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閻魔堂シリーズ

秋風の立つ頃

作者: 皇 凪沙

 涼しげな風が吹き始めた、穏やかな秋の半ばのことである。

 えんは、ぞろぞろとやってくるその列を、ふて腐れたように見ていた。

 先にたつ捨て札、捕物具、そして穂先の長い槍。後ろには、はだか馬に乗せられた罪人が続いていた。

  

 押し込みの一味が捕まったのは、夏の盛りのことだった。引き込み役が一味を引き込み、商家に押し入ったばかりのところで捕り方に囲まれ、一味は一網打尽に捕らえられた。

 そうして厳しい吟味の後、総勢十名を越える一味のものが、年季の入ったかしら分から、引き込み役の下っ端まで、残らずはりつけに架けられることになったのだ。

 前代未聞の大事件であったから、引き回しは三日にわたって行われ、盗賊どもは街道筋、市中、辺縁まで念入りに引き回されることになった。

 今日はその三日目である。市中を回ったその列はそのまま刑場へと向かい、一味ははりつけにされるのだ――

 捨て札に目をやり、えんはあらためて押し込み一味の罪状を確かめる。

 彼らは引き込み役を使い、商家に押し入って家人を殺し、金を根こそぎ奪い取るつもりであったらしい。実際、一味はこれまでも同じやり方で金を奪い、逃げおおせていたということである。

 しかし、今回はそう上手くはいかなかった――。

 目の前を通り過ぎてゆく押し込み一味の顔をざっと眺めて、えんはその場を離れた。

 今夜はまた、顔を合わせることになるのだろう。最後にえんの前を通り過ぎていった若いおとこの青ざめた顔を思い出して、えんはひとつ深いため息をついた。


 おとこは、これがはじめての仕事だった。

 役目はただの見張りである。ただ屋敷の外で見張りをし、事を知らせに走るものがいれば殺さぬまでも足止めしておけば、それで分け前がもらえるはずであった。

 しかし、計画は失敗した。押し入ったと同時に事を知らせに番屋へ走ったものがいたことを、不覚にも誰も気がつかなかったのだ。皆殺しには程遠く、幾人か殺したところで一味は捕方に囲まれて、身動きが取れなくなった。そうして、わけもわからぬうちに、おとこは押し込みの一味として、はりつけに架けられることになったのである。

 はりつけの刑が決まったと知って、おとこは助けてくれと泣き叫んだ。おとこはただの見張り役である。人を殺すつもりなどまったく無かった。はりつけに架けられるなど、考えてもいなかったのである。もともと人を殺すことも辞さない兄貴分たちとは、肝の据わり方が違っていた。しかし、たとえ人を殺さずとも、ただの見張りであっても、押し込みの一味には違いない。必死の叫びは役人達の耳には届かず、翌朝おとこは引き回しの列に従っていた。もう、どうすることもできない。恐れ怯えて夜も眠れずにいるうちに、三日の引き回しは終わり、とうとう処刑の日が来てしまった。

 兄貴分たちは、それぞれ悪いこともしてきているから、あきらめも早いのか覚悟を決めた顔つきで裸馬の背に納まっている。しかしおとこはそうはいかない、そもそもおとこは何もしていないのに等しい。

 処刑場へ向かう引き回しの列が進むにしたがって、狂いそうな恐怖がおとこを襲った。列の先頭に押し立てられた長槍が、目の前にちらつく。目が眩み、辺りの様子も分からない。野次馬達の囁きがいやに近く聞こえた。恐ろしさに気が遠くなり、気が付いたのは、刑場の一歩手前の閻魔堂だった。一味は次々に裸馬から下ろされて、堂内に入れられた。


 たかが木造りのつくりものである。

 しかし、正面に座る閻魔王は恐ろしかった。たいして疚しいことのないおとこでも、そう思った。それともまもなく理不尽に閻魔の前に突き出されると思ったゆえかも知れぬ。恐ろしげな顔で睨みつけているなら、助けてくれと、おとこは本気でそう思った。

 堂を出ると、処刑場の入り口は目の前である。処刑されるものたちは、入り口からはりつけ柱まで自分の足で歩いていかねばならない。先頭をゆくかしらは、それでも堂々と歩んでゆく。徐々に下っ端の者になるにつれ、足は震え、身がすくみ、腰を抜かす者もいる。最後は刑吏に引きずられるようにして、はりつけ柱までの数間を歩いた。

