17. 婚約(噂)
「 はぁ…幸せ。これ、絶対人気メニューだわ。チョコレート…私、オレンジにチョコレートが一番好きかも」
「僕はイチゴ。カインは?」
「僕は…う〜ん、全部」
一通り食べた四人は満足気な表情で紅茶を飲む。
「で…キャロライン嬢、さっき言ってた僕とアリアの問題を解決する方法って?」
スタークは魔道具の敷物を手に取り、マジマジと観察しながらキャロラインに尋ねた。
「そうそう。スターク様と仲良くしてもアリアが妬まれないようにする方法。それは」
キャロラインはニヤリと笑う。
「二人が婚約すればよいのですわ」
「!?」
アリアは思わず飲みかけた紅茶を吹き出し、スタークは魔道具を落としそうになった。カインは目を丸くしてキャロラインを見る。
「キャロライン! 天才!」
カインはそう言って手を叩いた。
「だって、婚約者なら誰も文句は言いませんし、スターク様が相手なら変な虫もつかないでしょ?」
「確かに! ピエールだって手が出せない」
カインはまた目を輝かせてスタークを見た。
「待ってよ、お兄様。婚約なんてそんな勝手に簡単にできるものじゃないわ」
「父上に頼めばいいじゃないか。相手がスタークなら、母上も喜ぶはずだよ? 早速…」
乗り気のカインに対し、アリアはモヤッとした気持ちで遮った。
「で、でも、スタークだって無理よね? 婚約なんて、子供同士が決める事じゃないわ」
「… 」
スタークは黙って何かを考えている。
「ほら、スタークだって…」
「いいかもしれないね、それ」
「ええ!?」
スタークはアリアを見て微笑む。
「婚約者がいればアリアもピエールに絡まれることもないし、お互いに煩わしい誘いから解放される」
スタークの言葉にアリアは少しムッとする。
「そんなことのために婚約するっておかしいわ」
スタークはふとアリアの表情を探るようにじっと見つめる。
「アリア…誰か好きな人がいるのか?」
スタークの質問にアリアは即答する。
「いないわよ」
あっさりと答えたその返事に少し残念なようなホッとしたような気持ちになる。
「婚約の噂でもダメかな?」
「噂?」
「ああ。婚約の噂を広めるんだ。お…僕とアリアが婚約してるって噂。そもそも婚約なんて僕達だけの問題でもないし、僕の立ち場上、陛下まで話が上がってしまう」
舞い上がるカインとは対照的にあくまでも冷静なスターク。
「でも、噂だけじゃ令嬢達のアリアに対する風当たりが強くなるだけじゃありません?」
「振る舞えばいい。婚約者同士のように」
「確かに。噂を流してそのように振る舞えば、迂闊にはちょっかいかけてこないかもしれませんわね」
「でも…」
「でも…じゃないわ、アリア。このままだとまたピエール王子にベタベタと触られて婚約者候補にされちゃうかもよ? 初めて食堂で会った時もあんな大勢の前であなたにだけ手にキスをしたじゃない」
「!」
思い出して軽く身震いするアリアにスタークは懇願する様に目を見た。
「…もしアリアに好きな男ができたら、その時はちゃんと身を引くよ。それまでは君を守らせてくれないか?」
その言葉になぜかキャロラインが顔を赤くして慌てて紅茶を飲み干した。アリアはあまり腑に落ちない顔をしてため息を吐いた。
「…分かったわ。スタークがそれでいいなら」
「決まりね。噂なら私に任せていただけるかしら」
「僕も協力するよ」
カインとキャロラインは少しワクワクした表情で頷いた。
「正直、アリアがそんなに渋るなんて思わなかったよ。スタークの何が不満なの?」
カインは帰り道、馬車の中でアリアに尋ねた。アリアは、馬車の窓から夕焼け色に染まる街並みを見つめながらため息を吐いた。
「スタークに対して不満なんてないわ。でもいきなり婚約の噂だなんて」
「噂だよ? そもそも、アリアは美人の自覚が足りないんだ。きっと、ほっといたら、たくさん求婚されちゃうよ?」
「もう…お兄様もお母様も身内びいきすぎるわ。入学して二週間になるけど、クラスの男子から声なんて一度もかけられてないわ。それに男避けのためにスタークを使うなんて申し訳ないと言うか…」
