研究記録13 : after that(その先)
朝が来た。
体調も回復し、前日アリサ達の部屋で寝ていた私はベッドから降りてシャワーを浴びた。
ジャァアアアッッ___________
「服、ここに置いておきます」
仕切りの奥から声がする。
恐らくポリーナだ。
「あぁ、ありがとう」
「...」
「...なにか不都合でも?」
「...いや」
「色々ありがとうって」
「...」
ジャァアアアッ_________
「正直昨日は、賑やかで楽しかったですよ」
「アリサがあそこまで人に優しくはしません。彼女は軍に入ってからは心が壊れてしまったので」
「...」
「なので、手厚くもてなします」
「いやしかし...もてなされてるのは私たちソ連側なのに、おかしな話ですね」
「そりゃなにより。私みたいなボロ人形で良かったなら」
「(はは、自虐が過ぎますねぇ...)」
「今度みんなでウェストミンスターのご飯行かないか?美味しいステーキ屋を知ってるんだ」
「アリサは、喜んでくれるかな」
「はい。アリサの好物は肉ですから」
「そっか...良かった」
「えぇ、もちろんです」
「(残念ながら...無理かもしれませんよ、それは)」
「...」
「本心じゃない」
「...は?」
「君は心から話してない。何か偽ってる感じがする」
「話せよ。もう何が来ても驚かない」
「...」
スル...ス...
「...」
ガラッ
「じゃ、背中を流しながら話しましょうか」
「...いいさ。今更何が来ても驚かない」
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ゴシッ ゴシ...
石鹸を背中から塗られ、それをポリーナが細い指で広げていく。
丁寧でとても気持ちがいい。
次に左腕、既に切除された右腕も優しく洗われていき全く痛くは無い。
「あなたは、変な人ですね」
「素性も分からない女を裸の浴室に入れ込むとは、危険とは思わないのですか?」
「言っただろ。今更何が来ても驚かない」
「でも...自分の部屋に匿ってくれた友達を警戒する必要もないだろ」
「...友達...」
「なぁ...友達なら教えてくれるか」
「お前、KGBなんだろ」
「...」
「なぜそんな結論に?」
「言ってることが全部嘘くせぇ。その片言の英語も、その真っ黒い目も」
「...」
「よく...わかりませんね」
「私はMI6、もといイギリス政府公認の軍人ですよ?それがなぜソ連のスパイだと?」
「新技術の詰まった穴。そこに手厚いイギリス政府の招待状。こんな状況でソ連がスパイを送らないわけが無い」
「なぁ、教えてくれよ」
「そろそろ真実が...知りたいんだ」
「...ッ」
「(あぁ...やめてください...その虚ろな目は...)」
「(その虚ろな目が...私を...)」
「(▅▅▅私を狂わせる▅▅▅)」
「...」
「______ただひとつ言えることは...」
「私は...あなたを守って死にます。多分、恐らく」
「...」
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「変なことを...言ってしまいました」
「え?なんか言ったの?」
風呂上がりのテーブルの手前。
椅子に座ったポリーナがそう漏らすと、外食から帰ってきたアリサはアホみたいな声でそう答えた。
「そういえば研究者は?もう自分の部屋帰ったの?」
「はい...私が背中を流した後、帰って...」
「背中...ってはぁあ!?」
「あんたら一緒に風呂入ったの!?いい歳した女二人で!?」
「そ、そういうの知ってるわッ!そういうのせせッ、セック、セックス!セックスっていうやつでしょ!」
「いや、違います...」
「ただ...彼女のあのドス黒い、しかして微かに希望にすがっているようなあの目を見るとどうも...胸が締め付けられて...その...」
「頭が...どうにかなってしまいそうなのです...」
「マジで切なそうな顔するのやめて?あと息切らさないで?」
「あと...あと私が1本の指でも触れてしまえば彼女は、壊れてしまうのですか」
「あのボロきれのような...彼女が」
「...」
「...何言ってんのよ..ちょっと怖いわ」
「あのさ...別に二人で乳くりあうのはいいんだけど私がいる前ではやめてね、マジで」
「...」
「...はぁ...そんなことよりあの研究者どこ行ったのよ」
「まさかネモのところじゃないといいけど...」
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ガチャッ
