13. 高等魔法学校
新しい制服に身を包み、アリアは居心地の悪い教室の窓際の席でノートをカバンに収め、一息ついた。
十二歳になったアリアは、ティクルのジェイドとピアナに別れを告げ、王都に来て一週間、慌ただしくて目が回りそうだった。服や学校生活で必要なものを買うため、ヴィオラに張り切って買い物と王都見物に連れ回された。
ティクルの街では見たことのない大きな馬車や貴族の豪邸、何より、人の多さにアリアは圧倒されてしまった。確かに、木は植わっていても木登りをしている子供なんて一人もいない。
実はカインは学校の寄宿舎で生活をしている。学校の寄宿舎と騎士団の寄宿舎が隣の建物の為、特別に朝から稽古に参加させてもらってもう三年になる。十四歳になったカインは背も高く、逞しくなった。あどけなく笑う表情やおっちょこちょいな性格は変わらないだが、その容姿と剣の腕で女子生徒からの人気は高い。
「ほら、田舎から来たから…」
「元は平民でしょ? それも孤児だったって」
クスクスと嘲笑いながらわざとアリアにも聞こえるように教室のドアの所で何人かの女子生徒が噂話をしている。
初等魔法学校からの生徒がほぼ持ち上がりで高等部に進むが、殆が貴族の子息令嬢で、平民の生徒は初等学校より半分に減った。アリアの学年は男女比率は二対一で一学年三〇人いる。
昨日の入学式で紺色のブレザーに赤いタータンチェックのスカートを履いた女子生徒の中でアリアが一際目立っていた。見たことのない顔だったからだけではなく、銀色の髪はポニーテールに束ね、蜂蜜色の瞳、白い肌にピンク色の唇、凛とした顔立ちに上級生の男子生徒は目を奪われ、どこの令嬢かと噂した。
結局、誰もアリアの素性を知らないまま入学式を終えたが、アリアがカインとハルク侯爵夫妻と一緒にいる所を目撃した誰かが、アリアがカインの義理の妹だと気付き、すぐに広まった。
午前中の授業はほぼ自己紹介で終わったが、アリア以外は全員顔見知りだ。休憩時間も誰も話しかけてくることもなく、男子生徒達はチラチラとアリアを盗み見ている。
自分に対する誹謗中傷は想定内だった。カインがあらかじめ教えてくれていたからだ。プライドの高い貴族令嬢達はハルク侯爵家自体が元平民と言うだけで馬鹿にしてくる。ましてやアリアがハルク家の養女だと言う話はアンテナを張ったプライドの高い貴族令嬢達の格好の餌食だ。カインはアリアが傷つかないよう、あらかじめ話をしていた。
だが正直アリアにとっては別に気にすることもないくらいどうでも良かった。カイン同様、ジェイドが一代で築いたハルク侯爵の名を誇りに思っている。しかし、本当は王族であった自分の出自を考えると、身分なんてものは何の価値も当てにもならないことを充分承知している。そこにこだわる人間に付き合って腹を立てるほど知能は低くない。
この雰囲気からすると、友達なんてできないだろうなと諦めるしかない。
午前中の授業を終え、アリアは食堂に行こうと教室を出ようとした時だった。ドアの直ぐ側で三人の女子生徒が話していた。その中の濃い金髪に映えるセンスの良い真っ赤なリボンを付けた女子が、アリアが通る瞬間、引っ掛けようと右足を出した。
「…」
アリアはわざとその足を避けず、自分の足に重力魔法で重さをかけて躓いた。アリアは躓いたものの、びくともしない。
「アァァ!」
その女子があまりの痛みに右足を抱えて倒れ込んだ。
「あら、ごめんなさい。あなたの長い足が見えなかったわ。大丈夫かしら?」
アリアは笑顔で右手を差し出した。まるで大きな石に思いっきり足をぶつけたかのような痛みに女生徒は涙目でアリアを睨みつけた。
