9. 競争
朝早くからさえずる鳥の声でスタークは目を覚ました。広いベッドの端っこにはカインがお腹を出して寝ている。ベッドから出るとスタークは自分の右手を前に出し、掌をグーパーグーパーさせて腕を振り回してみた。痛みは感じない。
昨日、アリアと手が触れた瞬間、ズンッと腕が重たくなり、まるで空気に圧迫されるように腕や指の骨がバキッと音をたてた。防御膜を張ったのは反射的だった。その反動でアリアと自分達の身体が吹っ飛んだ。あのまま手が離れなければお互いにどうなっていたのか、考えるとゾッとする。
あの場にジェイドがいなかったら…。ちょっとした切り傷程度を修復する治癒なら自分でもできる。でもあのアリアの火傷を跡形もなく、そしてスタークの骨をここまで修復できるのは、王宮に仕える治癒士並みだ。彼が魔聖と呼ばれる理由はそこにある。騎士団長であり、魔聖、要するに攻撃魔法も防御魔法も、そして治癒魔法も常人並みではないからだ。
あんな爆発を起こしてアリアにあんな怪我を負わせたのに、カインも大人達もまるで何事も無かったかのようにスタークに接してくれる。元々、カインの家族はおおらかで楽天的だ。だからこそ罪悪感もある。自分よりも二つ下の女の子に痛い思いをさせてしまった。
気を遣ったのか、カインはスタークと寝ると言って枕を持って部屋に入って来た。長旅とエンタングルメントで疲れたのか、カインはあっという間に眠ってしまったが、スタークはエンタングルメントの衝撃がトラウマでちょこちょこ目が覚めていた。
カーテンを開け、窓を開ける。王都では聞けない小鳥の声に少し癒やされる。鍛錬用の服に着替え、持って来た剣を持ち、カインが目を覚まさないよう、音を立てずに部屋を出た。
「あ、坊ちゃま、おはようございます。早いのですね」
メイド長のエマが優しい笑顔で挨拶して来た。ヴィオラの部屋に顔を洗うための水を運んできたようだった。
「おはようございます。剣でも素振りしようと思っているんですが、屋敷の庭に出てもいいですか?」
「あぁ、それなら中庭にどうぞ。ジェイド様とアリア様も今行きましたよ」
それを聞いてスタークは慌てて中庭に出た。
「!…」
アリアがパンツ姿で髪をポニーテールにし、自分の背丈の半分以上ある剣を振り回していた。ジェイドはアリアの攻撃を木の棒でかわしながらアドバイスをしている。
「もっと踏み込め!」
「はい!」
とても二つ下の女の子とは思えないキレとスピードにスタークは目を奪われる。まだ初等学校にも入れない六歳児が額に汗を描きながら必死にジェイドに飛びかかっている。
「踏込と同時に防御膜を貼れ!」
言われた通り、防御膜を張るが薄すぎてジェイドの木の棒が簡単に突き破り、アリアの喉元でピタッと止まった。
「お前は動作をしながらだと魔法が弱い。同時にできないと意味がない」
「はい」
肩で息をしながらアリアは返事をした。
スタークはその稽古を見ながら身震いする。まさに実戦を想定した剣術だ。ピエール第四王子と一緒に受ける剣術の稽古は型があり、絶対に実戦では通用しない。
そう言われてみれば、カインも剣術の授業では確実に上手い。
こんな稽古を受けたかったと、わくわくする気持ちを抑えられず、スタークは食い入るように二人を見る。
「! おはよう、もう起きたのか。疲れただろうからまだ寝かせとこうと思ってたんだ」
スタークに気付いたジェイドはそう言ってスタークの右手を気にした。
「おはようございます、もうすっかり治ってます。ありがとうございました」
「私だってとっくの昔に治ってるわ」
ツンとしたアリアにスタークはホッとする。
「…よかった。おはよう、アリア」
「…おはよう」
アリアはスタークの顔を見ないで渋々挨拶した。
「ジェイドさん、アリアの次に稽古を付けてもらえますか?」
「ああ、もちろん。…アリア、ちょっと離れて見てなさい」
「はい」
アリアは木陰の椅子にちょこんと座り、お手並み拝見とばかりにこっちを見ている。ジェイドは木で出来た少し重みのある剣をスタークに渡す。
「中庭だから、剣術のみ、攻撃魔法は無しだ。防御は使っていい」