 いよいよはりつけ柱の前に引き据えられ、お仕置き御用の非人たちが、一味を太いはりつけ柱の上に大の字に押さえつける。

「観念しろ、みっともねえ。」

 もがく男を縛りつけようとしていた非人がはき棄てるように云う。

「ろくに肝も据わってねえくせに、大それた事をしやがって。いまさら震えたって遅せえんだ。」

 非人は無理やりに男の手首を柱へ縛りつけ、舌打ちした。

 ぎりぎりと、左右の手首と二の腕に縄が巻きつけられ、万が一にも抜けないように念入りに縛り上げられる。つづいて足を大きく開かされ、足元の横板にこちらもしっかりと足首が縛り付けられる。背丈に合わせて短い腰板が股の間に打ち付けられ、最後に首縄を打たれた。こうなるともうもがくことさえ困難である。

「まったく、往生際の悪りい奴だ。」

 縛り上げられてもなお、轡をかまされた口から絞り出すようなうめき声を上げ、わずかに動かせる手足をばたつかせてもがく男を、非人たちが嘲った。

嘲りながら、かれらは槍で突き易いよう男の着物の脇を切り、前でまとめる。剥き出しにされた脇腹から、反対の肩先を狙って槍が突き込まれるのだ。まだ肉の薄い男の脇腹が恐怖でぐっと収縮し、がたがたと震えている。それを見て、非人がぴたぴたとなぶるようにおとこのわき腹を平手で打ち、嘲笑った。 

 ――ひとごとだと思いやがって!

 おとこは彼らを睨みつける。彼らだとてお仕置き御用をつとめているくらいだから、まっとうな人間ではない。彼らが三尺高いところで息絶えずに済んでいるのは、ただ少しばかり運がよかったからに過ぎない。それなのに、彼らは男を縛り上げ、槍で突き殺す準備をし、男は間もなく突き殺されようとしているのだ。なんと理不尽なことか――


 おとこの思いなどを斟酌することなく、刑の準備は進んでゆく。

 すでに柱を立てる三尺ほどの穴が掘られており、縛り付けられた罪人が、順に高くかかげられる。野次馬たちがどよめいた。

覚悟のできていない年若い罪人たちが、一斉に柱をゆすってもがく。対してかしらを始め年季の入った悪人どもはふてぶてしい程に落ち着いている。

「どうした、少しは騒いで見せたらどうだ。」

 非人が落ち着き払った年嵩の罪人を揶揄う。

そんな言葉には耳を貸さず、かしらが役人に向かって声を掛けた。

「お役人、我ら年嵩のものはお歴々を手こずらせるつもりはない。しかし、若い連中はこんなことをしなければ、まだ先の長い者たちだ。往生際も心得まいし、我らがお仕置きになるのを見れば、怯えて迷惑をかけることにもなろう。怖れの少ない先のうちに始末をつけてやっては下さるまいか。」

