研究記録6 : To you, the righteous (正義の君へ)
「_____つまり、アインシュタインは光の速度はどの観測者から観測しても同じだと提唱しており_____」
読む。
斜陽の教室で、ただ紙を
立って読む。
「...オーレリアさん、ちょっと」
「...はい?」
「もうそこまででいいから」
「でも、まだ肝心なところは」
「...いや。それはちょっと夏休みの自由研究でやることじゃないよね」
「もう時間も結構経っちゃったし、終わりにしようか」
「いや、先生」
「はい、終わり」
「...」
私は、小さい頃から人とは違かった。
他人が意識的に感知する"雰囲気"というものを自分は感じとる能力が低かった。
それで友達ができなかったり、誰かと遊ぶこともなかった。
人間というのは自分に興味がある物には必死に手を伸ばし、追い求める。
だが他人には基本的に興味はなく、放置する。
それが人間。
14歳の頃、そう悟った。
でもそんなものか、とも思った。
どうでもよかった。
いつかこいつらを見返してやるだとか、尊敬させてやるだとか、そんなことどうでもよかった。
ただ私は自分のやりたいことに没頭したかったから。
ひたすら本を読んだ。
いわば読書は自分にとって原動力で、集中できた。
校舎裏の、緑の生い茂った丘を覚えている。
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「そこが私のお気に入りだった。草は艶があって、ヒメオドリコソウがそこらに咲いてて」
ガチャッ
『おはようございます、オーレリアさん。ザラさんがお見舞いに来ましたよ』
「...」
「おはよう、オーレリア君。今日は調子良さそうだね」
「何の話かな。私にも、聞かせてよ...」
「...」
彼女が第二階層から帰ってきて2週間後。
あの日から、オーレリア君は壊れた。
第二階層から帰って来た時の彼女の姿を、私、ザラは今でも思い出す。
あの時彼女は...っ
彼女は...
_____________________
「ゔ...っはぁ...づっ...ぁ...ッ」
ズル...ズル...
第一階層、desserted beach(荒れた砂浜)。
ネモは引きずった。
肩に彼女の腕を乗せ、致命傷の彼女を。
死体同然の彼女を。
ズル...ズッ...
「先...せい...くっ...死なせない...ッ!」
焼けた臭い。
いや、焦げた臭いだった。
私はあの時気が気ではなかった。
オーレリア君が前回書いた研究記録を読み、時たまラビットホールを覗く。
そんな、調子だった。私は。
ヴガッ バキャッ!
ピチャッ...ボヂァ...ッ
あの音...今でも覚えている。
嫌な予感。
それが的中した音。
「お"いッ!」
ネモの水分の混じった稲光のような怒号。
その言葉に私は肩を震わせる。
ネモはその時泣いていた。
泣きながら額から血を流し叫んでいた。
「救急車だッ!救急車を呼べぇッ!」
「はやくッ!」
「...ッ!」
「おいッ!聞いてんのかザラッ!」
「お...オーレリア...く...ん...?」
「このクソガキッ!先生が死んでもいいのかよッ!」
「わかったらさっさと救急車を呼べよぉッ!」
焦げた臭いは彼女からだった。
全身が焼け焦げ、左目は今にもこぼれ落ちそうに垂れ下がって、右腕は消えていた。
そして内蔵すらも____________
_________零れている。
_____________________
「...ッ!」
「...」
「...ごめん、オーレリア君...また来るよ」
カツ カツ カツ カツ...
