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27 妻の名誉

「ああ。ブランシュ。今日は、邸に居るよな?」


「ええ……居るつもりだけど」


 陽の当たるテラスに用意させた昼食を食べ終わった時にアーロンが確認したので、私は戸惑いながら頷いた。


 とは言っても、嫁いでから未亡人として過ごして居た間も、私はキーブルグ侯爵家からはあまり出ない。一日のほとんどの時間を邸で過ごすのだから、こんな確認を彼にされることが不思議だった。


「いや、君の義母と義妹を午後にここへ招いているのでな。別にブランシュ本人が居なければ居ないで良いのだが、君も後から聞けば驚くと思った」


「え? お義母様とハンナを、招いているですって……? アーロン。どういうことなの?」


 私が驚いて飲んでいたカップの置き場所の目算を誤りお茶を溢してしまったので、クウェンティンがさりげなく拭きに来た。


「奥様。あれは、奥様個人だけの問題ではございません。キーブルグ侯爵家で行われたれっきとした詐欺行為です」


「そうだ。俺がもし本当に死んでいたらどうする。あの状況であれば、ヒルデガードが家督を継ぐことになっていたのかもしれないが、俺の血を実際には持たない者がキーブルグ家の直系として育てられることになる。貴族の名を騙る事は罪だ。それは叶わなかったとしても、この家の乗っ取りを企んだんだ」


「……それは……っ」


 クウェンティンとアーロンにそうあるべきだと説明されても、私はどうしても気が進まなかった。これまでに義母は絶対に逆らえない存在だったし、勇気を出して逆らっても酷い事になってしまった。


 だから、もし……。


「ブランシュ。そんな顔をするな。俺はキーブルグ侯爵で一国の将軍だぞ。エタンセル伯爵夫人が、元公爵家であろうがなんなんだ。俺には関係ない。不当な扱いをされたならば、遠慮なく意見させていただく」


 私がそれを止めようとしていることを察してか、アーロンは呆れたようにそう言った。


 アーロンは決してお義母様のような人ではない。けれど、どうしても怖いのだ。


 何か……私の大事な物をまた、壊されてしまうかもしれない。痛いことをされてしまうかもしれない。


 キーブルグ侯爵家に嫁入りして、もう一年以上経つというのに、そういう思いが抜けない。


「そうですよ。奥様。僕の見るところ、奥様はエタンセル伯爵夫人に深く精神を支配(マインドコントロール)されているようですね。それは、どうしても自分には逆らえない逆らわないように、何度も何度も心を折る奴隷商がするような方法です。現に奥様はこうして、旦那様からの提案もどうにかして避けられないかと、考えていらっしゃるでしょう」


「……それはっ」


 ……それは彼の言うとおりだ。私は義母に抗議するなんて出来ない。だって、怖い。今だって、手が細かく震えている。


 何年も何年も、義母は何かあれば私に当たり散らして来た。それに怯えていた時間があまりにも長すぎた。


「奥様。キーブルグ侯爵夫人になれば、エタンセル伯爵夫人は奥様に手が出せません。何故ならキーブルグ侯爵家での家長は旦那様なのです。奥様に手出ししようとするならば、旦那様が必ずお守りくださいます」


「……クウェンティン」


 この、クウェインティンは一年間、アーロンが居ない間も守ってくれていた……あのヒルデガードからも。


「何。エタンセル伯爵夫人に暗殺者を送られようが、クウェンティンが守ってくれるだろう。クウェンティンの方が強いからな」


「旦那様」


 楽しげにそう言ったアーロンを、窘めるようにしてクウェンティンは彼の名前を呼んだ。


 どういう事かしら? 彼は確かに普通ではない知識を豊富に持っている。水に落ちても沈まない方法……それに、奴隷商が心を折る方法も?


「……クウェンティンは、実は暗殺者として育てられたんだ。だが、それが本業になる前に俺がその組織を壊滅させたので、ただ強くて知識豊富な賢い子が残った。だから、俺が邸に連れて帰ったんだ」


「暗殺者……? クウェンティンが?」


 私は近くに居た執事を見上げた。若くてきっちりと仕事をこなす執事……確かに、無表情が標準で、不思議だった。


 ……まるで、彼には普通の感情がないみたいで……。


「いえ。まだ誰も、殺してませんよ。暗殺者候補だったんです。攫われた子どもたちが、殺す寸前までを訓練するんです」


 さらりと伝えられた言葉に、私は喉が詰まりそうになった。子どもが、攫われて……殺すための技術を学ぶの……?


