研究記録19 : 第6階層 water mill (水車小屋)2
「す...ふぅ...す...ぅ」
「(泣きながら寝た...相当体力を使ったらしい)」
彼女の髪を撫でる。
暖かくて、滑らかな黒髪が手を伝って私に安心感を与えた。
「...さて」
奥の扉に目を移す。
毎回どの階層の扉の先にも嫌な思い出しかないが、大抵その奥に進めば事態は収束へと向かっていく。
ならば進む他ない。
ザっ
「___________」
その砂利と地面が擦れる音を聞いて後ろを向く。
その先には開いた入口の外側に、外の明るみに照らされた何か哺乳類科の足のようなものがあった。
その足についた血が地面に滴っている。
「________」
「...ッ」
目を逸らした。
理由は分からないが、何か良からぬ物を見てしまった気がして。
私はそのまま椅子に座ってじっとそいつが居なくなるまで待っているのだ。
「...」
10秒たった。
おかしい。
いつもは私はこの階層は野生動物がいるのかとか、なんで怪我してるのかとか、そんなことを考えて一手先を考えるが、この瞬間はなぜか目を背けて眠ったはずのポリーナの顔だけを見ている。
相変わらずポリーナは安らかな寝息を立てて眠っているが、私は首筋と頭皮を伝う寒気が止まらなかった。
つまり、直感的に身の危険を感じたのだ。
「...」
もう30秒はたっている。
40秒...いや、私は何に怯えてるのだろうか。
心霊的な類とか、そんなもの科学的に否定できるっていうのに。
ネモのせいだ。
突拍子もなくあんな話を掘り返されたら、悪魔だとかそんなもの影響を受けるのも無理ない。
そう自分に落とし込んだ。
「...っ」
時間が60秒に達した瞬間、私は入口の方を見た。
「________」
やはり、いる。
血溜まりは地面を広がり続けている。
足は2つに割れた蹄でできており、白い毛のようなものが生えている。
察するに羊の蹄だろう。
「ネモ...悪ふざけは辞めろ」
正直いって、羊サイズの大きさであそこまで出血しているとなると立ってもいられないはずだ。
既に血溜まりは入口の中まで侵入してきている。
確実に、ネモやアリサの悪ふざけだ。
物理的に私のことを攻撃してきてない以上、異形とは思えない。
異形だとしても、目的が不明すぎる。
「いい加減にしろネモ!ふざけてる場合じゃないだろうが!」
「...っ」
ガッ
「...いやぁごめんごめん!ビックリした?」
「...」
ネモだ。
入口の縁から顔を出して、そのにこやかな表情を私に見せつけてくる。
「ふざけるな...こっちはポリーナが寝てるんだぞ...」
「二度とするな。アリサもだ」
「わかったら油売ってないでさっさとそれ片付けろッ!」
「はーい」
ドヂャアッ
そう言うと、ネモはその羊を横に引っ張って投げたのか、なにか潰れるような不快な音が耳の奥をつんざいた。
「...っ」
そして、やがて音も姿形も無くなって血溜まりのみ残して消えていった。
「...」
「...冗談だろ」
_____________________
ザッ ザッ ザッ ザッ...
「いやーしかし、結局この水流がどこまで続いてるのか分からなかったね」
「食料すらなかったし」
「この土しかない階層なら当然ね。缶詰を持ってきて正解だったわ」
「でも長くは居れない。この缶詰が切れたら私たちは餓死して、それこそおしまいよ」
「さっさと研究者のとこ戻って出口探しましょ」
「ま、て言ってももう小屋は目の前なんだけどね」
「...って、アリサ。君の缶詰漏れてない?なんかすごい血の臭いがするんだけど」
「...いや...違う。"新鮮"すぎる。リュックの中から漏れ出ているのとは訳が違う」
「...これは...」
目の前には全身が握り潰されたかのようなあられもない姿の血まみれの動物。
全身の骨は折れ、頭部が尻までねじ曲がっている様子でその動物は息をしていないことを2人は理解した。
身体の毛量や目の形状からして、それは白い毛の羊だった。
______________________
ガチャッ
「ただいまー先生」
グチャァ...
