10. 新月
ティクルの冬は王都より寒い。雪が積もり、緑だった森は真白い世界に変わる。
「まぁ、お嬢様! なんでそんなに雪まみれになってるのですか!」
外から帰って来たアリアを出迎えたエマは呆れて雪まみれのコートを脱がす。
「雪合戦したの! 楽しかったわ! ティムが率いる三人の男の子チームと、私とティムの妹のセシルとサリーで戦ったの!」
「もう風邪でもひいたらどうするんですか! それよりも、淑女は雪合戦などしませんよ?」
エマはすぐにアリアを暖炉の前に座らせ、髪の毛を乾かす。
「平気よ、お祖母様が言ってたもの。あなたは基本が出来てるから大丈夫だって。淑女になるのは高等学校に入る十二歳からだって」
「はぁ…、奥様もアリア様には甘いんだから」
「お祖母様言ってたわ。淑女教育、小さい頃からあれはダメ、これはダメって、息が詰まりそうだったって」
「それはそうですけど、アリアお嬢様は少しお転婆すぎますよ」
「はぁい」
「今日は旦那様が王都に行かれてるから、夕飯は奥様と二人だけですよ。お嬢様が風邪なんかひいたら夕食は奥様一人になってしまいますよ」
「そっかぁ…お祖父様、いつ帰ってくるの?」
「転移魔法で行かれたから、明後日には戻ると仰ってましたよ」
「ラステルさんに会うって言ってたわ。あと、騎士団と国王様にも。お祖父様ってすごいのね」
「そうですよ。うちの旦那様はラスタ王国の守護竜、この国の英雄なんですから」
「うん、ティムも言ってた。ティムも大きくなったら騎士団に入るんですって」
「それは頼もしいですね」
「私の方が頼もしいわ。私だって騎士団に入るんだから」
「あらあら、お嬢様程美しかったら、王太子様と結婚していずれはお妃様にでもなれますよ?」
「…王族は嫌だわ」
アリアの顔が曇った。事情は知らないがエマはアリアの頭を乾かしながら言った。
「何になるにしても、お嬢様は今よりもっと美しくなりますよ」
アリアは心の中できれいなんかより強くなりたいなぁと思った。
「アリア、眠れないの?」
ピアナはアリアの部屋のドアを開け、ランプで部屋を灯した。
今日は新月の日だ。月が世界を照らさない夜、魔物の魔力は増幅する。ジオルグの悲劇も、アリアが拐われ、魔物に奴隷の紋を刻まれた時も新月だった。それを知っているはずはないのに、アリアは新月の夜にはベッドの中でガタガタと震え、眠りについたかと思うと悪夢で目が覚める。
アリアの奴隷紋を引き継いだ日から、ジェイドも同じだった。新月の夜に背中の奴隷紋が疼く。ヒリヒリと焼けるような痛みを隣で眠るピアナに気付かれないよう、こらえる。
「…大丈夫よ、お祖母様」
アリアはベッドの上で布団から顔だけ出して答えた。
「うなされてたわよ。怖い夢を見たのね?」
アリアの顔は汗びっしょりで髪が額に張り付いている。ピアナはベッドに座り、髪を優しく撫でた。
「今日はジェイドがいないから私も寝付けなくて。そうだ、一緒に寝てくれない?」
「寂しいの? お祖父様がいないから」
「不思議よね、あの人、イビキもうるさいし、寝相も悪いから何度も夜中に起こされるんだけど、今日は静か過ぎて眠れないわ」
ヴィオラはそう言って笑う。アリアも気が紛れたのかニコリと笑い、横にずれた。
「今夜はジェイドがいないから、特別に夜更かしをしていいわ。絵本でも読んであげましょうか?」
「いいの!?」
「ええ。でも、エマには内緒よ。さぁ、好きな絵本を持ってらっしゃい」
アリアは嬉しそうに飛び起き、本棚にあった一番お気に入りの物語をピアナに渡した。