「はい」
「さぁ、私の身体に傷をつけれるかな?」
スタークは思いっきり剣を振り、踏み込んだ。木と木がぶつかる音が聞こえる。無駄のないスタークの動きは自分がどう動くかで相手の次の行動を先読みしている。
スタークの動きは素晴らしいが、もちろんジェイドの相手ではない。すばしっこく果敢に攻めてはくるが、打撃の弱さと体力の無さはやはり王都育ちのお坊ちゃまだ。
「打ち込んだ後脇ががら空きだ! 戦場では一対一で戦えることの方が少ないぞ!」
「はい!」
スタークの額に汗が滴る。ジェイドはティムや自分よりも一つ高いレベルで教えている。アリアはその姿を見て悔しくて爪を噛んだ。
「面白い動きだ。でも、明らかに体幹が弱いな!」
そう言ってスタークが踏み込みと同時にに防御膜を張ろうとした瞬間、ジェイドの棒がスタークの左ももにピタッと止まった。
「今ので君の足は切れてたな」
たった十分も満たない差し合いにスタークは肩で息をして汗びっしょりになっている。それなのにワクワクした瞳でジェイドを見ている。
「動きは悪くない。変則的な動きで相手の意表を突けるが…そうだな、圧倒的に体力と力が弱い。体幹も鍛えないとな」
「は、はい!」
「誰に稽古してもらってるんだ?」
「モーリア卿です。王宮でピエール第四王子と一緒に…」
「モーリア卿かぁ。うーん…君が十歳になったらマリウスに頼んでやろうか?」
「え? マリウスって、マリウス騎士団長ですか?」
「ああ、そうだよ。マリウスは私が教えた。それこそ、始めた時は十歳のガキだったよ」
明らかにジェイドが楽しそうに指導しているのを見るとアリアはムカムカとして立ち上がり、素振りを始めた。それを横目に見てジェイドはフッと笑う。
「良い刺激になったかな。…スターク、君が本当に強くなりたいのなら、まずは体力だ。おそらく、アリアは普段からこの田舎を村の子供達と毎日走り回っているから、君やカインより体力はある」
「はい」
「体力が上がれば魔力量も上がる。それと腕立て、腹筋、後、体幹を鍛える稽古も必要だ」
「わかりました」
スタークはそう言って向こうでムキになって素振りをしているアリアを見た。
「ジェイドさん」
「何だ?」
「僕の魔力量が増えれば、アリアと握手ができるようになりますか?」
ジェイドはスタークの質問に目を丸くした。そしてフッと笑う。
「ああ、そうだな。君が上回ればね。ただ、覚えとけ、アリアも強くなる。なんてったって、私が教えるんだから」
ジェイドの言葉にスタークは自信に満ちた表情で微笑んだ。
「圧倒的に上回ります」
3日目、アリアの案内でカインとスタークは屋敷の裏にある森を抜け、川を辿って山を登り、滝のある場所に遊びに来た。
「わぁ!すごい滝! 水がキレイだ!」
カインは滝壺を覗き、水を手ですくう。
「あ、魚がいる!」
「そうだ、3人で競争しない? 魚を何匹捕まえられるか」
アリアがニヤリと笑う。
「この魚、とても美味しいのよ。前、ハトリにムニエルにしてもらったの!」
「いいねぇ、ムニエル。競争って、魔法で?」
「いいえ」
「釣り竿なんて持ってきてないよ?」
「いらないわよ。手で捕まえるの」
アリアはそう言ってワンピースをぬぎ、キャミソール1枚になった。白い肌があらわになり、カインもスタークもビックリして目をそらす。
「だ、ダメだよ、アリア! 服を着なきゃ」
「だって、濡れちゃうもん」
「君は女の子なんだから!」
スタークは脱ぎ捨てたワンピースを拾い、渡そうとしたが、エンタングルメントを思い出し、カインに渡した。直接肌と肌が触れ合わなければ大丈夫なのに、スタークは決してアリアに直接物を渡したりしない。
スタークの言葉にアリアはまたムッとしてスタークをキッと睨む。
「さぁ、行くわよ。よーいどん」
アリアはキャミソールのまま、川の中に入った。
「もう…仕方ないなあ」
カインもスタークも顔を見合わせ、川の中に渋々足を踏み入れた。
「うわ、思ったより冷たい!」
「! これ、手で捕まえるの?」
