研究記録4 : 第二階層 St. James Infirmary (セントジェームス病院)
コツ コツ コツ コツ...
コッ...
_________10号室________
ガチャッ
心電図の音。
白い空間に、ピッ ピッ ピッ ピッという音が木霊する。
ただそこはボロボロの病室で、目の前のベッド前に白衣を着た医者がカルテを持って立っていた。
「オーレリアさん?」
「はい」
「早く来てもらって申し訳ない。ちょっと伝えたいことがあってですね」
「はい」
「この子。ケネス君についてですが、まず足」
「やはり重度の凍傷で、昨日膝から上、それと右薬指から中指までを切除しました」
「指...?」
「えぇ。凍傷は逆に膝より指の方がなりやすいです」
「しかし不思議ですよ。海に落とされない限り膝までの凍傷はありえない。しかも右膝は無事」
「いたずらに左足を水につけたか、誰かにやられたか。事件性もあるため警察に連絡させてもらいましたよ」
「...」
「ええ。お願いします」
「それと、これ入院費です」
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カツ カツ カツ カツ...
ガチャッ
「おじいさん。ロンドン・タイムズひとつ」
ガサッ
「はい。2ポンド」
チャリン
「お嬢さん。あんた、あの子供病院に入れたのか?」
「入れましたよ。今は手術して入院してる」
「左膝と右手指を切除したけど、命に別状は無いらしい」
「別状は無いか」
「じゃあ...良かったな」
「...ええ。良かったです」
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ガチャッ
「名前と出身大学を言って地球儀を眺めろ」
「ケンブリッジ大学物理学科出身_______」
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カツ カツ カツ カツ...
うざったい検査を済ませ暗い通路を歩く。
ここまで8時12分。
研究室まで8時20分。局長に挨拶して30分。
その後ネモと会って40分ってとこか。
面倒くさい。
さっさと研究して帰ろう。
「________はどこだって言ってんだよ!」
研究室のドアノブを掴んだその時、中から怒号が聞こえる。
この研究所で叫ぶような人間はいないはずだ。
興味関心も含め、私はそのドアを開いた。
ガチャッ
「だから、酒をどこへやったんだよザラ!」
「隠しましたよ。局長、もうお酒はやめましょう」
「ふざけるな!私のウォッカはどこだ、ウィスキーは...!」
「これか?あった、私のウォッカ!」
「局長それはメチルアルコールですッ!」
「...なんの騒ぎなんだこれは...」
「あ、オーレリア君」
「局長がまた勤務中に酒飲もうとしてたから全部取上げたんだ。そしたらこうなって...」
「...典型的な中毒症状だ」
「局長。お言葉ですがあなたこのまま酒毎日飲んでたら死んじゃいますよ」
「勤務中はメチルアルコールも控えてください」
「そ、そんな...」
「メチルアルコールなんか控えなくても死んじゃうよ...」
ザラは呆れるようにため息をつく。
局長は目が血走って物事が判断できてないようだった。
無論メチルアルコールなんか飲んだら失明どころじゃない。
死だ。
「局長、これどうぞ」
「...なにこれ」
「タバコです」
「これでも吸って気紛らわせてください」
「なるほど、依存先を変えることで中毒症状を抑えるのか!」
いや、なるほどじゃないけどな。
局長はアホになった。
「...えぇ。そういうことです」
私も早く仕事を始めたいので嘘を言う。
こんなのでアルコール依存症を治せるのならみんなやってる。
「それより首席、今回の仕事は?」
「今回っていったら、第一階層は調査したから第二階層になるね」
「やっぱり不明ですか?」
「そうだね。結局のところ、第一階層でみんなやられてるから調査資料が存在しない」
「だからまた一からの調査ってことになるけど、大丈夫そう?」
「えぇ。ではもう少しで出発します。20分後にまた」
「私はネモの様子を見てきます」
「わかったよ」
カツ カツ カツ カツ...
ガチャッ
研究室を出て薄暗い物置部屋の扉を叩く。
3回叩いた。
「ネモ、私だ。オーレリアだ」
...
...返事がない。
コンコンコンコンっ
「おい、ネモ。おい出勤時間だぞ」
「...っ」
ガチャッ
カチャカチャ...
中を覗くとそこにはまた銃器を扱っているネモの後ろ姿が。
「...」
「君は職場に住んでるのに遅刻するのか?」
「ん、あぁ。先生」
「おはよう」
「おはよう」
「コーヒー、飲む?」
「飲む」
物置小屋に置いてある1人用コンロに火をつけお湯を沸かす。
その中に2人分のコーヒーの粉末を入れカップに注ぐ。
「...」
机に置かれていたティースプーンは所々黒い斑点があり酷く汚れていたので違うのを使うことにした。
「指...は汚いか」
私はかき混ぜるのを諦めてそのままカップを渡した。
ネモは無言でそれを受け取り啜った。
「次が、最後かもな」
「...?」
最後?
