002
「……へぇ。そんなことがあったんだ」
同日放課後。
影のない少女との邂逅から三日、僕は生徒会室に来ていた。僕の通う私立十夜高校の生徒会長、仙崎火名に呼び出されたのだ。仙崎は僕がこの学校において教師以外で会話をする唯一の人間である。といっても友達とか、そういう間柄ではない。以前あることに巻き込まれだけである。
しかしそれ以来この会長様、事あるごとに生徒会役員でもない僕を呼び出し、面倒事を押し付けてくるのだ。
――しかも僕に拒否権はない。
一度、呼ばれたけど無視して帰ろうとしたとき、あろうことかこいつは全校放送で呼び出しを掛けやがった。あの時は本当に恥ずかしい思いをしながら、全速力で校門から生徒会室に駆け込んだものだ。全校放送で呼び出して……、小学生の時以来だった。
「それで? その後どうしたの?」
「いや、どうもしてない。すぐに帰った。彼女、急に何も言わずに走り去っていっちまったからな」
「身の危険を感じたんじゃない?」
「なんでだよ」
「いやだって、人気のない夜の公園で君と遭遇しちゃったわけでしょ。そりゃ子供だって逃げ出すよ。襲われるかも、ってね」
「――おい。人を犯罪者みたいに言うな」
全く心外なことを言われ、反射的に仙崎に食ってかかる。
「ハハハ。冗談、冗談だって、九重君。そんなに怒んないでよ。そもそも夜の公園に子供はいないでしょ」
「僕が怒ったのはそこじゃないんだが」
「あれ? ロリコン扱いがお気に召さないんじゃなかったの?」
「ちっげーーーーよ!! 別に夜に人気のない公園で女性と出会ったからって、そんな性犯罪者まがいなことはしないって言いたいんだ! それに僕はロリコンじゃない、いたって普通だ!」
「――なんだ。ロリコンじゃないのか。つまんないな……」
僕の必死の主張を軽く流し、嘆息する仙崎。
なんで残念そうなんだ。
「ていうか、冗談だって言ったのに必死になっちゃって。……九重君は本当におもしろいよね」
………………。
――お前の冗談は冗談に聞こえないんだよ。
口に出すとまた面倒臭いことになりそうなので心の中でそう独りごちた。
「割と本気だったりしてね」
「心を読まれた!?」
え、こいつエスパーだったの?
「九重君がわかりやすいだけだよ。あと私はエスパーじゃないよ?」
――いや、全然読んでるじゃないか。僕がわかりやすいのは別として声に出してはいないはずだが。
「確かに声には出してないけど、九重君の考えてることは何となく解っちゃうんだよね。私」
「――へ?」
柄にもなく、間抜けな声が出てしまった。
「あー、九重君赤くなってるぅ。かーわいい」
「なってない。あとそのキャラ合ってねえぞ」
…………なってないよな? ばれないように顔を触ってみる。
「あはは。ま、おしゃべりはこの辺にして、仕事仕事っと」
――ばれていた。しかもまたからかわれた。
「……今のは結構本気だったりして」
「? 何か言ったか?」
仙崎が何か呟いていた気がするんだが……
仙崎のいいようにされるのもいい加減なれたものだけれど、やっぱりむかつく。どうすればこの関係を打開できるのか、なんて益体の無いこと考えながら目の前の長机に積まれた大量の書類に目をやる。
――やっぱりこれ僕がする仕事じゃないよなあ。役員の連中は何をやっているんだ、職務怠慢なのだろうか。
溜息を一つ吐いて山のように積まれた書類に一枚一枚ハンコを押していく。
「ところで話は戻るけど、九重君」
「なんだよ」
おしゃべりは終わりじゃなかったのだろうかと思いつつ、手は止めずに返事をする。一度ノッてくると手が止まらないんだよな。
「九重君が会ったっていうその娘、各務原さんじゃない?」
