研究記録5 : 第二階層 St.James Infirmary(セントジェームス病院)2
[それじゃあお前ら]
[ゲームの時間だ]
ズギィッ
「ゔ______ぅ________ッ」
再び頭に激痛が走る。
目ん玉が飛び出そうな程の衝撃。
頭の内側から...爆破される。
あの男だ。
あの男が現れてからこの痛みが来ている。
カツ カツ カツ カツッ
男が近づいてくる。
走ってくるわけでもなく、その長い足をゆっくり交差させながら。
ギ__________ゥ_________
_____ギィイイイイッ!!
工業用ドリルのような甲高い劈くような音が脳幹を揺らす。
...い
い"たい い"たい い"たい いだい いたい いたい"
い"たい ひだい い"たい いだい い"たい いたい"ッ
「(ま____ず_____ッ)」
「(のうが____ばくは____す_____る)」
パンパンッ バスッ バシュッ
ガッ
「逃げるぞ先生ッ!」
ネモに抱えられその部屋の扉に突進しこじ開ける。
大きく体が揺さぶられているのが理解できる。
ネモは走る。
ただ男から距離をとるように走って。
ガダッ!
「ぶグォエッ...!」
何かに衝突する。
体全体が何か硬いものにぶつかるような感覚。
いや。
ネモが転んだんだ。
未だ耳鳴りは止まない。
しかし視界は乱反射しながらその姿を映した。
ネモが地面に悶えながらゲロを吐く様子だ。
「うごぁ...ごぇっげ...ッ!」
「ネ...モ...」
「(クソ...体が...)」
「(動か...)」
...ぐぐっ
「(...いや、動く...微量だが動くぞ)」
「(ネモは...連れて行けない...このまま連れてったとしてもすぐ追いつかれて共倒れだ)」
「...」
ぐっ...
目の焦点を気合いで合わせ、立ち上がる。
そして逃げてきた向きと反対の方向に顔を向ける。
そこにはやはりあの黒い扉が鎮座していた。
「先生...やめろ...」
「ゔっ...何考えてる...絶対ダメだ」
「なんだよ...まだ喋る余裕あったのかよ...っ」
「あんた...その状態で何するつもりだ」
「...無論、調査よ」
「何を...馬鹿なことを...」
「...少し調べたいことがある。なに...ほんとに些細なこと」
「だがそれが分かれば...私らは生き残れるかもしれない」
「...無理だ。拳銃が効かない時点で、私らに...勝ち目は無い」
「先生...逃げよう...ッ。とりあえず逃げて、逃げて考えればきっと...ッ」
「_____目の前に解ける問題があるってのに逃げる学者がどこにいるよ」
「...なんだって...?」
「ひとつ分かったことがある」
「私の直感...それだけを、信じてみる」
ダダッ
「待て、行くな...先生...ッ!」
「よせ...っ、ぅ"...」
体は自然と動きだした。
そう、自然と黒い扉に向かって走り出していた。
バンッ
「はっ、はぁっ、く...っ...」
「(...奴が私を攻撃した時、僅かに確認できた...っ)」
「(そう、確かに...男の周辺に広がった、黒ずんだような"焦げ")」
「(...焼けていたんだ...それが奴の攻撃の正体)」
ガッ
倒れるように壁にもたれかかる。
この曲がり角の先に奴がいる。
現に今、奴の甲高い"カツカツ"というブーツの音が聞こえてくるからだ。
次第にまた、頭の中心から痛みが増してくる。
「ぐ...ごぇ...」
時計。
内ポケットの母から貰った懐中時計を取り出す。
外側の円が木製の、中心がスチールでできた懐中時計だ。
中に豆粒サイズの方位磁石が内蔵されており、常に正確に方位を刻む。
ヨークシャーの職人に作らせたから、間違いない。
カツ カツ カツ カツ...
