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 第10話 想定内か想定外か?

 『化粧ポーチを肌身離さずにね』

 朝の情報番組で言っていた今日のラッキーアイテムを,唐突に思い出して後悔している。

 なんで今日に限って,占いが当ってるのよ。

 私の顔,きっと崩れてる。

 ファンデーションはあまり塗ってないけど,リハーサルでマスクの下は滝のように汗が流れ落ちた。きっと眉毛も落ちているに違いない。

 なのに,この素ッピンに限りなく近い顔を山田に見せなくてはいけないなんて。

 

 「マスク取れない? 」 

 「う,うん」

 「どうやって被ったの? 」

 「成瀬さんに,その,やってもらって」

 「ふうん」


 そんな,あっさり頷かないで。

 一瞬,ブラックな私が頭をもたげる。

 全体の打ち合わせが終わり,細部を最終確認するまでの僅かな時間。その時間に山田を何とか更衣室に割り当てられた会議室に連れ込んだものの。

 まずはマスクを外す事を頼まなくてはいけないとは。

 暑くて,苦しい。何よりも,フジエンジェルのマスクで告白するなんて哀しすぎる。

 山田は私の葛藤を知らずに,マスクの下から手を入れた。

 冷たい指先が,顎の下を掠める。

 

 「慣れれば簡単に外せる。ほら」

 

 金属音とともに,冷たく新鮮な空気が流れ込む。

 ホッと息を付く間もなく,素早く顔をそむけた。


 「今日は暑くなるらしいから,熱中症対策しとこうか。ちょっと待ってって」


 素ッピンを見られると慌ててた私に一声かけて,山田の気配が離れていく。

 そっとマスクを外して,室内に誰もいない事を確認。

 タオルで顔を拭きながら,バックから化粧ポーチを取り出す。この間に眉毛を描かねば!

 私史上最速の速さで眉を描き終わり,Tシャツが汗臭いことに気づく。

 やばい。臭いのに告白なんて出来ないっ。

 迷いなくTシャツをめくった途端だった。


 「遊佐ちゃー……おぉ」

 「きゃああ! 」


 急に開いたドアの向こうに,反射的にバックを投げつける。

 「おぉ」じゃねぇよっ。

 成瀬さんに見られた! 仕事用の色気のないブラを!


 「いいもん見れたなぁ」

 「どうしたんだ? 」

 「いや。巧には見せられないなぁ」

 「何だよ……それ,遊佐さんのバックじゃん。どうした? 」

 「降ってきた」

 「はぁ? 」


 廊下から聞こえる間抜けな会話。

 泣きたい。泣きたいよぉ。


 「遊佐さん,入るよー」

 「は,はいっ」


 マッハの速さで着替えのTシャツを着終わったと同時,再びドアが開かれる。

 成瀬さんの顔,にやけ過ぎ。自己嫌悪。


 「顔,赤いね。やっぱり熱中症っぽいかな。眩暈とかする? 」

 「それは,ないけど」

 「そうか。一応,首筋を冷やしておこうか」

 「水分も取っといたほうがいいよ。ここに置いとくから遠慮なく」

 「いえ。大丈夫だからっ」


 コンビニ袋からスポーツ飲料を二本,テーブルの上に並べながら微笑む。

 この虫も殺さないようなお地蔵様の微笑みは,危険だ。

 山田が冷却シートの透明フィルムをめくろうと四苦八苦してるのを横目に,成瀬さんは私の肩を叩きながら囁く。

 

 「俺はベージュも許容範囲だからね」

 「ーーーーっ」

 「頑張ってね」

 

 見られた。やっぱ見られた。

 ショックでグルグル。部屋を出て行く成瀬さんを睨みながら,軽い眩暈。

 

 「やっぱり,冷やしておこうかな」

 「その方がいい。熱中症は危険だからね」


 山田は私の葛藤を知らず,神経質な手つきで冷却シートをうなじに貼り付けた。

 冷蔵庫に入れてあったんだろう。痛いほどの冷たさに思わず息を飲む。


 「浩介の言う通り,本当に水分も取ったほうがいいから。ダイエットなんか気にしちゃ駄目だ。今日はどんだけ食べても太らないから」

 「うん……」

 「元気,ないね」

 「そんな事ないよ」

 「やっぱり,嫌かな」


 唐突な言葉に,振り返る。

 いつも自信たっぷりな山田。強引で引きずり回す山田。その顔に眼鏡がない。

 意外なほど長い睫毛が,影を落としている。真っ直ぐな目元が,泳いでいる。

 

