研究記録2 : 第一階層 Deserted beach (荒れた浜辺)
___________その翌日________
ぐい、ぐいぐい...
「起きろ2人とも...!もう一日経ってしまったぞ!」
体が揺さぶられる。
小さな力だ。しかしそれが心地よくて私は寝返りをうってまた眠りたくなった。
ぐぐぐ...
「な、寝返りをうって寝ようとしている!」
「ばかもう朝なんだぞ!ラビットホールの研究はどうするんだ!」
「ラビットホール...?」
「はっ...まずっ、がっつり寝てしまった...」
「やっと起きたか...ていうか、この研究所を救うとか自分で言っといてよく寝れるな君は!」
「すいません...久々に体を動かしたもので...」
「...」
「...な、なんだ。その目は」
「...首席...」
「...良かったら...毎朝起こしに来てくれませんかね」
「ば...っ」
「_________バカを言うな!」
_______________________
カチャッ チャコっ ゴトッ
私たちはその物置部屋で身支度をした。
これから朝一番でラビットホールに入る。
私は自前のカバンの中からドゥフレックスの一眼レフカメラを取り出しイギリス軍のカーキの肩掛けバッグの中に優しく入れた。
その他メモ帳、ペン3本、大型の水筒
そしてハーシーズの銀紙に包まれた板チョコ。もうかれこれ13年肌身離さず持ち歩いている。
「それは。美味いのか?」
「あぁ、美味いよ」
「どんな味?」
「食ってみりゃ分かるさ」
私は1枚板チョコを放り投げ、ネモはそれを受け取る。
パシっ
「どうも」
私は胸ポケットにシオレリアという紙タバコが入っているのを手で叩いて確認し、ネモの方へ再び向く。
「準備は出来たか?」
そう言うと、ネモは昨日徹夜で作った銃剣付き拳銃を腰のホルダーに入れて私の方を向いた。
「オールクリア」
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_______UGLR 研究室________
「オーレリア君。この穴に入る前に伝えておく事項がある」
「ひとつ、2人とも離れないこと。内部は迷路のように複雑だし一度離れ離れになると最後、無限をさまようことになる」
「ふたつ、内部には未曾有の怪物がいる。そいつらはネモ君の銃火器でも太刀打ち出来ない場合もあるため全てネモ君の言うことを聞いて逃げること」
「そして3つ。この穴は何層かに分かれており、一層を把握するだけでも2日はかかる。それに加えて帰ってくるのに数日かかるものと考慮して、今回は一層の調査期間は一日とする」
「というのが、局長のお達しだ」
そう言うとザラは中くらいのリュックを私たちに渡してきた。
何か危険が及び、緊急で逃げる場合でも問題なく走れる軽さと大きさだ。
中を開くと大量の缶詰で満たされている。
話を聞いた限り調査に1日、帰投に2、3日程度と考え9個の缶詰だろう。
それと小型化された手のひら程度の大きさのガスコンロ。
それをまとめて黒色のリュックに詰め込んでいる。
「分かりました。調査は早めに切り上げ、その怪物とやらに注意して早めに帰ってきます」
「ん、よろしい」
「じゃあ...気をつけて行ってくるんだよ」
ザラはそう言うと、その場に立ち尽くし私たちを見守った。
やはりこの人は優しいのだろう。
私はもっとこの人の期待に応えたくなった。
「はい」
私はただ一言それに答えた。
余計なことは言わずただそれにOKと。
「おーい先生、先行っちゃうぞー」
ネモが私を呼んでいる。
彼女はもうラビットホールの一歩手前まで歩いていた。
「あぁ、今行く」
私は反対を向きネモの元へと向かっていった。
「まったく、これから死にに行く訳じゃないんだから。別れの挨拶が長すぎるよ」
「悪かった。どうも居心地が良くて」
「何訳の分からないことを...さ、早いとこ入っちまおう」
「あぁ。それじゃあ行こうか」
私たちは一呼吸を入れる間もなくそのラビットホールに片足を踏み入れた。
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__ 第一層 Deserted beach(荒れた砂浜) __
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調査1日目。9時43分28秒。
これから第一層の調査記録を書き記していく。
ラビットホールに足を踏み入れると、魚の死骸のような匂いが生暖かい風に運ばれて私にぶつかった。
潮風だ。この空間には海と砂浜が存在している。
上を見上げると雲から光が漏れている。
おそらく太陽がある。ここは地下だというのに。
ここにはカモメや魚、フナムシも存在しない。
試しに海に触れてみたが、やはりどこにも見当たらない。
あるのはただ漣の音。この波がどこから来てどこに流れているのかはわからない。
「(今のところ危険は無い。そもそも、生物がいない時点で私らに危害を加える者はいないはずだ)」
「(なぜこの穴に入った研究者は皆死んだ?この生物が居ない環境で)」
「(まさか...)」
海から自分の手を引き上げネモの方を見る。
ネモもまた、私を見ていた。
「...」
「これまで研究者が死んだのは、私のせいじゃない」
「なに」
「やっぱりそう思ってたか。その顔を見ればわかる。うちを見るその顔で」
「確かにあんたから見れば、うちは局長から聞いたように研究者を見殺しにするようなやつかもしれない」
「だが本当にその怪物はどれも大きくて強かったんだ。うち一人の銃弾なんか簡単に弾き飛ばされたさ」
「あいつらを本当に倒したいなら戦車でも持ってくるべきなんだ。でも局長は立場が弱いからそれも出来ない」
「だから...うちらは戦うフリして逃げる他無いんだ。分かるだろう、先生」
「...」
「ここには一体何がいるんだ。どんな怪物が?」
ザザァ...ザザァ...
