第6話 ネズミの従者達?
いつの間にか,空には三日月。
夕暮れに追い立てるように,子供達が家路へ急いでいく。
「宿題やんなきゃ」
「やべぇ。用事があるから早く帰れって言われてた」
「塾いかなきゃ」
口々に予定を思い出して,叫んで,走り去る。
ヘルメットを斜めに被って,自転車を漕ぎ出す。
キックボードで疾走していく。
夕方の児童館は,慌しい。
遊びに来て,五時のチャイムと同時に帰って行く子供達。
反面,保護者の迎えがあるまで残る子供達。
両方が入り乱れての大移動。
監督者の私も目が回る。
「遊佐せんせーい! おやつー」
「食べたでしょ。ここはねぇ,計算間違いしてるの。みなおしてごらん」
「腹減ったよー」
「駄目だよ。今食べたら晩御飯食べれなくなるよ。何? 音読の宿題? それはお家の人に聞いてもらってね」
「遊佐せんせーい」
「はいはい」
宿題を始めた女の子達の机に寄り添っていた私に,男の子達が飛び込んでくる。
砂埃だらけの服で床を白く汚し,爪の間まで泥だらけの手でTシャツを掴んでくる。
「はーらーへったー! 」
「尚吾くん,今日の給食はサバのホイル焼きだったでしょう? 」
「すげ! 何でわかんの?! 」
だって,左手がサバ臭いもん。
恐らく,箸では上手く身を解せずに手を使ったのだろう。名探偵コナン並の推理力を駆使した私は,左手が魚臭いとは言わずに優しくTシャツにを掴む手を解く。
「ってことは,おかわりしたしょ。おなか一杯食べてきたんでしょ? 」
「うん! 休んだ子の分まで食べたよ。最高新記録の三つ! 」
「尚吾すげぇよ! ホイル焼き三つに牛乳二本飲んだんだよ! 」
誇らしげに新記録を報告してくる尚吾くん達を前に,私は必死に痙攣する頬を手で隠す。
周りの友人達に記録を称えられて,誇らしげに甘えてくる尚吾君を冷たくあしらえない。
けど,宿題の最中に妨害された女の子集団の気持ちも判る。
まったく……ホイル焼き3つに牛乳二本のおかわりをして,おやつも食べて,何で腹減ったと来るのだろう。
成長期の男の子って恐ろしい。
「とにかく,おやつのおかわりはありません。あなた達,宿題しなきゃ。漢字はそろそろテストじゃないの? 」
「明日,小テストあるよー」
「うわっ! ばらすなよ! 」
男の子と女の子の罵りあいが始まる。
男と女ってのは,何か対立する運命なんだろうか。
騒然となる遊戯室で,私は壁に掛けられた時計を見上げる。
五時半。
終業まで,もう一踏ん張りしなきゃ。さて,どうやってケンカを仲裁しようか。
腕を組んで子供達のケンカを何気なく眺めていたら,そこに有り得ない人を確認する。
「げっ……山田じゃん」
「あ! 遊佐せんせいのカレシだぁ! 」
「彼氏じゃない! 」
「彼氏だ彼氏だ」
「違う! 市役所の人なのっ」
「二股? 」
「違うーーっ」
遊戯室が声にならないドヨメキで埋められる。
どうして,こういう事には敏感なんだろう。
色恋に素直な反応をする子供達にため息をついて,窓に近づく。
「いやぁ。仕事してる遊佐ちゃんが見たくてさ」
「何の用よ」
「だって山田は遊佐ちゃんの職場に行ったのに,俺だけ見れないなんて納得出来ないよ。ね,ここ開けて」
「用がある方は職員室へっ」
ネクタイしたいい年の男二人組が,滑り台やブランコの遊具を背景に窓ガラスを叩いている光景。
この二人は仕事してるのだろうか。なんで職員室から来ないんだ。
ガラスを挟んで開けろと身振りで要求する二人に,断固として開けまいと私も身振りで答える。
「御用の方は職員室っ」
「あらら。何の騒ぎかと思ったら,巧くんに浩介くんじゃないの」
おっとりとした口調に振り返ると,柴田先生が遊戯室へ入ってきた。
丸みある体をピンクのエプロンで包み,穏やかな笑みを浮かべてやってくる。
対照的に,元気だったガラス向こうの男二人は硬直していた。
「市役所は暇なのかしら。珍しいわねぇ」
「お,お久しぶりです……」
「お元気そうで何よりです……」
「まだ児童館は忙しい時間なのよ。どうしたの? 」
「いえ,その,遊佐さんに用件がありまして」