 「俺達はこの町が好きで,戦隊ものが好きで,こんな事やってるけど……遊佐さんは違う。この町は仕事でいるだけだし,戦隊ものに興味はないし。騙すように仲間に入ってもらったんだし」


 騙すように,ではない。脅されたんだよ。

 そう訂正をしたくなるも,いつもと違う山田の様子に言葉を飲み込んだ。

 

 「嫌だよね。でも,今日だけは舞台に立ってくれないかな。今日だけでもいいんだ」

 「山田? 」

 「俺の勝手で巻き込んで,こんな事言って,ふざけてるって思うかも知れない。でも,今日だけは,フジモモジャーして欲しい」


 真っ黒な瞳。

 真っ直ぐな視線。

 真っ正直な気持ち。

 全て私にぶつかった。


 「こんな事,馬鹿げてるって判ってる。戦隊ヒーローして,気持ち悪いって言われてるのも知ってる。でも,俺達が馬鹿やってくことで,少しでも子供達の記憶に残ってくれるならいいんだ」


 熱い熱い,山田の気持ち。


 「大人になって,自分の育った町の記憶の中に楽しかった想いが残ればいいんだ。そこから,故郷を想う気持ちが生まれればいいんだ。百人の中の一人でも,千人の中の一人でも,そんな想いが生まれればいいんだ」


 本当に,どうしてこんなに真っ直ぐに考えられるんだろう。


 「だから,遊佐さん。今日だけでもいい。フジエンジェルを演じて下さい」


 私は,きっと山田には敵わない。

 こんなに人の為に動ける人を,知らない。

 私,やっぱり山田が好き。

 目の前で頭を下げた山田に,そっと触れる。

 触れたTシャツは,少し汗ばんでいた。

 きっと,リハが終わっても走り回っていたんだろう。

 今日の舞台を成功させる為に。手伝ってくれる友人達の為に。


 「山田……私ね,私,そんなに嫌じゃないよ」

 「遊佐さん」

 「私,確かにこの町の出身じゃないし,戦隊ものファンじゃないけど,けどね……フジエンジェルはやるから」

 「遊佐さん」

 「私,だって,山田の事が,す」

 「裾あげしましたーーーーっ」


 好き。

 その単語を口にしようとした途端に,ドアが全力で全開で開かれる。

 飛び込んできた西脇くんは,天使の笑顔で駆けて来る。


 「遊佐さーん! 見て下さい! このプリティーな裾を! これで曲線美ばっちりです! 」

 「西脇くん……」

 「こんなに上げるのか? 」

 「これがキュートなんですよっ。見て下さい。この見えそうで見えなさそうな丈をっ」


 台無しにされた。

 渾身の勇気を振り絞った告白を中断させられ,私はその場に座り込む。

 男二人は,何事もなかったようにマニアックな会話を盛り上げていく。


 「判ります? このちらイズム! 」


 わかんねぇよ。


 「もう本番近いから,これ以上いじらなくていいからね」

 「はいっ。今日の舞台で次回への改良点を探しておきますからっ。だから何でも言って下さいねっ。ね,遊佐さん! 」


 次回への改良点なんていいから。

 暴走する西脇くんは,山田の手にコスチュームを押し付けて去っていった。

 少し困ったように笑う山田。眼鏡がないからか少し爽やかだ。

 いつもの暗い雰囲気はない。


 「それで,何? 」

 「え? 」

 「いや。俺の事がって,さっき」

 「あ,うん,その,山田の……そう,山田の眼鏡がっ」


 いきなり告白の続きは出来ない。思わず話をそらすと,左手を上げた。

 困った時の癖で眼鏡を触ろうと左手を上げて,触るべきものがない事に気づいてもう一度苦笑い。


 「眼鏡してたらフルマスク被れないから,コンタクトしてるんだ。変かな」

 「かっこいい……」

 「ゆ,遊佐さん? 」

 

 バチバチ,睫毛が揺れた。

 自分が零した言葉に,心臓が爆音を出して脈打つ。

 急上昇する体温。吹き出す汗。乾く喉。


 「あ,あのね! 山田,言いたい事があるの! 」


 今しかない。

 今言わずにどうする私!