「(まだ足りない...もっと、もっと近くに寄れ...)」
「ゔっ...!...づぐぇッ...!」
鼻血が吹き出し視界が万華鏡のように散らばっていく。
奴が近づいている。
それが証拠。
だがまだ距離が足りない。
もっと、もっと近くに...ッ
「ゔぉごぇ...ッ!がっぼぇ...ッ!」
もう足音すらも聞こえない。
視界も完全にイカれて暗闇に墜つ。
吐き気が止まらない。
胃の内容物を全てひっくり返したはずなのにまだ穴という穴から何かを垂れ流しているのだ。
全身を悪魔の手で握りしめられている感覚。
生暖かくて、半殺しだ。
だがまだ左目がかろうじて機能してある。
「...ご...ゔ...」
「...ッ!!」
刹那、私の左目にとある光景が映った。
懐中時計の方位磁石が不自然に狂いだしたのを。
「ぶっ....やはり...ごの攻撃は...マ"イク"ロ波...」
「やづは...それをわだしだちの頭に...直接...ッ」
「...ぶっ...くかか...」
なら、次はそのマイクロ波を発する根源を破壊するまで。
簡単な話だ。
マイクロ波を巨大な金属板で反射させて奴に食らわせられればそれで解決だが、そんなものここには無い。
なら、内部から破壊する。それが効果的。
カコッ
フラップポケットから円筒の缶詰を取り出す。
ただし、それは第二階層に入る前に缶の半分を縦に抉った物。
これを奴の心臓にぶっ刺して、殺す。
これならマイクロ波を反射させ直接奴を殺す事が出来る。
その為には、直接近づいて缶を奴の体内に刺す必要があるのか。
だがそんなことしたら、私は...
___________死ぬ。確実に。
「(...マイクロ波の海に飛び込んでいったら一体私はどうなるんだ?)」
「...」
聞いたことがある。
マイクロ波照射器に鶏の卵を置いた研究者がいた。
そしてその照射器を最高出力にしたその時、卵は木っ端微塵に爆発したという。
それを人間の頭部に見立てると、想像は難くない。
私の頭部は卵のように爆発して体は焼き焦げるだろう想像が。
「ぶっ...はぁ...は...ッ!」
怖い。
今までこの死と隣り合わせの研究繰り返してきた。
考えてもみれば...軽率だった。
素直にケンブリッジを卒業して高い給料の仕事に就くこともできたはずなのに、好奇心を優先して魔が差した。
御免だ。
こんなとこで死んでたまるか。
こうなったらネモの言う通り逃げて、逃げて...そして...後から考えればいい。
危なくなったら、ネモを盾にして...
「...ッ」
「(じゃあなんで私はあの時浮浪児の子供を助けたんだよ)」
「(...気分だった、じゃ済まされない。現に私はあの子の入院費まで支払ってる)」
「(ネモもかつてはあの子のような浮浪児だった)」
「(なのにどうしてそんな人間を盾にして生き残るなんて真似出来るんだよ...ッ)」
その時、ゲロ以外の体液が私の顔から流れ出したのを感じた。
泣いた。
多分、私は泣いてる。
もう、逃げられない。
この現実からは、逃げられない。
「ゔ...ぅ...く...っ」
逃げられない。
もう、逃げられない。
「ぐ...ぁあ...っ」
「じにたくない...しにたぐないよ...ッ」
でも、死ぬしかない。
この角から飛び出して、奴の前で爆発するしかない。
それしかネモ(あの子)を助ける方法は、ない。
カツ カツ カツ カツ...
もう奴の足音がすぐそこまで近づいてきている。
その音が大きくなる度に微かな左目の視界も薄れていく。
もう、だめだ。
私は死ぬ。
私の人生が、終わる。
これが最後の数秒間。
奴がその角から姿を現した瞬間に私は死ぬ。
「...づっ」
嘘だろ。私こんな怯えて死ぬのかよ。
こんなわけも分からない化け物に、酷い殺され方をして。
ただ殺されるだけのために、その時を待っているのか?
「...」
「ふざけんな...」
ふざけんな。
その時、本当に心の底から怒りが沸いた。
ただ、私の心の底から沸騰したお湯のように湧き出てきた怒りが、限界の私の精神にとうとう釘を刺した。
カツ カツ カツ カツ...ッ
「ざけんな...ッ」
「お前のせいで私が今までやってきたこと台無しにされて、そのまま大人しく殺されてたまるか...ッ!」
「私はネモを生かして、私自身のまま自殺してやるッ...!」
ダッ!
父さん、母さん。
私を育ててくれて、ありがとう。
そして、家計を助けられなくて、ごめんなさい。
ザラ、局長。
今までありがとう。
私に研究をさせてくれて。
私を、受け入れてくれて。
じゃあもう、私はいく。
最後に、ネモ。
これでどうか、生きてください。
「...ッ」
________ザクッ