「ヴィオラが持って来てくれた本ね。いつも自分で読んでるけど、アリアはこの本が大好きね」
「うん。だって、この王子様、強くてカッコいいんだもの」
「あら…この王子様、スタークに似てるわね」
ピアナの言葉にアリアはニコリと笑う。
「私も初めてスタークを見た時そう思ったの」
「あら、じゃあスタークはアリアの好みなのね」
「コノミって何?」
「好きなタイプってこと」
「! す、すきじゃないわ!だ、だって、私はスタークよりうんと強くなるんだから!」
顔を赤くして焦ったアリアを見てピアナはクスッと笑う。
「そんなに強くなったら王子様も大変ね」
「私は助けて貰わなくったって大丈夫。物語のお姫様みたいに弱くはないわ」
「そうね。きっと物語のお姫様は木に登ったり、雪合戦なんかしないもの」
ピアナはからかいながら本を開いた。2ページも読まないうちにアリアはスヤスヤと眠りについた。
「相変わらず埃っぽい部屋だな。こんなとこにいたら半日でカビが生えそうだ」
ジェイドは王宮にある魔法省のラステルの書斎に顔を出すなりそう言った。部屋中の壁には魔導書などの数え切れない程の本が並んでいる。
「ああ、来たか。何だか見た目が前にもましてワイルドになったな」
ラステルは冬になったのに、日に焼けたジェイドを見て笑い、散らかった机の上に積み上げられた本を一冊選ぶ。秘書がドアをノックし、紅茶を運んで来た。ジェイドはソファに座り、あリがとうとお礼を言った。
「今日は随分寒いな。転移魔法で正解だったな」
「ああ、ティクルは雪が積もってたから、馬車もろくに出せない。転移魔法は疲れるから嫌なんだよ」
ジェイドはそう言って紅茶を一口飲んだ。
「そりゃティクルと王都の距離だからな。そんな無茶するのはお前くらいだ」
「今夜は新月だからな。魔物が活発になる。マリウスに夕方からの魔物討伐に助っ人を頼まれたんだ」
「ああ…例のサンクニルの森だろ? ここ何ヶ月か、新月の夜には魔物が増えて瘴気が街にも風で運ばれる」
「それは厄介だな。…で、分かったことは?」
ジェイドの質問にラステルは本をジェイドの前に置き、右手の親指と中指でパチンと指を鳴らし、部屋に防音魔法をかけた。
「ああ…お前、奴隷紋を転移してから身体は大丈夫か?」
「まぁな。新月の夜は疼くが、それ以外は何もない」
「今はな。その奴隷紋、人間の奴隷の焼印とは少し違ってな。魔法陣の言葉が古代語になってる」
「そうなのか? 俺は自分の背中は見れないからな」
「ああ…、昔、それを見たことがある」
「? どこで?」
「ここでだ。お前も見てるかもしれない」
「覚えがないな」
「無理もない、三〇年近くも前の話だ」
「なんだと?」
「今のラジール陛下が即位してすぐにナスディ王国が戦争を仕掛けてきただろ。あの時、ナスディの国王は既に殺され、息子の王太子が首謀者だった」
「ああ…、まだ十七歳の若い王子だったな。俺が捕らえた。俺もまだ同じ歳だったから覚えている。魔物に使役されて…」
「お前が捕らえた後、この王宮の地下牢に幽閉された。その王子の背中に奴隷紋があったんだ。何故王族の背中に奴隷の証があるのかその時は不思議に思った。刑が下される前に死んだが、死ぬと奴隷紋は消えていたよ」
「どういうことだ?」
「お前が捕らえたあの王子は古代魔法の霧の属性だった」
「ああ、確かに戦場には深い霧がかかり、視界が悪かった。霧にまみれ、苦戦しながら戦っだ覚えはある」
「竜騎士の伝説を知っているだろう?」
「ああ、あの有名な昔ばなしか? あまり真剣に聞いたことはないが…絵本にもなってる」
