第5話 これはドキドキ?
夜風がひんやり心地よくって歌ちゃうよ。
「遊佐ちゃんって,笑い上戸だったんだね」
「しかも,あれほどの酒豪だったとは思わなかったな。須藤より飲んでたよな」
「なによぉ。いいじゃ~ん。皆で楽しく飲んだんだも~ん。ショーのアイディアだって出来たんだも~ん。無問題~いじゃ~ん」
「どこが無問題だよ」
「可愛い酔っ払いだねぇ」
「可愛い酔っ払い違ぅてっ。私はぁ,酔っ払いなのぉ! 」
うけけけけ。
妖怪じみた笑い声を上げる私を,成瀬さんがオンブしてる。
ごめんねぇ。重いよねぇ。
その横を,私の自転車を押して歩く山田。
ありがとうねぇ。
「まぁ,絡んだり泣いたりよりは,いいのか」
「フジエンジェルも承諾してくれたしな」
「正義の味方,フジエンジェルでぇす! 」
「はいはい。判ったから」
「ふひゃひゃひゃひゃあ~」
「まぁ,よかったな。ご機嫌だし」
「ご機嫌ですよぉ。だってぇ」
今夜は月も綺麗だし。風も素敵だし。
「大好きな成瀬さんと山田と一緒だしぃ~」
だからご機嫌なんだよぉ。
「今,何気に爆弾発言だよな」
「二人とも大好きか。なんで浩介も入るんだよ」
「俺に言うなよ。あっ,巧ひょっとして妬いてるのか? 」
あれ。
あれれれ。
浩介って誰ですかぁ。巧って誰ですかぁ。
「あぁ。山田 巧。成瀬 浩介。下の名前。判る? おーい酔っ払い,聞いてるか」
聞いてますよぉ。なぁんだぁ。下の名前かぁ。仲良しなんだねぇ。
「従兄弟だから」
そっかぁ。いいねぇ。
あぁ,いいなぁ。仲良し,いいなぁ。
「子供じゃあるまいし」
「恋敵になったんだけど。遊佐ちゃん,この状況を判ってるのかな」
山田が眼鏡のフレームをいじる。
あ,山田,困ってるでしょ。それ,癖だね。
うふふふ。
何を言う。仲良しは良いことですよ。仲良き事は素晴しき哉ですよぉ。
「遊佐さん? 」
まだ肌寒い風が,火照った頬を撫でていく。
よい夢を。
おやすみなさい。
そう撫でてくれた母親の手の平を思い出していた。冷たくて,ほんのりと温かくて甘い香りのした,お母さんの香りを思い出していた。
「だぁいすきぃ……」
少し前は,ファーが付いたコートやブーツを売っていた店先。たった数週間で軽やかな素材のストールが並べられている。
鮮やかな色彩とリボンとレースで溢れた世界に浸って,私は憂鬱に唸る。
「悪かったわよ。その,必死だったのよ」
「判ってますよ。判ってます。でも小池先生,あの後凄い事になったんですよ! せめて」
「今日のお昼は奢るわよ」
「そうこなくっちゃ」
それなら,新しいパンプス買えるかな。
思わず浮かんだ笑みを隠さずに靴屋さんに入る。
購買意欲を高める為に,不必要なほどにポップな曲を耳障りにかける店内。
うーん。この店じゃ趣味にあわない。
ふらり,ふらり,ショッピングモールの中を歩き回る。
他愛のない会話。日常から僅かにはみ出した,非日常。大量消費の毒々しい華が咲き誇る大型店舗の中に作られた,人工的な谷間を歩き回る。
ヒラリ,宙に浮かぶ蝶のように。
「それで小池先生は,目当ての彼と上手くいったんですか? 」
ゆっくりと歩いて店先を覗く行為を繰り返しながら話題を振ると,歪んだ笑顔を向けられた。
あぁあ,聞かなきゃよかったかも。
「ごめんね遊佐ちゃんの事考えると申し訳ないんだけど」
「もういいです。もう聞きませんっ」
「ごめんごめんってば」
「うん……まぁ,小池先生が幸せならいいですよ」
「遊佐ちゃん大好き! 何でも聞くからさっ」
「……」
裏切られた人に何でもはなしても,それはまた裏切られる気がする。
その言葉を飲み込んで口元で笑う。
裏切りは,もう嫌だ。
「本当だよ。だって……私だってあんな事したの,誰にも言えないじゃない」
店頭に飾られたマネキンのストールを撫でながら零れた言葉に,思わず顔を上げた。
柔らかな布地を触って,苦しそうに眉を寄せて。
