第9話 前向き思考?
「なぁ,これってフジモモジャーになったんだよな。明日行く? 」
「行くよ。絶対に行く! 」
「い,いや……行かなくていいよ」
「何で遊佐センセーが止めるんだよっ」
止めるわよ。来ないでよ。
なんて言えない。苦笑いして忠告だけする。
「西市民プールって,校区外でしょ。行くなら保護者と一緒に行きましょう」
男の子達は顔をしかめて「面倒くせぇ」といいながらも,宿題そっちのけで親を連れ出す計画を練り始める。
男の子ってのは,何歳になっても戦隊ものに興味があるんだろうか。
山田も好きだから,あんなに一生懸命にやっているんだろうし。
小学生達の勉強を見ながら溜息をつく。
明日いよいよフジモモジャーのデビューだ。
古ぼけた児童館の壁に張られた市民お知らせポスターの一番下に書かれた文字と写真が,私をとことん憂鬱にさせる。なんで写真付きなんだろう。マスクの下の人物を知っているから,妙な感じ。
職場にまで進出しないでほしいなぁ。山田と成瀬さん。
夕焼け色に照らされたポスターを眺め,溜息一つ。
「センセー,何作ってるの」
「うん。照る照る坊主」
宿題をする子供たちを指導しながら,職員室の片隅にあったボロ布を丸めていた。
舞台となる市民プール横の文化会館前の大広場は野外ステージだ。
雨天中止。
「いいなぁ。私も明日プールに行きたかったなぁ」
「結花ちゃんも,フジモモジャーを」
「違う! それは陸人! 」
そりゃ失敬。
真っ赤な顔して否定し,男の子達を指差して「一緒にしないでよっ」と一喝。
あらら。
男の子達は心なしか顔を赤くしてる。
可哀相に。
「陸人が好きなの。前のモモハナジャーから見てるの。結花じゃないからね」
「そうか。陸人くんが見たがってるんだ」
「うん。昨日から駄々こねてる。お母さんお仕事だから無理なのに」
「そりゃ大変だ」
「おばあちゃんにお願いしようかなって」
「それはナイスアイデアです……よし。出来た」
照る照る坊主の首を締め上げ,可愛らしいスカートラインを作り上げた。
備品の油性ペンで顔を描き,窓際に吊るす。
うん。我ながら上出来だ。
「センセー。照る照る坊主……逆さまだよ? 」
「駄目だよぉ。雨降っちゃうよ」
山田の為に,みんなの為に,頑張ったけどね。
あの衣装を着るのだけは抵抗あるのよ。
なれば,こそ。
「これでいいの」
雨天中止。
これしか落としどころがないじゃないの。
「頼むわよ。照る照る坊主」
男の子達が椅子を持ってきて照る照る坊主の向きを変えようと四苦八苦するのを眺めながら,白く愛らしい顔に念を込める。
雨降らせなきゃ,焼いて捨てるわよ。
「焼き捨ててやる……」
「ゆ,遊佐さん? 」
「はい。何か」
雲一つない青空。新しい朝が希望を連れてやって来た。やって来ちゃったよ。
思わず,そんな美しく晴れ渡った空に呪いの言葉をかけていた私。
唐突な言葉に振り返ると,顔を引きつらせた大本くんと顔を赤らめた西脇くんがいた。あ,西脇くん鼻息荒い。珍しいな。
「今,なんとっ。遊佐さんっ。今なんとっ」
「気のせい。何もないから。はいはい。リハやります。真面目にやります」
「よ,よろしくお願いします! だからピンヒールのブーツで決めてくださいっ」
「だからピンヒールは履けません。それ,ヒールの高さ7センチとかない? 側転とかするのに怖すぎるよ」
「そこを是非に! 」
フジエンジェルのブーツ,市販のものに少し手を加えてある。
打ち合わせでヒールが高いものは絶対無理って言ったのに,西脇くんはピンヒールを熱心に薦める。
そりゃ,足のラインは綺麗に決るだろうけどね。アクションシーンで捻挫しそうだ。
手間がかかっただろうに,二つのブーツには同じように藤の造花がワンポイントで小さく縫い付けられている。
「西脇の悪い趣味が出たみたいだな」
「成瀬さん,すみません。こいつ本当馬鹿だから」
清清しい早朝の空気に似合う微笑みを浮かべて,成瀬さんが音響ベースからかけてくる。
天使な西脇くんと,爽やか成瀬さん。ここだけ美形度,めちゃ高いです。
「西脇くん。申し訳ないけど,怪我したら終わりだからさ。ヒールは駄目」
「駄目ですかぁ」
「俺も遊佐ちゃんのピンヒールは捨てがたいけどね。それはアクションがない時に履いてもらおう」
「それはナイスアイデアですっ」
勝手に決めないで下さい……。
ただでさえ,ヒラヒラに超ミニのスカートで恥ずかしいというのに。
軽い眩暈を起こす私の前で,美形な二人は恐ろしい会話を繰り広げる。
変態度,高すぎです。
冗談じゃない。
「じゃあ,衣装の最終チェックしときますからっ。裾上げしときますっ」
「西脇くん,グッジョブ! 」
「これ以上ミニにしないで下さい……」
「西脇,もうやめろ」
引きつった顔のまま,大本くんが西脇くんを引きずっていく。た,助かったよぉ。
何なの,あの二人は。西脇くん,何か性格変わったような気がしたけど……気のせいか? 気のせいなのか?