「じゃあ,職員室へまず来てちょうだいな」
いつもの口調で,いつもの仕草で,おっとりと語りかける柴田先生。
だが,山田と成瀬さんは明らかに様子が変だ。
「遊佐先生。ここは私が見とくから遠慮しないで。巧くんも浩介くんも,悪戯しちゃ駄目よ」
20代の男二人に「悪戯しちゃ駄目よ」って言葉は,どういう意味でしょうか。
そんなツッコミを脳内でして,軽く眩暈がする。
どういう知り合いなんだろう。
「い,いえ……ほら,おばさんも忙しいでしょ? ほら,業者さん待ってるし」
「誰もこないわよ。もう5時回ってるんだから」
「でも,正面玄関の所に白いバンが停まってますよ? 」
山田と成瀬さんのダブルプレーに,柴田先生と私は慌ててテラスに出る。
そして,好奇心の塊である子供達も,ジリジリと足元から隙間を使って偵察にやってくる。
「あら,誰かしらねぇ。そういえば,ガスの点検は? ほら,給湯の調子が悪いから見てもらう予定だったわよね」
「今週末だったはずです。……柴田先生。あのバン,怪しいくないですか? 業者さんなら,車体に会社名が書いてありますよ」
「それもそうねぇ」
「保護者のとかじゃね? 」
「だったら,憶えてるわよ。大体,あんな業務用の車で送り迎えする親御さんはいないもん」
そう首を傾げた時だった。
私のピンクエプロンが僅かに引っぱられ,後を振り返る。
「結花ちゃん? 」
細い指先を真っ白にして,エプロンの端を握り締めていた。
大きな目を見開き,呆然と固まっていた。
「結花ちゃん! 」
そのただならぬ様子に,思わず大きな声が出てしまった。
エプロンを握り締める細い手を上から握り締めると,ようやく顔を上げて呟いた。
「あれ,お父さんの車だよ……お母さんと離婚して,もう会わない約束したのに……何でいるの? 先生,何でお父さんがココに来るの? 」
脳裏に,結花ちゃんの家庭調査票が蘇る。
そうだ。
結花ちゃんの家は母子家庭だった。
思わず,震える肩を抱き寄せた。
「巧くん。ちょっと追い払ってらっしゃいな」
「え……俺? 」
まるでゴキブリ退治をお願いするように言うと,柴田先生は恵比寿様のような笑顔をみせた。
「大丈夫よ,このお兄ちゃん達がいるもの。一応,お母さんに連絡しましょうかね。お母さんの携帯番号判る? 」
「ほら。山田,さっさと追い払ってよ」
「俺だけかよっ。1人で行くのか? 」
「さっさとする! 」
山田をテラスから叩き出し,ざわめく子供達に微笑みながら成瀬さんの手をひっぱる。
「車で来たんでしょ? 裏口に回して」
「デートのお誘いなのかな」
「馬鹿。柴田先生。念のために,結花ちゃんを弟さんの保育園へ送って行きましょう。そこでお母さんに引き取ってもらったらどうでしょう」
「そうね。……そうかも。その方が安心よね」
ここで追い払われた父親が,弟がいる保育園に行くかもしれない。
保育園なら,沢山いる保護者に紛れやすい。事情をあまり知らない保育士が弟さんを引き渡すかも知れない。
結花ちゃんの前,隠した意味を素早く察した柴田先生が頷いて決断を下す。
「結花ちゃん。荷物まとめてらっしゃい。あとの連絡はしておくから,遊佐先生は保育園に事情を説明してくれるかしら」
「はい。でも,児童館は」
「巧くんに手伝ってもらうわよ。暇そうだし,大丈夫でしょ」
山田の予定は勝手に決められ,慌しく裏口から外へでる。
「センセ……」
風に乗って聴こえた微かな怒鳴り声に,繋いだ細い手を握り締める。
「駅に近い大葉保育園だよね? ちょっとしたドライブね」
「お嬢様方。カボチャの馬車で申し訳ないのですが,お乗り頂けますか」
成瀬の気の利いた言葉に,ようやく結花ちゃんはクスリと笑みを浮かべた。
「ねずみの従者にしては,イケメンさんだね。ね? 遊佐センセ」
児童館で学童保育が出てきますが,あまり詳しくないまま描いています。
そのせいで色々と現実と違うところが出てきると思いますが,温かい目で見てくだされば…(汗)。 修正受付中ですっ。
次回 2月2日 水曜日に更新予定です。