しばらくの沈黙の間、さざ波は以前と変わらず存在している。
私は彼女のどこか物悲しそうな、瞼を伏せた表情を見つめた。
すると彼女は目を開き、私の方を見てこう言った。
「アラン」
「...」
「アラン?」
「私はそう呼んでいる」
「(何を言っているのかわからない。話の核心を捉えていないのか?)」
「...アランとか言ったな。そのアランは今どこにいて、どんな形状をしている」
「海の底さ。夜になると浜に上がってくる」
「形か?人だよ。黒いもやがかっていて、目ん玉がついてる」
「...」
「にわかには信じ難いな」
「そのうち分かる。うちが本当のことを話していることが」
「それまで研究でもしていろ。うちは出口を探す」
「...待て。出口がないことはないだろ。だって私たちが来たのは_________」
私は来たはずのラビットホールを探すように後ろを向いた。
「___________」
______出口が...ない______?
「...この第一層は絶え間なく出口を生み出し続ける。いつどこで生み出されるのかも不明」
「でも安心しろ。今日中に必ず出口は出現させてやる」
「...」
「その出現方法で、過去の研究者が皆死んでいったのか?」
「...」
「いいや。それは違う」
「全て私の言うことを聞かなかったせいだ。忠告を無視して皆死んでいった」
「だから先生。あんたは私の"言うこと"を聞いてくれよ」
「...」
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記録を再開する。時刻11時6分12秒。
私の中では未だネモという女の素性が知れないが、警戒しつつも彼女の忠告に極力従ってみる。
忠告を無視したこれまでの研究者はそのせいで死んだ。そうネモは語った。
彼女が言うアランという人型の怪物に殺されたか、または彼女が殺して砂浜に埋めたのか。
いずれにせよ、私はその答えを持って研究室に帰る必要がある。
それが今回の私の仕事だ。
...記録に戻ろう。
ここにある海水をすくって水質調査をしてみる。
手のひらですくって、そこにph試験紙を垂らす方法だ。
結果、深緑のph値9.2程度の弱アルカリ性。
この海水は本物だ。
透き通るような青色と、その中から見える波状に形成された薄いベージュ色。
この砂も本物で、明らかに山から転がってきた岩が角を取られて小さくなった砂だ。
「...」
しかしここには山が存在しない。
あるのは無限に続く砂浜と果てしない波うつ海。
この砂はどこから来たのか、この海はどこに続いているのか。
今日一日で解き明かせそうな話じゃない。
「ふぅ...」
「(しかしまいったな。この浜辺の発生源が一向に分からない)」
一呼吸置きメモ帳を手前の砂の上に置いた。
私も地面に腰を下ろし、向かいのさざ波に沈みかける太陽を眺めながらボーッと休憩する。
もう陽が沈みかけている。もう昼の11時から研究を始めて夕方になるのか。
...タバコを吸おう。
コートを脱ぎ白いシャツ一枚で、胸ポケットに入れといたシオレリア一本をつまんで口元に運ぶ。
バージニア葉とバークレー葉をブレンドしてキューブ状にカットした贅沢な紙タバコだ。
これをマッチで擦り先端に火をつけて口いっぱいに煙を満たした。
そして肺に流し込み口と鼻からゆっくりと吐き出す。
人前ではこんな下品な吸い方出来るはずもないが、一人でシャワーを浴びる時はこれだ。
人もいないし今はいいだろう。
脳を休めると今度はまたこの第一層について考え始めた。
「(地下の中に存在するのに穴の中は本物の浜辺。これはあまりに矛盾しすぎている)」
「まるで...子供が考えたような場所だ」
