38. 廃城
新月の夜、生臭い匂いと生温かい空気に咽びながらジェイドはティムを連れ、ティクルの外れで、隣の領土との境にある廃墟になった城を訪れた。
推定二百年前に建てられ、もう五十年以上も使われてない城は荒れ果て、瘴気の溜まり場になっていた。
最近、ティクルにも魔物や魔獣が現れる頻度が増えている。
生まれる魔物の多くは、大した知能や力はなく、容易く退治はできる。しかし、放って置くと、中には進化したり、人や動物に取り憑く魔物もいる。
魔物に取り憑かれた人間は精神が病み、病気になったり、酷い場合だと完全に魔物になってしまう。大抵は途中で誰か周りの人が気付き、教会で何日も浄化すれば魔物は身体から引き剥がされる場合もある。
完全に魔物になった人間は精神を乗っ取られ、欲や嫉妬、憎悪や怒りなど、人間のネガティブな感情を増幅し、そこに執着させて傀儡する。
ティクルでそこまでの魔物被害は今のところ起きてはいない。
「…師匠、地下に行く階段があります」
ティムはそう言って魔法で暗い階段を照らした。生温かい風が下から上がってくる。
「瘴気に当てられたら厄介だ。防御幕を張れ」
「はい」
ティムは防御幕を張り、ジェイドの後ろを付いていく。
石段は所々崩れ、瘴気に当てられたネズミの死骸が転がっている。
「地下牢になってる。瘴気の発生はこの地下牢だな」
「これは…」
地下牢には鎖に繋がれた白骨化した死体が残されていた。そこまでは古くない。残されていた服装やそばにあるマチューテと呼ばれる刀剣からして盗賊か何かだろう。
「盗賊が仲間割れしたんだろう。繋がれて餓死したようだ」
死体の周りが渦を巻くように瘴気で包まれている。
「怨念や憎悪に瘴気は集まるからな」
「ここはティクルとゴーダの境界線…ゴーダ側の山賊か盗賊がこの城をアジトにしてたんですかね」
「ゴーダは治安が悪いと聞くな。この城ごと破壊して結界を張り直すか。外に出よう」
そう言ってジェイドが歩き出し、ティムがついて行こうとした時、奥の牢屋から気配がした。ティムは振り向き、そちらを灯りで照らして見ると、子供らしき人影がこっちを見ている。
「お前…どうしてこんなとこに?」
ティムは見覚えのある子供に不思議に思い、近づいた。近所に住むヤンと言う七歳くらいの男の子だ。
「お兄ちゃん…連れて行って」
「あ、ああ。こっちに来い。こんな所にいちゃダメだろ」
ティムはそう言って防御幕の中にヤンを入れようと一瞬解除した。
「ティム、どうした?」
ジェイドが振り返るとティムの周りにすごい数の魔物が集まろうとしている。
「…師匠、子供が…」
ティムがそう言った瞬間、その子供の影がマチューテ(刀剣)を握り、ティムに襲い掛かった。
「!」
ジェイドは咄嗟にティムを庇う。マチューテがジェイドの背中をかすめた。ジェイドの背中の服が切り裂かれ、奴隷紋が露わになった。
〝ドクンッ〟
奴隷紋が背中の皮が破れるくらいに脈打ち、熱く熱を放つ。
魔物達の動きが止まった。ジェイドの奴隷紋を見ている。
【ミツケタ…ヨウヤク…ミツケタ】
集まった小さな魔物達の方からそんな声がした。嫌な予感がする。
「チッ…!」
魔物達を一掃しようと、ジェイドはティムを庇ったまま自分の周りに水の竜巻を起こした。魔物達は一斉に砕け散る。
〝ドクンッ〟
再び背中の奴隷紋が大きく脈打った。
「クハッ!」
ジェイドが血を吐いた。
「師匠!?」
魔力を使えば自分の身体に同じ量の衝撃が跳ね返って来る。
__ヤバいな、これは…
背中の傷と奴隷紋が、ドクドクと脈を打つ。痛みが意識を奪おうとしている。意識を奪われれば呪いが発動し、自分を乗っ取られてしまう、そんな予感がした。
「ティム、離れるなよ!」
ジェイドは痛みをこらえ、瞬間移動でその場を離れた。
ラステル・ホルスは仕事を終え、自分の部屋に戻ろうと執務室を出た。
今夜は新月のため、数人、部下の魔法士達は騎士団と魔物刈りに同行している。
魔法省の建物は王宮の敷地内にあり、魔法士が常に十五人が建物に常駐し、王都と王宮を守る結界に異常がないか見張っている。
他の魔法士は交代で地方の教会に派遣され、教会の司教と共に浄化や洗礼など、地域を守る存在だ。
食堂に行く前に本を部屋に置いていこうと、部屋の鍵を開けた瞬間、ラステルは息を呑んだ。禍々しい呪いの気配に思わず防御幕を張る。だが、目に入って来たのは信じられない光景だった。
「師匠!」
ラステルのベッドには血まみれになったジェイドが横たわり、青年が必死にすがりついている。ティムはラステルの気配に気付き、振り返った。
「た、助けてください! 師匠が…!」
瞬間移動して来たのだろう、ジェイドは意識を失うまいと歯を食いしばり、ラステルを見た。
「かなりヤバイ…。浄化と治癒を…」
そう言ってジェイドはうつ伏せた。
「!」
ラステルだけではなく、ティムもその背中を見て固まった。ジェイドの背中の奴隷紋が皮膚を裂かんばかりに膨れ上がり、まるで何かの心臓のようにドクンドクンと脈打っている。マチューテで斬られた傷は浅く、皮一枚だが、奴隷紋から染み出るように黒い痣が背中を侵食しようとしている。
こんなにやられて瀕死のジェイドを見たことがない。
「この身体で瞬間移動したのか?しかも二人で遠距離を…むちゃくちゃだ」
ラステルそう呟いて棚の中から聖水の入った小瓶を出した。
「離れてなさい」
震えて泣いているティムにそう言うと、ラステルは聖水をジェイドの背中にかけた。そして長い呪文を唱え、ジェイドの背中に手をかざし、光を浴びせた。
「くっ…!」
奴隷紋から水蒸気が上がり、ジェイドは歯を食いしばり、痛みを堪えた。
ラステルから放たれる光の粒が奴隷紋に吸い寄せられるように集まり、身体の中へと吸収されて行く。
「…」
三十分程、ラステルは光魔法を当てて浄化し、盛り上がっていた魔法陣の奴隷紋が、こころなしか落ち着いてきた。
「あと少しだ…」
ラステルはそう言うと背中の傷に治癒魔法を施した。傷がどんどん消えていく。
ただ、傷より深刻なのは身体へのダメージだ。
「ジェイド、浄化は終わった。もう堕ちていいぞ」
ラステルの言葉にホッとしたようにジェイドは息を吐いて気を失った。
ラステルはガクッと跪いてため息を吐いた。浄化の為に、ほとんどの魔力を放出してしまった。
「だ、大丈夫ですか…?」
「ん、ああ、歳をとったな、私も…。君は?ジェイドの弟子か?」
「ティム・トレドナーです。師匠は…大丈夫ですか?」
「ああ。回復まではできてないが…とりあえずは大丈夫だ。何があったか教えてくれ」
ラステルは椅子に座り込み、ティムから話を聞いた。