「どういう意味だ」
「次私たちが行くのは、第二階層・セントジェームス病院」
「実は他の研究者が死んだ後、出口とは違う扉に入ってみた」
「違う扉...」
「薬品の匂いと籠った窮屈な空気。息が詰まりそうで」
「うちは嫌いだ」
「化け物が出た場合も、その対処法が分からない。...か」
「それでも先生。あんたは行くのか」
「...」
「当然。それが私の仕事だから」
「気に入った」
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ガサッ
「はい。これが今回の食料品とコンロ」
「メモは持ったかい。カメラやペンは?」
「持ちました」
「あの、首席」
「ん?」
「これを」
ピラッ
「その封筒、私が3日以上帰って来なかったらマンチェスターの実家に送ってください」
「家族との、大事なものです」
「...」
「私はこれを受け取りたくない」
「どうせ遺書だろう、これは」
「自分語りより大事なものですよ」
「家族の生活費です。都会に来てこれを託せる人は首席しかいません」
「なので、お願いします」
「...」
「わかったよ」
ザラはまた微笑みかけ、私を見送る。
それを見て私とネモはラビットホールに足を踏み入れた。
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暗闇。
第一層を抜けたその先。
たしかに私は今ラビットホールに足を入れたはずだ。
ここには灯りや光も何も存在しない。
そして後から入ったネモの姿もなかった。
「...ネモ?」
「いるよ」
カシュッ
ボゥ...
左から急に光が現れ顔を照らした。
ランタンだ。
赤い光が周囲に広まっていく。
床。真っ白なタイル。
壁。真っ白なペンキで塗られた綺麗な壁。
その先は闇だけだ。
「先に言っとくけど、ここから先は何が起こるか分からない」
「もし私が死んだら、1人で出口を探して行ってくれ」
「...」
「わかったよ」
トツ トツ トツ トツ....
カツ...
ネモが足を止めたのに気づき私も足を止める。
正面にはまた白く、取ってが鉛色の両開きの扉。
耳を澄ますと中からなにやらトランペットの音が聞こえてきた。
ネモは私を手で制止し、肩掛けバッグから銃剣付き拳銃を取り出す。
私達は腰をかがめてその扉をゆっくりと開いた。
「...」
光。私たちとその空間を照らす蛍光灯の真っ白な光。
乱雑に置かれた折りたたみ式のローラーのついた移動ベッド。
倒れた複数の車椅子。
枯れることの無い観葉植物。
そして高い位置に取り付けられたスピーカー。
そこから先程のトランペットが流れている。
「(この独特な消毒液の匂い...本物の病院みたいだ)」
「(これは凄いぞ...)」
私は好奇心からその空間を写真に一枚収めた。
前回の第一階層は砂浜、ここはそれより深い第二階層なのに世界観が真逆の本物の病院なのだ。
正直、化け物とかそんなものより興奮した。
ネモはというとかがみながらその空間に繋がるありとあらゆる通路をクリアリングして回っている。
そして私の所へ来て、
「ここは大丈夫そう。口を開いても」
そう言った。
ガタンっ
「ふぅ...」
荷物を地面に置き車椅子に座ってタバコを蒸かす。
その部屋は窓ガラスがあるというのに外は真っ暗で何も見えない。
奇妙な場所だ。
「ウチは廃墟が好きだ」
「...廃墟?」
「結局この綺麗な状態の病院も、人が居なけりゃ廃墟と変わりない」
「この病院を建設するのに一体何人の手が加わって何人死んだんだろ。どのくらいの金が動いてどのくらいの人がここで過ごしたんだろう」
「でも結局、時代に取り残されたらいずれ朽ちて崩壊する」
「その滅んでいく様がどうもうちには美しく見えて」
「...」
「そのタバコだってそうさ。一から丁寧に育て上げた葉っぱをおろされた紙にフィルターとともにきつく巻かれて作られる」
「しかし人が吸うため先端に火をつけられそれは徐々に全身を包み込み、やがて燃えカスとなって路上に捨てられる」
「その儚さ、無慈悲さが腑に落ちていい」
「...」
「意外だな。ちょっとクサイぞ」
「ははっ、よー言われる」
ネモは私に笑いかける。
彼女の過去を感じさせない澄み切った笑顔だ。
だがその過去というフィルター越しにそれを見ると、傷があり、しかしそれと相反する表情が相まって他のどの笑顔より私には魅力的に見えた。
「君の方が...」
「...?」
「...いや、なんでもない」
「よし、休憩終了。先に進むぞ助手君!」
「え?何そのキャラ」
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これから研究記録を始める。
第一階層を抜けた第二階層、そこはセントジェームスという名の病院が存在していた。
天井には蛍光灯による白い光、白い壁、白い床。
あらゆるスピーカーからはトランペットの音とジャズボーカルの声が聞こえてくる。
恐らくキャブ・キャロウェイという歌手の声だと思われる。
この階層には小窓が存在しており、その先は暗闇が広がっている。
その先に何があるのかはわからない。
「(...この窓を開けるのは後にしよう。何があるのかわからない)」
「先生、こっち」
「?」
ネモが後ろから手招きする。
それは部屋に入って右側の細い廊下からだった。
そのまま彼女について行き目の前の黒い扉にたどり着く。
「なんだ、この扉だけ黒いぞ」
「出口か?」
「いや、出口ならラビットホールが出現するはず」
「でも...扉の先が出口ってことも十分に有り得る」
「扉を手前に引いて隠れながら開けよう。ブービートラップを回避出来るかもしれない」
「...いくぞ」
私は右の扉。ネモは左につき、ゆっくりとその扉を開いた。
ギギィ...