「あなた、キャロライン嬢に何したのよ!?」
一緒にいた女生徒が、アリアに噛み付く。クラスの全員がこちらを見ている。
「何もしてないわ。普通に歩いてただけよ。不自然に私の前に伸びた足に躓いただけ。立ち上がれるかしら」
堂々としたアリアの態度と言葉にキャロラインと呼ばれる女生徒は顔を真っ赤にして痛みに耐えている。
「嘘よ!私の足を蹴ったのよ!」
「野蛮だわ! 蹴るなんて!」
騒ぎ出す女生徒にアリアは動じず、しゃがみ込み、座り込んでいるキャロラインの顔を見てニッコリと笑った。
「私があなたを蹴る理由があるなら教えてほしいわ。まだ会って間もない私に恨まれる理由、ある?」
「っ…」
気品ある威圧感にキャロラインは何も返せず、唇を噛んだ。
「とはいえ…早く医務室に行って冷やした方がいいかもね」
アリアはパチンとキャロラインの顔の前で指を鳴らし、重力の魔法でキャロラインの身体を軽くし、両手で抱き上げ、立ち上がった。
「キャア! 離しなさいよ!」
キャロラインはバタバタと抵抗しようとしたが、アリアはまるで子猫を抱えるよう軽々とキャロラインをお姫様抱っこし、歩き出した。
「暴れると落ちるわよ」
アリアは医務室に行き、ドアを開けた。
「失礼します」
「ど、どうしました!?」
学校医のサミュエル・エルゴがアリアを見てぎょっとした。サミュエルは長い薄茶色の髪を一つに束ね、色白でその中性的な容姿から女生徒からの人気も高い。サミュエルは見慣れない美しいアリアに目を奪われたが、次の瞬間、そのアリアが抱える令嬢に驚く。
「すみません、一年のアリア・ハルクです。この女生徒とぶつかってしまって、足を痛めてしまったみたいです」
「あ、ああ、重いでしょう、こちらに」
アリアはキャロラインを椅子に座らせ、人差し指を唇に当て、フッと息を吐いてこっそりと術を解いた。
「どっちの足だい?」
サミュエルはキャロラインに尋ねる。
「左足です…」
「失礼」
サミュエルはそう言ってキャロラインの靴を脱がせ、足首を見た。赤く腫れ上がっている。
「これは痛そうだね…。でも骨は折れてはいないようだが…。これくらいなら二日くらい湿布しておけば治るよ」
「治癒魔法は使わないんですか?」
アリアは不思議に思い、尋ねる。
「ああ、基本的に緊急を要したり、よほどの怪我や傷痕が残りそうな時以外は治癒魔法は使わないんだ。魔力には限りがあるからね。本当に必要な時だけじゃないと」
ジェイドは何かとすぐに治癒魔法をアリアに使っていた。この程度の腫れならジェイドなら十秒もかからず治してしまう。自分の祖父が偉大な魔聖であり、自分を溺愛してくれていたことにアリアは改めて感謝し、思わず嬉しくなった。
「では私が」
「え?」
アリアは跪き、キャロラインの左足首に右手を翳した。サミュエルとキャロラインは驚き、アリアを見つめる。何か呪文を唱えるわけでもないのにキャロラインの足の腫れが目に見えて引いていく。
アリアはあまり治癒魔法が得意ではない。特に切り傷や擦り傷など、出血のある傷を治すのには時間がかかる。その代わり、気の魔法が使えるので、体内の血液や気の流れを良くし、打ち身やちょっとした病気などは治すことができる。
「君、治癒魔法が使えるのか?」
「珍しいことではないでしょう?」
「いや、珍しいよ。ここまで速いのは…」
サミュエルの言葉にアリアはキョトンとする。
「私の治癒魔法はお祖父様より、お兄様よりも遅いですけど。お兄様は擦り傷なら五秒で治しますよ? 初等魔法学校でも治癒魔法の授業があったんでしょ?」
アリアはキャロラインに尋ねる。