ガチャッ
部屋をあとにする。
するとオーレリア君の主治医、マクレイという男が私を待ち構えていたようにカルテを持って立っていた。
「もう、いいのですか」
「...」
「えぇ、大丈夫です」
「少し話が」
「...」
______________________
「全身の火傷、左目の欠損、右腕の切除、零れた内蔵の修復」
「...」
「(以前変わらず回復の兆しは無い。ということだろう)」
「(前も言われたよ、それ)」
「処置は完璧に終わりました。火傷跡は残ってしまいますが、その他箇所は少なからず回復の兆候です」
「...っ!」
「助かるんですか!彼女は!」
「言語機能も、記憶能力もッ!」
「その話です」
「オーレリアさんにバリウムを飲ませ、レントゲンを取りましたよね」
「その結果の話です」
「...っ」
ペラッ
「これは彼女の頭部のレントゲン写真です。この脳の中心を見てください。モヤが見えるでしょう」
確かに、モヤだ。
そこだけ不気味に白と黒がうねっている。
「そこは側坐核と呼ばれるドーパミンを放出する部分。そこが狂ってしまって、何も無い空間に語りかけたりしている可能性が高い」
「つ、つまり、そこを治療すればオーレリア君は...!」
「...残念ながら、それは不可能でしょう」
「なぜ!?」
「焼ききれているのです」
「...は?」
「...原理はわかりません。しかし、脳の側坐核だけ焼き切れていて、修復は不可能です」
「万が一記憶能力が戻ってきて言語能力も回復したとしても...側坐核からドーパミンが出ないということは快楽や目標達成の意欲そのものが消えるということ」
「そうすれば彼女は本当に...生きていると言えるのでしょうか」
「じゃあ...打つ手なしって...そんな馬鹿な話...」
「...ザラさん...」
「そんな馬鹿な話あるかよッ!」
「_______そんな馬鹿な話、なんだよ」
カツ カツ カツ カツ...
「...っ」
「...ネモ」
...ネモ。
本名ネモ・グレイス・ブラウン。
彼女もオーレリア君と同じ現場に居たが、額の火傷跡以外は以前の彼女と変わりない。
ブラウンの戦闘服コートを着て、病院の白い廊下からその金髪を現した。
「少し、裏で話そうか」
_____________________
______研究所近くのカフェにて_______
「電子...レンジ...?」
「あぁ...電磁波を利用して調理する器具だ。1933年のシカゴ万博で発表された技術を皮切りに、多くの企業が家庭用調理器具として開発を競い合っている」
ペラッ
「これが、現在W社で開発途中の写真だ」
「...っ」
「そして第二階層。あの時人型の化け物が出現し、私たちを攻撃した」
「電磁マイクロ波という方法でな」
「電磁マイクロ波は中心から加熱される...」
「...」
「じゃあ...彼女は...オーレリアは...」
「_____脳の中心から、焼かれたって言うのか」
「...」
ネモから受けとった白黒のインスタント写真を手前の机に落とす。
力が...抜けた。
ネモは以前黙ったまま。
私の質問に答えないということは、そういう事なのだろう。
「じゃあもう...助かるわけないじゃないか...」
「元のオーレリア...あのオーレリア君は...もう...っ」
「...」
「助かる助からないかどうか。うちは医者じゃないから、そんなこと分からない」
「でもうちは一生先生のそばに居続ける。食事をする時も、入浴する時も」
「雨の日も、暑さで死にそうな日も」
「先生のおかげで今、ここに居るのだから」
「...」
ネモは...もう決めているのだ。
先生がどうなろうと変わらずそばに居ると。
その結果が茨より険しくても、ずっと彼女のそばに居続ける。
そういう決意。
あの日彼女は、オーレリア君に助けられたから。
「あんたはどうする、ザラ」
「これからも、研究所に残るのか」
「...無論だ。私はオーレリア君の残した研究記録を無駄にはしない」
「必ずラビットホールの全貌を明らかにしてやる」
「...」
「(...ザラ・ルイーズ・テイラー。あんたは口調も、表情も、全て変わった。全部先生が抜け殻になってからだ)」
「(あんたがここまで先生に執着していたなんて、知らなかったよ)」
「...」
「もう一度オーレリア君の所へ行ってくる。代金は研究所につけといて」
「...」
「わかったよ」
______________________
ガララッ
「______やぁ。また来たよ、オーレリア君」
「...」
オーレリア君は、話を終えるとしばらく黙る。
しかも壁にもたれかかって、座ったまま。
ずっと。
「実は街でぶどうを買ってきたんだ。いちばん大きいやつを選んできたよ」