「...」
トランペットの音が少し強くなった気がする。
ただ空気、体調は異常なし。
手を出しても矢尻が飛んでくることもなかった。
「...」
「大丈夫そうだ」
「じゃあ、入ろうか」
「うちの後ろへ」
銃剣付き拳銃を構えたネモの後ろに隠れその部屋の中に入る。
少し室温が下がったのか、冷える。
カツ カツ カツ カッ....
グッ
ネモが左手を上げ立ち止まる。
中は電球の黄色い光で満たされ、先程の雰囲気とはまた違っていた。
だが問題はその止まった先であって、気になったので恐る恐るネモの肩からそれを覗く。
「...人...?」
人。
顔が青白く、貧弱で、服を剥がれた白人の少女。
それが木板の上に横たわっていて、綺麗な長い黒色の髪が地面にまで垂れていた。
異常だ。
「ネモ...ッ」
「あぁ、戻ろう」
ジジィッ ジギュァイイイッ!
「ゔっぎぁ...あ...ッ!!」
刹那、スピーカーからラジオの狂ったような音が耳を劈く。
やば...倒れ...る...
ピタッ
「ぐっ...はぁ...はぁ...」
音が...止まった。
全く状況が読めない。
「おい、先生...ッ大丈夫か!」
「づ...大丈夫...ッ」
雑念を振り切るようにふと顔を右手で拭ってみる。
ズルっ...
「...ッ!」
「先生!」
「え?」
ネモの驚愕しきった表情に拭った手を見てみる。
「_______うわっ」
床に垂れるほど血がべっとりと付いて...なんだ、これ。
思わず素で驚いた声を出してしまった。
一体何処から...
「目...いや、鼻血も出てる。耳からも」
「全部じゃないか...」
「...引き返すぞ。ここはなにかまずい」
「...」
「...先生?」
「...ゔごぉえッ!!」
ベチャアッ
突如として吐き気が押し寄せ、気づいたら意識が飛ぶほど吐いていた。
甲高い耳鳴りと共に視界がバラバラになる。
頭が_______爆発する________
パンッ
刹那、電気が消えた。
「________」
カチッ
途端頭の痛みが消える。
錯乱した視線も気持ち悪さも、全て消えうせたのに驚いた。
そして再び電気が着いた時、"それ"はいた。
暗い灰色の、白い帯のついたステットソンの中折帽に明るい黄色にも似たブラウン柄のロングコート。
中に着ている赤黒いシャツを黒のストレートパンツに収めていて、ピカピカの革靴が目に付いた。
乾ききった茶髪のくせっ毛は砂か埃か何かにさらされ、汚れている。
それが突如として私たちの前に現れたのだ。
私達はその衝撃にしばらくの間、息を飲んで黙った。
「「...」」
[...]
[...俺のよぉ]
「...」
[俺のかわい子ちゃんが、死んじまったよ]
「...っ」
喋った。
その無精髭の生えた重い口から泥のように溢れ出た言葉に、私は唾液を飲み込んだ。
ジャキッ ジャキッ ジャキッ ジャッ...
[もし俺が死んだら、このまま土に埋めてくれ]
[それなら少しは...格好がつくだろう]
男が木板に歩き出し、その白い女を半魚人持ちで抱える。
[それじゃあお前ら]
[ゲームの時間だ]