとうつむいていた。それでも同級生として、一番近くに居合わせてしまった者として、彼は彼女の葬儀に参列する。指先は震え、唇を青くして 喪主たる両親の前に立つその姿は、一層憐れだった。

「あの。はじめ、まして。戸嶋、春樹です。……この、たびは──」

 小さく途切れながら紡がれた春樹の名に、彼女の母親が勢いよく顔を上げる。大きく揺れた春樹の肩の向こうの表情が、悲しみから憎しみへと変わってゆく様が手に取るように分かった。張り詰めてゆく空気に、息苦しささえ感じる。

「あなたが、戸嶋春樹くん?」

「ぁ……はい」

「じゃあ、あなたが、あなたが私の娘を! リカを突き落としたのね‼」

 だんだんと声を荒らげ春樹に掴みかかろうとする母親を、父親がイスに押さえ付けるように止めた。その顔は疲労の色が濃く、この数日間の苦労が伺える。

「おい、やめないか」

 疲れた声で嗜める夫に、しかし妻は冷静さを失った声で噛みついた。

「うるさい! あの子が何をしたっていうの。たった一人の、私の大事な娘を、あなたが、あなたが奪ったのよ‼」

「ちが、おれは……!」

「何が違うって──」

「やめろ! 噂を鵜呑みにして彼を責めるんじゃない! それも、こんな所で」

 会場がざわめいている。茶番のような、ドラマのようなこの状況を皆遠目に見るだけだ。そして自分自身も、責められ続ける彼の後ろで何も出来ずにいた。

「あ、俺……俺。ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 壊れたように謝りだした春樹に、彼女の母親はいっそ憎悪を募らせた目線を送った。

「謝るくらいなら、あなたが死んでしまえば良かったのよ‼」

「いい加減にしろ‼」

 父親の怒声に、会場にいた全員が口をつぐんだ。衣擦れの音、誰かが鼻をすする音、風の音。そんな本来のこの場に相応しい静けさが会場に満ちてゆく。クラリ、目の前の身体が揺らいだ。慌ててその制服に包まれた細い肩を支え、彼女の両親に頭を下げる。

「すみません。来るべきではありませんでした。僕らもう、帰ります。本当にすみませんでした」

 回らない頭で慣れない言葉の羅列をつむぎ、僕らは足早に会場をあとにした。

 次の日、春樹は学校を休んだ。そして土日を挟んだ月曜日、彼は今教室にいる。登校中は一切口を開かずクマの酷い顔でどこか中空を眺めていた。今もまた、何も置かれていない机をぼんやりと眺めているだけ。

「戸嶋くんおはよう。もう大丈夫なの? ていうか、最悪だったね。戸嶋くん何も悪くないのにさ」

 憔悴した表情の彼に果敢にも声を掛けたのは、以前から彼に好意を抱いている女子生徒。それを見たクラスメイトたちがさざめきのように話し始めた。やめてやれよ。と青春ドラマのように声を荒らげれば良いだろうか。いや、きっと騒ぎを大きくするだけだろう。今は静かに……そう混乱した頭で考えていた僕の耳に、廊下から最悪なセリフが飛び込んできた。

「次はお前が飛び降りるのか、砂山」

 からかうような口調で言われたその言葉に、教室内が静まりかえる。離れたクラスの同級生が空気もなにも考えずに言ったようだ。その場にいた全員の視線を集めた彼は今さら慌てて、助けを求めるように視線をさ迷わせていた。バカな奴。怒りが腹の底を熱くさせる。

 ――ヒュッ。

 静かな室内にその音はよく響いた。

「春……?──はるき!」

 廊下から視線を戻すと、喉を両手で掴み早い呼吸を繰り返す苦しげな幼なじみがいた。目を見開き、唇を青くさせた姿に背筋が凍る。

「はるき、はるきっ!」

 どうしていいかも分からずただ名前を繰り返し叫んだ。涙を浮かべた瞳がこちらをとらえ、空気だけの音で八尋と名が呼ばれた。思わず伸ばした腕にすがり付くように捕まれ、痛みが走る。

「おい、誰か先生呼んでこい!」

「お前、なんてこと言うんだよ!」

「さいてー!」

「おい、戸嶋っ大丈夫か!」

「春樹‼」

 一気に騒がしくなった教室で、彼は意識を手放した。

 

 暑い夏の日だった。どの教室も窓を全開にして風を呼ぶが、入ってくる風すら生ぬるく、うだるような日だったのを覚えている。その時自分が、どこに向かっていたのかは忘れてしまった。けれど、彼女との会話は一言一句、その声の調子さえ鮮明に思い出せる。

「戸嶋くん」

 人は誰かを忘れるとき、まず始めに声を忘れるそうだ。ならばまだ、この日の出来事を遠い日の思い出には出来ていないということだろう。微かにでも手を触れれば、たちまちその日へ舞い戻ってしまう程強烈なあの日。あぁ、どうせ買わないのだから、こんな場所、寄らなければ良かったな。