「今皮を取ってあげるから」
面会人用の木の丸椅子に腰をかける。
この部屋は病院5階の個室で、少し隙間風が入ってきて寒いが日当たりのいい部屋。
雪が懇々(こんこん)と窓の外を流れていく。
そんな部屋で、静寂が流れる部屋で私はぶどうの皮を剥き始める。
「はい、口開けて。あーん...」
ポトッ
「...」
彼女はぶどうを...食べない。
口に入れてあげても重力で落ちてしまうのだ。
まるで糸の切れた、壊れた人形
そんな彼女を見て、少し泣いた。
いつからだろうか。こんなにも彼女を愛おしく思ってしまっていたのは。
「...君はよく遅刻はするし、泣き虫だし、弱音は吐くし、落ちる時はどこまでも落ちるし、ちょっと怒りっぽいし」
「でも人一倍正義感が強くて、怒ってる時も...きっと誰かのために怒ってるんだよね」
「そんなとこが...好きでね...?」
ポタッ ポタ...っ
「...私は...」
「あ"の日々が...続くだけで良がったのに"...ッ」
段々声がうわずる。
間違いなく、本音だ。
彼女の相談を聞いて、精神が不安定だったら慰めて、そしていつもラビットホールに向かう彼女を見送って。
そんな毎日が、続いて欲しかった。
私にはわかってたのかもしれない。
いつかこんな生活にも終わりが来ると。
元からネモは、ラビットホールの先には未曾有の化け物が跋扈してると私にも報告していた。
危険だったのだ。
それが分かっていながら私は彼女を止めなかった。
むしろ後押しした。
政府やら局長やらの問題を彼女に押し付けて。
「...」
「...最低だ....私って...」
「...」
「...」
「...あの子は...」
「...っ!」
「...あの子は...ケネスは...元気にしているだろうか」
「オーレリア...!」
「君...意識が...っ!」
「母さん...父さんは...体を...大事にしているだろうか...」
「...っ」
「全て...脆い」
「私が、守らなくちゃ」
「守らなくちゃ。守らなくちゃ。守らなくちゃ。守らなくちゃ。守らなくちゃ。守らなくちゃ。守らなくちゃ守らなくちゃ守らなくちゃ守らなくちゃ守らなくちゃ守らなくちゃ守らなくちゃ守らなくちゃ守らなくちゃ」
「...ッ!」
「じゃなきゃ大事なものが...全て...」
「_______呑まれる______」
ガタッ
「もういい...だろ...」
「君はいつまで他人のために生きるんだ...?自分のことはいつまでも二の次なのか...?」
「君のことを大事に思ってる人間がいるのが分からないのかよ...っ!」
「...」
「私は...」
「自分のことが、嫌いだ」
「他人を犠牲にしてきた癖に...偽善を行い罪を償っているつもりなんだ」
「なのに...犠牲になってきた人達は...どれも大切な人なのに...」
「虫のように...脆い。少し小突けば壊れてしまう」
「...もう家族やケネスの入院費を工面することはできない...私は...」
「...っ」
「でも...守らなきゃ......」
「_______この毎日を...守るために...」
「...守らなきゃ...守らなきゃ...私が...」
「...」
_____________________
部屋の外に出て黒いベンチに座る。
もう...私に出来ることはない。
そう思った。
オーレリア君はオーレリア君なりにやり切った。
恐らく彼女が犠牲にしてきた人間というのは、今まで彼女に親しくしてくれた人々のこと。
彼女のこれまでの記録を覗いてきた。
貧乏ながら小中高、ケンブリッジ大学まで惜しみなく金を費やし通わせてくれた働き詰めの両親。
治安悪化により通り魔に殺された浮浪児の子供たち。
所得の低い、かつ死の危険を伴うラビットホールの調査という仕事を政府に強制されたにも関わらず仕事を共にしてくれたネモというはぐれ者の軍人。
そして政府に見捨てられた研究所で働く、私とベアトリス局長の2人。
私は、彼女が言うほどまでにその他人は脆弱では無いと思った。
しかし、守らないと壊れてしまうというのも事実に思えた。
オーレリア君が居なくなってしまったら、私たちはどうなってしまうのだろうか。
文字通り壊れてしまうのだろう。
あの愛おしい毎日も、泡のように消える。
「...」
でももういい。
大事なのは...彼女だ。
彼女が生きていれば、それでいい。
そうすればまた、あの毎日が帰ってくる。
そう信じ続ければ...いい。
カツ カツ カツ カツ...
「ザラさん。あなたにお電話が」
「電話...?」
「えぇ。匿名の人物らしいですが...出ますか?」
「わかった。今行く」
カツ カツ カツ カツ...