「殺す寸前で止められるので、クウェンティンは凄いんだ。あんなにも候補者が居たのに、生き残った子は少なかった」


「旦那様。誤解を招くような事を、言わないでください。奥様。僕は誰も殺してません。ですが、旦那様と奥様の命令であれば、仕事と割り切ってさせていただきます」


「駄目よ!」


 暗殺をしたことのない暗殺者候補だったクウェンティンは、仕事であれば別に出来るとあっさり言い放った。


「奥様?」


「殺しては駄目よ。だって、その人にも……私みたいに、あの人さえ死ななければって、思っている人だって居るかもしれないもの」


「ブランシュ……」


 私はお母様が死ななければって、ずっと思っていた。アーロンだってそうだ。アーロンは帰って来てくれた。これは、特殊な事情のある奇跡で、奇跡はそうそう起こらないから奇跡だった。


 ここ一年アーロンが死ななければって、私は思い続けていた。ずっと。


 アーロンさえ居てくれれば、こんなに苦しまなくてすんだのにって。


「……いや、今日誰かを殺したりしない。安心してくれ。だが、はっきりと言いたいことは言わせて貰う」


「旦那様。いらっしゃったようです」


 クウェンティンは使用人の一人から耳打ちを受けて、アーロンに伝えた。誰かを訪問するには早い時間に思えるけれど、私たちは思ったよりも話し込んでしまっていたのかもしれない。


 アーロンに視線で合図されて、私は頷いた。


「ええ。同席しますわ。私の義母と義妹ですもの」


 私も立ち上がり、準備をするために私室へと戻った。



◇◆◇



「お久しぶりです。義母上。それに、ハンナ嬢」


 アーロンは私を伴い客室に現れ、作法通り座っていた義母と義妹ハンナは立ち上がった。彼が着席を進め、私も隣に座った。


「まあ……無事にお帰りになられて、めでたいことですわ」


 お義母さまは扇を広げ、私と彼を交互に見ていた。義娘の私を見るにはいつも通りだったのかもしれないけれど、私の夫アーロン・キーブルグ侯爵を見るには、少々不躾だったようだ。


「ああ。こちらにお二人を招いたのは、聞きたいことがあってね」


 それまで友好的な態度だったアーロンの声が急に低くなったので、二人は驚いたようでビクッと身体を動かしていた。


 なんだか不思議な気分がした。だって、私はいつも……彼女たちにそうされる方だったもの。


「……何かしら?」


 お義母様は気を取り直して、アーロンに聞き返した。


「この家に、俺の愛人を騙る妊婦を送り込んだ者が居たようだ。金貨十枚を払って雇ったとか。貴族でもなかなか払えるような金額ではない。もしかしたら、お知り合いなのかもしれないと思ってね。何か知っていますか。エタンセル伯爵夫人」


「知る訳がないでしょう! なんという失礼な!」


「どこが失礼だと言うんだ! 不在の間に、キーブルグ侯爵家の血を継ぐという者を送り込まれたんだぞ! それをされて、俺が怒らないと思うのか。血が繋がらないとはいえ、どこまで義娘のブランシュを愚弄するつもりだ」


「証拠もないことを……キーブルグ侯爵家も堕ちたものね!」


「ああ……証拠ですか。あちらをご覧ください」


 アーロンが扉を示したので、私たちはそちらを向いた。


「サマンサ!」


 そこに居たのはサマンサだ。そして、彼女の腕にはあの時に生んだ赤子が居た……元気そうだわ。良かった。それは勘違いだったとしても、もしかしたら血の繋がらない息子として育てたかもしれない子なのだ。


 生まれた時も見に行ったし、この子に情もあった。


「……誰かしら? 知らないわ」


 素知らぬふりで白々しく言った義母に、アーロンは鼻で笑って答えた。


「そう言うと思ったよ。こちらの女性はエタンセル伯爵夫人から指示されたと自白する代わりに、この子どもとの安全な未来を選んだ。証拠もいくつか揃えさせていただきましたよ……エタンセル伯爵夫人。義理の娘のブランシュにも、かなり虐待を加えていたようですね」


 静かに言ったアーロンに、お義母様は立ち上がって声を震わせた。


「なんですって! 良くわからぬ……言いがかりを」


「ええ。そうですね。言いがかりだと良いですね。俺もそう思いますよ……俺の妻に近付くな。永遠にだ。でなければ、全ての証拠を出し、貴族で居られなくしてやる。そっちの可愛らしいご令嬢もだ。こんな母を持ったと知られれば、求婚者も誰も現れまい」


「おっ……お母様……止めてください。私、そんなの絶対嫌です! お義姉様! 止めてください。お願いします。お義兄様。ごめんなさい。ごめんなさい。もうしませんから! お義姉様にはもう近寄りませんから!!」


 ハンナは今自分の居る立場が良くわかったのか、慌てて立ち上がり、必死で三人に頼み込んでいた。


 義母もこれはいつものように、自分の権威を振りかざしてどうにかなる事態ではないと気がついたらしい。


「……帰ります。ブランシュ。元気で」


 義母はそう言って立ち去った。ハンナも慌てて後を追った。サマンサと彼女の子どもを一瞥して去って行ったけれど、もう義母には何かを出来る訳はない。


 アーロン・キーブルグが守ると言ってくれたのだから。


 ……あれは長い別れの言葉だ。義母は私にはもう関わることはないと思う。


「……アーロン。ありがとう」


「夫が妻の名誉のために、戦うのは当然だ」

 アーロンは頷いて短くそう言ったけれど、私は涙が止まらなかった。私をずっと苦しめていた義母もハンナも、私にはもう近寄らない。


 だって、私の夫が何があっても、守ってくれるから。


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