そう、まるで砂の発生やら波の行く末を知らずにただ漠然と砂浜を思い浮かべる子供の頃の頭の中のようだ。
あぁ、そんな子供の記憶だ。
「...」
__________子供の...記憶?
バッ
「...ここは...誰かの記憶の中なのか?」
体を起こし再び海を眺める。
しかし存在するのはやはり落ち着いた青色の波ばかり。
もう赤く燃える夕陽に照らされて海も赤く染っていた。
それを見て私は正気に戻り、ため息をついた後落としたタバコを拾い再び口元に戻した。
「...」
「ふっ...今までさんざん研究やって来て、ここにきて答えが誰かの記憶ってか」
「三文小説にしても度が過ぎる」
再び砂浜に寝そべってみる。
砂が...暖かい。
午前中はあんな曇り空だったというのに、ここの砂は暖かいんだ。
気候もちょうどよく、少し湿気はあるが心地よいそよ風に顔を撫でられる。
まるで子供を寝かしつける母親のようだ。
「(まずいな...これは...眠ちゃ...う...)」
「(まぁ...十分なサンプルも取れたし...いいか...)」
「んん...」
「___________...」
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「_______せ________い」
...
誰かが私を呼ぶ。
おそらくネモだ。
なにか後ろでパチパチと弾ける音が聞こえる。
焚き火をしているのか?
全く、火が必要ならリュックのガスコンロを使えばいいのに。
「_______んせい」
「_______起きろよ。先生」
「ふぅ...っ...なんだ、飯でもできたのか?」
「あぁ。今缶詰を2つ温め終えたところだ」
「食いなよ。どうせ2日じゃ食いきれない量だ」
「ん...じゃあ、食べるわ」
まだ残る眠気を振り切り、後ろの赤く燃える焚き火に歩いていく。
ネモの顔も明るい光にゆらゆら照らされている。
私は彼女の向かいに座り、適当な缶詰をその焚き火の中に放り込んだ。
「おいおい先生、それどうやって取り出すんだよ」
「あぁ、枝木でつつけばいけるでしょ」
「ふっ、いや大雑把すぎるって」
「それより調査は?うまく進んでる?」
「あぁ、よく進んでるよ。サンプルも十分に取れたし」
「だが分からないことだらけだ。結局のところ第一層の発生源についても全くの不明」
「私がたどり着いた憶測は、ここは誰かの記憶の中だと。ガキでも思いつきそうなおとぎ話だ」
「...そいつは結構、正解に近いかもな」
「...?」
「...」
「先生。缶詰、爆発しそうだ」
「あ、やば...っ」
缶詰の開け口の端と端から泡が溢れ爆発寸前だ。
急いで適当な棒きれを探して、つついて雑に取りだした。
その際ネモが綺麗に組んだ焚き火が音を立てて崩れだしその全てが鎮火する。
辺り一面が月明かりのみの暗黒に包まれた。
プシュゥ...
「あ、わるい________」
「動くな」
「今動くと、あんたは死ぬ」
「_________」
ネモの忠告。
その言葉で全神経が呼び起こされる。
鳥肌ってやつだ。全身こちょばされるように寒さが伝播していく。
...いる。
目には見えないが、確実に私の背後に何者かが存在している。
「口を開くな。瞼も動かすな」
「とりあえず息も止めておいた方がいい」
「少なくともアランの視界では取り乱すな。取り乱すと」
「食われるぞ」
食われ...る...?
取り乱すと食われるのか?
この人型の形をした化け物に?
汗が背中をつたった。
幸いシャツを着ているおかげで汗が流れるのが見えていなかったらしい。
まだ私は生きている。
心臓も脈を打っているのが聞こえる。
[@△#&И/^$#?]