スタークは足元を通り過ぎた三〇センチ程の魚を見て困った表情でアリアを見た。
「あぁ~、お兄様達、都会っ子だから魚を素手で触るの怖いんでしょ?」
まるで小悪魔のように二人を見て、ニヤリと笑う。
「なんなら、二対一でもいいわよ。私より二人で魚を多く捕まえられたらお兄様達の勝ち」
「よし、スターク、頑張るぞ!」
「ああ、やってみよう!」
三人はビショビショに濡れながら夢中で魚を捕まえた。
川岸の上には魚が無造作に置かれている。スタークとカイン二人で7匹、アリアは一人で七匹捕まえた。岸に上がり、アリアはキャミソール姿で魚を数えている。
「何だ、引き分けかぁ。クシュン」
アリアの小さいくしゃみにカインは背中から魔法で風を送り、乾かそうとする。
「ちょっと寒いな」
自分も全身濡れているので鳥肌が立つ。
「待って。防御膜に入って」
スタークが三人が入れるくらいの防御膜を張る。
「うわ、暖かい。これ、火魔法?」
「火じゃなくて烈火だけどね。カインはそのまま風を出してくれ」
「分かった」
防御膜の中で暖かい風が吹き、服や髪はどんどん乾いていく。
「気持ちいい」
アリアが笑顔を見せた。カインとスタークはそれを見て微笑む.。
「アリア、約束して。絶対に人前で下着姿になっちゃダメだからね」
カインは先ほどアリアが脱いたワンピースを手渡した。
「えー、でも」
「アリアは女の子なんだから」
スタークの言葉にアリアはまたムッとする。
「なんで男はよくて女はダメなのよ?」
「う…それは」
カインはどう説明していいかわからず、言葉に詰まる。
「よく考えてみて。ヴィオラさんやピアナさんが人前で裸になったらアリアはどう思う?」
「! な、なんか少し恥ずかしいわ…いけない気がする」
「そうだよ! 母上もお祖母様も絶対人前でドレスは脱がないよ!」
「だよね。アリアもレディでしょ?」
「そ、そうよ」
「約束して。村の子がそうしてても、アリアはしないで」
群青色の澄んだ目でスタークがアリアを見て言った。アリアは恥ずかしくなり、顔を赤くしてワンピースを着る。
「分かったわ」
カインとスタークはホッとして顔を見合わせた。
王都に帰る日を迎えた。スタークはジェイドとの剣術の稽古で今までにない手応えを感じていた。ジェイドに習った筋力を鍛えるためのトレーニングもジョギングもすでに三日前から始めている。
「お昼に食べて下さい」
シェフのハトリはサンドイッチと庭で採れたラズベリーパイが入ったバスケットをヴィオラに渡した。
「わぁ、ありがとう。お昼が楽しみだわ」
アリアはピアナの後ろに隠れるように馬車に荷物が積まれるのを見つめている。三人が帰るのが寂しいのか、朝食の時も大人しかった。
「ジェイドさん、ありがとうございました。色々勉強になりました」
スタークはそう言って深々と頭を下げた。
「また来なさい。まぁ…、アリアのお許しがあればだがね」
ジェイドはわざとニヤリと笑い、ピアナの後ろに隠れているアリアを見た。アリアはスタークとカインの側に駆け寄り、気まずそうに口を開いた。
「最初のあれは…ママとお祖母様が選んでくれたお洋服が焼けたから…ビックリして泣いただけよ。だから…」
アリアはスタークを見て三〇センチ程の木の枝をスタークに差し出した。受け取るにもエンタングルメントを起こしてしまうかも知れないとスタークは躊躇する。
「大丈夫よ。アカジャールの木の枝だから。アカジャールの木は魔法をなくしてくれるってお祖父様が言ったの。私達の握手はこれよ」
スタークはジェイドを見る。
「森の奥にアカジャールの木がある。アリアが朝早く取ってきたんだ。次来る時はアカジャールの木で剣を作ってあげよう。そうすればアリアと剣で稽古が出来る」
スタークは嬉しそうに微笑んでアリアを見てその枝を握った。
「…ありがとう」
「私、絶対にあなたより強くなるんだから」
アリアはそう言って笑った。スタークに向けられた笑顔にスタークは嬉しくなる。
「僕の方が強くなる」
「僕だって強くなるんだ」
カインも慌てて声を挙げた。
「じゃあ、競争ね」
アリアの言葉に二人は頷いた。