第4話 作戦会議?
金曜日。夜の七時二十七分。
来てしまった。永遠に来なくてよかった時間が,来てしまった。
時間って残酷だ。誰もに平等に与えられる時間。流れていく時間。避けられないし,巻き戻せない。
無視してもよかった。逃げてもよかった。でも,そう考えるたびに左頬が温かくなる。
断りを入れにいったハズで,成瀬さんにキスされた左頬。そこに血が集まって,考えがリバース状態。
「しょうがない,のよね。しょうがないのよ」
だって,勝手に約束破る訳いかないよ。そんな後ろめたい事,したくない。でも,なぁ。
グルグル,自問の思考が無限のループ状態。自転車のサドルを握り締める仕事帰り。砂だらけのスニーカーにジーパンに,Tシャツにパーカーの私に色気はない。
そう,きっと二日前の悲劇は避けられるはずだ。この格好で,何度高校生に間違えられた事か。
大丈夫。大丈夫。
そう言い聞かせ,駅裏のウサギ屋の前で自転車を止める。
カントリー風でまとめた外装の目立たぬ隅に,自転車が大量に駐輪してある。
昨今は飲酒運転には厳しいから,公務員グループは自転車で来たんだろう。
と,いう事は皆来てる。
思わず,足が竦む。
この自転車の数だけが『フジモモジャー』関連の人の物ではないのだろうけど,この計画にどれだけの人が関わっているのだろう。
馬鹿げた戦隊模倣。でも,これに地域活性を賭けているのなら,安易な気持ちで受けられない。いや,今から断る事は出来るんだろうか。
私,トンデモナイ事に巻き込まれかけている。恐怖と言えるほどの危機感に襲われる。
「か,帰ろう……」
思わず,ハンドルを切って回れ右した途端だった。
激しく何かを叩きつける音。ガラスが割れる音。
思わず振り返ると,騒々しく鈴の音を鳴らしてお店のドアが弾かれるように開いた。
「い,い,いらっしゃい! 」
ドモリながら,山田が飛び出してくる。
お魚咥えたドラ猫を追いかける主婦のような形相に,思わず私の足は凍りつく。
「いらっしゃい! 」
「ど,どーも……」
大股で迫ってくる山田の気迫に,すっかり飲まれた私は頷くしかない。
どーも,じゃない! 肯定したらマズイのに,私は固まったまま動けない。
「みんな,待ってる」
「え,あ,違う。今日は断ろ……」
「今日は来てくれてありがとう」
反則だ。
「今日,来ないかと思ったから。ありがとう」
山田の目が,まっすぐに私を見つめた。
黒縁眼鏡の向こうから,ブレルことなく,私の迷う心のど真ん中を突き刺した。
ありがとう,だなんて。そんな言葉を突き刺されたら,逃げ出せないよ。
反則だよ。そんな瞳は。その言葉は。
「入って。皆,もう待ってるから」
「……うん」
私の手から優しく自転車のハンドルを離す大きな手。
ほんの少し触れた手は,驚くほど冷たかった。
「遊佐ちゃーん。入って入って」
「あ,成瀬さん」
「早くしないと,みんなデキあがっちゃうよ。酔ったら打ち合わせになんない」
朗らかな声に戸惑っていると,マッハ級の速さで私の自転車を止めて戻ってきた山田が私の手を素早く掴んで歩き出す。
冷たい手に手首を捕まれたまま,ぼんやりと引きづられる私。
これは,好意? それとも,フジモモジャーのプロジェクトを成功させる為の義務感?
訳が判らないまま,引っ張られる。
「ほら,皆に紹介するよ」
最後の決め技。成瀬さんまで,片方の手を握り強く引っ張り店内へ招き入れた。
その瞬間,眩しい店内に静寂の間。
何故か濡れた床。キラキラと飛び散っているガラスの欠片。モップを持って立ち尽くす数人の男性。すでにグラスを傾けている男性達。
「紹介しまぁす! フジエンジェルの遊佐綾香ちゃんでぇす! 」
「え,えぇぇぇえ?! 」
その名前は何?! っていうか,決定なの?!
衝撃と恐怖で固まった私の耳に,意味不明のどよめきが響く。
貧血なのか,それとも現実から逃れたい為の気絶寸前状態なのか。
私の薄くなる意識の向こうで,勝ち時のような咆哮を上げる男性グループ。
人生には誤まってはいけない瞬間がある。映画だったかドラマだったか,定かでない台詞が思い出される。
私,その瞬間を見逃してしまったのは,間違いないらしい。
会議は踊る。
映画のタイトルだったか。そう記憶を遠くに飛ばしながら,綺麗に磨かれた薩摩切子に注がれた日本酒を口に運ぶ。
きりりと,辛くも薫り高い液体が細胞に染み渡り喉を心地よく焼いていく。思わず吐き出す息には,仄かな香り。これは,これは美味しい!