 年若い罪人たちが、悲鳴を上げる。

 役人たちが二言三言言葉をかわし、一番年若の男のもとへやってきた。

「おまえたちのかしらはああいっておるが、どうするか。」

 喉の奥が、ひっと鳴った。

「い、いやだ、いやだ。」

男はあわててちぎれるほどに首を振る。

 まだおとことそう年も変わらぬ兄貴分たちも、同様に叫んでいる。役人たちが肯き合った。

「そういうことだ。もはやどれほど手こずらせたといったところで、何もできまい。お前たちが先に潔く槍を受け、手本を示してやるがよい。」

 かしらを始め、年嵩の者たちが哀れむように若いものを見る。

「――しかたがあるまい。」

 かしらがそう云って、悲しそうに前を見つめた。



 十数本のはりつけ柱が、横一列に並んでいる。

 いつもより大きく囲んだ竹矢来の向こう側に、押し込み一味が仕置きになる様を一目見てやろうと、物珍しげにはりつけ柱を眺める野次馬達が並んでいる。

 準備が整い、野次馬達が見つめる中、役人のひとりが立ち並ぶはりつけ柱のまん前に進み出て、声を張り上げた。

「これより押し込み一味の処刑をおこなう――」

 つぎつぎに、かしら以下十余名の名と歳、生まれ在所が読み上げられる。

「――以上、間違いはないな。」

 すべての罪人の名を読み上げた役人が、一同を見回して確認する。違うという声は無い。調べはすでに済んでいるのだから、これは儀式に過ぎないのだ。

「一同の者、その罪状不届き至極につき、はりつけに処す。」

 役人の声が、腹にずんと響いた。

「お仕置きである、そこに直れ。」

 押し込み一味のかしらは落ち着いた様子で目を閉じ、頭を下げる。突き役の非人が二人、穂先の長い槍を手にしてはりつけ柱の両脇に立った。

「突け!」

 役人の声と共に、ありゃ、ありゃの掛け声で、非人が見せ槍をする。はりつけ柱の罪人たちが、一斉に身をすくめた――

 見せ槍が引かれ、再び非人の掛け声が響く。おとこは首をすくめて目を閉じた。同時にどすりと槍がひとの肉を突く音と、ぐうっといううめき声が聞こえた。

 非人が槍を突く掛け声と、槍が罪人に突き刺さる音、罪人の上げるうめき声が幾度か聞こえ、間もなく罪人の声が絶えた。

 絶命しても、さらに数十回の槍が突かれ、罪人の脇腹には大きな突き穴が開き、臓物が流れ出す。

「やめ!」の声が掛かり、最後にありゃあ、と大きな声で掛け声をかけて、非人が罪人の咽喉を突いた。

 がっくりと首を垂れ、はりつけ柱に身を預けた罪人の様は、たいそう無残だった。



 おとこは、震えていた。

 余りに無残な処刑の有様に、歯の根が合わぬほど体が震えた。

 年嵩の者も、おとこと大して年の変わらぬ兄貴分も、みな震えている。

「次ぎ――、直れ。」

 ひとりまたひとりと順に処刑は進み、じりじりとおとこに死の恐怖が迫ってくる。

 半分ほど処刑が済み、残るのは比較的若い者だけになっていた。こうなるともう、見得もなにも無い。名を呼び上げられ、「直れ。」と刑の執行を告げられた者は、恐ろしさに小便を漏らして泣き叫び、腰を抜かして助けてくれと懇願する。

 無論聞き入れられるわけも無い。泣き叫び、懇願しながら、順繰りに突き殺されてゆく。中に、死にたくないともがき暴れ、突き役が突き損なってもだえ苦しみ死んでゆく様などは、この世の光景とも思えぬ。そうした無残な様を、幾度も幾度も見せつけられる者は、たまらなかった。


 おとこの目の前にくくられている兄貴分が、とうとうその名を呼び上げられた。「直れ。」と云う役人の声が響くと、兄貴分はうつろな目でへなへなと崩れた。

 ありゃ、ありゃ。

 目の前で打ち合わされた槍先が血に濡れているのを見て、彼は急に奇声を上げて暴れ出した。いやだ、いやだ、と、子どものように泣き叫ぶ兄貴分の姿は余りにむごく、とても見ていられるものではなかった。

 どすり、と低い音が響き、右側の脇腹からおとこの目の前の肩口へ、鋭い槍先が貫けるのがみえた。

 ――ぎゃああっ。

 槍に貫かれた兄貴分が、断末魔の絶叫を上げ失禁するのを見て、おとこは気を失った。

 それが、おとこの見た刑場の最後の光景だった。



 闇の中に閻魔堂の明かりが浮かんでいる。

 秋草が茂り、虫の声がうるさいほどに響く夜道を、えんは閻魔堂に向かって歩いていた。閻魔堂の向こうには、山の端に出掛かった名月には少々早い明るい月に照らされて、十数本のはりつけ柱が立ち並んでいる。

 えんは閻魔堂の前に立ち止まり、そっととびらの隙間から中をのぞいた。正面には厳めしい顔の閻魔王、傍らには鉄札を手にした具生神、左右に赤青の獄卒鬼。檀荼幢が火を噴き、業の秤が軋み、浄玻璃の鏡は炎を映してきらめいている。その前に、昼間見た顔が押し合うように膝を並べていた。

「えんか、入れ。」

 えんはそっととびらを開けた。

「さて、罪人ども。」

 閻魔王が、一同を睨みまわして口を開く。

「お前たちの悪行は、具生神が読み上げるまでも無く、外の捨て札にあらかた記してあろう。また、見てのとおり、檀荼幢は火を吹き、業の秤は罪の重きに軋んでおる。一同地獄行きは覚悟の上であろうな。」

 叱り付ける恐ろしげな声に、数人が悲鳴を上げた。

「ことに一味のかしらを務める者、お前はこれまでに幾度も徒党を組んで押し込みを働き、他人を殺し、財を奪った。悔いもせず同じ悪事を繰り返し、悪事を誇る者の行く先は、無間地獄と決められておる。」

