2話 異世界
俺は本日二度めのパニックに襲われていた。
クリーシアさんの家にあった鏡に映っていたのは銀髪碧眼の少年。
本来なら俺が立っていなければおかしい場所に、そいつは呆然と立っていた。
そいつは俺が《NEW WORLD》で設定した《アノン》の姿にそっくりだった。
◆ ◆ ◆
クリーシアさんの家は角兎に襲われた場所からそう遠くなく、森の中にポツンと建っていた。
ログハウスのような木造建築でそれほど大きくはない。
「少年、あれが私の家だ。それと、初めに言っておくが、私は村人からは《魔女》などと言われて怖れられている」
そう言ったクリーシアさんの横顔はどこか寂しそうだった。
多分、物語にはよくあるダークエルフは嫌われ者みたいな事情があるのだろう。
森の中に家があるのも、おそらく、彼女がダークエルフなのと無関係では無いはずだ。
と言っても、俺にとっての彼女は命の恩人で、ただの美女でしかないのだが。
いや、いくら美女で命の恩人だからと言って信頼し過ぎるのも危険か。
適度な警戒心はあった方がいいな。
「私はダークエルフで魔女だ。それでも私の家に来るのか?」
「もちろん」
何を今更。誘ってきたのはそっちだろ。
と、思わなくもないが、その辺は複雑なのであろう彼女の心境を察してあげることにした。
これも信頼を得る為の第一歩だ。
というか、彼女はやはりダークエルフなんだな。
今までは俺の勝手な推測だったけれど、これで確信に変わった。
そうすると、やっぱり、ここは異世界なのだろうか?
そんなことを考えながら、クリーシアさんの家に迎えられる。
美女の家。そこにはクリーシアさんと俺が二人きり。
ちょっと緊張する。
「適当に座っていてくれ」
リビングだと思われる空間でホッと一息。久しぶりに気が休まった気がする。
そうなると、クリーシアさんの家を観察する余裕が出てきた。
と言っても、クリーシアさんの家は極めて質素だった。作りもそうだが、内装も。よく言えばサッパリしていて機能的。悪く言えば寂しい空間だと言わざるを得ない。
そんな中に一つ、明らかに装飾品だと思われるものがあった。
鏡だ。
綺麗な鏡で、縁なんかは装飾品で飾られている。
質素なこの空間では割と浮いているように見えた。
この場に似つかわしくないその鏡に興味が湧いてきたので、それを見てみることに。
鏡の前で凍り付く。
「これはアノン、なのか?」
鏡に映ったのはアノンだった。
俺がゲームで作り上げたキャラクター。
ポリゴンチックだったアノンとは多少違いもあるが、それは間違いなくアノンだった。
視線が妙に低かった理由。クリーシアさんが俺を子供扱いした理由。それも全て繋がった。
なんてことはない。実際に俺は身長の低い子供になってしまっただけなのだ。
「どうしたんだ、少年?
その鏡は貰いものなのだが、何か気になるのか?」
クリーシアさんが御茶を持ってリビングに現れた。
だが、俺は今、それどころではない。
思考が目まぐるしく回転する。
ダークエルフのクリーシアさん。見たこともない生物。あれはまさか魔物?
そして、クリーシアが使った魔法。
俺の容姿の変化。ゲームのアノンの姿。
そこから成り立つのは一つの仮説。
それも骨董無形でバカみたいな仮説。
だが、俺にはそれが間違っているようには残念ながら思えなかった。
「俺はゲームの世界に来てしまったのか?」
思わずそう呟いた。
俺は《NEW WORLD》をプレイした訳ではないから、この世界がゲームの世界なのか、ただの異世界なのかは分からない。
確かめる方法も無いから、ゲームの世界でも異世界でも違いはない。
「お~い、少年。いったいどうしたんだ?」
ある程度思考が固まってから初めてクリーシアさんに呼ばれているのに気がついた。
いけない、気が動転してしまっていたらしい。
「すみません。何でもないです」
苦しい言い訳だ。あれだけ呆けていて何でも無いわけがない。
「まぁ、いいけどね」
だが、クリーシアさんは深くは追求してこなかった。
ありがたい。
俺はクリーシアさんが用意してくれた椅子に座り、テーブルの向かい側にはクリーシアさんが座る。
御茶を啜る。まだ熱いが疲れた身体にはよく効いた。
「それで、少年はどうするんだい?」
どうするか?
ここが異世界だというのはもはや疑いようがない。俺自身がそれを証明してしまっている。
だが、それならどうすればいいのだろうか?