思わず頬が緩むと,素早く隣から新たに酒を注がれる。
「いやぁ。お嬢さん,美味しそうに飲んでくれるねぇ」
「だろ? マスター,取っておきの酒を頼むよ」
「あいよっ」
「ちょっと! 今日は飲み会なわけ? 」
「まさか」
「飲み会とかこつけての,企画会議だよ」
「企画会議にかこつけた飲み会,じゃないの」
思わずそう返すと,隣の席の山田は声を出して大笑いした。
眼鏡の奥の目が,楽しそうに細まる。なんだ。こういう風に笑えるんじゃん。
少し嬉しくて,また頬が緩む。
「とにかく。メンバーとか製作の流れを紹介するよ」
カウンターから,新たに刺身の盛り合わせと豚の角煮を持ってきた成瀬さんが,笑い倒れる寸前の山田の言葉を引き継いだ。
「基本的に,脚本はこういう飲み会兼ねた企画会議で,皆で話し合って流れを決めてく。大体は,こういう酒飲みの馬鹿話。で,脚本の形にするのが須藤」
「演出もしてるんだ」
そう言って笑う須藤さんは,ハチミツならぬビールを飲んだクマさんだ。赤ら顔に大ジョッキが似合いすぎる。
「で,脚本に沿って音入れ。これは,当日都合がいいメンバーでやる。一人で何役もやるから大丈夫。けど,遊佐ちゃんは必ず出席ね。女性は遊佐ちゃんしかいないから。さすがに男が裏声で女声だすのは無理あるし。」
「音入れ? 」
慣れない言葉に首を傾げると,ようやく笑いが収まった山田が説明を引き継いだ。
「脚本に沿って,台詞を録音すること。本当は演じながら台詞を言うのがいいんだろうけど,全員がそろうように練習する時間が取れないから。これなら,当日は動きだけに集中できるから効率がいい」
つまりは,当日は口パク。台詞にそって,動きをあわせればいいのだから,多少の練習不足でも何とかなるという訳か。
皆,本職は公務員。仕事終わってから練習となると,大変だ。
「じゃ,練習は残業扱いなんだよね」
「まさか。これ,趣味の扱いだよ」
苦笑いの須藤さんに,笑顔が凍りつく。
市長命令じゃなかったか? それじゃあ,この飲み会はヲタクの集いじゃないのっ。
私,未知の領域に足を踏み入れてしまったらしい。
「でも,趣味だからって馬鹿にしちゃ駄目ですよぉ」
すでに酔いが回っているのか,それとも本来の喋り方なのか,のんびりな言葉が隣のテーブルからかけられる。
「僕ら,これに将来賭けてますからね。あ,僕は桃花芸術大の造形科の四年生やってる西脇ですぅ」
「……大本っす」
まるで天使のような美少年が舌足らずに西脇くん。その横で体育会系な大柄な青年が大本くん。まるで漫才コンビのような体格差だが,二人は気の合う友人らしい。
西脇くんが「あれどこだっけ」とリュックを開けると,大本くんが素早く何冊ものファイルをテーブルに差し出す。見事な阿吽の呼吸。
「素人のお遊びじゃないですよぉ。地域活性化の起爆剤ですからねぇ。コスチュームは本格的に造ってますよぉ」
「これ,造ってるの? まさか,君たち二人で?! 」
「怪人のマスクだけは難しいから,これだけ発注なんだけどねぇ。でも,いつか僕らも造ってみたいなぁ」
「……ういっす」
「特撮プロ会社と同じ所に発注してるから,すんげー高かったんだ」
ファイルに整理されたデッサン画。設計図。細かな数字やパーツが並んだ図面。そして,完成写真。
あらゆるポーズを決めるその写真から,本気の誇りが漂っている。
「お,大人が本気で遊ぶとすごいねぇ……」
「ま,そういう事だね。遊佐ちゃん,良いこと言うねぇ。こう見えて,俺達本気なわけ」
「だから遊佐さん,ちょっと立ってくださいねぇ」
「はぁ」
天使の微笑みにつられて,箸を置いて立ち上がる。
大本くんが,何故か真っ赤な顔してポケットから四角いものを取り出した。
「遊佐さん,スタイルいいから腕の奮い甲斐ありますぅ」
「……ういっす」
にこやかな笑顔。綺麗に並んだ白い歯。その前に引き伸ばされたメジャー。
「希望,ありますぅ? フジエンジェルって名前だし,藤の花と羽をイメージして造ろうかなぁ。女の子ファンの獲得も考えて,可愛いデザインがいいですよねぇ」
「はぁ」
「じゃ,そういう訳で,スリーサイズから測らせてくださぁい」
「へっ,変態ー! 」
本能で,天使の容貌で悪魔な西脇くんを叩き倒してしまう。
酒の勢いで,製作する。これは,あまりよくない気がする。
そう思いながらも,常識から離れたくてグラスをあおる自分。
あぁ,さよなら……私の平穏な毎日よ。
お,遅くなりました! 更新何とか出来ました(汗)
いつもの8時に出来なくてゴメンなさい……。
次回 19日 水曜日に更新予定です。
よ,予約しときます~っ。