「私,確かに彼と付き合えた。でも,でも……失ったものが大きすぎるのに気づいた。ゴメン。本当,ゴメン」
山田。あんた,残酷だよ。
自分の欲望の為に,私達を傷つけたんだよ。
判ってるんだろうか。
あの眼鏡の奥の澄んだ眼は,そんな冷酷さはなかったのに。
優しい表情だったのに。
「判りました。じゃあ,小池先生には重大な事を相談します」
「遊佐ちゃん? 」
「小池先生と私は,同志です。あの山田に騙された同志です」
「騙された……? 」
苦笑いを浮かべてしまう。
この秘密を,どうすればいいの。
「それ,ネタじゃないよね」
「失礼な」
「だよねぇ……。現実離れしてるから,つい」
「判ります。判りますよ。でも本当なんですっ」
思わずオムライスにスプーンを刺してしまう。お皿に零れていく真っ赤なケチャップは,涙の色。
フジモモジャーの話をしたら,真面目な顔で唸りだす。
そりゃあ,唸るだろう。
飲み会で「戦隊メンバーに入ってくれ」と脅迫される事なんて,普通の人生ではありえないことだ。
強くなってきた日差しを感じながら,窓の向こうを走る車の列を目で追う。
赤や青や白や黒。鮮やかな車が流れていく。
そう。普通はありえない流れに,巻き込まれてしまった。
鮮やかな全身タイツに身を包んでポーズを決めなきゃいけないなんて,どこで,どう間違えたのだろう。
「で,やるの? 」
「嫌です! 絶っ対に嫌です! 」
「だよねぇ。で,どうしたの」
「どうしたのって,何がですか」
「うーん。間違えた。つまり,何をしたいのかって事」
小池先輩はレタスを器用にフォークで刺して,小さな口に運ぶ速度を変えずに問い続ける。
「たしかに大問題なんだけどさ。やらないなら,早く断らないと。プール開きがもう直ぐでしょ」
「プール開き? 」
「去年もやらなかった? モモハナジャーのショー」
「あぁ……そうなんです。今年もプール開きでショーをするんですけど」
「そこでデビュー? 」
「はい……」
「その感じだと,もう決定? 」
私の目を見る小池先輩の目が笑っている。
「相談する事はないじゃない。もう決めてるんでしょ? 腹は据えたんでしょ? 」
「先輩……」
「遊佐ちゃん,一度決めたらブレないもの。じゃあ,これは相談じゃなくて愚痴だね」
あぁ。そうだ。
もう断れないと,飲み会で判ったのだ。だから,これは相談ではなく,愚痴だ。
思わずスプーンを置いて,両手で顔を覆う。
何を愚痴っているのだろう。内面を暴露しているのだろう。
自分の事を話してしまい,恥ずかしい事この上ない。
「いいよいいよ。話してすっきりする事もあるんだからさ。こんな事,誰にでも話せる事じゃないしね」
ぐりぐりと頭を撫でられて,私は両手で顔を隠したまま頷いた。
そうだ。
苦しかった。吐き出したかった。この不安を,この動悸を。
何でこんなに苦しいのか判らなかったけど,ようやく判った。
私は,戦隊モノをするのが恥ずかしいから不安だった訳ではないんだ。
変態まがいの全身タイツ衣装を着る事が苦痛だった訳ではないんだ。
このドキドキは,この不安は,恋の不安だったんだ。
私は,山田が好きだ。成瀬さんも好きだ。
だから,断れない。
だから,誰にも相談出来なかった。
「先輩……」
「いいよいいよ。とりあえず泣いちゃいなさい」
何気に突き刺さる視線を物ともせず,先輩の言葉に甘えて声を殺して肩を震わして泣いた。
どうしよう。
怖い。
好きになる事が怖い。
知りたい。彼らを知りたい。私を知って欲しい。
でも,それが何よりも怖いのだ。
相手に近づく事が,相手に全てをさらけ出す事が,怖い。
だって,だって,嫌われたら,どうしよう。
近づきたいけど,近づけない。
私自身,私が嫌いなのに。大嫌いなのに。
なのに私を嫌わないでほしいだなんて。
そんな都合よい事を考える自分が,とてつもなく汚く思えて。
全ての感情が溢れてく。
ゴメンね。嫌だ。大好き。大嫌い!
次回 26日 水曜日の更新予定です。