「ってうわ...なにこれ...血?」
「...」
ネモが足を踏み入れる場所に丁度血溜まりが重なって、嫌な音を立てて彼女のブーツにまとわりつく。
「研究者これ...何?」
「...」
「とぼけるな...お前らがやった悪ふざけだろ」
「ポリーナの具合が悪いってのに一体何考えてるんだ?」
「...えっと...何の話?」
ネモは怪訝な顔をする。
彼女は山羊のような動物を殺し、どこかにぶん投げた。
私はその光景を実際に見ているのだ。
その上でこの納得のいかないような表情をするなら、それは偽りであることが明白なのである。
「...研究者。ネモは私と水車の流れがどこまで続いているか一緒に歩いて調査してたわ。そんなことできるはずない」
「その帰りに水車小屋の前で山羊のぐちゃぐちゃ死体を見つけたわ」
「研究者...一体あれは何?」
「...は?」
アリサは曇りない眼差しで私を直視する。
確か聞いたことがある。
学術的に、何か質問をした時に相手の目が泳いでいたり瞬きが多いとそれは嘘をついている証拠であると。
私は学生時代それを20人の同級生に詰問して試してみたが、百発百中で嘘をついていた。
しかし彼女のその様子を見ると、嘘をついていないということに当てはまる。
故に私の見た事象と彼女らの見た事象の矛盾に気持ち悪さを覚え、"は?"という意味不明を意味する言葉が私の口から飛び出たのだ。
「(...あれがネモの"したこと"じゃないとしたら、じゃあ一体私が見たあの扉から顔を出した彼女は...)」
「(なんだ_______?)」
悪寒がする。
精神的なものではない。
既にさっきの出来事で流れた汗が冷えきってしまったからだ。
全身の、意識の飛びそうな刺す程の瞬発的な鳥肌も酷い。
それのせいで私はこの数時間で相当な気力を使ってしまった。
つまりは、血の気が引いて今にも倒れそうなのだ。
「ちょ...先生、すごい顔色悪いよ。本当に何があったの?」
「...っ」
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「顔のない神様の話。まだ覚えてる?」
「もしかしたら会えるかもね。その神様に」
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「...何が神様だっ」
「私は信じないぞ...そんなもの」
現状、今の技術で他人とそっくりな人物を再現するのは不可能である。
断じて言う。
声帯まで似せるというのは最新技術を持ってしても不可能だ。
ギィ...
「「「...」」」
ドアが開いた。
奥の部屋が、ひとりでに。
「...もう異形の攻撃は始まっている。2人とも、銃を」
ジャキッ カチョッ
「先生...これ、悪魔なんじゃ...」
「クソ、黙れッ!悪魔なんかこの世にいるかッ!」
「悪魔に銃は効かないだろッ!」
「2人とも黙れッ!私も悪魔なんて見たことないわ」
「...そしてどの階層でも異形は殺せた。今やるべきは異形を早いとこ殺してポリーナを守ることよ」
「わかったら研究者は下がってネモは銃を。姿を見たらすぐ発砲すること。いいわね」
「...」
「早くどけ研究者ッ!邪魔だッ!」
アリサの怒号に気付かされ、寝ているポリーナを肩で担ぎ入口付近に退避する。
「ふっ...なん...なんです...?」
「...っ」
ドク ドク ドク ドク....
心拍数が上がる。
扉の奥の闇から確かに気配を感じるからだ。
私は懐からカメラを取り出し、その先へ向かってレンズを構えた。
ギィ...ギィ...ギィ...ギィ...
上ってくる音。
その足音と木の歪んだ音を聞いて、その奥には下りの階段が存在すると理解する。
「...っ」
ぎゅっ
ネモとアリサは銃を再度握りしめその時に備える。
そして最後の段差を上りきったと思われる音と同時に彼女らは闇に向けて発砲を開始した。
ドババババババババッ
「...っ!」
弾丸による木っ端が四方に飛び散る。
今回ネモが所持したジャングルカービンの機動力は高かったが、特にアリサの持つ見たこともないソ連製の自動小銃の威力、連射速度といったら凄まじかった。
パシャッ パシャッ
こちらも構えたレンズにシャッターを押すのが必死の抵抗だった。
ババババ...ババ...
