6 焦るでしょうね
「リミアリア」
どこか愛おしげに自分の名を呼ぶ声が聞こえ、リミアリアは重いまぶたをゆっくりと開いた。
「起きたか? 疲れているのはわかるが、寝るならベッドで寝ろ。ほら、目的地に着いたぞ」
「も、申し訳ございません!」
目を瞬かせた後、状況を把握したリミアリアは、アドルファスに預けていた体を慌てて離した。
繁華街に着く手前で、馬車を乗り換えており、その時にふたりは御者台からキャビンに移っていた。
目的地までは馬車で三時間程あり、リミアリアは昨日の疲れもあって途中で眠ってしまっていたのだ。
そんな彼女にアドルファスが自分の着ていた外套をかけてやると、無意識にリミアリアは彼の身体に身を預けていた。
「気にすんな。疲れてたんだろう」
「で、ですが、第二王子殿下になんてことを! 本当に申し訳ございません!」
「もう謝るな。学園時代のお前はこんなことで謝らなかったぞ」
呆れた顔で見つめられ、リミアリアはアドルファスとの過去のやり取りを思い出す。
クラブでは毒草について調べるだけでなく、解毒薬の作り方も学んでいた。
十代前半のアドルファスは、ヤンチャ少年で王子らしくないところがあった。
解毒薬の作り方を講師に教えてもらうと、講師が席を外している間にわざと毒を飲んで解毒薬の効果を確かめていた。
その度にリミアリアが説教をしていたのだ。
アドルファスは双子の兄とはとても仲が良いが、兄ばかり優先され、自分は必要とされていない人間なのだと無意識に思っていたところがある。
幼い頃のリミアリアは、そんな彼の気持ちを感じ取り『アドルファス様に死んでほしくないから、馬鹿なことはやめて』と、彼の側近候補たちと共に訴え続けた。
成長していくうちに、アドルファスもそんな馬鹿なことはやめたが、リミアリアがいなければ、いまだに負の感情が残っていたかもしれない。
(そういえば、出会った頃のアドルファス様って何か無茶なことをして叱られる度に、俺はスペアだからいいんだ、って言うのが口癖だったのに、いつしか言わなくなったわね。もしかして、構ってほしかっただけ? 自分が必要とされていると自覚してきたから、そんなことを言わなくなったのかしら)
学園時代の自分ではなく、アドルファスのことを思い出し、リミアリアはくすりと笑う。
「どうした?」
「学生時代のことを思い出したんです」
「自分が馬鹿なことをしてたって?」
「違います! 昔のアドルファス様って愛に飢えていたのかなと思ったんです」
「うるせぇな。ほら、とっとと降りろ」
アドルファスはリミアリアよりも先に馬車から降り、不機嫌そうな顔で彼女に手を差し伸べた。
(図星だったのね)
「ありがとうございます」
アドルファスの手を借り、笑顔で馬車から降りたリミアリアは、目の前に建っている新居を見つめた。
三階建ての木造の洋館で、客室は全部で二十以上ある。
ひとりで住むには大きすぎるが、近いうちにここに住む人数が増えるため、ちょうどいいくらいだ。邸の周りには長年放置された庭と木の塀があり、少しずつ綺麗にしていく予定を立てている。
リミアリアの新居は王都との境界線に近いイランデス伯爵領内にある。
この地に決めたのは、領地視察をした際に治安が良かったことや、何かあっても川にかかる橋を渡れば、すぐに王都に逃げられるというメリットがあったからだ。
アドルファスには戦地にいるエマオがどんな状況か教えてもらうだけで十分だと考え、自分の新しい生活のために、自分自身の手でこの日までに色々な準備を進めてきた。
リミアリアの横に立ち、話には聞いていたが、初めて見る屋敷を眺めながらアドルファスが尋ねる。
「イランデス伯爵家に勤めている使用人や兵士たちは、ここで働くんだよな?」
「はい。住み込みが可能なら、今よりも給料が低くなってもいいと、多くの使用人が言ってくれたんです」
リミアリアは、学生時代に培った知識を生かし、この一年の間に解毒薬を作り、販売できる資格を取った。
万が一のためにと、解毒薬を手元に置いておこうとする貴族が多く、高値で売ることができるため、今のところ、お金に困ることはない。
「解毒薬をできるだけ多く売り、たくさん儲けて、みんなにイランデス伯爵邸で働いていた時よりも多くのお給料を出してあげたいんです。そして、この屋敷や周辺の地域を住みやすい場所に変えたいと思います」
「そうか」
自分を優しく見つめるアドルファスに、リミアリアは微笑む。
「良かったら中に入りませんか。まだ、中には誰もいませんが、住めるように最低限のものはもう揃えているんです。お茶くらいは出せますよ」
「いつから準備してたんだ?」
「エマオ様が帰って来るとわかってから本格的に始めました。地域住民との交流も兼ねて、新生活に必要なものを色々と買っておいたんです」
「伯爵夫人が庶民の店で買い物をすることをおかしいと怪しまれなかったのか?」
怪訝そうなアドルファスに、リミアリアは笑顔で答える。
「おかしいと思っている人もいるみたいでしたけど、現金支払いでしたし、たくさん買ってくれるならそれでいいといった感じでしたね」
新しい生活にわくわくしているといった様子のリミアリアを見て、アドルファスは優しい笑みを浮かべる。
「……じゃあ、お言葉に甘えるかな」
護衛騎士たちと共に、邸に続く石畳のアプローチを歩きながら、リミアリアはアドルファスに尋ねた。
「この後はどうするおつもりなんですか?」
「そうだな。まずはカビルたちと合流してから、エマオに手紙を送る」
「手紙ですか?」
「ああ。まだ、リミアリアとエマオの離婚は公にされてない。離婚のことは知らないふりをして、エマオの妻のリミアリアとは親しい仲だから、ぜひ会って話したいって内容の手紙を送りつける」
「その手紙を読んだら、エマオ様は焦るでしょうね」
「だろうな」
苦笑するリミアリアを見て、アドルファスは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。