 ごう、と風の吹くような音がした。

「浄玻璃の鏡の面を見よ、あれが無間地獄の様だ。無間地獄にては、一瞬の安息も許されぬ。死ぬこともまた気を失うことも許されず、永劫に近く続く苦しみに休むことなく泣き叫び、もだえ苦しみ、許しを請い続けるがよい。」

 鏡の面には、ごうごうと燃え盛る炎の中を追われる亡者たちの姿が映っている。どれほどの炎が亡者のからだを炙っても、亡者たちは焼け失せる事は無い。ただその激しい炎に炙られる耐え難い熱さや痛みは感じるのだろう、もだえ苦しみのた打ち回る姿は正視に堪えなかった。

 一味のかしらはじっと鏡の面を見つめ、静かに項垂れた。

「つづいて小がしらを務める二名。これもまた同罪とし、無間地獄行きを命ずる。」

 二人はうう…とうなって、諦めたように項垂れた。

「以下、一味の内罪を重ねた六名の者。お前たちはやや罪を減じ、無間地獄よりも一等軽い大焦熱地獄行きを命ずる。一等軽い地獄ゆえ、僅かに死によって苦しみを逃れることは許される。しかし死んでは生き返り、また死んでは生き返って、永劫に近い時を苦しまねばならぬのは一緒。また、反省の色が無い者は直ちに無間地獄へ追い落とすゆえ、よくよく覚悟するが良い。」

 六人が、額にあぶら汗を浮かべてかしこまる。

「残るはこの度、はじめて押し込みの一味に加わった者どもであるな。この者どもの内、押し込みに加わり他人を殺し、財を奪わんとした三名は、その邪な心を罰するため、焦熱地獄行きとする。恐怖に気を失い、気を取り戻しては、炙られ、煮られ、打ち潰されて、死んでは生き返り、生き返っては罰の恐怖に恐れおののいて一万六千年を過ごすが良い。」

 串焼きにされる亡者、釜茹でにされる亡者、炎の上に置かれた鉄の臼の中で搗き潰される亡者。焼け死に、茹だり死に、潰れ死んだ亡者たちがたちまちに生き返らされ、恐怖に泣き叫び、串に刺されようとして失神する残酷な責め苦の様が、鏡の面に映し出された。

 三人が、青ざめ震えて口々に許しを請う。

「だまれ! おのれの罪もわきまえず、ずうずうしいことを云う者は、無間の地獄へ叩き落してくれるぞ。」

 恐怖に涙を流し、三人は仕方なく口をつぐんだ。

「そして引き込み役を務めた者。お前は信じて雇い入れた主人を騙し裏切って、押し込みの先導をした。その罰として、大叫喚地獄行きを命ずる。舌を抜き取られ、咽喉を裂かれ、唇を縫い閉じられて助けを求めることもできずに苦しみのたうち、十分に苦しんだなら再び口を引き裂いて元へ戻し、また始めから舌を抜き、咽喉を裂き、唇を縫い閉じる、繰り返しの苦しみを、八千年の間受け続けるがいい。」