異世界で一人、生活していけるかと言われれば答えはNOだ。
理由は多々あるが、一番大きい理由はこの身体。
見た目は十歳にしか見えないこの身体では、まず仕事が見つからないだろう。仕事がなければ金が入らない。金がなければ生きていけない。
小説の主人公なんかなら、冒険者にでもなって自由気ままにハーレムなんて作ったりするんだろうが、俺はそこまで逞しくない。
現代っ子のヘタレ具合をなめないで欲しい。
そもそも何で、あの時俺は子供をロールプレイなんてしようと思ったのか。
あの時の自分を殴り飛ばしてやりたい。
嘆いても仕方ないな。
残された俺の生き残る道は目の前のクリーシアさんに頼る道だけだ。
ヒモとなって生きる道だ。
それしかない。
「クリーシアさん、俺をこの家に置いてくれませんか?」
クリーシアさんが黙る。どうやら俺の提案を検討しているようだ。
これで断られたらどうしようか?
次は泣き落としでもしてみるか。
今の俺は子供だ。それもかなり可愛い系のイケメンだ。上目遣いで情に訴えかけたらいける気がする。
我ながら考え方が外道だな。
「私は構わないが、少年は良いのか?
人間はダークエルフを嫌っていたはずだが」
俺の心配はどうやら杞憂だったらしく、あっさりと許可がおりた。クリーシアさん、マジ天使。
しかし、クリーシアさんは随分と自分がダークエルフだということを気にしているようだ。
それだけ、この世界の種族の差というのは大きいに違いない。
だが、生憎とそんなことは俺には全く関係ない。
「俺、クリーシアさんは良い人だと思います。俺を助けてくれたし、それから美人だし」
「私は子供が好きなだけだ。少年がもし、大人の人間だったら私は助けて無かったかもしれないしな」
良かった。子供に設定しておいて本当に良かった。
あの時の俺、グッジョブ。
「子供が好きな人に悪い人はいませんよ」
「ふん。調子の良い奴め」
というわけで、俺とクリーシアさんのドキドキ同棲生活が始まった。
流石にタダで泊まらせてもらうのは気が引けるので、掃除と飯の調理は俺が受け持つことになった。
こう見えて、料理は得意なのだ。
俺との話し合いが一段落したところで、クリーシアさんは少し用事があると言って、家を出て行った。
いくら子供が好きだからと言って、俺を信用し過ぎでは無かろうか?
俺が金目の物を持って逃げたらどうするつもりなのだろう?
まぁ、そんなつもりは微塵も無いのだが。
それよりも、クリーシアさんがいない間に確認したいことがある。
「ステータス」
そう呟くと、脳裏にゲームのステータス画面が現れた。
「やっぱり」
予想通りの展開に思わず溜め息をつく。これで、この世界がゲームの世界だという可能性が高くなった。
因みに俺のステータスは、
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名前:アノン
種族:ヒューマン
性別:♂
職業:《魔物使い》
レベル:1
スキル:【魔物調伏】【使い魔蘇生】【分析】【早熟】
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と、こんな感じだ。
スキルに関しては何となく使い方と効果が分かる。
【魔物調伏】はその名の通り、魔物を調伏し、使い魔という存在にする効果があるようだ。
調伏は俺のレベルが上がるごとに成功確率が高くなるらしい。
次に【使い魔蘇生】だが、これは、死んだ使い魔を生き返らせるスキル。
便利なスキルだが、一日に一度しか使えず、尚且つ、蘇生した魔物はレベルが一つ下がるようだ。
ゲームではよくあるデスペナルティーと似たようなもの。
【分析】は対象のステータスを見ることができるスキル。
単純だが、故に使えると俺は思っている。
最後に【早熟】だが、おそらくこれはテスター限定のボーナススキルだろう。
効果は経験値会得率の十倍化。
まさに狡だ。
と言っても、テスターのゲームプレイ時にはよくあることで、レベル上げに時間をかけないで、ストーリーの評価をして欲しいという企業側の狙いがあって与えられるスキルだ。
今の俺には嬉しい限りである。
さて、ステータスの確認も終わった。
スキルの情報が頭に直接流れ込んできたもんだから脳に疲労感が残っているが、休む訳にもいかない。
考えなければならないことは山ほどあるのだ。
とにかく、まずは使い魔を増やさなければならない。
《魔物使い(モンスターテイマー)》の都合上、使い魔がいなければどうしようも無いのだから。
まずは弱い魔物を使い魔にして、それからそれを育てるしかない。
大好きな育成ゲームと同じだ。違うのは、そこに命と生活が掛かっているということだけ。
「楽勝楽勝!!」
そう思ってないとやってられない。
明日にでも、森に出て、魔物を調伏しよう。できればクリーシアさんにも付いてきて欲しい。が、そうなると俺が《魔物使い》だと言うことはバラさなければならないだろう。
それくらいは仕方ない。
どちらにしろ、明日考えよう。今日はいろいろ有りすぎて疲れた。
少しだけのつもりでテーブルに頭を付けて目を閉じた。
しかし、やはり途方もなく疲れていたのだろう。
俺はそのまま眠ってしまったのだった。