42. 幸せな姫君
ヨルンは少し緊張した表情でアリアの手を取った。曲が始まると二人は軽やかに踊り始める。
__アリアも緊張してる?
スタークは二階から二人を見つめる。口元は微笑んでいるが、スタークには分かる。ヨルンと初めてカフェで会った時もそうだった。
あの時、ヨルンはアリアのことをダリアと呼んだ。カインも自分もアリアの名前をヨルンには教えてなかった。
「スターク様とは仲がよろしいのですね」
「ああ、カラパイトではすごく世話になった。あの国で僕をチヤホヤしないのはあいつだけだよ」
「あら、チヤホヤされたかったのですか?」
「いや。一緒にいて楽だったよ。僕の魔力が暴走した時も、あいつはなんのためらいもなく烈火で僕の氷を焼き尽くしたんだ。お陰で僕は火傷したけどね」
「フフ、よく処罰されませんでしたね」
「僕の火傷を証拠隠滅って言いながら治癒魔法で消してたよ」
「スタークらしいわ」
アリアがふと見せた笑みにヨルンは少し考えているようだった。
「…昔、僕はジオルグの姫と婚約したんだ」
踊りながらヨルンは口を開いた。アリアは笑みを崩さない。
「あら、そうなんですね」
「君と同じ、濃いハチミツ色の瞳をしていたんだ。髪も、銀色で。初めて見た時、天使かと思ったんだ」
「おいくつの時ですか?」
「…僕が六歳の時。その姫はまだ四歳だったよ」
「よく覚えてらっしゃるんですね」
「ああ。二人で黄色い花を摘んだんだ」
「すてきな思い出ですね。…その姫君はどうなされたんですか?」
「…ジオルグはその後内乱が起き、姫は殺されたと聞いた」
「まぁ…かわいそうに」
ヨルンはアリアの瞳を見た。
「本当は生きてるんじゃないかと…何度も思ったんだ」
「どうしてですか?」
「生きていて…ほしかったから」
ヨルンの瞳が濡れている気がした。
「…君は」
ヨルンはそう言いかけて飲み込んだ。
曲が終わりに近づく。アリアは笑みを崩さず尋ねた。
「もし。私がその姫君だったら、ヨルン王子はどうするつもりだったのですか?」
アリアの質問にヨルンは色んなことを思い浮かべる。しかしアリアの横に自分がいる想像ができなかった。
「…何もできないさ。…君の恋人は君を一番幸せにしてくれる男だ」
ヨルンはそう言って二階のスタークを見て微笑んだ。アリアは少し胸が熱くなるのを感じながらぐっと堪えた。
「…幸せですね、その姫君は。お亡くなりになっても…あなたみたいな素敵な王子様にそんなに思われているんですから」
アリアの言葉にヨルンは微笑み、吹っ切れたように息を吐いた。
曲が終わり、お互いにお辞儀をする。
「ありがとう、アリア嬢。早く手を離さないとスタークに焼かれてしまう」
そう言っていつの間にか二階から降りてきているスタークにアリアを渡した。
「僕の方が君よりダンスは上手だったんじゃないかな?なんならラストダンスも代わってやろうか?」
ヨルンはニヤリと笑ってスタークを煽る。スタークは微笑んでアリアの手を優しく握った。
「ダンスは上手い下手じゃなく、息が合うかどうかですよ」
「こんな余裕のないスタークは初めて見るよ。さ、僕も次は誰と踊ろうかな」
そう言ってヨルンはその場を離れた。
「疲れてない?」
ラストダンスの前にスタークは飲み物をアリアに渡しながら尋ねた。
「ええ、たった二曲、踊っただけよ?」
アリアはそう言って笑顔で誤魔化した。スタークには心の動揺が見透かされそうで怖い。
ヨルンにシラを切り通した。子供の頃の記憶はうっすらとある。黒髪の男の子と花を摘んだ記憶。婚約者なんて言葉さえも知らずに、ただ花を摘んで遊んだ。
__もし、違う過去があったなら、私はあの王子の隣にいたのかもしれない。
ヨルン王子の濡れた瞳に応えてあげたいと一瞬思った。けれどそれは決してしてはいけないこと。ジオルグの姫はもういない。
曲が始まる前にスタークの手の中に紙切れが舞い込んだ。
__風メール?
スタークはそれを見てハッとし、離れた所で令嬢にダンスを申し込んでいるヨルンを見た。ちょうどその時、ヨルンの手の中にも同じように風メールが舞い込む。
「スターク、始まるわよ。どうかした?」
「…ああ、なんでもない」
スタークは紙切れをポケットにしまい、笑顔でアリアの手を取り、腰に手を回した。
アリアの顔が少し赤くなった気がした。やはり、スタークだと近くて照れてしまう。
「アリア、照れてる?」
踊りながらスタークは意地悪そうに尋ねた。
「別に」
強がる表情にスタークは微笑んだ。ヨルンと踊っている時の笑顔ではないことに少し優越感を抱く。
「ヨルン王子とは何を話したの?」
「スタークがヨルン王子に火傷させたこと聞いちゃったわ。証拠隠滅で治癒したんだって?」
「あーね。氷魔法は普通の火じゃ溶けないからね」
「スタークだけは自分をチヤホヤしないって言ってたわ」
「なんで俺が男にチヤホヤしなきゃならないんだ?」
「フフ。あなたって、男性からも人気があるのね」
「うわ、変ないい方しないでくれ」
「ヨルン王子は…」
アリアが笑いながらそう続けようとしたが、スタークはアリアのその唇を人差し指で押さえた。
「もう良いよ、他の男の話は」
スタークはそう言ってアリアの腰をぐっと引き寄せた。身体が密着し、体温が伝わる。
「ち、近いわ、スターク」
「はぁ…キャロラインもまた罪なドレスを選んだな」
「フフ、ちょっとセクシー? でも、私の胸の大きさが足りなかったから、魔法で胸を隠してもらったのよ?」
「セクシーさはあんまり感じないけど、きれいだよ。似合ってる。他の人に見せたくないくらい」
「出た、そう言うとこ」
「?」
「息を吐くみたいに甘い言葉が出ちゃうのは、甘党だからかしら?」
「アリアくらいだよ。俺を茶化すの」
二人は楽しそうに笑いながらダンスを踊り終えた。