ジェイドはそう言って思い出す。確か、アリアがヴィオラからもらった絵本だ。
「ありきたりな話だったよな? 魔王が聖女を捕らえてそれを竜騎士が助けるみたいな…」
「ああ…絵本や物語は一部しか語らない」
ラステルはそう言って歴史の本を開き、その冒頭にある地図を見せた。
「四百年以上も昔の話だ。カーディナルと言う今はない国が舞台だ。国を統一するのにカーディナル王はある闇の魔法師、ジゼルと契約した。王はジゼルに敵国を滅ぼせば王の娘、聖女を娶らせると約束した。ジゼルは五つの属性を持ち、強大な力で次々に敵国を滅ぼし、約束を果たした。しかし王は約束を守らず、聖女を隠し、ジゼルに魔法封じの首輪を嵌め、呪文を詠唱できないように喉を潰し、背中に奴隷の焼印を押した。奴隷になったジゼルはこき使われ、その怨みと憎しみで闇に落ちた。魔物と契約し、魔物の奴隷になり、王を殺し、王国だけでなく世界全土を滅ぼそうとした。しかしそれをするにはもっと魔法が必要だった。ジゼルは聖女を殺し、その魔法を奪おうとした。そこで現れたのが竜騎士だった。竜騎士は聖女を救い、ジゼルを倒した」
絵本や語り継がれる物語には名前も時代も載っていない。
「カーディナルと言う大国はジゼルの氷魔法で滅び、聖女と竜騎士は小さな国を新たに創る。だがジゼルの呪いは続く。ジゼルが持っていた属性、氷、気、空間、霧、闇を持つ者がこの世に現れ、ジゼルは自分の実体を復活させようとその能力を持つ者を探す。そして見つけたら奴隷紋を刻み、使役する。使役された者はやがて闇に落ち、ジゼルに取り込まれる。」
「じゃあ何だ?そのジゼルが三〇年前にナスディの王太子を操ったと?」
「それだけじゃない。それから十五年後、遠く東のカレイヤの国で流行病と内乱が置き、国が消滅した。その首謀者はカレイヤの宰相だった。その人物も古代魔法の氷の持ち主だった」
「どうやって探すんだ?」
「もちろん、ジゼルの属性を持ちながらもジゼルに見つからず、その一生を終えたままの者もいるだろう。ナスディの王太子やカレイヤの宰相、どちらも身分的にも知名度があり、古代魔法を公に知られる機会も少なくない。今は時が経ち、古代魔法の属性を持つ者は稀だし、魔力量が少なければ大した脅威ではないはずだ」
「ジゼルは自分の属性を持って生まれて魔力量の高い者を狙うと言うことか?」
「おそらくな。他国の歴史書を見ても、多少の災いを起こしたと言う例はあるが、その属性の魔力だけで国が滅ぼされた例はない。実際ナスディ王国を滅ぼしたのはお前だし」
「アリアは何故ジゼルにバレたんだ?」
「奴隷商には魔物が憑いていたと言ったな?
魔物は個々でありながら、新月の夜には共鳴する。魔物は元々は一つの闇の感情から生まれたと言われている。奴隷の焼印を押されたアリアは無意識に奴隷商を殺すための魔力が発現した。だから奴隷商に憑いていた魔物からジゼルにバレ、焼印は奴隷紋になったと思われる」
「ジゼルはまだ実体がないのか?」
「ああ…おそらく。アリアが取り込まれていないから。」
「奴隷紋を刻まれた人間は必ず使役されるのか?」
「ジゼルの属性にしか反応しないだろう。現にお前が使役されていない。呪いを転移するなんて正気ではないと思ったが、今となれば正しかったのかも」
「…アリアの魔力量はかなりある。それに気の属性だけではない。取り込まれたら大変なことになる」
「ああ。ただ、呪いは呪いだ。お前の身体に何も無いことを祈るが…」
「心配ない。この通り、まだ騎士団に助っ人を頼まれるくらいだ」
ジェイドはそう言って笑った。