ガチャッ
「代わりました、ザラです」
『一度しか言わない。よく聞け』
『ベアトリスは精神病棟送りになった。今後はザラ、お前が研究所を引き継ぎ局長として勤めろ』
「...は?」
「...誰だ、お前...!急にわけわかんないことを...ッ」
『UGLRの管理をしている政府の人間、とだけ言っておこう』
『ベアトリスは第二階層の調査結果を出せなかった。それ故の結果だ。それまで研究者31人犠牲にした罪を背負って消えてもらう』
「...どこまでも舐めやがって...」
「そもそもあの犠牲が出たのだって、お前らがそう命令した結果だろうがッ!」
「家族も人質にとって、一体何様のつもりなんだよこのクソ野郎が...ッ!!!」
『全ては国民の救済のためだ』
『あのラビットホール。内部には手に余るほどの未曾有の技術が隠されてる』
『それが手に入れば、大量の金を生み出し、今の失業者や財政赤字だって黒字に変えられる。他国からの侵略にも怯えることはない』
『そう考えると、安いものだと思わないか?』
「安いわけ...ねぇだろうがッ!!」
「人の命が、安いわけねぇんだよッ!!」
「今まで死んだ研究者だって、決して安くは無い命だったッ!!」
「オーレリア君だって...っ、同様安い訳ねぇんだよッ!」
『あぁ、その件だが』
『彼女をもう一度ラビットホールへ投入しろ。研究記録を書かせ続けるんだ』
『いや、彼女は優秀だよ。誰も攻略できなかった第一第二階層を攻略したんだから』
「...は...?」
「...おい...冗談も休み休み言えよ...」
「オーレリア君はもう調査なんてできないんだよ...第二階層の化け物にやられて、まともに人と話すことも出来ないんだよ...!」
「それをわかって言ってんのかお前はぁッ!!」
『あぁ。承知だ』
『だから最後まで使う。国のために、最後まで』
「...ッ!!」
『忘れるな。私はお前達を管理している』
『救済のために役に立ってもらうぞ』
『ザラ局長』
「ち...ッ!」
ガチャッ!
「はぁ...は...っ、く...はぁ...ッ!」
「(死ぬ...失敗したら...死ぬ...ッ)」
「(また新しい研究者を見つけて...第二階層を突破しなければ...ッ)」
「(私が精神病棟送り...っ)」
冷や汗。
頭皮から滲みだした冷たい液体が後頭部、前頭部にかけて吹き出した。
死ぬ。
もう、政府は手段を選ばない。
私たちに情けはかけない。
消しにきてる。本気だ。
「(死ぬ...)」
「________死ぬ_________」
______________________
「...」
私は、知らずのうちに病室に行きオーレリア君の横に突っ伏していた。
彼女の太ももの傍、白いベッドで。
シミを作った。
彼女は相変わらず動かなくて、静かな時間がただ流れていく。
現実逃避という言葉が相応しい。
「(でももう打つ手がないんだ。手詰まりなんだよ)」
「(このまま死ぬくらいなら...ただ、君と...)」
「_______ザラ」
「...っ!」
彼女の声に身体を震わせる。
オーレリアは意識を取り戻していたのを今思い出した。
でも正直、本当に正気を取り戻しているのか判別できていなかったのだ。
だが彼女は私の名を呼んだ。
それだけで、オーレリアが正気に戻っているのを理解した。
「....オーレリア君...」
「私...どうすれば良かったのかな」
「どうすれば君みたいに、みんなを守れたのかな」
「...」
「私弱いよ。私は君やネモみたいにラビットホールを解明して進めることが出来ない。局長を救うことすらもできない」
「こうやって死ぬのを待つだけなんて、ほんと愚かだよね」
「...」
「私、この件を新聞社にリークしようと思うんだ。そう...3日後くらいがいい。内密に、極力政府に知られないように」
「...賭けだよ。もう既に政府に察知されていたなら、みんなどうなるか分からないけどね」
「分かってくれるかな...私には壮大な一発逆転劇なんて計画は、ないんだよ」
またシーツを湿らす。
午後18時38分。
陽は落ち、雪は相変わらず懇々と降り続けている。
白黒の静寂な空間。
残酷にも時は過ぎていく。
「...ザラ」
「...っ!」
「______私を、ラビットホールに______」
「_____連れてって_______」
「...」
青と黒の混じった髪の彼女。
両目が包帯で覆われ、全身火傷まみれの彼女。
そんな彼女を、また第二階層に送るという行為。
...鬼畜だ。
「...」
でもそうしないと...局長が...消える。
ネモも、私も...オーレリアも。
この毎日も、これまでの思い出も。
全て、消える。
「______お願いだ、ザラ」
「______全てを、守るために______」
ポロ...ポロ...
「...わかったよ」
「_______行こうか、オーレリア君___」
私は空笑いをして、彼女に手を差し出した。