仙崎の言葉に手が止まる。顔を上げて、彼女の方を向く。
「各務原って、うちのクラスの……だよな」
「そう。各務原葵さん。――あれ、あんまり驚いてないね」
「いや、驚いてはいるけど……」
驚嘆よりも納得が先行している、といったところか。
見たことない顔で同じくらいの歳だったから、何となくそんな気はしていた。なるほど、やっぱりあの娘が不登校児の各務原葵か。――ま、事情を知ってしまえば納得だ。あんな状態で学校なんか来れるわけがない。
「見たことない顔って、九重君三年間同じクラスの人にその言い草はないんじゃない? 彼女すごい有名人だよ?」
「だから心を読むなって。――三年間同じ? そうだっけ? ていうかなんでお前がそんなこと知っているんだ?」
「生徒会長だもの、当り前でしょ」
さも当然ことのように話す会長様。
もしかして、全校生徒の顔と名前とクラスを把握してたりして。普通じゃねえ。
「まぁ、把握してるにはしてるけど……。それよりも三年間同じクラスの人の顔と名前さえ覚えていないなんて、そんな事だから九重君には友達ができないんだね」
――ぐさっ。
さらっとひどいことを言う。
人が気にしてることを狙ったかのように突いてきやがって。
「本当は友達欲しいくせに、一匹狼気取っちゃってさ。人恋しがりの孤独屋なんて今時流行らないよ」
――ぐさぐさっ!
酷い、酷過ぎる。傷口に塩を塗るとはこのことだな。今の気持ちは例えるなら、箱に入った人間を剣で刺す手品、アレは実際には刺さってないからその失敗版。全部刺さっちゃうみたいな。そんな感じ。
「確かに九重君にはあの事が――」
「仙崎」
仙崎の言葉を途中で制す。
――僕には誰にも言っていない秘密がある。
仙崎には偶然知られてしまったけれど、人付き合いが苦手というよりもこのことの方が、僕が他人を避ける要因の多くを占めているのは事実だ。
でも今それは関係ない。
「――ごめん。ちょっと調子に乗りすぎちゃったかな……」
黙り込んだ僕が怒っているとでも思ったのか、仙崎が顔を覗き込んできた。
「いや、いいよ。それよりも、仕事、早く終わらせちまおうぜ」
「……怒って、ない?」
「あぁ、怒ってない」
そう答えながら作業を再開する。「……ならいいけど」と仙崎は呟き作業に戻った。
二時間後。
下校時刻を知らせるチャイムと同時に僕たちは作業を終えた。まだ少し残っているが、また明日にでもやればいいだろう。
「お疲れ様、九重君。ありがとう。助かっちゃった」
「別にいいよ。残ったのは明日でいいのか?」
「んー、このくらいの量なら持って帰って家でできるから大丈夫。私は戸締りとかがあるから、九重君は先に帰っていいよ」
「わかった。じゃ、もう呼び出すなよ」
呼び出されるたびに同じことを言っているのだが、一度として守られたことはない。そんな意味のない要望を挨拶代わりに仙崎に告げ、生徒会室を後にしようとする。――扉に手を掛けたところで、後ろから声をかけられる。
「――ねぇ。九重君。もしかしてだけど、各務原さんを助けようとか考えてない?」
言うのを躊躇ったのか、少し間を空けて仙崎が訪ねてきた。
「僕が各務原を? どうしてだ?」
「だって話を聞く限りじゃ、各務原さん――」
「どうだろうな。仙崎がそういうなら、そうかもしれないけど……。いや、十中八九そうなんだけど、何よりもまず僕は他人と関わるのが苦手なんだ。もう関わることはないだろうさ。じゃ、おつかれさん」
仙崎の方を振り返らずに流すように返答した。「嘘つきなんだから」と仙崎が呟いたが、あえて聞こえないふりをした。
そのまま生徒会室を出て、僕は昇降口に向かった。