「ねぇ、戸嶋くん。私と付き合ってよ」

 突然後ろから呼び止めた彼女は、朝の挨拶をするかのようにそう続けた。自分と付き合うことが当然だと言いたげなその表情に、嫌悪を覚える。記憶には無いけれどきっと話すのも今日が初めてだろう。全く話した事の無い初対面同士でも恋人になれることは、幼なじみがすでに証明しているが、彼女とそうはなれないだろうな。

「ごめん」

「付き合ってくれないなら私、この窓から飛び降りてやるんだから」

 柔らかく断ろうとした言葉を遮って、彼女は表情を変えずに言った。冗談だと思ったのだ。そんな簡単に命を捨てる奴なんか居ないと思った。だから。

「付き合うつもりはないけど、だからって飛び降りられても困るかな。それじゃあ、俺が殺したみたいになるでしょ」

 困った笑みでそう言い返した。

「そうだよ。私を生かすも殺すも戸嶋くんしだい。あ、それって素敵」

 可愛らしく両手を合わせた彼女の瞳の奥から、狂気が溢れ出す。視線にも混ざったそれに気圧されていると、彼女は開いた窓へ腰をかけた。

「おいっ何して」

「私、戸嶋くんに殺してもらえるんだ。うん、春樹が、私を、殺してくれる。ね?」

 一語ずつ区切られた言葉の意味がさっぱり分からない。ここまでのパフォーマンスするほど、付き合うとは意味のあることなのだろうか。

「やめろよ」

 苛立ちの混じった声で制止するも、彼女は笑って首を傾げるだけだ。

「じゃあ付き合って?」

「それは──」

「無理ならもういいよ。バイバイ」

「おいっ! ……ウソ、だろ……」

 あまりにも簡単に彼女はその身を投げ出した。そこに躊躇いなど微塵もなく。

 俺は、ただ動けずそこにいた。生徒の悲鳴を遠くに聞きながら、ただひたすらに祈っていたのだ。早く、夢が覚めれば良いのにと。


 昼食を食べ終わった後、八尋の提案ですぐ側にある土産物売り場に入った。常連の彼だが、土産物売り場に入るのは初めてだそうだ。声を掛けられたのは、買う気もないまま店内をぶらついていたそんな時だった。

「あ、やっぱり戸嶋くんだ。覚えてる? ユイだけど、砂山ユイ」

「砂山…………」

 面影の残る彼女は笑顔で、あの日のことを何も覚えていないように何かを話し続けている。こちらの反応などおかまいなしだ。彼女が一方的に話している間に、あの日から数日のことが昨日の事のように思い出される。……息、が、苦し、い……。

「春樹、また過去に飛んでるよ」

 突然視界が塞がれ後ろから八尋の声が聞こえた。眼裏に浮かぶ景色が、彼の声にぶれてゆく。

「深呼吸して、ほら……もう、大丈夫」

「だいじょうぶ……?」

「大丈夫だよ、春樹。大丈夫。……ほら見て、きれーなペンダント」

 晴れた視界の目の前に、細い銀鎖の先に付いたクロスが揺れている。縦と横の合わさった部分には楕円形の青いガラスのようなものが付けられ、その中に一頭、イルカがいた。

「あぁ、そうだな」

 八尋に、よく似合いそうだ。

「ね。よし、じゃあ買ってこようかな」

 来たとき同様に、彼は唐突にこの場を去っていった。残された二人の間にしばし無言が流れる。

「何あれ……」

「砂山さん、だっけ」

 ぽつんと呟いた彼女に声を掛けると、パッと艶やかな笑みを浮かべてこちらを向いた。やはり、こういうタイプは苦手だ。

「悪いけど、あんたとはもう二度と関わりたくないんだ。だからもう、見かけても話しかけないでもらえるかな」

 化粧で綺麗に飾られた顔が(素顔も綺麗だが)、歪められる。口の端は歪に持ち上がり、あの日の彼女を彷彿させた。

「今度は本当に、私が飛び降りるかもしれないよ?」

 羽山リカが飛び降りたのは、砂山ユイがそそのかしたから。当時密かに噂されていたことは、あながち間違ってはいなかったのかもしれない。彼女の言葉を聞いてそんなことを思える程度に、今は過去を切り離せているようだ。ひとつ、ため息をつく。八尋には、どれだけ感謝しても足りないな。

 カラーコンタクトが入った大きな瞳を真正面から見据える。何かを期待しているようなその瞳に、軽蔑の視線を送った。

「生きられる奴が、進んで死のうとするなよ。お前ら、揃いも揃ってバカなのか?」

「なっ――」

 心底呆れたように言えば、彼女は言葉を失うほど怒れたようで、眉をつり上げている。その表情に、ようやく本心からの笑み(嘲笑だ)を向け、ひらりと手を振った。

「じゃあね」

 少し遠のいた過去にも手を振って、八尋の元へと歩いてゆく。記憶は、教室で倒れた数日後の病院での出来事にたどり着いていた。その記憶に、レジに並ぶ八尋に目を細目ながら思う。あぁ、あの日か、と。

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