 まだ幼さの残る引き込み役の若者が、あわあわと言葉にならない声を上げる。


 死してなお罰を受けるために、地獄行きの判決が次々と兄貴分たちに下るのを、おとこはじっと恐怖に震えながら聞いていた。

 順に言い渡された判決は、とうとうおとこの番となる。どのような地獄へ堕とされて、どんな罰を受けることになるのかと、おとこは身を竦めて断罪を待つ。

 しかし、閻魔王は一番年の近い兄貴分に大叫喚地獄行きの判決を言い渡すと、云った。

「以上である、いずれも弁解の余地はあるまい。獄卒鬼ども、早々にこの重罪人どもを、それぞれの地獄へ引っ立てよ!」

 は、とかしこまる声がして赤青の獄卒鬼が現われ、それぞれ罪人をつかみ上げると、引きずるようにして地獄へと連れて行った。

 後に残された男は、安堵と不安の入り混じった顔で、唖然と閻魔王を見上げた。

「まだ分かんないのかい。」

 とびらのそばに立っていた女が、ぽつりと云った。

「判らぬらしいな。」

 閻魔王がそう云って、とぐちに立つ女と目を見交わす。おとこにはわけが判らない。

「さて、そこに控えし者。お前はまだ、ここに来るべきものではなかろう。具生神。」

「はい。この者の命はまだ、尽きてはございませぬ。」

「間違いは無いな。」

 閻魔王の問いに、間違いございませぬと答え、具生神がかしこまる。

「聞いたであろう、お前はまだひとの世にあるもの。とく立ち去るがよい。」

 おとこは途方に暮れる。

 はりつけとなった者が、生きているわけは無い。ここを出たところで、自分の体がはりつけ柱にくくられて、無残な様を晒しているだけである。

「――なにかの間違いです。私ははりつけに架けられて、確かに死んだはずでございます。」

 閻魔王と女が、再び困ったように顔を見合わせる。

「あのねえ、あんたははりつけなんぞに架かっちゃいないんだ。よく見てご覧よ。」

 女が堂の外を指差す。おとこは堂を走り出て、刑場に並ぶはりつけ柱の列を見る。

「数えてごらん、さっき地獄行きを言い渡されたのが十三人、そこにはりつけられているのは何人だい?」

 一本一本はりつけられている者の顔を確かめながら、おとこは数える。柱の数は十三本、いちばん下手にはりつけられているのは、断末魔の悲鳴を上げて逝った兄貴分だった――。

「分かったかい? あんたは確かに見張り役だったらしいが、怖気づいて途中で逃げ出したんだろう。番屋へ知らせたのもあんたかい? どちらにしろ、あんたは一味の中で、ひとり逃げおおせたのさ。」

 おとこはふらふらと、堂に向かった。

「判ったか。悪事を思いとどまったは悪いこととは云わぬが、お前は仲間を裏切った罪悪感に捉われて、自分も共にはりつけになったと思い込んだのだ。」

 浄玻璃の鏡の面がきらりと光る。

 ――うああああぁぁ…、ぎゃああああぁぁ…。

 炎に炙り責められ、熱さ痛さに耐え切れずに叫び喚くかしらたち三人の受苦の様が映っていた。

「地獄に置かれた者は無残であろう。お前もまた、彼らの仲間であったからには、この度は罪を免れたところでいずれ同じ運命が待っている。」

 ――さて、どうする。

 閻魔王が憐れむような目を男に向ける。

 おとこは悄然と項垂れた。


 気が付くと、辺りは闇に包まれていた。

 堂の中はすっかり静かになり、のっぺりとした木の板の浄玻璃の鏡もまた、光を映してはいない。

 目を上げると、女が戸口に立っていた。

「気がついたかい。」

 女が云った。

「――夢じゃないよ。今のはほんとにあったことさ。」

 おとこは、泣き崩れた。

 ――一緒に、死ねばよかった。

 つぶやくと、女はおとこをじろりと睨んだ。

「馬鹿いうんじゃないよ。もっとも、はりつけになる恐ろしさも、地獄の責め苦の苦しさも、知った上で死ぬって云うんなら止めやしないけどね。」

 無残な様が目に浮かび、恐怖がよみがえって、おとこは震えた。

「そらごらん。心にもないことは、云うんじゃないよ。」

 おとこはふらりと立ち上がる。

 外には名月と見まごうような、満月に数日はやい見事な月が中天にかかっている。

 月の光に照らされて浮かび上がる、はりつけ柱の列の前に膝を落とし、手を合わせ、裏切りを詫びて、おとこは号泣した。

  


「えん、あのおとこはどうした。」

 閻魔王が問う。

 数日後、仲秋の名月はあいにく厚い雲の中に姿を潜めていた。

「ききたい?」

 問い返すえんに、具生神が苦笑した。

「焦らさないで下さいませ。」

「あのおとこはね、自分が押し込みの一味だったと自首して出たよ。」

 具生神の顔が曇る。

「では、お仕置きに?」

 懐の司命録を繰りながら云う具生神に、えんは苦笑を返した。

「心配要らないよ。番屋に押し込みを知らせたのと、自首して出たので、罪一等減じられて島流しになったらしいけどね。」

 そうか、と閻魔王が肯いた。

 命が助かるとは云え、死んだほうがましと思えるほど、島の暮らしは辛いと聞く。それでも、まだ生きて罪を償う機会が残されるだけましだろう。えんは、そう思った。

 わずかな雲の切れ間から、くすんだ満月がちらりと姿を見せる。

 とびらの隙間から月を見上げ、目を戻せば堂内はすでに暗闇に沈んでいる。

 闇の中に並ぶ木造りの像に、えんはそっと背を向けた。

降り出しそうな空から漏れるわずかな月明かりに、のっぺりとした木造りの浄玻璃の鏡が静かに浮かんでいた。



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― 新着の感想 ―
[一言] 大好きなシリーズです。何度も読み返しています。 特に具生神様がかっこいい……。
2011/11/26 05:02 退会済み
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