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追憶・中二遠足―水族館昼食前―

 初めて水族館に行ったのは、中学二年の遠足の時だった。中距離走行用自動運転式大型電気自動車、通称中型タクスに乗って一時間半の道のりで行き着いた先がそこだ。

「やっと着いた」

 タクスから降りた春樹が、両手を空に突きだしうんと背伸びをしている。その手のひらの先に広がるのは、秋らしい青空。この分ならばお昼は予定通り中庭だろう。担任の後に続く生徒の波に流されながら、今日の日程を頭の中で確認した。

「あれ?」

 視界の端にちらりと映った人影に知れず声が漏れていた。

「どうかしたか」

「どうっていうか、あれ」

「あぁ」

 列から少し離れた所に、清良がひとり立ち止まっている。たしか、彼女の班は先頭近くを歩いていたはずだ。どうかしたのだろうか。距離はまだ少しあったが、清良もこちらに気づいたようで小走りにやってきた。

「八尋」

「キヨ、どうかした? 班、先の方だよね」

「うん、すぐ戻る。あのさ、八尋」

 質問をおざなりに流し、彼女はさっそく本題へと入った。今日は長い黒髪をまとめているのでその顔がよく見える。少し緊張した面持ちに心をときめかせながら、言葉の続きを待った。

「お昼中庭で一緒に食べたいなって。いい?」

「うん、いいよ。キヨが僕の事見つけられたらね」

「分かった、ありがとう。じゃあ班に戻るから、またね」

「またお昼に」

 ほっとした顔で背を向けた彼女を目線で追っていると、突然後ろから肩を組まれた。思わず前によろけ、立ち止まる。

「見つけられたらなんて、つれないな」

 意地の悪い顔をした春樹だ。見れば、他の班員も同じような表情でこちらを見ていた。

「僕を見つける為にお昼食べる時間を割くのは他の班員に申し訳ないでしょ」

「お前は探してやんねぇの」

「探さなくても分かるから」

「は?」

 疑問符を浮かべた顔で、春樹は眉をしかめる。こちらも、何かおかしな事を言っただろうかと首をひねって答えた。

「どんな人混みの中でもさ、キヨなら見つけられる気がするんだよね。たぶん、キヨも同じだからあんなあっさり了解したんじゃないのかな」

「ノロケ?」

「なにが?」

「聞き返すな、バカ」

 ため息をついて春樹は歩き出した。相変わらず、年に似合わないため息のつき方だ。そう心に思いながら、八尋はその背を追いかけた。

 水族館の中は薄暗く、青くぼんやりと輝いている。その光景に男子中学生が感動する訳もなく、周りに迷惑をかけない程度に騒ぎながら広い館内を歩いていた。そしてお昼もだいぶ近づいた頃、この水族館で一番人気の水槽の前へとやってきた。

「スゴいな」

 小さな僕らの視線の先で、イルカが三頭水槽の中を悠々と泳いでいる。数十年前までは日本中の水族館で見れたそうだが、ある時を境に数が減り今では大きなところでなければ見られない存在だ。また、そのどれもが水族館産まれの為、野生のイルカを見ることのできるツアーが人気だとこの前テレビで言っていた。

「うん……すごい」

 なぜだか、目が離せない。縛り付けられたかのように僕は彼らに魅入っていた。

「こいつら、外子宮から産まれたんだってさ」

 水槽脇にある説明のプレートを読んでいた班員の声に、肩が跳ね上がる。えっと声も出ていたかもしれない。

 外子宮、この言葉が日本中に浸透したのはもう十数年前のことだ。以前この国が抱えていた問題のひとつ、少子化を食い止めるために開発された人工子宮。試験を繰り返し、全国の病院で運用が決定されると任意で集められた卵子と精子、または皮膚などの他の細胞から作られたそれらでの受精卵の作成、人工子宮への着床が一斉に行われた。そうして産まれてきた新生児を体外子宮児とメディアが報道したことにより、外子宮・外子宮児という言葉が全国に広まった。

「へぇ、じゃあ坂城の仲間ってこと?」

「お前、バカなの?」

 外子宮児が産まれたことによって起こった問題のひとつに、差別がある。国民の三分の一以上が外子宮児になった今でもその差が埋まらないのは、当事者として悲しいことだ。しかし、今の言葉は差別として言われたものではないだろう。優しい幼馴染みが、過敏に反応しているだけだ。

「春樹怒らないでよ。間違ってないんだから」

「間違ってなければ、なに言っても正しいってことじゃねぇだろ」

「だからやめろって。永田もそんな意味で言ったんじゃないんだろ?」

「言ってない! ……坂城、ごめん」

「いいよ。それに、彼らは僕と同じじゃないよ」

「え?」

 同じじゃない。自分で言った言葉に自分で傷つくなんて器用なことをやってしまった。けれど事実は事実。彼らと違って、他の多くの外子宮児と違って、この心臓は出来損ないだ。

 胸の奥がざわざわと波打ち、何かが込み上げてくる。それをぐっと飲み込み、口角をニィっとあげた。

「イルカと人間じゃ、だいぶ違うでしょ?」

「あぁそういう意味……」

「そういうこと。あ、あっちにオットセイいるんだ。ねぇ見に行こうよ」

 僕が、二十才で死ぬという意味を理解したのは昨日のこと。六つ歳上の春樹の兄弟である愛菜と愛斗の二十回目の誕生会で嬉しそうに笑う二人を見たとき、始めて両親の「お前は二十才までしか生きられない」という言葉の意味が分かったのだ。そうか、自分はこんな風に二十才を祝って貰うことは出来ないのだと。だから僕は泣いた。ひとり自分のベッドの上で、眠るまで泣き続けた。悲しくて悲しくて仕方がなかったのだ。二十才と一秒を生きられないことが。無邪気に将来を語れないことが。皆が普通に得られる未来が自分には無いことが。残された時間の短さが……。