 「私,山田の事がす」

 「ちわーっ。弁当持って来ましたぁ」

 「あ,マスター」


 軽い言葉と共にドアが開けられ,積み重ねられた箱の影からヒゲ面が満面の笑みが飛び出す。

 うさぎ屋のマスター。人のよさそな顔が,凶悪に見えるよ。

 

 「弁当の担当,浩介なんだけど」

 「え? 成瀬くんに言われて来たんだけどなぁ。持ち合わせないから,山田くんところで会計お願いするって」

 「そんなに俺も持ってきてないのに……困ったな。いくらですか? 」

  

 判った。成瀬さん,確信犯だ。

 悪魔の微笑みを浮かべる成瀬さんが目に浮かぶようだ。してやられた! なんとしても告白させないつもりなのね。

 財布から何枚か紙幣を出している山田の隣で,拳を握り締める。


 「いつも無理言って弁当まで頼んですみません」

 「何言ってんのさ。これが楽しみなんだからさ。これは差し入れ。勘定には入ってないからね」

 

 マスターは本当に嬉しそうに顔を綻ばせて,ペットボトル数本も取り出してテーブルに並べていく。

 不意に私を見て,そして山田を見て,不自然なほどニッコリと微笑む。

 生温かい眼差し。


 「そっか。うん。青春だなぁ。若いっていいなぁ」

 「何言ってるんですか。マスターも若いでしょう」

 「山田くん,いいよいいよ。お世辞はいいの。いやぁ,かわいい子入れたと思ったら,そういう事になったのねぇ。遊佐さんだったけ? そんなに睨まないでよ。かわいい顔して怖いなぁ。じゃあ,客席から見てるね。中田さんは来てる? 」

 「え? もちろん。中田さんいないと,音響出来る人いないですからね」

 「じゃあ,ちょいとお邪魔してるよ。今度のクラブイベント教えてもらわなくちゃ。じゃあねぇ~。頑張れ女の子! 」

 

 この人にはバレた。

 私が山田が好きで,成瀬さんが私を好きな事,ばれてしまった。

 しかも散々にいじられてしまった。


 「マスター,どうしたんだろ。遊佐さん,何かあったの? 」

 「……っ」


 世の中には,マスターのように鋭い人もいるのに,どうして同じ男でも山田はこうにも鈍いんだ!


 「あのね! さっきから言おうと思ってるんだけどね! 」


 言ってやる。今こそ言ってやるっ。


 「山田の事が」

 「あ,電話鳴ってる」


 二人の間に強制的に入り込んだ電子音。

 ご丁寧に山田が差し出した私のバックをひったくるように掴んで,中から電話を掴み取る。

 誰よ! この一世一代の時を邪魔する奴は誰よ!

 呪ってやる。

 心の中で呟きながら液晶画面を覗いて勢いよく怒鳴る。


 「小池先生! 今いいとこなんだから邪魔しないで下さい! 」

 「『そっちに陸人くんいる?! 』」

 「……陸人くん? 」


 唐突な言葉に,怒鳴り込んだ勢いを削がれた。

 電話口の向こうから,泣き声が聞こえる。


 「『陸人くんよ! 結花ちゃんの弟の! じゃあ,結花ちゃんはいる?! 』」

 「小池先生,何があったんですか」

 「『今,連絡網が回ってきて! お母さんの実家に,父親が押しかけてきたらしいの! 陸人くん連れてったって! 探してたら結花ちゃんまでいなくなちゃって! 遊佐先生,今どこ? そこにいる?! 』」


 灼熱の熱さで駆け巡っていた全身の血が凍りつく。

 父親に陸人くんが攫われて,結花ちゃんまで行方不明。

 恐れていた最悪の事態だ。

 何てこった……。


 

 


 

 

 


 

 

 


 

 

 すいません……べたな展開です。ここでまだ話を終わらせたくないんで(苦笑)。

 

 次回 3月2日 水曜日に更新予定です。

 只今12話まで描きました。う~ん。もうちょっと頑張る。

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