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約束の前夜

 いい加減にしろ! 静寂に満ちていた狭い部屋に怒鳴り声が響き、壁が振動で小さく揺れている。幾人かは驚いて肩をすくませたが、残りは相変わらず冷めた目線を送り続けるだけだ。その視線に怒りは増幅し、唇が震える。しかしこれ以上怒りをぶつけてもどうしようも無いことも分かっていた。だから、脇に置いた鞄を乱暴に掴み、制止の声を振り切って部屋を飛び出した……。なんて、できれば楽なのかな。

 複数の視線に囲まれた白く清潔な部屋で、僕はそんなつまらない妄想をしていた。ビデオ撮影をすると、突然この部屋に連れてこられ、カメラの前に座らされたのが数分前。だんまりで切り抜けようと考えていたけれど、もうこれ以上この視線には耐えられそうにない。

「話すことなんて、ないんだけどなぁ」

 小さな声で、しかし周りに聞こえるように呟く。反応は零。大人の耳には届かなかったようだ。なんでこんなくだらないことを、そう考えると自然め息が漏れていた。何か喋れば、帰してもらえるのだろうか。

「別に僕はこの運命……って言うと仰々しいな。えぇと、余命には不満はありませんから。僕より短い命で死んでゆく人は多いだろうし、なにより生まれることが出来なかった人だって大勢います」

 だからどうした。白衣の視線が問いかける。

「つまり、こうしたビデオメッセージなんか世の中溢れかえってるし、僕にとっては必要ないんです。遺書めいたこんな動画が残るなんて、吐き気がしますよ」

 最後の台詞を幼馴染に評判の笑みを張り付けて言えば、何人かがたじろいたように視線を交わしあう。それでも終わりそうにないこの撮影会に、とことん嫌気がさした。

「じゃあもう、邪魔しないでくださいね。あなた方がおっしゃっているように、僕には時間がないのですから」

 さようなら。そうぶっきらぼうに挨拶をして、止めようとする手を振り払い部屋を出た。こんなに簡単に出られるのならば、何も話さなければ良かっただろうか。それとも、なんならカメラを壊してくれば良かったかな。帰り道に気付き、少し後悔をする。きっと何度同じ場面になっても、そんなこと出来ないだろうけど。


 天気予報ってなんだっけ。タクスから玄関までの短い距離を走りながらそんな思考に苛まれる。雨は降るけれど小雨だなんて、可愛らしい微笑みと共に告げられた言葉に騙されたようだ。アパートの協同玄関にたどり着く頃には、髪から滴が垂れいっそう服を濡らしていた。

「最悪だ」

 濡れた前髪をかきあげ文句を垂れながら二階へと続く階段を登る。同居をしている幼馴染みはもう寝ている時間だ。もういい年だというのに、十時を過ぎると眠くなる子どものような奴。

「オール、憧れるんだけど。どうにも瞼が重くてね」

 というのが本人談だ。小学生かと、その時つっこんでいる。あははと朗らかに笑う顔は童顔のせいで実年齢より幼く彼を見せていた。

 ガチャガチャと音をたてながら鍵を開け、中に入る。ただいまと誰も聞いていないだろう挨拶をボソボソと溢しながら靴を脱いでいた時だ。

「お帰り。いつもこんな遅かったんだね。それとも、今日だから?」

 聞こえないはずの幼馴染みの声に、肩が跳ね上がる。

「びっくりしたぁ。八尋、まだ起きてたのかよ」

 廊下の先に、部屋着姿の幼馴染が立っていた。壁に寄りかかり気だるげだが、いつもの笑みは顔に張り付いている。

「うん、こんな時間まで起きてたの初めてかな。けど、まぁいいでしょ」

 なんで、とは聞かない。その理由が自分にはなんとなく分かっているからだ。彼は、八尋は薄茶色の瞳にも笑みを浮かべて、じっとこちらを見ていた。穏やかなその瞳に、胸の内に黒い塊がとぐろを巻き始めている。

「春樹」

「なに」

「明日だよ。約束の日」

「……知ってるよ」

 正確にはまだ明後日だけれども、あと数分で日付が変わるのだから問題はない。あるとすれば、それが彼の二十回目の誕生日だということだろう。

「破ってもいいよ。嫌でしょ、友だちの死に様見届けるなんて」

「もしかしたら、生き続けるかもしれないだろ。諦めなければ、可能性はゼロじゃない」

 クスクスクス。彼が笑った。

「変わらないと思うよ、僕の寿命は」

 この幼馴染みは、生まれた瞬間に余命が宣告されていた。二十年後、彼の二十回目の誕生日にその心臓は動きを止めると。

 クスクス、クスクス。びしょ濡れの自分にタオルを差し出しながら彼は笑い続ける。何が可笑しいと睨み付け、タオルは乱暴にを受け取った。

「温かいココアでも飲む?」

「あぁ、飲みたい」

「分かった」

「八尋」

「なに」

「なんで、笑ってられんの」

 彼は、ニィッと口の端を上げただけで、家の奥へと歩いて行ってしまった。もう一度声をかける勇気はない。一歳にも満たない頃からの知り合いだが、何を考えているかさっぱり分からなかった。そしてなぜ彼が死ななければならないのかも。

「意味わかんねえよ、バカ」

 洗濯かごにタオルを投げ入れた。ともすれば崩れおれそうな膝を叱咤し、八尋の待つ部屋へと進む。彼の最期の一日を一秒たりとも無駄にしたくないから。悲しみは、まだ要らない。

 携帯のアラームが十二時を告げる。こうして、一生忘れることの出来ない、八尋との最期の一日が始まった。


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