 ──自分は、途方もなく歪んだ生き物だ。

 そう、自嘲すれば少しは楽になれる気がした。だから。

「あんな綺麗な生き物と一緒にしたら、可哀想だよ」

 歩きながら振り返った先で、イルカは変わらず悠々と泳いでいた。


 コンビニでお金を下ろし再びタクスに乗って十分ほど、目的地の水族館に到着した。中学の遠足で行ったあの頃から、外観に変化はさほどない。そのせいでか、記憶が刺激され色鮮やかにあの日のことが思い出される。

「それで結局、本当に柴のことすぐに見つけて一緒に昼食べたんだったよな」

「そうそう、お互いすぐ目が会ってさ」

「班員にめちゃくちゃからかわれてた」

「あれは、恥ずかしかったなぁ」

 語る思い出の月日が、瞬く間に過ぎてゆく。それが同時に残された時間を示すようで少なからず心がざわついた。

「そういやあの時、お前泣きそうな顔してたよな」

「え?」

 階段の途中で振り返った八尋は、疑問に眉を寄せている。あの時が、いつなのか分からないのだろう。

「ほら、始めてイルカ見たときだよ」

「あ、あぁ。あの時ね。……気づいてたんだ」

 眉の形はそのままに彼は笑う。その笑みに、またざわついた心は見ないふり。振り返った姿で止まっている彼を追い越し、話を続けた。

 ──今も、泣きそうな顔してるけどな。

 その言葉を呑み込んで。

「あの日は、朝からずっとお前沈んでたし。……だから余計、あいつの言ったことが気にくわなかった」

 八尋は、そっかと囁いて口をつぐむ。しかしまだ何か言いた気で、だから黙ってその先を待つことにした。訪れた沈黙に気まずさはなく、静かに場を満たしている。

「あの日の前の日がさ」

 顔馴染みの受付嬢からチケットを購入し、中へ入るとようやく八尋は口を開いた。

「愛菜さんたちの誕生会だったでしょ?」

 青く薄暗い館内は静かに二人を迎え入れる。その雰囲気に自然と声は小さくなっていた。

「そうだったか」

「そうだよ、二十才の誕生会。その時ようやく、寿命の意味が分かってさ。途端に、凄く悲しくなって……涙腺弱まってたから」

 言い訳じみた語尾を最後に、会話は途切れた。周囲の青はますます濃くなってゆく。通路の両脇には壁に嵌め込まれた小さな水槽が並び、中を覗くとさまざまな姿をしたクラゲが泳いでいた。こうして見ると、半透明なその姿がとても美しいものに見えるから不思議だ。きっと海で出会ってもここまでの感慨は起こらないだろう。

「なんか俺、今日始めてまともに見学してる気がするよ。クラゲってこんなに綺麗な生き物だったんだな」

「楽しいでしょ、水族館」

「常連になりたいとは思わないよ」

 ははっと八尋が笑った。今は、何を思っているのだろうか。青い光に照らされた彼の顔はもう穏やかな表情をしている。その顔を見ていると、八尋がこのまま、この青の世界に溶けてしまいそうな気がした。

「八尋」

「なに」

 薄い茶の瞳を横に動かし、彼は呼び声に応える。けれど言葉が続かない。お前が青に溶けてしまう気がして、などとは言えないと口を開けては閉めを繰り返し、結局なにも見つからず小さく首を振った。

「なに言おうとしたか、忘れた」

 隣の水槽に集中するふりをして、八尋の訝しげな視線を無視しする。うまくいかないな。心が揺れ動き、ふとした瞬間に悲しみに襲われるのだ。

「悲しくて、泣きそうになるでしょ」

「え?」

 突然の投げ掛けに、少し大きな声が出た。慌てて周りを見渡したが、ちょうど近くに人は居なかったようだ。八尋は静かに続ける。

「いつも遠い死を近くに感じると、さ。どうしようもなく悲しくなるんだ」

「……うん。うん、そうだな……」

 言われて始めて、この感情の原因が分かった。すると今まで以上の悲しみが身体の奥底から沸き上がり、涙が視界を曇らせる。ごめん、八尋。声に出さずに謝った。ごめん。俺、今日やっと、お前が死ぬってこと理解したよ。

 人が居ないことを良いことに、俺はしゃがみこんで涙を堪えた。

「なにしてんのさ。邪魔になるよ、春樹」

「あぁ、悪い」

「ほら早く、次に行くよ。時間ないんだから」

 言葉とは裏腹に、口調は軽やかで唇には笑みを刻んでいる。

「八尋」

「なに?」

「死ぬなよ」

 叶わぬ願いを口にした幼馴染みを、彼はなじるでもなく穏やかな瞳で見つめ返した。

「悪い」

 優しい声音でそう言って、やっぱり彼は笑うのだ。そこに、泣きそうに顔を歪めたあの頃の彼はもういない。

 時を刻む針の音が聞こえる。もうすぐ、半日が終わろうとしていた。

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