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 第8話 トラボルタ?

 「何で逆立ちしてるの」

 「倒,立,です」


 逆さの山田が,不思議そうに首を傾げた。

 心臓が耳元でバクバクと脈打ち始める。限界が近いかも。

 おかしいなぁ。学生の時は一時間ぐらい平気だったのに。


 「準備体操? 」

 「みたいな,感じ,かなっ」

 

 壁を軽く蹴って,床に戻る。

 体中の血流が,正常に戻ったのを喜びだす感覚。流れ落ちていく血を感じながら,タオルを取り出す。

 他のメンバーは柔軟体操もそこそこに,本番用らしき漫才の練習も始めている。

 何でやねん。ちゃうわ。何でやねん。

 午前中の音入れ作業も大変だったけど,午後も丸ごと使っての『殺陣』シーンの製作だ。

 音入れで叫んだのも恥ずかしかったけど,今回はふざけてられないな。

 ここで効果音を入れるタイミングもチェックするらしい。

 成瀬さんはヘッドホンをして金髪の音響担当の人とずっと頭をつき合わせている。

 そういえば,飲み会の時のメンバーが殆んど来ている。そして,互いの動きをじゃれあうように決めていく。

 メモをとり,カメラを回して動きを確認している。本当に,みんな本気だ。

 こんな中で久々に本格的に体操するのが怖くなる。

 隣接した市民体育館に広げたマットの白さが懐かしくも,恐れを感じる。

 高校の時以来のマットのニオイに,少し興奮しているのかもしれない。

 

 「やばい。学生の時より体が動かない感じする」

 「本格的なのはやらないよ。アマがプロ並に魅せるのは難しすぎるから,出来る事を丁寧に楽しみながらするのがモットーなんだ」


 おぉ。まともな事言うじゃない。

 思わず山田の顔を見ると,直ぐに視線を反らして呟いた。

 

 「ただ怪我しても労災でないから,気をつけて」


 本当に労災,出ないの……? ショックだ。

 リスクを負った時のフォローもないのかい。

 これは本腰を入れて準備体操せねば。

 冷たい体育館の床に座り,ゆっくりと開脚。

 体重のかけかた,力の入れ具合。その感覚を思い出させるように,ゆっくりと体の奥と会話していく。


 「何してるの」

 「柔軟体操。これやらないと,ね」

 

 横で突っ立ている山田は『なるほど』と頷く。

 

 「やっぱり真面目だ」

 「……何よ」

 「浩介に少し聞いた」

 「……あぁ,成瀬さんにね」


 先週の結花ちゃんの件だろう。

 そういえば,あの後はお礼もそこそこに帰宅してしまった。

 子供達は柴田先生と山田が見てくれて,無事全員帰宅した後だったし。私も何だか疲れきっていて,最低限な言葉しか言えなかった。

 悪い事を,してしまった。

 

 「あれから,どう? あの女の子は落ち着いた? 」

 「うん。アレ以来父親は来てないし。とりあえず表面は落ち着いて生活してる」

 「そうか」

 

 見上げる山田の口元が,ほんのりと緩む。

 穏やかに。


 「よかった」

 「うん。ただ,弟くんがね」

 「保育園にいる弟? 」

 「そう,弟くん」


 少し勢いをつけて,体を前に倒していく。

 少しずつ。少しずつ。


 「離婚の意味が判ってないらしくてね。父親に逢いたいみたいで,今回みたいな事が,あったら,自分から父親側に,行っちゃうかもしれない,って小池先生が。小池先生憶えてる? 飲み会で」

 「あぁ」

 「弟くんとこの保育園にいるんだけどっ,なんだか最近,落ちこんで,いるみたい,で……何? 」

 「いや,その姉弟は幸せだなぁって」


 穏やかな笑みを浮かべて,私を見下ろした山田が微笑みかける。

 少しくたびれたジャージの彼が眩しい。

 

 「遊佐さんに,そこまで気をつけてもらってさ」

 「何がよ。私,何も出来なかったじゃないの」

 「何も出来なかったかもしれない。出来ないかもしれない。でもさ,こうやって連携出来てるじゃないか」

  

 思わず柔軟を止めた私の背を,軽く叩いた。

 冷たく,骨ばった大きな手の感触が背中に染みていく。

 