「...っ」
「耳を貸すな。こいつはあんたを食いたがってる」
「そのままでいろ。そのままで」
アランは私になにか語り掛けてきた。
人間の話す言語では無い。
夢に出てくる言葉のようだ。
曖昧で、それでいて他人の会話をごちゃ混ぜにしたような、そんな感じ。
「...」
「あぁ、そう。納得出来たよ」
「...」
「(あーあ...喋っちゃった。また私の忠告を聞かずに研究者がまた1人死ぬ)」
「(結局研究者って、どいつもこいつもバカなのか賢いのか分からないな)」
「(見てみろよ。奴の顔に口が形成されて今にも食おうとあんたに近づいている)」
「(...あぁ、食われるぞ。今に食われてしまう)」
「_____あの灯台は、まだ立っていますか」
私は優しく微笑んでそう言った。
「...」
[...]
ネモは不思議そうな顔をして、アランは依然変わりなくずっと私を見ている。
数秒間の沈黙の後、最初に沈黙を破ったのは彼だった。
[#$&△...@И∞...]
彼はそう言うと、私の背後から離れていったのを感じた。
そして波の音に紛れ、ちゃぶっ、ちゃぶと音を立てて海の方へ帰って行った。
ネモはまだ私の方を見ている。
今起きた光景を信じられないように。
そして再び焚き火へ目を移し元の表情へと戻っていった。
それをみて私も胸ポケットのタバコに火をつけて、リュックを枕代わりにしてまた寝ることにした。
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研究記録2日目。時刻8時47分11秒。
朝起きると手前3mにラビットホールの出現を確認。
1日目に我々が第一層に入った時と同じものだ。
この穴をくぐれば元の世界に戻れるだろう。
パシャっ
砂浜と海の入った写真を一枚撮る。
あとはこれを研究所に戻って現像するだけだ。
ザッ ザッ ザッ ザッ...
すると辺りを適当に歩いていたネモが私の元へ歩いてくる。
「それにしても、驚いたよ。この第一層を生き抜いたのはあんたが初めてだ」
「一体どうやって気づいたんだ?」
「なにが」
私は顔を見ず、ただ海を眺めながらそう答えた。
「なにが...って、あんたアランをうまく扱ったじゃないか。そして出口を出現させただろ」
「特別なことはしてない。ここが彼の記憶の中だと確信が持てただけさ」
「確信?」
「ここはおそらくウェールズのタレイカー。波が穏やかで綺麗な場所だ。私も小さい頃家族旅行でこの浜辺に来たさ」
「その時印象的だったのがひとつの灯台」
「灯台?そんなものないだろ」
「ここでは存在しない。というより、アランにとっては消したい記憶でもあったのかもしれない」
「しかしそれは彼の思い出に違いなかった。だから彼を揺さぶるため、灯台についての質問をしてみたまでさ」
「ド派手な博打だろう、それは」
「じゃあ君はどうやって生き残ったんだ?彼が来ても普通に缶詰食べてたけど」
「1番効果的なのは友好的だとかそんな物じゃなく、気にしないこと」
「草食動物が湖で水を飲んでもそばに居る肉食動物に襲われないのと同じさ。お互い存在しないものと見てる」
「それはそれで大博打だろ。よく生きて来れたな」
「ははっ、お互い様」
「でもさ、これでうちの疑いも晴れただろ?」
「あぁ、ごめん。もう疑わない」
「そしてネモ、君は信頼できる。これからも私とここに入ってくれないか」
「誘い方」
「...そんな変な言い方してたか?」
「ふん...まぁいいさ」
「それじゃ、これからこの地の底まで一緒に冒険しようぜ」
「先生」
「望むとこだな」
記録を再開する。
第一層の発生源はアランの記憶。
私はそう定義付けた。
薄いベージュの砂浜、穏やかな波、薄くない青色の海。後ほど写真も貼り付ける予定だが、ここがウェールズのタレイカーにある浜辺ということは間違いない。
水質も砂の種類も同じだ。サンプルを参照して欲しい。
それでもやはりこのラビットホールの核心には近づけていない。
だから局長、これからもラビットホールに私を入れてくれ。
ネモと私で、この空間の謎を究明してみたいんだ。