「スタークだって女避けになるんだ、お互い様じゃないか」
「でも…私の場合、養女だから。平民の孤児って今日も言われたわ。私が言われるのは別に屁とも思ってないんだけど…」
「う…屁って」
アリアは時々変な言葉を使う。
「でも、噂でも私を婚約者にするのは、スタークの格を落としちゃうじゃない?」
「スタークはそんな小さな男じゃないよ。自分のことよりアリアの方を心配してる」
「分かってる。でも、笑っちゃうわ。…私とスターク、エンタングルメントのせいでお互い手で触れることもできないのに」
__気が乗らないのはそのせいか…。
カインはアリアの横顔を見つめる。スタークもアリアもトラウマでお互い触れないよう、いつも距離を取っている。
「…もう大丈夫なんじゃない? あれからスタークだって魔力量も上がってるし、二人の魔力がぴったりって可能性は低いんじゃない?」
「スタークの魔力量も上がったけど私の魔力量だって上がってるわ。もしぴったりの可能性が低いとしても…スタークも私も試すのさえ怖いのよ」
「…そうだよね。でも…それでも僕とスタークは君を守りたいんだよ」
カインはそう言ってため息を吐いた。
「スターク様とアリア嬢、婚約したって噂よ」
「え? そんな、まさか!元孤児なのに? 噂でしょう?」
「でも、今朝、スターク様がアリア嬢と登校されてたわよ」
「最近、ランチの時も一緒にいらっしゃるわ」
「でも、それはカイン様も一緒にでしょ?スターク様はカイン様と仲がよろしいから」
「カイン様の妹だからって元々卑しい身分のくせに」
スタークが編入して来て一週間、キャロラインの策略通り、噂は三日もしないうちに学園中に広まった。
単なる噂だろうと言っていた令嬢達も、必ず朝一緒に登校し、帰りにはアリアの教室まで迎えに来るスタークの行動と優しい眼差しに諦めムードが漂っている。
先日アリアに絡んできたカリナ嬢は、直接スタークに聞いてきた。
「スターク様、ただの噂ですわよね?」
カリナ嬢は勇気を出して目を潤ませながら問い詰めた。スタークは少し照れくさそうに微笑む。
「もう広まっちゃったか。まぁいいや。いずれは分かることだし」
とだけ、告げた。カリナ嬢は何も言えず、泣くのを我慢してその場を去った。
ピエール王子は噂を聞いてからはあまり話しかけてこなくなった。婚約者がいるのに女癖が悪く、前から他の令嬢にその気にさせるような甘い言葉を吐いていた。
アリアをかなり気に入っていたが、相手がスタークだとバツが悪い。何かと比較されている気がして、昔からの劣等感が蘇る。
キャロラインを通して仲良くなった同じクラスの令嬢が三人いる。最初はアリアに対して警戒してたが、話してみると打ち解けるのに時間はかからなかった。その三人も婚約の真偽を聞いてきたが、キャロラインうまくかわしてくれた。
「アリア嬢、ステイサム様が迎えに見えたわよ」
授業が終わるとスタークがアリアの教室まで迎えに来る。
「スターク様、あら、お兄様は?」
「歴史の授業で寝ぼけて寝言を言ってたから罰として課題を出されたんだ」
「そうなの? 今日はキャロラインも大事な商談があるからって急いで帰ったわ」
「じゃあ、二人っきりだし、デートしようか」
その言葉に周りの令嬢達がざわめくが、アリアは婚約者のフリを徹底するスタークにちょっと呆れてしまう。
__スタークって結構マメに演技するのよね。
アリアの表情に心を読んだのか、スタークはニヤリと笑い、触れない距離で耳打ちした。
「そこは照れたりするとこじゃないの?」
「朝だって二人でランニングしたのに?照れるわけないじゃない」
「連れないな、俺の婚約者は。じゃあ、前に言ってたレナルドの森でデートはどう?」
スタークの言葉にアリアの顔がパァッと輝く。
「行く! あ…行きますわ!」
「じゃあ、荷物持つよ」
スタークはエスコートの代わりにアリアのカバンを持ち、教室を出た。




