プロローグ
タッタッタッとリズミカルな音を立ててカイルが走る。私を抱えながら。
軽い足取りなのにそのスピードは私が走るより速くて、落ちないように私はカイルの首もとにしがみついていた。
彼の灰色の髪がなびいて、精悍な顔を露わにする。
すっと切れ上がった目に碧の瞳が輝き、まっすぐ前を見据えているのが超近距離で見えた。
(かっこいい……!)
思わずうっとりするけれど、私たちが目指している場所のほうから鋭い声が響いてきて、私は気を引き締める。今はカイルに見惚れている場合ではないのだ。
「エブリア・ケルヴィン! 貴様との婚約を破棄する!」
王太子殿下が冷たく宣言する声だった。
とうとう決定的な言葉が告げられてしまった。
それを聞いた私は焦って、カイルを見上げる。
「カイル……」
「大丈夫です。今なら間に合いますよ、アイリ様」
チラリと視線を私に向けてくれて、いつも冷静なカイルが慰めてくれる。
たしかに、大ホールの入口は目の前だ。
さらに、王太子殿下に答えるエブリア様の声も聞こえてきた。ゆったりとかまえた余裕のある様子だ。
「あら、それはどういった理由でしょうか? 詳しくお聞かせ願いますか?」
優雅に扇子をあおいでいらっしゃるエブリア様の姿が目に浮かぶ。
この状況でこんなに落ち着いていられるなんて、さすがエブリア様だわ。
私の到着まで、話を引き延ばそうとしてくれているに違いない。
「そんなの決まっている。聖女を拐かした罪だ。アイリはいったいどこにいる!? どこに隠した?」
王太子殿下は厳しい声でエブリア様を問いただす。
(ここよ! あぁ、なんとか間に合ったわ……)
心の中で王太子殿下に答えながら、ホールの重厚な扉の前に着いた私はほっとした。
カイルに下ろしてもらい、バンッと扉を開け放つ。
「アイリはここにおります!」
卒業パーティーに集まった人々の視線が一気に私に集まった。
好奇心、敵対心、猜疑心……さまざまな視線が私を突き刺す。
(怖い。やっぱりこれは私のキャラじゃなかったわ)
思わず私はカイルのしなやかな体躯の影に隠れてしまった。
カイルは右腕を広げて、私をかばうしぐさをする。
これで安心。カイルはなにがあっても私を守ってくれる。
この愛しい人の背中に守られていれば、なにも怖くないと息をつく。
でも、それじゃだめだ。今までの努力が無になってしまう。
私は意を決してカイルの背後から顔を出した。彼の袖を握りしめつつ。
カイルが見守ってくれている。
その瞳はいつものように感情を表さないけれど、大丈夫だと言っているのがわかる。
それに勇気づけられて、私は口を開いた——。
◆◆◆
「カイル……」
「はい、アイリ様。どうされましたか?」
食後に自室へ戻られたアイリ様に呼ばれて、俺は尻尾がパタパタしないように抑えつつ、平静を装った顔で答えた。
俺の主人は控えめに言って天使だ。見た目も可愛ければ中身も可愛い。
アイリ・ラウーヤ男爵令嬢。
(名前からして可愛いよな)
ピンク色の腰まである髪の毛はいつも艶やかで、チョコレートブラウンの大きな瞳はキラキラ輝いている。その笑顔といったら、見たものを昇天させてしまうほどのインパクトだ。
右目の下の泣きぼくろは色っぽく、唇はプルンとしていて、男心を誘う。
最近は胸の発達がすさまじくて、目のやり場に困ることが多々ある。
そんな魅惑的な外見に反して、お嬢様は驕るどころかどちらかというと控えめで心優しく、俺のような使用人にも分け隔てなく接してくれる。
やっぱり天使だ。
『カイル』
その可憐な声で名前を呼ばれるたびに、頭の中に花が咲く。しっかりしまっておかないと、尻尾を激しく振ってしまいそうになるのだ。
そう、犬の獣人であるというのに俺はそのアイリ様の側仕えを許されている。
「あなたは私をいやらしい目で見ないから安心できるわ」
ソファーに座り、俺を隣に招き寄せたアイリ様は、ぽてっと俺の胸に頭をもたれかけ、つぶやいた。
二人きりのときは、こうして気を許してくださるのだ。
最近、ますます美しくなったアイリ様は、男の不躾な目線が気になるようで、嘆くことが増えた。
(可愛い!!! たまらん!!! こんな可愛いなんて卑怯だろ!!!)