「はい,フルマスク。かなり視界が狭まるから,リハで被って見たほうがいいよ」
「本当に被るんですね……」
「顔隠さないと恥ずかしくて出来ないと思うけど」
それもそうだ。
最もな指摘に,慌てて髪を結い上げる。
ピンクと薄紫の淡い色を使って曲線中心に形作られているソレ。目の所は黒のプラスチックで視界が若干暗くなる。
これで側転にバック転は怖いかも。
思わずマスクを睨んだ私のうなじに,指の感触。
「成瀬さん? 」
「ここまでやるなんて,正直思わなかった」
唐突な言葉に振り返る。
鳶色の瞳が,微笑んでいた。
「見た目や世間体ばっか気にする子は多いし。プライド高いし,集団と同じことしかしようと思わないし」
「そんな子ばっかりじゃ,ないよ」
「うん。そうだね」
ポニーテールに結い上げた髪。後れ毛で遊ぶように,成瀬さんの指がうなじを触る。
少し節が大きな長い指が触れる。
「聞いていい? 何で,ここまで付き合ってくれたのかな」
それは,私が一番恐れている質問。
気づいた? 私の肩が揺れた。息を呑んだ。視線を,外した。
「俺がいたからって,そう思いたいんだけど……そう思っていい? 」
何で鳶色の瞳はそんなに哀しそうなの?
いつもの自信が,消えているの?
なんで,判るの? 自分でも戸惑ってる気持ちに,何で気づいたの?
初夏の早朝に冷たい風が,私達の間に流れていく。
流れた風は,もう戻ってこない。流れていくだけ。
「山田が,いたから」
首を振った。ポニーテールの先がうなじに触れる成瀬さんの手を払う。
真っ直ぐに鳶色の瞳を見つめた。
心臓の音が体に響く。私の言葉が,成瀬さんの体に響いていくのを感じる。
壊していく。もう,戻れない。
「多分,山田がいたから」
「うん」
「私に出来る事,コレしかないから」
「うん」
私と山田の接点は,フジモモジャーしかないから。
だから,私はここにいる。
雨を降らそうと願っても,フジモモジャーをやめようとは思わなかった。
私が山田に出来る事は,フジエンジェルになるしかないのだから。
「じゃあ,巧にはまだ告白ってないんだ」
「は? 」
「なら,俺はここにいる」
「成瀬さん? 」
何か,かみ合ってた歯車がずれる音が聞こえた。
鳶色の瞳が,満開の夜桜のように微笑んだ。
毒を妖艶に鳶色の瞳に溶かした笑み。
「遊佐ちゃんの横に,いつだっている。だから振られたらここに戻ってきて」
「成瀬さんっ」
この人,何て逞しいんだ。
振られた後の事まで考えられないのに,そんなフォローされて私はどうすべきなんだ。
「行っておいで。待ってるから」
手馴れた仕草で,マスクを被せられた。
息苦しいのは,きっとマスクのせいだけじゃない。
顔が暑いのも,マスクのせいじゃない。
「返事,待ってるから」
恐ろしい言葉とともに,慣れた手つきでロックの音がマスク内に響く。
「シーン3から始めるよー! ここでフジエンジェル,登場しまーす。中田さーん,音お願いねー」
拡声器を使った須藤さんの声に反応して,やけにドスドスの低音と可愛らしいメロディーが流れ出す。
フジエンジェルのテーマ曲だそうで。
逃げられない。
サンダルを脱ぎ,大本くん達が持ってきたブーツを履いて軽くジャンプする。
やっぱりローヒールじゃなきゃ,動けなかった。
肘まである手袋をして本番の感触を確かめるべく,いざ。
私の本心をぶつける為に,いざ。
マスクごしに見る成瀬さんが,微笑んで手を振る。
この人当たりのよさそうな笑顔が曲者だ。
本当は強引で,策略家で,変態なのに。
「遊佐さーん! 軽くね,軽くこなしてね! 」
「軽くこなして本番失敗したらどーすんのよっ」
こうなりゃ,やるわよ。やってやるわよ。
山田に言ってやるわよ。
「行くよーっ」
雨晒しで風格すら漂う据付のベンチにサンダルを置き,コンクリートの地面を蹴りあげる。
客席後方から全速力。
山田とがいる露天ステージ目指して,ベンチが並ぶ客席中央の通路を走り抜ける。
「安全確認! 」
前方席なってから,スタッフが客席からの飛び込みを防ぐために両サイドに待機。
そこで一気に側転,バック転!
視界が回る。世界が回る。
そこは,私の新しい場所。
次回 23日の水曜日に更新予定です。




