18 捨てたものに用なんかないでしょう?
「すぐに返答ができないということは、忘れてしまわれたようですね」
「ち、違う。わ、忘れたわけではないんだ」
「忘れていないのなら帰ってください」
エマオは予想外の出来事に動揺していた。
アドルファスがリミアリアに好意を寄せていることはわかっていたが、平民になった彼女と恋仲になることはできない。
アドルファスはただ、リミアリアの生活を影からサポートするだけだと思っていた。
エマオは、リミアリアが解毒薬を作れることを知らない。だから、リミアリアの生活は苦しいだろうし、彼女はすぐに泣きついてくると思っていた。だが、それは予想であり、現実とは違うことがわかり、どうリミアリアに接すればいいのかわからなくなった。
エマオを見つめるリミアリアの表情は冷たく、復縁を望んでいるようには見えなかった。
普通の神経の持ち主なら諦めるところだが、エマオは違った。
ここに来たことがアドルファスにバレてしまえば、自分の命はない。生きるためには、どうにかしてリミアリアを懐柔し、リミアリア自身がエマオに会うことを望んだようにしなければならなかった。
エマオは笑顔を作って、リミアリアに話しかける。
「リミアリア、俺はお前を捨ててなんかいない。この馬鹿に騙されて離婚しただけなんだよ。今になってやっと気づいた。お前は俺の妻としてよくやってくれていた!」
この馬鹿と言った時に指を差されたフラワは、怒りで目を吊り上げた。
「馬鹿ですって? それはエマオ様のほうでしょう! 何をいまさら、リミアリアに媚びているんですか!」
「うるさい! 黙ってろ!」
「きゃあっ!」
エマオは、立ち上がって抗議したフラワの頬をまた殴った。
(この人は暴力をふるえば何でも解決すると思っているのかしら)
こんな男の相手を真面目にしていられない。それにいくら縁を切った相手とはいえ、人が暴力をふるわれているところを見るのは嫌だった。
「あなたが捨てていないとおっしゃるのであれば、こうしましょう」
「……なんだ?」
フラワとの口論をやめて、エマオは希望に満ちあふれた目でリミアリアを見つめた。
「当時、あなたの妻だった私があなたを捨てたのです」
「……なんだって?」
「義姉と浮気するような夫などいりません。ですから、私があなたのことをどう思っているかはわかりますよね?」
「わ、わからない。何を言ってるんだ!?」
フラワはエマオを見てにやにやと笑っているが、そんなことに気づけないほど、エマオは焦っていた。
冷や汗を流し始めたエマオに、子供に言い聞かせるように優しく話しかける。
「あなたが私を捨てると言った時、捨てたものに用などないとも言っていましたよね。なら、私も同じことを考えると思いませんか」
「何が言いたいんだ?」
「そのままです。あなたが私を捨てた時、私もあなたを捨てたのです。捨てたものに用なんかないでしょう? ですから、お帰りいただけますか?」
「そ、それは困る!」
エマオはリミアリアに手を伸ばそうとしたが、殺意を感じて動きを止めた。
「あ……、あっ」
エマオの額から吹き出すように汗が流れ出る。
声にならない声を上げながら、エマオはリミアリアの背後を指差した。
リミアリアは今まで感じなかった肌寒さを覚えながら、後ろを振り返る。
階段の踊り場にいた人物は、階段をゆっくり下りながら、エマオに問いかけた。
「おかしいな。どうして、イランデス伯爵がここにいるんだ?」
アドルファスに問いかけられたエマオは、助けを求めるようにリミアリアを見つめた。
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エマオの視線に気がついてはいたが、リミアリアは気付かないふりをして、アドルファスに微笑む。
「アドルファス様」
リミアリアが名を呼ぶと、アドルファスは表情を緩めた。
張り詰めていた空気が一瞬にして和らいだが、エマオの体は震えたままだ。
「悪いな。黙っていられなかった」
「いえ。すぐに追い返せなかった私が悪いのです。時間がかかってしまい申し訳ございません」
「リミアリアの今の立場では、言いにくいこともあるだろうから気にするな。というか、本当にしつこい男だな」
アドルファスはリミアリアの横に立つと、エマオを睨みつけて言った。
(どうして、アドルファス殿下がいるんだ? ふたりは俺が思っていたよりも、もっと親しい間柄なのか⁉)
エマオは視線を逸らし、必死にこの場をどう乗り切るか頭を巡らした。そして、媚びた笑みを浮かべながら、アドルファスに話しかける。
「アドルファス殿下、あなたがどうしてここにいらっしゃるんですか?」
「友人の家に遊びに来ていただけだ」
「アドルファス殿下は本当にリミアリアと仲が良いのですね。もっと早くに教えてくだされば良かったのに」
「教えて何になるんだ?」
「あ、いえ、その、尊敬するアドルファス殿下とリミアリアの仲が良いと知っていれば」
「浮気はしなかったって言いたいのか?」
「……申し訳ございません」
このままでは墓穴を掘っていくだけのような気がして、エマオは口を閉ざした。すると、黙って様子を見守っていたフラワが動き出す。
「私もアドルファス殿下と仲良くしたいです!」
フラワは上目遣いでアドルファスを見つめた。
彼女は頬を染め、目を潤ませて見上げることで、多くの男性を落としてきた。今回も自信があったのだが、アドルファスには全く効果がないということをすっかり忘れていた。
「断る」
「え?」
「断るって言ったんだよ」
「アドルファス殿下、どうしてそんなに私を拒むのですか? もしかして、リミアリアに私の悪口を吹き込まれたのですか?」
「別に。事実を聞いただけだ」
「事実かどうか確かめるために、お話をする時間をいただけませんか?」
笑顔で近づこうとしたフラワだったが、エマオに腕をつかまれた。
「何をするんですか⁉ 離してくださいよ!」
必死に抵抗するフラワの腕をつかんだまま、エマオはアドルファスに訴える。
「アドルファス殿下、聞いてください! 私はリミアリアに近づくつもりはありませんでした! この女に騙されて連れてこられたのです!」
(フラワが俺を誘惑しなければ、こんなことにならなかった。悪いのはフラワだ! 全ての罪をこいつにかぶってもらう!)
エマオは絶対に離さないと言わんばかりに、フラワの腕を握りしめた。