やがて銃声が衰えていき、アリサの合図によって消滅した。
「「「...」」」
ぴちゃ...びちゃ...ぴちゃ...__________
血が一滴一滴零れる音。
私たちは、未だ暗闇の中で見えない"敵"を仕留めた。
アリサが手を挙げたままその奥へと進む。
銃を構えたまま。
ぴちゃ...ぴちゃ...ぴちゃ...ぴちゃ...
「...」
グチ...ゲチャァ...
アリサはその蜂の巣にされた"敵"を足で嬲りながら観察した。
「...」
「...アリサ」
「...」
「アリサッ!」
「...」
「化け物よ」
「...なんだって?」
「...もう死んでる。ここから先はあんたの仕事よ」
「私は出口を探してくる」
カツ カツ カツ カツ...
「...」
呆ける私の隣を横切り建物の出口へと向かう彼女。
私は息を整えてポリーナをベッドへ寝かせ、そのアリサが化け物と呼んだものの近くへとネモと足を運んだ。
「...っ」
「...ほんとに、悪魔だ...」
ネモがそう呟く。
その時私はその言葉を認めざるを得なかった。
私の足の1.5倍ほどある2つの蹄。
腕ほど巨大な陰茎。
しかし奇怪にも膨らんだ2つの乳房。
そして極めつけは角の生えた山羊の頭。
「...」
「悪魔なんか...バカ...この世に居るはず...」
居るはずがない。
全くふざけている。
これじゃネモの話した神様って奴と姿が同じじゃないか。
こんな偶然が存在するのか?
「...血を調べよう」
「それでこいつが悪魔か偶像かが今にわかる」
ポケットからブラックライトを取り出し先端に黄色の蛍光色フィルターをつけその悪魔とやらに照射する。
既に風穴だらけでその中から血のようなものが流れ出ているが、そこを照らすと綺麗に蛍光色に反応した。
「...見ろ。この反応は、紛れもなく"血"だ。聖典に出てくる悪魔っていうのには血そのものが存在しない」
「つまりこれは、人工的に作られた何かか、存在する本物の動物」
「ただ...生物種としてはありえない構造だ」
「...」
ポリーナの寝るベッドへと歩き、彼女の顔を確認する。
どうやら銃声のせいで起きてしまったようだった。
「オーレリアさん...一体何が起こって...」
「大丈夫。もう事は済んだ」
「今出口をアリサが探している。見つかったら、すぐこんなとことはおさらばだ」
「...」
「分かりました」
「...」
「ネモ、この死体をさっさと屋外へ運ぼう」
「気持ち悪い」
「了解」
グヂァ...
「持ったか?上げるぞ...」
「3.2.1...!」
グチっ グヂゥッ チグッ ...
しばらくその気色悪い感触を片手で感じながら、水車小屋の外へとネモと運んでいく。
ザッ ザッ ザッ ザッ...
ドサァッ
「はぁ...は...はぁ...」
「先生、そこの川で手を洗おう。まるで人を殺したみたいだ」
「あぁ...そうだな」
パシャパシャッ...
「...」
「やっぱあれは、悪魔でも神様でもなかったか」
「当たり前。そんなもの存在したら、世界は崩壊する」
「でもさ。先生は血液検査してあれは悪魔じゃないって判断したんだよね」
「あれよく分からなかったんだけど」
「あぁ...悪魔って血がないんだよ。人間や動物みたいに赤い血が流れていないんだ」
「基本悪魔は幽体だから...」
「...」
「...先生?どうしたの?」
洗っていたはずの手を眺める。
もしくは手に付着したはずの血液。
いまだ洗い流せていない部分があり、その手に残った血を、見る。
川の水で落としたはずなのに、残っている血は水に溶けるどころか水に反発し合っている。
つまりこれは、血液ではない。
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ザッ ザッ ザッ ザッ...
ガチャッ
「ただいまー...あれ、研究者達いないの」
「はぁ...まぁいいわ。ねぇポリーナ。出口見つからなかったわ...ごめんね、もうちょっと我慢してね」
「...」
「...ポリーナ...?」
「________ポリーナッ...!」
______アリサが出口の捜索から帰ってくると既にポリーナの脈は停止していた。
全くの原因不明で、いつ息を引き取ったのかすら彼女らには分からなかった。
つづく




