第14話 恋するヒーロー!
埃っぽい倉庫に,ありえない言葉が静かに空気を揺らした。
手が揺れて,ポンプを落とす。床に散らかった石灰が舞い上がった。
聞こえた台詞を信じられなくて,恐る恐る振り返る。
そんな私に,結花ちゃんは微笑んだ。
「舞台が終わってお礼が言いたかったけど,あの後お母さんと警察来ちゃうし。ドタバタで帰らなくちゃいけなくてお礼が言えなかったの。陸人が,「ありがとう」って言いたかったらしくて」
「う,うん」
「だからフジエンジェルに伝えておくって言ったの」
「……そっか」
ばれてますね。
私がフジエンジェルって,ばれているんですね。
嫌な汗が背筋を流れ落ちる。
「大丈夫。秘密にするよ。だから,センセー,フジエンジェルに伝えてね」
「……ありがとう」
私がフジエンジェルをした事を知ったうえで,「伝えてね」と。そう言ってくれる事が嬉しいけど,申し訳ない。
でも,ここは内緒にしてもらわないと。ヒーローは誰か判らないのがいいのです。
顔も判らない誰かが,体を張ってみんなの為に戦う。だからヒーローなんだから。
「ありがとう」
「うん。ありがとう」
そっと頭を撫でると,くすぐったそうに笑った結花ちゃんが倉庫を飛び出していく。
フジエンジェル,やってよかったな。
しみじみ思って,立ち上がる。
エプロンの裾に付いた石灰粉を叩きながら倉庫を出ると,コートで口げんかしてい子ども達がおとなしい。
「センセっ。あれあれっ」
「いつぞやの不審者っ」
「センセーの彼氏っ」
不謹慎な囁きと指差しに振り返れば,緑のフェンスに持たれかかり手を振る男が一人。
ダサい眼鏡の奥の澄んだ眼差し,見慣れた寝癖。
「市役所の人を指差して不審者扱いしないの。先にドッチしてて」
冷やかしの歓声を無視して,フェンスに駆け寄ると山田が笑った。
「俺,不審者で彼氏なの? 」
「何でいつも職員室に来ないのかなぁ。しかもまだ仕事中」
「仕事してる遊佐さん,見たいからさ」
「……っ。柴田先生に見つかりたくないの? 今日も職員室にいるけど」
なんでそう,無自覚なのかなぁ。
罪のなさそうな笑顔に,私は何も言えなくなってしまう。
動揺を悟られないように,エプロンのポケットに手を突っ込むと山田が眼鏡フレームをいじる。
「おばさんだけは苦手なんだよ」
「……おばさんって,柴田先生? 」
「そう。昔からあの人には勝てないんだよなぁ」
「親戚? 」
「そういう事」
親戚関係。という事は従兄弟の成瀬さんとも親戚で……。地元だと,職場が重なることもあるんだなぁ。
まさか,今時のご時勢で縁故就職じゃないんだろうけど。
「おばさんが出てこないウチに,これ渡しておくよ」
「今度の打ち合わせ? 」
「秋の商工祭りで正式に依頼が出たんだ。是非フジモモジャーをしてくれって」
「秋かぁ。先のようでいて,時間あまりないね」
「うん。いつものウサギ屋で。大丈夫。須藤さん怒ってないから」
最後の言葉に,肩を竦める。
初登場で勝手をやってしまった私は,あの舞台の後に頭を下げまくった。
事情があったとはいえ,須藤さんが頑張って作った脚本をブチ壊してしまったのだから。
受け取った打ち合わせの紙の端をいじりながら俯く。
「みんな怒ってないからさ。あの時はしょうがなかったよ。それに,好評だったじゃないか。須藤も判って『次回は今回以上面白いの書く! 』って意気込んでるよ」
「そっか……うん」
「だから,来るね? 」
「うん」
だって,フジエンジェルしなきゃ山田と会えない。
ソッポ向いて頷く私の耳元で,突然山田が囁いた。
「あと,何か言い忘れてない? 」
「……? 」
「控え室で何か言いたそうだったじゃん」
「……!! 」
突然の言葉に,勢い良く振り返る。
黒縁眼鏡の奥の瞳が,微笑んでいた。悪戯っ子の微笑みに,唸る。私の気持ち,判ってるの? 山田が好きって,ばれてるの?
反則じゃないか。そんな笑顔したら,私の体温は急上昇しちゃう!
「遊佐さん。顔真っ赤だよ」
「……馬鹿っ」
「馬鹿でいいよ。俺,遊佐さんなら何言われても良いよ」
「……やっぱり成瀬さんと従兄弟だ。意地悪」
「浩介の名前,ここで出すかな」
「……ごめん」
「ごめんじゃなくて。何て言うの? 」
もう! もう!
山田を鈍感だと思ってたのに! 天然だと思っていたのに!
私の気持ちに,いつから気づいてたんだろう。
言いたい事,聞きたい事はたくさんあるけど,チャンスは今しかないのか。
ドッチを始めた子ども達の歓声を耳に流して,そっと囁く。
恥ずかしくて,手にした紙で口元を隠して。
「山田が好きっ」
「うん。俺も遊佐さん大好き」
言葉と同時に,ふわりと紙の感触が唇に触れた。
冷たくて大きな手が,紙を握る私の指先を包んだ。
「遊佐さんが好き」
それは,子ども達の歓声にかき消される程の囁き。
でも,その囁きは無敵の言葉。
溢れる想いを全て受けとめて。
紙越しのキスを受けとめて。
「じゃあ,またウサギ屋でね」
「……うん」
「あ,そうそう。西脇くんがね,新しいコスチュームを作る気でいるよ」
「……それは止めたほうがいいと思う」
「でも,ピンヒールは是非挑戦して欲しいな」
「……却下」
「男のロマンなんだってば」
「嫌」
「俺の頼みでも? 」
眼鏡の奥の瞳が無邪気に微笑む。寝癖の髪を柔らかく揺らす南風。
眩しい西日の中にいる愛しい人に,微笑み返す。
「馬鹿っ」
愛しい愛しい,私のヒーロー。
これで完結です。
何とか描けました。ここまで読んでくださり,ありがとうございます。
え,えっと。休載中の『見下ろすループは青』ですが,ストックは4話でストップ中です。すみません。
子どもが順にインフルエンザに伝染ってまして,看病の為とても時間がとれません。
あと,先日の北関東 東北の大震災で。
『なろう』でも有志が『smile japan』企画を立ち上げました。被災された方へ無料小説サイトだから出来る小説による応援です。
これに参加しようと思っています。
待ってくださる方には申し訳ありませんが,もうしばらく時間を下さい。今は新しいプロットが頭で動き出した状態です。完結までの起承転結がはっきりしたところで,再び作品を描いていく予定です。『見下ろす』と『企画小説』を二作同時に描くという,恐ろしい事に挑戦です。
でも,自分に出来る事は描くしかないので。少しでも楽しい時間を提供出来る可能性があるなら,やってみたいんです。
是非,この無謀な挑戦をさせて下さい。
わがままばかりで申し訳ありませんが,甘えてばかりですが。
『見下ろす』をもう少しお待ち下さい。