「...ふっ...ぅ」
「誰だ...」
「私だ」
「あ...」
「先生...」
私はドアの横に寄りかかってネモを見つめた。
彼女は起き抜けらしい。
金色の髪がぴょんぴょんと所々跳ねているからそれが分かる。
「ちょっと付き合えよ」
「え付き合うって...どこに」
「...いーところ」
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「なんと、サウナです」
かぽーんっ
「いや、かぽーんじゃないでしょ...なにここ」
目の前に広がる赤茶色の木材。薄暗い落ち着いた小さな空間。そしてなんと言っても
「この綿雲のような熱気。完璧だ」
「てか熱すぎ...って100℃!?」
「こんなとこいたら死んじゃうよ!」
「いても精々5分ってとこだよ。まぁ好きな時に出て好きな時に入ればいいのさ」
「さ、お好きな席にどうぞ」
「うぶ...あづい...」
そう言いながらネモは三段目の席に座る。
三段目は熱気が集まりやすいから一番熱い場所なんだけどな。
そう思いながら私はネモの隣に座った。
やがて暑苦しく薄暗い静寂が訪れる。
お互いがサウナに集中してるということだ。嫌いじゃない。
「先生...なんで私をこんな所に」
「...」
「なんだか最近仕事で疲れてたし、休みが必要でしょ」
「だから誘った。それだけ」
「...」
「先生...ごめん、なさい」
「私のせいで、調査チーム、掻き乱して...味方まで、殺して....」
「その上先生にまで危険を...なのにこんな...」
「...もう危険は承知だろ。この穴に入った時から」
「もちろん君はサイルートの部下を2人殺した。そしてその責任を取らなきゃならない」
「でもお前も分かってるだろ。"仕事"はまだ終わってないことを」
「...」
「君の目の前にあるその壁。それを超えた先で私は待ってる。越えられなくても、私はそこに向かう」
「だから早くその壁をぶっ壊して、私に会いに来てくれよ」
その時、ネモは汗とは違う何かが瞼から零れ落ちた。
自信がなくなって、小さく丸くなった彼女はただの少女のように見えた。
インドからのスパイ。テロリスト。植民地への憎悪。
そんなの全部忘れさせる少女がそこにはいた。
何か近所で悪いことをして、学校から親に伝えられたただの子供だった。
私にとってやはりネモは唯一無二の友人だと改めて理解する。
第一階層から一緒に調査を始めた時からずっと。
もしくはその時の、砂浜に浮かぶ彼女の眩しい笑顔が脳裏に焼き付いて離れないのかもしれない。
それを思い出す度に胸を抉る懐かしさとガラスのように繊細な彼女の愛らしい笑顔が好きだった。
好きだった。君が。
あの表情も、汚れなき態度も。
だがもうあの世界は戻ってこない。
皮肉にも私たちの人生というのは全て誰かの記憶に保管され、レッテルを貼られる。
それが殺人や暗い過去ともなれば本当の君を知るものは誰もいなくなるだろう。
悲しい話だ。絶望的に。
「_________」
_______だからこそ私は君を待つ。
じゅじゃぁぁああああッッ!!!
「え...先生...ってあっづッ!!」
「どこに水ぶっかけてんの!?」
「足りない!熱さが足りない!」
次に私の下を隠していたタオルで焼け石から出た蒸気をネモに向けて勢いよく仰ぐ。
「う"らああああッッ!!!」
「う、うぅうあああづいッ!!焼け"る"ぁッ!!」
聞いたこともないネモの悲痛な断末魔が部屋中に木霊する。
ネモの白い肌が段々茹でられたカニみたいに真っ赤になってって吹き出しそうになった。
ていうかちょっと吹いた。
「頑張れネモッ!!お前ならこの壁を乗り越えられるッ!!」
「お前はまだやれるッ!!仕事も壁も全部上手く乗り越えられるッ!」
「だから私と、もっと一緒にいてくれよッ!」
「友達でいてくれよッッ!!」
「ゔ、ゔろぁ...」
_______ドサッ
______________________
______やりすぎた。
ネモを激励するつもりが泡を吹いた茹でガニにしてしまった。
サウナ初心者なのを完全に忘れていた。
そのネモはというと今はぐったりと水風呂に首まで浸かっている。
「悪い。私、ネモを励まそうと」
「ゔぅ...まぁ...大丈夫」
「「...」」
「先生...私さ、頑張るよ」
「...」
「だってその先に、先生が待ってるから」
「...っ」
...なんだ。まだあるじゃないか。
あの時の、君の素敵な笑顔が。
「...」
「あぁ。待ってる」
その時改めて、止まっていた私と彼女の探求が再開したと感じた。