 「仕事じゃないのに,そうやって一生懸命に連絡取り合ってるんだからさ。やれるだけやってみなよ。後悔はしたくないんだろ」

 「……うん」

 「俺に出来る事なら,何でもやるからさ」

 「うん」


 市役所の山田と,児童館の私に,仕事での接点はない。

 出来る事なんざ,ない。

 でも,その言葉から伝わる気持ちが嬉しくて,嬉しくて。

 少し目が潤んだまま,微笑み返す。


 「うん……私も,頑張るよ。出来る事,やってみるよ」

 「じゃあ,さっそくポーズを決めようか。少し考えてきたんだ。やっぱり女の子が真似したくなる動きがいいかなぁって思うんだけど」


 体育館に響く声。声。声。

 なんでやねん。ちゃうわ。なんでやねん。

 唐突に,山田が壁に置いたスポーツバッグを抱えて戻ってくる。

 そして,タオルやペットボトルの間から見慣れた青いファイルを取り出した。

 手馴れた仕草でページを流し,数枚の紙を冷たい体育館の床に並べだす。そこに書かれた丸と棒の人型は,ありえない奇妙奇天烈な形で描かれている。


 「フジエンジェルだから,こう花を現す手の動きとか。大きく腕を回して羽をイメージさせたりとか。遊佐さんはどう思う? 」

 「どう,どう思うって……っ」


 あぁ,もう。

 私って馬鹿だ。阿呆だ。学習能力ゼロだ。

 山田の頭の中にはフジモモレンジャーしかないのに!!!

 優しさとか,思いやりとか,励ましとか,愛情とか,心配りとか,そういう温かなものを感じてしまった私は阿呆だった!!!


 「山田の馬鹿ーー!! 」

 「はぁ?! 」


 本当に,こいつ馬鹿だ。一直線で,堅物で,一生懸命で,誰に対しても変わらなくって,同じだけ情を注いで。

 多分,一緒なんだ。

 フジモモジャーに賭ける情熱も,人にかける情愛も,仕事にかけるひたむきさも,山田は全て一緒なんだ。

 何事にも手を抜かず,相手にぶつかる。どんな色眼鏡も使わず,真正面から相手を見据える。

 だから,だから私は山田に嫉妬をしてる。

 もっと私を見て。もっと私をかまって。もっと私に触って。もっと一緒にいて。

 私は山田が欲しいんだ。そのひたむきさを,全て欲しいんだ。

 ようやく気づいた。私,やっと自分の気持ちに気づいた。気づいちゃったんだ。


 「巧,何やってるんだよっ」

 「何って,柔軟体操手伝ってたんだけど。で,フジエンジェルのポーズを決めようって……」


 首にヘッドホンをかけたまま,成瀬さんが駆けて来る。

 眉を吊り上げ山田を睨む成瀬さんの顔を見て,確認する。

 私が好きなのは,成瀬さんじゃない。


 「遊佐ちゃん,どうしたの。大丈夫? 山田,また何か変な事したんだろ」

 「してないっ。勝手に決め付けるなよっ」

 

 私は,山田が好きだ。

 不器用で,どうしようもないオタクだけど。

 山田が好き。


 「何もしてないの。山田は,何もしてない。私の勘違いだから,ね? 」

 「本当? 本当に? 」


 優しい成瀬さん。

 細やかに気を使えて,気の利いた,かっこいい成瀬さん。

 でも,それだけだ。

 私が本当に欲しいのは,いてほしいのは,横にいて欲しい人は,成瀬さんじゃない。

 肩に置かれた成瀬さんの温かな手をどかして,微笑む。


 「ごめんね」

 

 心配ばかり,かけさせてゴメンね。

 好きって気持ちをもらったのに,ゴメンね。

 

 「成瀬さん,ごめんね」

 「遊佐ちゃん……」

 「山田も,ごめん。うん,ポーズを決めるのね。こう? 」


 山田の手の中から紙を抜き取り,腕を回す。

 何でも,やろう。

 傍にいられるのなら,何でもやろう。

 

 「お! フジエンジェルのポーズ決めるのか? 」

 「決め文句は何にしたんだ? 」

 「こう,女王様っぽいのがいいですねぇ」

 

 口々に勝手な事を言いながら,みんなが集まってくる。

 少し,心配げで,少し安心した顔をして。

 心配かけてゴメンね。いつも嫌だと駄々を言っててゴメンね。

 私,やってみるよ。

 みんなと,山田とやってみるよ。


 「腕は交差して上で決めて」

 「足はどうする? 」

 「モデル立ちでしょ,やっぱ」

 「決めて! ここはかっこよく! 」


 みんなが口々にいう動作をまとめたら,どうしてこうなるんだろう。

 苦笑いをしながら,大きく腕を交差してモデル立ちをして,左手を腰にあてて右手で天を指す。

 

 「フジエンジェル,参上! 」


 サタデー・ナイト・フィーバーのジョン・トラボルタじゃないか。

 何でこうなるかなぁ。

 


 

 

 

 

 

 

 


 


 

 個人的には,トラボルタよりperfumeのチョコレイト・ディスコがいいな(笑)。

 

 次回,16日の水曜日に更新予定です。

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