罪作りなアイリ様は、ときどきこうして俺の理性を試すようなことをされる。
でも、俺はバリバリいやらしい目で見ていることなど気取られないように、クールに装い、うなずく。
「もちろんです。俺でアイリ様の気が少しでも休まればいいのですが」
幸い、俺の表情筋は、幼いころから使わないうちにこわばって死んでいた。だから、心情を見せないことには自信がある。
どんなに毎晩ムラムラしていようと、アイリ様を脅かすことをするつもりもないし、アイリ様をお慕いする気持ちは墓場まで持っていくつもりだ。
アイリ様に余計な気を遣わせたくない。
俺は彼女のそばにいられたらそれでいいのだ。
「すっごく休まってるわ。いつもありがとう、カイル」
にっこり微笑んで抱きついてくるアイリ様が可愛すぎてつらい。
(キューーーート!!! ううう、俺を悶え死にさせるおつもりですかーーーっ!!!)
天使の微笑みに胸を撃ち抜かれて痛いほどだ。心臓発作で死ぬのではないかと毎日思う。
今のところ、まだ死んではいないようだが。
だけど、アイリ様がそんな可愛らしい笑顔を曇らせた。
「でも、今度、王立学校に編入でしょ? 私が聖女なんて信じられないわ。ちゃんとやれるかしら?」
瞳を翳らせてアイリ様が自信なげにつぶやく。
そうだった。俺のお嬢様は先日十八歳の誕生日に『浄化魔法』を発現されて、聖女となった。
さすがアイリ様だ。やっぱり天使だった。いや、聖女様か。
浄化魔法は、毒、疫病、呪い、その他、人の精神にマイナスするようなものを消し去るらしい。
それは聖女しか持たない特別な力で、保護する――つまり、王国に囲い込むために、アイリ様は王宮に部屋を与えられて、王立学校に編入することになったのだ。
平凡に暮らしたいと望むアイリ様の希望とはうらはらに、きらびやかな生活を送ることになってしまった。今後、同級生である王太子を始め、王族の面々とやり取りがあるということも、不安に思われているようだ。
平和な今、とりたてて聖女の仕事があるわけではない。ただし、戦時となれば相手の精神攻撃や毒攻撃に備えなければならないし、疫病が蔓延したときにも浄化できるように、聖女を教育しておかないといけないという。
(お気の毒なアイリ様……)
奥ゆかしいアイリ様は目立つことが苦手だ。
それなのに、聖女に認定されたから、願いとは真逆の立場になってしまった。
聖女と持ち上げられても、負担の方が多くなりそうだ。
そう思ったものの、俺は不安そうなアイリ様を勇気づけるように言った。
「アイリ様なら大丈夫です。きっとうまくやれます」
「そうかな? カイルがだけが頼りだわ。ついてきてくれて本当にうれしい」
俺の手をにぎにぎしながら、アイリ様が見上げてくる。
うるうるした目が愛らしすぎて、呼吸困難に陥りそうになった。
(キューーーン。もちろんです! カイルはどこまでもついていきます!)
「もったいないお言葉です」
テンションが上がりまくりな俺は、顔は平静に、そう返すしかできなかった。
もちろん、王宮にも学校にも俺は付き従っていくことになっている。
王家の遣わした正式な護衛はいるものの、アイリ様のたっての希望で、四六時中おそばに控えているのは俺だけだ。
その信頼にお応えして、聖女だということで群がってきそうな有象無象からアイリ様をお守りしなくては!
固い決意とともに拳を握りしめた。