「…それはもちろんあったけど、習ってもできる人はクラスの半分以下よ。できたとしても擦り傷を治すのだって一時間はかかるわ」
「え!?」
アリアの驚き様にサミュエルは笑う。
「君は確か、初等魔法学校に行かずにここに来たんだよね? お祖父様はジェイド・ハルク元侯爵だよね?」
「はい」
「レベルが違うから魔聖と呼ばれるんだ。カイン君も治癒魔法は他の生徒達の比じゃないと聞いている」
「そうなんですね…」
「さぁ、昼休みが終わってしまいますよ、二人ともぶつからないよう気を付けて下さい」
サミュエルに医務室を追い出され、廊下に出るとキャロラインは気まずそうにアリアを見た。
「…意地悪してごめんなさい。それと…治療してくれてありがとう」
思いも寄らない謝罪とお礼にアリアはふっと笑顔を見せた。
「…怪我をさせたのは私よ。私もごめんなさい」
その笑顔にキャロラインはキュンとし、顔を赤くして恥ずかしそうに言った。
「あの…私、キャロライン・マーキュリー・エルビスよ」
「私はアリア・セレネ・ハルク」
「あの…よかったら…一緒にランチを食べないかしら」
キャロラインの申し出にアリアは微笑み、頷いた。
「いいわよ。治癒魔法使うとお腹が減るの」
二人は並んで食堂へと向かった。
「アリア、友達ができたみたいだね」
わざわざ寄宿舎から実家の屋敷に夕飯を食べに帰って来たカインが嬉しそうにアリアに尋ねた。忙しいはずのユルゲイもアリアが王都に来てからは、必ずディナーには間に合うよう、帰って来る。
「え、そうなの?アリア」
ヴィオラが嬉しそうにアリアを見る。アリアは相変わらず綺麗な所作で食事をしながらニッコリ笑った。
「お昼に教室を出る時、足を引っ掛けられたの」
「まぁ!?」
「なんだって!?」
ヴィオラもカインも驚いているがユルゲイだけはアリアの表情を見ながら平気そうである。
「誰だ、そいつ。僕が明日…」
「大丈夫よ、お兄様。私、わざと自分の足に重力魔法をかけて重たくして蹴ってあげたの」
「え?」
三人ともビックリして手を止める。
「倒れ込んで、足が腫れてたから、医務室に運んであげたの。医務室の先生が緊急な時以外は治癒魔法は使わないっておっしゃるから、私が治したの」
「あら、アリアは治癒魔法もできるのね!」
呑気なヴィオラの反応にユルゲイは苦笑する。
「キャロライン・マーキュリー・エルビスって子だったわ。向こうから謝ってきたの。意地悪してごめんなさいって。だから私も謝ったわ。それでランチ食べて、帰り際にお友達になってって言われたの」
「エルビスって言ったら、エルビス子爵の令嬢かしら」
「ああ、あそこは商家だったけど、貿易で成功しての子爵の称号を買ったんだ。下手な貴族よりも税を納めているし、エルビス子爵はとてもいい人だよ」
ユルゲイはそう言ってワインを飲む。
「僕、アリアが、ひとりぼっちで昼食を食べてるんじゃないかと心配して待ってたんだけど、その子と二人で食堂に来たからちょっと安心したんだ」
「ありがとう、お兄様。気にかけてくれて」
アリアの笑顔にカインは少し照れている。
「でも、魔法はほどほどにね。学校で攻撃魔法は禁止されてるから」
「ええ、分かってるわ」
「もし、嫌がらせされたら僕にちゃんと言ってね」
「ありがとう」
「まぁ…アリアは、見た目と反して規格外に強いからね。メンタルも。私はそんなに心配してないよ」
ユルゲイはそう言ってアリアに微笑んだ。
「アリア、デザートにイチゴのタルトはどう? 私が作ったのよ」
「食べる! お母様のタルト、大好き!」
「僕も」
二人の元気の良い返事にヴィオラは嬉しそうにメイド長に持ってくるように合図した。




